上野大仏・パゴダ薬師堂の御朱印~顔面だけになった仏像さん~(東京都台東区上野公園)

都道府県別
所在地東京都台東区上野公園4−8
由 緒 1631年、越後国の村上藩主・堀直寄が戦死者慰霊のために、上野にあった自宅内に釈迦如来像を造立したのが始まりといいます。1647年に地震で倒壊しましたが、1658~1661年に金銅像として再び釈迦如来像が造立されました。その後、火災や大地震などで損傷しましたが、その都度修復されました。しかし、1841年に火災で大仏殿と大仏を損傷。1843年に堀直央の寄進であらたに大仏(現・上野大仏)が造立されました。しかし、1923年の関東大震災で頭部が落下してしまいます。さらに第二次世界大戦の金属類回収令によって、頭部と胴部が供出されたという・・・残ったのは大仏の顔面のみ。その後、寛永寺が大仏の残骸を保管しますが、資金の目処が立たず再建計画は放棄されることに・・・。そんなこんなで、1972年に残った顔面をレリーフとして保存して現在にいたります。
HP上野大仏(パゴダ) – 東叡山 寛永寺 公式ホームページ
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大仏山

●上野公園のマップ

本日は上野公園をプラプラと散策しています。
そんなこんなで、五條天神社もしくは精養軒の近くにある上野大仏に到着。


●大仏山

どうやら上野大仏さんは大仏山という小高い丘におられるらしい。

ということで、階段を上る。
大仏山というくらいだから、これは一応登山(笑)
調べてみると、大仏山の標高は約22mとのことです。

自称・低山登山家の私はという文字を見ただけで妙にワクワクしてしまいます。
お寺の山号の◯◯山という文字を見ただけでもワクワクしちゃいます。
だからお寺が好きなのかなぁ???

昔、ベテラン登山家に『苦しくない登山などない』という金言を授かったことがありましたが、
あったよ!ここに!
苦しくない山が!(笑)

そんなこんなで、階段を登りきって大仏山の山頂に到着!
一応、三角点を探してみましたがありませんでした。
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上野大仏

●上野大仏(合格大仏)

そんなことより、デスマスクのようになった上野大仏さん!
その昔は、像高 約6mもある巨仏だったそうですよ。

しかし度重なる災難によって顔面だけの姿になってしまったという・・・(/ _ ; )


たくさん災難に遭ったからか、たくさん戦争を見てきたからか、大仏さんの目からは大粒の涙が!
ちなみに、この涙に触れると幸運が訪れるといわれています。

ということで、涙をふいてあげる。
仏像さんに触れるなんて・・・こんな幸せなことってあるかい?
幸運とはこのことかい?

そんなこんなで、秒で訪れた幸運に私も涙が出てきたよ!
・・・幸運が訪れるから誰かふいてくれー(笑)


ちなみに顔だけになってしまった大仏さんは『もうこれ以上落ちない』ということで、合格大仏と呼ばれているそうですよ。

合格祈願のパワースポットとして受験生や就活生に人気なんだって。

それにしても『もうこれ以上落ちない』とは・・・上手いこというなぁ〜(関心)
もっと早くに合格大仏さんのことを知っていれば、運転免許が1発合格できたのに・・・(3度不合格)

それにしても白毫がデッカっ!
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上野大仏の古写真

●ありし日の上野大仏さん


当時は円光背があったんだぁ。
薄毛な感じの螺髪が特徴的ですね。
印相は定印。
顔面のレリーフではわかんなかったけど、結構ふっくらとしたお顔立ちだったんですね!

写真上は、定印の上に人が座ってる!
写真右下は、定印の上に人が立ってる(笑)

これはスキンシップだね。
写真を見るだけで、庶民に親しまれていた仏像さんなんだなぁ~ということがわかります。


こちらは、おそらく1923年の関東大震災以降のお姿だと思われます。
頭がありません・・・。

今は顔面だけだけど、当時は胴体だけ。
痛々しいなぁ。

この後、金属類回収令で胴体は供出されます・・・。


●上野大仏の波乱万丈な歴史

1631年越後村上藩主・堀直寄が戦死者慰霊のために漆喰の釈迦如来坐像を建立する。
像高 約2.1m。
1647年正保相模の地震で倒壊する。
1649年慶安川越地震で頭部が落下する。
1655〜
1661年
遊行僧の浄雲が金剛仏として再興する。
像高 約3.6m。
1698年輪王寺宮・公弁法親王が露座だった大仏に大仏殿(覆堂)を建立する。
1841年火災で大仏殿と大仏を損傷する。
1843年堀直央の寄進で新たに大仏を鋳造。そして大仏殿を修復する。
1855年安政江戸地震で頭部を破損する。その後、再び堀直央の寄進で修復する。
1875年上野公園の整備により大仏殿が撤去される。そして再び、大仏が露座になる。
1923年関東大震災で頭部が落下して大破する。その後、寛永寺が大仏の残骸を保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄される。
1940年金属類回収令により、頭部と胴部が供出される。残ったのは大仏の顔面のみとなる。
1967年関東大震災の50回忌にあたり、上野観光連盟が願主となって大仏再建を願う祈願塔(パゴダ)が建立される。
1972年寛永寺に保管されていた大仏の顔面をレリーフとして大仏跡地に建立する。
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バゴダ薬師堂

●バゴダ薬師堂

●パゴダ
・1967年建立
・高さ → 約15m
・願主 → 上野観光連盟
・寄進 → 大成建設

大仏山の頂上には、上野大仏さんの他に異国感満載な仏塔がありました。

ストゥーパかと思いきや、これはパゴダと呼ばれる仏塔らしいです。
うぅ〜ん、それにしてもパゴダとストゥーパの違いがわからない・・・(笑)


ということで調べてみることに。

ストゥーパはインド風のものを、パゴダは極東風のものを意味することが多いって書いてありました。
あと、パゴダはミャンマー様式の仏塔とも書いてありました。

●ストゥーパとは?
ストゥーパとはお釈迦さんの骨、いわゆる仏舎利を収めた塚のことです。
いわゆる仏舎利塔のことです。
サンスクリット語で仏塔のこと意味します。

日本ではストゥーパは独自の進化をとげ、五重塔・五輪塔となります。
そして卒塔婆は、ストゥーパを音訳したもので、本来は仏塔のことを指しているといわれています。


●パゴダとは?
一方パゴダとは、ミャンマーの人々にとってお釈迦さんの代わりになる建物で、お釈迦さんが住む家とされてるんだって。

パゴダを建てることは、ミャンマーでは人生最大の功徳とされ、そうすることにより幸福な輪廻転生が得られると信じられているそうですよ。

見た目もな〜んとなく違うような。
でも同じような(笑)
専門家じゃないのでよくわかんないなぁ(^^;)


そんなこんなで、上野大仏のパゴダに戻ります。

このパゴダは、1967年に上野観光連盟が上野公園の名所の1つにするために建立したものなんだって。

塔の内部には薬師如来像と月光・日光菩薩像が安置されていました。
いわゆる薬師三尊像です。

この薬師三尊像は、江戸時代末期まで上野東照宮の薬師堂に安置されていた仏さんらしいですよ。
しかし、明治時代初期の神仏分離令で寛永寺に移されました。
その後、このパゴダにお引越ししてきたみたいです。

ちなみにパゴダ内は撮影禁止でした。
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御朱印情報

●御朱印情報
上野大仏で頂ける御朱印は2種類

●御朱印の種類
①釈迦如来(上野大仏)
②薬師如来(パゴダ)

●御朱印の受付場所
①上野大仏の授与所
②清水観音堂の本堂内

●御朱印の受付時間
①上野大仏の授与所
・10:00〜15:00

②清水観音堂の本堂内
・9:00〜17:00

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・うるう年限定の金字御朱印

余計なお世話かもしれませんが、上野大仏の授与所は時間が短いので早めの行動がいいかもです。

あと休日は御朱印待ちの列ができるそうで、釈迦如来(上野大仏)か薬師如来(パゴダ)のどちらか1種類だけの授与になることがあるそうです。


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
・16cm × 11cm
・1200円

デザインはイラストレーターの田中ひろみさん。
清水観音堂の御朱印〜ここは東京の京都〜(東京都台東区上野公園)
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上野公園で頂ける御朱印

上野公園では7寺社が存在し、通常の御朱印9つを頂くことができます。
期間限定・特別御朱印や月替わりの御朱印を含めると、もっとたくさんの御朱印を頂くことができるという。 さらにオリジナル御朱印帳もあったりします。

そんなこんなで、上野公園で頂ける御朱印をまとめてみました。
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拝観情報とアクセス


●開門時間
・10:00〜16:00

●拝観料
・無料

●電車
・JR・京成・東京メトロ
 上野駅から徒歩15分

●バス
・東西めぐりんバス
 不忍池(弁天堂)から徒歩10分
 東京国立博物館から徒歩10分

上野大仏・パゴダ薬師堂の地図

 

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