光政寺の御朱印~広島県東広島市高屋町白市176~

都道府県別
住 所広島県東広島市高屋町白市176
宗 派広島県真言宗教団
札 所広島新四国八十八ヶ所霊場 第39番
由 緒1503年、白山城主・平賀弘保が平賀家の菩提寺として創建したお寺です。1600年、関ケ原の合戦後、毛利氏の防長移封にともない、平賀元相も長州に移りました。以来、廃寺となり荒廃。その後、古松の間に埋没していたご本尊の頭部を平賀家の末裔・木原夢想が掘り出し、鎌倉時代の慶派仏師・湛慶がその頭部を胸部に納め新たに観音像を作ったとのことです。
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境内入口

●境内入口

●石柱
・1960年建立

広島新四国・第39番札所・光政寺に到着。
現在、光政寺は無住のお寺になっており、全く生命感のない冷たい空気が支配した古ぼけたお寺さんでした。
いい意味で不気味で、いい意味で荒廃した境内が超私好み。
このゾクゾク感がたまんない。誰もいないのが怖いけど誰かがいてもそれはそれで怖いです。

そんなこんなで、味のある質悪なコンクリ階段を上ると


●手水鉢
・1687年作

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本堂

●本堂

●本堂
・1688~1704年建立
・瓦葺 寄棟造
・白山城主・平賀氏の菩提寺
・広島県真言宗教団のお寺


そんな事より、御本尊はなんと運慶の息子・湛慶作だというぅぅぅ!
是非とも是非とも拝見したいっ!
と思うも、堂内に入る事ができず・・・残念。

広島新四国公式ホームページによると、室町時代にお寺を創建して、江戸時代に荒廃して、 その後、鎌倉時代の仏師・湛慶がご本尊を作ったという・・・うんうんって、おいっ!時系列、滅茶苦茶じゃないかっ(笑)御本尊の湛慶説・・・怪しい。


こちらは庫裏でしょうか?
現在、無住のお寺の為、廃墟となっております。

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石造物

●宝篋印塔

●宝篋印塔
・1734年建立
・木原保満が寄進

ちなみに木原保満は、白市探訪するにあたってキーマンとなる人物です。白市には木原保満が寄進した石造物が多数あります。木原保満寄進の石造物探しをするのも楽しいですよ。


●石灯籠

●石灯籠
・1722年建立


●地蔵堂①

境内にはブロック製の地蔵堂がありました。
堂内には新しめのお地蔵さんを安置。
そして天井が青空でした。

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六地蔵

●六地蔵

境内入口にある不気味でスリル満点な獣道を抜けると六地蔵に到着。


●六地蔵
・1734年建立
・木原保満が寄進
・像高90cmの立像5体
 像高60cmの坐像1体


白市の石造物レベルは結構高いです。


●地蔵菩薩坐像

●地蔵菩薩坐像
・首無地蔵は1733年建立


●地蔵堂②

六地蔵の近くにて、ブロック製の地蔵堂が再び登場。
地蔵堂の裏には謎の洞穴がありました。
どこかに続いていたら浪漫です。

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鶯塚と木原家の墓地

●鶯塚

不気味な山道をさらに奥へ進むと鶯塚に到着。

●鶯塚
1793年、松尾芭蕉の門人である志太野坡の高弟・風律の13回忌に、白市の弟子達が建立した追慕の碑とのことです。


●木原家の墓地

●木原家の墓地
写真右端に写ってるのが、芸南屈指の豪商として栄えた木原家の墓地です。

それにしても荒廃加減がハンパない。 このゾクゾク感がたまんないです。


●東町ふれあい公園

境内入口にあります。
公園内は展望台となっており、遠~くに白市の町並みを望むことができました。

白市の歴史

●白市の町並み

白市は、戦国時代に平賀弘保が築いた白山城の城下町として栄えた町です。

江戸時代、三次、久井と共に牛馬市が開かれ、最盛期には期間中に500頭の牛馬が集まったといいます。牛馬市の期間中は、芝居や歌舞伎や行商などが数多く見られ、大勢の人々で賑わったそうです。

また広島・呉・竹原・尾道・三次などへ1日で行ける距離であった為、古くから交通の要衝で、市場町だけじゃなく宿場町としても栄えたそうです。


町で出会った爺ちゃんの話しによると、JR・山陽本線(国鉄)はもともとこの素敵な町並みを通過する予定だったらしいのですが、牛馬が電車の音で驚くという理由で遠く離れた現在地に白市駅を造ることになったんですって。実は白市駅がある場所は、白市ではなく小谷なんです。せめて名前だけでもってことで白市駅になったとのことです。どおりで白市駅から遠いわけだ。

そんなこんなで、白市の町を散策。

旧・木原家住宅

●旧・木原家住宅

●旧・木原家住宅
・1665年建立
・国重文

なんと、町家としては日本で6番目に 古い建物なんだと!


木原家は白山城主・平賀氏の一族で、酒造業や塩田業などを営み、芸南屈指の豪商として活躍。相当な豪商で超お金持ちだったらしく、広島藩主の浅野家にもお金を貸していたんだと!

そんなこんなで見学開始。
ちなみにガイド付きの見学となります。



部屋の入口が段になってます。
これは身分が高い人が入る部屋という意味とのこと。
敷居が高いという言葉は、ここからきてるんですって。

私みたいな下民は、上の段に上がる事は許されない・・・ということかぁ。いや、家に入る事すら許されなかっただろう・・・。



相当なお金持ちだった為、命を狙われる事もあったようです。
そんなこんなで防犯上、外側には引手はなく簡単に部屋に入れない仕組みになってます。

そして内側には引手があります。
面白いなぁ~。



手前は座敷で、奥は店になってます。


座敷の床の間は栗の柱がありました。
柱には、あえてカンナで深い傷を入れてます。
これはデザインなんですって。

このような柱は珍しいとのことです。
粋だね、お洒落だね。



床の間には古げな鬼瓦が展示されてました。

鬼瓦には寛文5年の文字。
この鬼瓦の銘によって、この建物の建立年が判明したとのことです。

座敷から外を望むと、小さな勝手口が見えます。
これは武士専用の入口なんですって。



身の危険を感じた時はこの小窓から脱出!

屋根裏部屋は、普段お客さんが来ない部屋なので、雑な(いい意味で)土壁になってます。



曲がった梁・・・曲がった梁・・・嗚呼、曲がった梁・・・。
何だったかなぁ・・・。
この梁についてガイドさんから色々と教えてもらったんだけど思い出せない・・・。



神棚は建立当時のままなんですって。

石仏はもともと光政寺に安置されていたものらしいです。
ちなみに木原保満が寄進。



裏庭はグリーンな世界が広がってました。
当時、このスペースは居住する為の家が建っていたんですって。

そんなこんなで、裏庭には基礎石がありました。



そして裏庭には井戸が2つありました。
手前の井戸はお茶とかお酒を造る用の井戸。
奥の井戸は生活用水として使用した井戸で、白山城内の井戸から引いてきた井戸なんですって。

石積みの上にある宝頂は、かつて光政寺にあったお堂の宝頂なんですって。お堂が荒廃した事により、この家に移ってきたんだと。



その他、旧・木原家住宅には石こたつや格子炉などを展示。

玄関側には格子戸。
出格子じゃないのが珍しいそうです。


●木原保満

木原保満とは、江戸時代に活躍した豪商です。
製塩・酒造・両替などを営み、芸南屈指の豪商となったお方。各地の寺社に多くの石造物を寄進しています。
ちなみに木原保満と書いて木原やすまと読みます。



各地に多くの石造物を寄進した木原保満さん。
木原保満寄進の石造物巡りをするのも楽しいかも知れませんね。



そんなこんなで、ガイドさんがファイルを持って一生懸命に案内してくれます。 それにしても、結構な情報量です、このファイル!


うぅぅ・・・そのファイルが欲しい・・・。
途中からファイルの盗撮に精を出す私・・・。 学生時代のカンニング癖が直らない。

その他、白市の見所

●勝田家と重満家

●勝田家(写真左)
・江戸時代後期~末期建立
・醤油醸造を生業としていたそうです。

●重満家(写真右)
・江戸時代末期~明治初期建立
・酒造業を生業としていたそうです。


●伊原惣十郎家と舛木家

●伊原惣十郎家(写真左)
・1917年建立
・鋳物製造業を生業とし、京都御所の灯籠や厳島神社の青銅大灯籠を鋳造

●舛木家(写真右)
・明治時代後期建立


●伊原八郎家

●伊原八郎家
・大正時代建立

モダンですなぁ。


●恵美須神社

●恵美須神社
旧・木原家住宅の隣に鎮座してます。
えびす顔で白市の町を見守ってます。


●白山城跡

標高314.1mの山に構えた平賀氏の居城です。
平賀氏は関ケ原の合戦後、毛利氏と共に長州に移りました。


●白市の町並み

などなど、いろいろと盛沢山ですが、とっても小さな町の為、1時間くらいで全て巡れると思います。

ちなみに私は3時間かかりました。
さすがです(自分で言うな)。

御朱印

●御朱印

御朱印は、広島県安芸郡府中町の広島新四国八十八ヶ所霊場 第28番・道隆寺で頂けます。
本堂内に書置きがあります。

●道隆寺
広島県安芸郡府中町みくまり3丁目9−8
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光政寺の地図

道隆寺の地図

 

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