所在地 | 東京都台東区上野公園9−88 |
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祭 神 | 徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜 |
由 緒 | 1627年、津藩主・藤堂高虎と天台宗・天海大僧正が徳川家康を祀るために寛永寺境内に創建した神社です。全国にある東照宮の1つで、日光東照宮・久能山東照宮・芝東照宮とともに四大東照宮の1つとされています。現在の社殿は、戊辰戦争(上野戦争)や関東大震災などにも耐えた貴重な文化財として知られています。 |
HP | 上野東照宮公式ホームページ |
Contents
上野東照宮とは?
●上野公園のマップ
本日は上野公園をプラプラと散策しております。
公園内には上野動物園や東京国立博物館や国立西洋美術館、さらには不忍池弁天堂や清水観音堂など寛永寺関係の寺社が点在しているのですが、どのスポットもとにかく人が多いんだ!
当然、この上野東照宮もたくさんの参拝者で賑わっていました。
いつもこうなのか、たまたまなのかわかりませんが、外人さんが多かったです。
割合的にはアジアの外人さん6、欧米の外人さん2、日本人2くらい(当社比)
もうここが日本なのかどうなのかもわからない・・・日本にいながら完全アウェー(笑)
●ザックリと簡単に上野東照宮とは?
上野東照宮とは全国にある東照宮の1つで、日光東照宮・久能山東照宮・芝東照宮とともに四大東照宮の1つとされています。
現在の主祭神は、徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜ですが、創建当初は徳川家康・天海・藤堂高虎が祀られていたといいます。
・・・どーゆーこと!?
ということで、調べてみることに。
1616年、危篤状態の徳川家康が駿府城に天海と藤堂高虎を呼び出したという。
そして『信頼する天海と藤堂高虎とともに3人1つの所に魂が末永く鎮まるところを作って欲しい』と遺言したという。
ということで、遺言どおり徳川家康とともに天海と藤堂高虎が祀られるようになったんだって。
この3柱のことを三処権現と呼ぶそうです。
その後、主祭神を徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜の3柱に変更したんだって。
上野東照宮が鎮座する上野公園は、かつては寛永寺の境内地でした。
ご存知、寛永寺は天海が造営した徳川将軍家の菩提寺です。
さらに、現在の上野東照宮の鎮座地は、藤堂高虎の下屋敷があった場所でした。
こういった経緯を見ても、いかにこのお二方が東照宮の創建に尽力したかがわかります。
ちなみに御朱印には、藤堂高虎・東照神君・天海僧正の文字が確認できました。
●現在の主祭神
現在の主祭神は、徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜。
・徳川家康 → 東照大権現
・徳川吉宗 → 暴れん坊将軍のモデル
・徳川慶喜 → 徳川最後の将軍
●東照大権現とは?
東照大権現とは徳川家康の神号です。
この神号は、家康さんが絶大な信頼を寄せていた天海が決定した神号で、東の国の天照大御神という意味なんだって。
本日は上野公園をプラプラと散策しております。
公園内には上野動物園や東京国立博物館や国立西洋美術館、さらには不忍池弁天堂や清水観音堂など寛永寺関係の寺社が点在しているのですが、どのスポットもとにかく人が多いんだ!
当然、この上野東照宮もたくさんの参拝者で賑わっていました。
いつもこうなのか、たまたまなのかわかりませんが、外人さんが多かったです。
割合的にはアジアの外人さん6、欧米の外人さん2、日本人2くらい(当社比)
もうここが日本なのかどうなのかもわからない・・・日本にいながら完全アウェー(笑)
●ザックリと簡単に上野東照宮とは?
上野東照宮とは全国にある東照宮の1つで、日光東照宮・久能山東照宮・芝東照宮とともに四大東照宮の1つとされています。
現在の主祭神は、徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜ですが、創建当初は徳川家康・天海・藤堂高虎が祀られていたといいます。
・・・どーゆーこと!?
ということで、調べてみることに。
1616年、危篤状態の徳川家康が駿府城に天海と藤堂高虎を呼び出したという。
そして『信頼する天海と藤堂高虎とともに3人1つの所に魂が末永く鎮まるところを作って欲しい』と遺言したという。
ということで、遺言どおり徳川家康とともに天海と藤堂高虎が祀られるようになったんだって。
この3柱のことを三処権現と呼ぶそうです。
その後、主祭神を徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜の3柱に変更したんだって。
上野東照宮が鎮座する上野公園は、かつては寛永寺の境内地でした。
ご存知、寛永寺は天海が造営した徳川将軍家の菩提寺です。
さらに、現在の上野東照宮の鎮座地は、藤堂高虎の下屋敷があった場所でした。
こういった経緯を見ても、いかにこのお二方が東照宮の創建に尽力したかがわかります。
ちなみに御朱印には、藤堂高虎・東照神君・天海僧正の文字が確認できました。
●現在の主祭神
現在の主祭神は、徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜。
・徳川家康 → 東照大権現
・徳川吉宗 → 暴れん坊将軍のモデル
・徳川慶喜 → 徳川最後の将軍
●東照大権現とは?
東照大権現とは徳川家康の神号です。
この神号は、家康さんが絶大な信頼を寄せていた天海が決定した神号で、東の国の天照大御神という意味なんだって。
大石鳥居と水舎門と狛犬
●大石鳥居
●大石鳥居
・1633年建立
・石造 明神鳥居
・材質は備前の御影石
・酒井忠世が奉納
・国指定重要文化財
そんなこんなで、参拝開始。
上野動物園の隣に鎮座しているので、とりあえず動物園に向かって歩けば到着できます。
境内入口では、大きな石鳥居がお出迎えしてくれました。
1633年の建立といいますから、東照宮創建の6年後に建てられた鳥居になります。
なんとこの鳥居は1923年の関東大震災で倒壊を免れた貴重な一品だという!
相当、しっかりとした基礎が築かれてるんでしょうね。
震災後、ビクともしていない鳥居の姿に当時の人はだいぶ驚かれたそうですよ。
ちなみに奉納者の酒井忠世は、江戸幕府の老中・大老を務めたお方です。
●参道
そんなこんなで、大石鳥居をくぐると参道に突入。
四半敷の石畳がいい味出しています。
●水舎門
●水舎門
・1651年建立
・1964年移築改築
・銅瓦葺 切妻造 薬医門
・阿部重次が奉納
そんなこんなで、参道を抜けると水舎門に到着。
なんとこの門は、水舎の上屋を改築したものなんだって!
言われなきゃ気付かなかったけど、よく見たら確かに手水舎の造りだよ!
どうやら、1651年に阿部重次が奉納した水舎の上屋を1964年に門として移築改築したんだって。
ナイスリサイクルですね!
妻の大瓶束と化粧銅板が施された垂木。
木鼻は、銅板が施された禅宗様。
朱塗りと白塗りと緑というバラエティーに富んだ色合いをした門になっています。
それにしても、ブロック塀というところがなかなか(笑)
●水舎と水盤(手水鉢)
●水舎
・1873年建立
・銅板葺 切妻造
・新門辰五郎が奉納
●水盤(手水鉢)
・1651年作
・材質は小松石
・阿部重次が奉納
ちなみに、こちらが現在の水舎です。
もともと水舎門の上屋はここにあったんだね。
水舎門同様、水盤も阿部重次が奉納したものなんだって。
阿部重次は、徳川家光のもとで老中を務めたお方です。
1651年に徳川家光が亡くなった際、阿部重次も殉死しました。
この水盤を奉納したのは1651年・・・ということは、水盤を寄進して間もなく殉死したということですね・・・なんか泣けるなぁ(/ _ ; )
ちなみにこの水舎は、新門辰五郎が奉納したものなんだって 浅草神社の境内末社・被官稲荷神社を寄進したお方ですね!
●新門辰五郎とは?
新門辰五郎とは、江戸時代末期から明治時代初期に活躍した町火消・香具師・侠客です。
娘が徳川慶喜のめかけとなったことで、慶喜が静岡へ謹慎する際に警護についたといわれています。
また、勝海舟や清水の次郎長とも交流があったといわれています。
ちなみに新門とは名字ではなく、浅草寺の伝法院にあった新門の門番をしていたことからそう呼ばれるようになったんだって。
あと、なぜかなぜなのか水屋にはデッカい鈴が吊るされていました。
ちなみに、この鈴は1874年作とのことです。
●狛犬
●狛犬
・1914年建立
・護国系の狛犬
・酒井八右衛門 作
参道脇には個性丸出しの護国系の狛犬ちゃんがおられました。
顔がボディーにめり込んでいます(笑)
異常に発達した胸筋。
そして剛腕。
なのにアバラが出ているという不思議な体型でした。
まるでフライドチキンみたいなフォルムだなぁ。
カリフラワーにも見えてきた!
●大石鳥居
・1633年建立
・石造 明神鳥居
・材質は備前の御影石
・酒井忠世が奉納
・国指定重要文化財
そんなこんなで、参拝開始。
上野動物園の隣に鎮座しているので、とりあえず動物園に向かって歩けば到着できます。
境内入口では、大きな石鳥居がお出迎えしてくれました。
1633年の建立といいますから、東照宮創建の6年後に建てられた鳥居になります。
なんとこの鳥居は1923年の関東大震災で倒壊を免れた貴重な一品だという!
相当、しっかりとした基礎が築かれてるんでしょうね。
震災後、ビクともしていない鳥居の姿に当時の人はだいぶ驚かれたそうですよ。
ちなみに奉納者の酒井忠世は、江戸幕府の老中・大老を務めたお方です。
●参道
そんなこんなで、大石鳥居をくぐると参道に突入。
四半敷の石畳がいい味出しています。
●水舎門
●水舎門
・1651年建立
・1964年移築改築
・銅瓦葺 切妻造 薬医門
・阿部重次が奉納
そんなこんなで、参道を抜けると水舎門に到着。
なんとこの門は、水舎の上屋を改築したものなんだって!
言われなきゃ気付かなかったけど、よく見たら確かに手水舎の造りだよ!
どうやら、1651年に阿部重次が奉納した水舎の上屋を1964年に門として移築改築したんだって。
ナイスリサイクルですね!
妻の大瓶束と化粧銅板が施された垂木。
木鼻は、銅板が施された禅宗様。
朱塗りと白塗りと緑というバラエティーに富んだ色合いをした門になっています。
それにしても、ブロック塀というところがなかなか(笑)
●水舎と水盤(手水鉢)
●水舎
・1873年建立
・銅板葺 切妻造
・新門辰五郎が奉納
●水盤(手水鉢)
・1651年作
・材質は小松石
・阿部重次が奉納
ちなみに、こちらが現在の水舎です。
もともと水舎門の上屋はここにあったんだね。
水舎門同様、水盤も阿部重次が奉納したものなんだって。
阿部重次は、徳川家光のもとで老中を務めたお方です。
1651年に徳川家光が亡くなった際、阿部重次も殉死しました。
この水盤を奉納したのは1651年・・・ということは、水盤を寄進して間もなく殉死したということですね・・・なんか泣けるなぁ(/ _ ; )
ちなみにこの水舎は、新門辰五郎が奉納したものなんだって 浅草神社の境内末社・被官稲荷神社を寄進したお方ですね!
●新門辰五郎とは?
新門辰五郎とは、江戸時代末期から明治時代初期に活躍した町火消・香具師・侠客です。
娘が徳川慶喜のめかけとなったことで、慶喜が静岡へ謹慎する際に警護についたといわれています。
また、勝海舟や清水の次郎長とも交流があったといわれています。
ちなみに新門とは名字ではなく、浅草寺の伝法院にあった新門の門番をしていたことからそう呼ばれるようになったんだって。
あと、なぜかなぜなのか水屋にはデッカい鈴が吊るされていました。
ちなみに、この鈴は1874年作とのことです。
●狛犬
●狛犬
・1914年建立
・護国系の狛犬
・酒井八右衛門 作
参道脇には個性丸出しの護国系の狛犬ちゃんがおられました。
顔がボディーにめり込んでいます(笑)
異常に発達した胸筋。
そして剛腕。
なのにアバラが出ているという不思議な体型でした。
まるでフライドチキンみたいなフォルムだなぁ。
カリフラワーにも見えてきた!
石灯籠と銅燈籠
●石灯籠
参道脇には、たくさんの石灯籠が立ち並んでいました。
なんと境内には200基以上の石灯籠があるんだって!
しかも、この灯籠群は全国の大名が奉納したものだという!
そのほとんどが、現・社殿建立の1651年に奉納されたものだという!
徳川家への忠誠を誓うためか、競うように奉納されているという!
わかる!
わかるよー、その気持ち!
私みたいな権力を恐れる犬人間は、真っ先に奉納しちゃう!
●銅燈籠
●銅燈籠 50基
・江戸時代建立
・国指定重要文化財
そんなことより、この神社のすごいところは石灯籠だけじゃないんです!
50基にもおよぶ銅燈籠が圧巻なんです!
驚くことに、50基全てが国重文だという!
圧巻を通り越してもはや悪寒ですよ。
説明板によると
燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成され、火袋は八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻むことが多い。
と書いてありました。
そんなこんなで、竿の銘文を観察。
すると伊賀少将藤原朝臣高虎と書かれた銘文を発見。
どうやらこれが藤堂高虎が奉納した銅燈籠のようです。
説明板によると、1651年4月17日は東照宮の社殿が落慶された日で、その日の奉献数が最も多いと書いてありました。
しかし、藤堂高虎が奉納したこの銅燈籠は1628年の奉納というじゃない。
調べてみると、どうやらこの銅燈籠は徳川家康の十三回忌に奉納されたものなんだって。
上野東照宮の創建が1627年ですから、創建の翌年に奉納されたものなんですね!
ということで、この燈籠は上野東照宮の歴史をほぼ全て見てきたってことかぁ。
他の銅燈籠とは格が違うね!
しかしもっと格が違うのがこちらの銅燈籠!
なんとこの燈籠は徳川御三家が奉納したものだという! 紀伊・水戸・尾張の徳川御三家が2基ずつ奉納しています。
社殿に近いところにあるあたりがさすが御三家だなぁと思いました。 もう別格ですね!
参道脇には、たくさんの石灯籠が立ち並んでいました。
なんと境内には200基以上の石灯籠があるんだって!
しかも、この灯籠群は全国の大名が奉納したものだという!
そのほとんどが、現・社殿建立の1651年に奉納されたものだという!
徳川家への忠誠を誓うためか、競うように奉納されているという!
わかる!
わかるよー、その気持ち!
私みたいな権力を恐れる犬人間は、真っ先に奉納しちゃう!
●銅燈籠
●銅燈籠 50基
・江戸時代建立
・国指定重要文化財
そんなことより、この神社のすごいところは石灯籠だけじゃないんです!
50基にもおよぶ銅燈籠が圧巻なんです!
驚くことに、50基全てが国重文だという!
圧巻を通り越してもはや悪寒ですよ。
説明板によると
燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成され、火袋は八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻むことが多い。
と書いてありました。
そんなこんなで、竿の銘文を観察。
すると伊賀少将藤原朝臣高虎と書かれた銘文を発見。
どうやらこれが藤堂高虎が奉納した銅燈籠のようです。
説明板によると、1651年4月17日は東照宮の社殿が落慶された日で、その日の奉献数が最も多いと書いてありました。
しかし、藤堂高虎が奉納したこの銅燈籠は1628年の奉納というじゃない。
調べてみると、どうやらこの銅燈籠は徳川家康の十三回忌に奉納されたものなんだって。
上野東照宮の創建が1627年ですから、創建の翌年に奉納されたものなんですね!
ということで、この燈籠は上野東照宮の歴史をほぼ全て見てきたってことかぁ。
他の銅燈籠とは格が違うね!
しかしもっと格が違うのがこちらの銅燈籠!
なんとこの燈籠は徳川御三家が奉納したものだという! 紀伊・水戸・尾張の徳川御三家が2基ずつ奉納しています。
社殿に近いところにあるあたりがさすが御三家だなぁと思いました。 もう別格ですね!
社殿(金色殿)
●社殿
そんなこんなではいドーーーン!
この紋所が目に入らぬかぁぁぁ!と言わんばかりのゴージャスな社殿が登場!
目に入ってます!
じゅうぶん入ってます!
入るどころか突き抜けてます!
徳川のチカラをこれでもかというくらいに表現した豪華絢爛な社殿に開いた口が塞がりませんでした。
●社殿
・1651年建立
・銅瓦葺 千鳥・唐破風向拝付き入母屋造
・権現造
・徳川家光が改築
・通称・金色殿
・国指定重要文化財
●唐門
●唐門
・1651年建立
・唐破風造り四脚門
・国指定重要文化財
なんと社殿には約11万枚の金箔が使用されているという!
現代の価値で換算すると、なんと8億円相当!ヒェッ(;゚Д゚)
金色殿と呼ばれるのも納得です。
扉の両サイドには昇り龍と降り龍の彫刻がありました。
なんとこの彫刻は名工・左甚五郎の作という!
そんなこんなで、昇り龍と降り龍を観察。
見た感じ、どう見ても上を向いてる方が昇り龍で下を向いてる方が降り龍だと思いますが、実は逆なんです。
偉大な人ほど頭を下げているという理由から、下を向いてる方が昇り龍で、上を向いてる方が降り龍だという!
私は失敗してよく頭を下げているから昇り龍だね!
薄々勘づいていたけど、やっぱり私は偉人だったのか!(ないない)
ちなみにこの龍は、毎晩、不忍池に水を飲みにいくという伝説があるそうですよ。
不忍池で見張っていれば龍に会えるかもね!
●左甚五郎とは?
ちなみに左甚五郎とは、江戸時代初期に活躍した彫刻家です。
日光東照宮の眠り猫など、全国各地に名作が多数あります。
しかし実在していたかは定かでなく、作品も安土桃山時代~江戸時代後期の約300年に至るため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたのではないか・・・という説が定説になりつつあります。
木鼻は獅子と牡丹。
通常、獅子の相方は漠か象なのですが、ここの木鼻は牡丹だという!
ちょっと珍しいですね!
上野東照宮はぼたん苑が有名ですが、ぼたん苑に行かずとも牡丹を観賞できるというね。
なんだか得した気分です。
その他、錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫が素敵でした。
この彫刻は、室町桃山時代の技術を集大成したものとして高く評価されているそうですよ。
社殿は1651年に徳川3代将軍・徳川家光が改築したものなんだって。
戊辰戦争(上野戦争)と関東大震災と東京大空襲で焼失することなく現在にいたる貴重な一品です。
東京大空襲の際は境内に爆弾が打ち込まれたそうですが、不発弾だったため被害がなかったという!
もはや奇跡としかいいようがない不死身の社殿です!
ちなみに透塀の内側は有料拝観となります。
●拝観料
・大人 500円
・小学生 200円
社殿の他に、唐門・透塀の裏側、御神木の大楠、栄誉権現社を拝観することができるそうです。
私はお小遣い不足のため泣く泣く断念しました!
そんなこんなではいドーーーン!
この紋所が目に入らぬかぁぁぁ!と言わんばかりのゴージャスな社殿が登場!
目に入ってます!
じゅうぶん入ってます!
入るどころか突き抜けてます!
徳川のチカラをこれでもかというくらいに表現した豪華絢爛な社殿に開いた口が塞がりませんでした。
●社殿
・1651年建立
・銅瓦葺 千鳥・唐破風向拝付き入母屋造
・権現造
・徳川家光が改築
・通称・金色殿
・国指定重要文化財
●唐門
●唐門
・1651年建立
・唐破風造り四脚門
・国指定重要文化財
なんと社殿には約11万枚の金箔が使用されているという!
現代の価値で換算すると、なんと8億円相当!ヒェッ(;゚Д゚)
金色殿と呼ばれるのも納得です。
扉の両サイドには昇り龍と降り龍の彫刻がありました。
なんとこの彫刻は名工・左甚五郎の作という!
そんなこんなで、昇り龍と降り龍を観察。
見た感じ、どう見ても上を向いてる方が昇り龍で下を向いてる方が降り龍だと思いますが、実は逆なんです。
偉大な人ほど頭を下げているという理由から、下を向いてる方が昇り龍で、上を向いてる方が降り龍だという!
私は失敗してよく頭を下げているから昇り龍だね!
薄々勘づいていたけど、やっぱり私は偉人だったのか!(ないない)
ちなみにこの龍は、毎晩、不忍池に水を飲みにいくという伝説があるそうですよ。
不忍池で見張っていれば龍に会えるかもね!
●左甚五郎とは?
ちなみに左甚五郎とは、江戸時代初期に活躍した彫刻家です。
日光東照宮の眠り猫など、全国各地に名作が多数あります。
しかし実在していたかは定かでなく、作品も安土桃山時代~江戸時代後期の約300年に至るため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたのではないか・・・という説が定説になりつつあります。
木鼻は獅子と牡丹。
通常、獅子の相方は漠か象なのですが、ここの木鼻は牡丹だという!
ちょっと珍しいですね!
上野東照宮はぼたん苑が有名ですが、ぼたん苑に行かずとも牡丹を観賞できるというね。
なんだか得した気分です。
その他、錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫が素敵でした。
この彫刻は、室町桃山時代の技術を集大成したものとして高く評価されているそうですよ。
社殿は1651年に徳川3代将軍・徳川家光が改築したものなんだって。
戊辰戦争(上野戦争)と関東大震災と東京大空襲で焼失することなく現在にいたる貴重な一品です。
東京大空襲の際は境内に爆弾が打ち込まれたそうですが、不発弾だったため被害がなかったという!
もはや奇跡としかいいようがない不死身の社殿です!
ちなみに透塀の内側は有料拝観となります。
●拝観料
・大人 500円
・小学生 200円
社殿の他に、唐門・透塀の裏側、御神木の大楠、栄誉権現社を拝観することができるそうです。
私はお小遣い不足のため泣く泣く断念しました!
その他の見どころ
●神楽殿
●神楽殿
・1874年建立
・銅板葺 妻入り入母屋造
・深川木場組合が寄進
●五重塔
●五重塔
・1639年再建
・1〜4層は銅瓦葺
・5層目は瓦葺
・高さ 32.3m
・国指定重要文化財
境内からは五重塔が望めました。
この五重塔はもともと上野東照宮の一部でしたが、明治時代の神仏分離によって寛永寺が管理することになったそうです。
しかしその後、東京都に寄付されたため、現在は東京都が管理しているそうです。
そんなこんなで、現在は東京都が運営する上野動物園の園内にドーンと建っています。
ということで、五重塔の全体像が見たい方は上野動物園へ!^^
●お化け灯籠
●お化け灯籠
・1631年建立
・高さ 6.8m
・日本三大石灯籠の1つ
・佐久間勝之が奉納
大石鳥居前の脇道を進むと巨大な石灯籠があります。
あまりにも巨大なため、お化け灯籠と呼ばれているという!
それにしてもすごいネーミングだなぁ(笑)
ちみに、熱田神宮(愛知)・南禅寺(京都)の石灯籠とともに日本三大石灯籠の1つに数えられています。
ビックリすることに日本三大石灯籠を奉納したのは全て佐久間勝之だという!
ビックリというよりビッグリですよ!(聞き流してください)
●オリジナル絵馬
絵馬には兜とタヌキと牡丹がデザインされていました。
●神楽殿
・1874年建立
・銅板葺 妻入り入母屋造
・深川木場組合が寄進
●五重塔
●五重塔
・1639年再建
・1〜4層は銅瓦葺
・5層目は瓦葺
・高さ 32.3m
・国指定重要文化財
境内からは五重塔が望めました。
この五重塔はもともと上野東照宮の一部でしたが、明治時代の神仏分離によって寛永寺が管理することになったそうです。
しかしその後、東京都に寄付されたため、現在は東京都が管理しているそうです。
そんなこんなで、現在は東京都が運営する上野動物園の園内にドーンと建っています。
ということで、五重塔の全体像が見たい方は上野動物園へ!^^
●お化け灯籠
●お化け灯籠
・1631年建立
・高さ 6.8m
・日本三大石灯籠の1つ
・佐久間勝之が奉納
大石鳥居前の脇道を進むと巨大な石灯籠があります。
あまりにも巨大なため、お化け灯籠と呼ばれているという!
それにしてもすごいネーミングだなぁ(笑)
ちみに、熱田神宮(愛知)・南禅寺(京都)の石灯籠とともに日本三大石灯籠の1つに数えられています。
ビックリすることに日本三大石灯籠を奉納したのは全て佐久間勝之だという!
ビックリというよりビッグリですよ!(聞き流してください)
●オリジナル絵馬
絵馬には兜とタヌキと牡丹がデザインされていました。
御朱印情報
●通常の御朱印
・御朱印の受付場所
授与所
・御朱印の受付時間
10〜2月 9:30〜16:00
3月〜9月 9:30〜17:00
・初穂料(料金)
500円
●期間限定・特別御朱印
・牡丹園の限定御朱印
・桜の時期の限定御朱印
・夢叶う光の夜の限定御朱印
・ダリア展の限定御朱印
・他抜御朱印(毎月5のつく日は紫色)
※余計なお世話かも知れませんが、期間限定の特別御朱印はそれぞれ受付時間や初穂料が違うので、公式ホームページで最新の情報を確認してください^^
●オリジナル御朱印帳
●社殿と昇り龍・降り龍
・16cm × 11cm
・2000円
●三つ葉葵の紋
・16cm × 11cm
・2000円
・御朱印の受付場所
授与所
・御朱印の受付時間
10〜2月 9:30〜16:00
3月〜9月 9:30〜17:00
・初穂料(料金)
500円
●期間限定・特別御朱印
・牡丹園の限定御朱印
・桜の時期の限定御朱印
・夢叶う光の夜の限定御朱印
・ダリア展の限定御朱印
・他抜御朱印(毎月5のつく日は紫色)
※余計なお世話かも知れませんが、期間限定の特別御朱印はそれぞれ受付時間や初穂料が違うので、公式ホームページで最新の情報を確認してください^^
●オリジナル御朱印帳
●社殿と昇り龍・降り龍
・16cm × 11cm
・2000円
●三つ葉葵の紋
・16cm × 11cm
・2000円
上野公園で頂ける御朱印
上野公園では7寺社が存在し、通常の御朱印9つを頂くことができます。
期間限定・特別御朱印や月替わりの御朱印を含めると、もっとたくさんの御朱印を頂くことができるという。 さらにオリジナル御朱印帳もあったりします。
そんなこんなで、上野公園で頂ける御朱印をまとめてみました。
期間限定・特別御朱印や月替わりの御朱印を含めると、もっとたくさんの御朱印を頂くことができるという。 さらにオリジナル御朱印帳もあったりします。
そんなこんなで、上野公園で頂ける御朱印をまとめてみました。
上野公園で頂ける御朱印とオリジナル御朱印帳のまとめ
上野公園の御朱印マップどっからどこまでが上野公園なのかわからないけど、とにかく巨大な公園。そんな上野公園では7寺社が存在し、通常の御朱印9つを頂くことができます。期間限定・特別御朱印や月替わりの御朱印を...
拝観情報とアクセス
●開門時間
・10〜2月 9:00〜16:30
・3月〜9月 9:00〜17:30
●拝観料
・無料
(透塀の内側は有料)
●透塀の内側拝観
・拝観時間
10〜2月 9:30〜16:00
3月〜9月 9:30〜17:00
・拝観料
大人 500円
小学生 200円
●上野東照宮ぼたん苑
・開苑期間
1月1日~2月中旬 9:30〜16:30
4月中旬~5月中旬 9:00〜17:00
・入苑料
大人 700円
小学生以下 無料
●アクセス
●電車
・JR・京成・東京メトロ
上野駅から徒歩10分
●バス
・東西めぐりんバス
不忍池(弁天堂)から徒歩10分
東京国立博物館から徒歩10分
・10〜2月 9:00〜16:30
・3月〜9月 9:00〜17:30
●拝観料
・無料
(透塀の内側は有料)
●透塀の内側拝観
・拝観時間
10〜2月 9:30〜16:00
3月〜9月 9:30〜17:00
・拝観料
大人 500円
小学生 200円
●上野東照宮ぼたん苑
・開苑期間
1月1日~2月中旬 9:30〜16:30
4月中旬~5月中旬 9:00〜17:00
・入苑料
大人 700円
小学生以下 無料
●アクセス
●電車
・JR・京成・東京メトロ
上野駅から徒歩10分
●バス
・東西めぐりんバス
不忍池(弁天堂)から徒歩10分
東京国立博物館から徒歩10分