中津大神宮の御朱印~豊前の国のお伊勢様~(大分県中津市)

都道府県別
所在地大分県中津市二ノ丁1273
祭 神天照大御神・豊受大御神・倭姫命・天宇豆売命
由 緒1881年、伊勢神宮から分霊を勧請し、中津城址に創建したのが始まりといいます。創建当初は、神宮豊前教会という名称でしたが、その後、神宮教、神宮奉斎会と改称し、1946年に中津大神宮と改称したそうです。 戦前まで豊前の国、企救郡・田川郡・京都郡・仲津郡・築城郡・上毛郡・下毛郡・宇佐郡の方々に 伊勢神宮の神札(神宮大麻)と神宮暦を頒布する役目を担っていたそうです。
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鳥居と狛犬

●境内図

本日は黒田官兵衛、略してクロカンの聖地・中津市を旅しています。
そんなこんなで、中津城公園に鎮座してます中津大神宮に到着。

中津城公園は黒田官兵衛が築城した中津城跡にある公園で、園内には御朱印が頂ける神社が4社もあるという!

●中津城公園に鎮座する神社
①中津大神宮
②中津神社
③城井神社(扇城神社)
④奥平神社

ということで、まずは中津大神宮を参拝。


●鳥居

まず最初に登場するのは駐車場の入口に建つ石製・明神鳥居。

扁額には中津神社と書かれていました。

どうやら、こちらは中津大神宮の鳥居ではないみたいですね( ̄▽ ̄;)


●境内入口

ということで中津大神宮の境内入口は、中津神社の鳥居をくぐった先のこの場所のようです。

この神社は1881年に伊勢神宮の分霊を勧請したのが始まりということで、神社としての歴史はさほど古くはないようです。


●狛犬①②

●狛犬①②
・1999年奉納
・子取り型・玉取型

続いて、狛犬ちゃんが登場。

雑味のある量産型の狛犬ちゃんでした。


●狛犬③④

●狛犬③④
・奉納年未確認
・岡崎現代型

拝殿前の狛犬ちゃんです。

こちらも量産型の狛犬ちゃんです。

こんなことを言っちゃぁ失礼ですが、あんまりワクワクするような狛犬ちゃんではないですね・・・そのためか、奉納年を確認するのを忘れて帰っちゃいましたよ( ̄▽ ̄;)
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拝殿

●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造

拝殿は妻入りの入母屋造。
妻飾りはなく、妻一面に格子があるというちょっと変わった造りになっていました。
それにしても、大きな妻だなぁ~。

拝殿内部は、上・中・下3段の間を設け、明治時代に活躍した書道家・宮小路康文さんが書いた大哉神徳の大扁額が掲げられています。

また格天井には、創建当時の崇敬者などが奉納した天井絵・216枚があります。


●祭神
・天照大御神
・豊受大御神
・倭姫命
・天宇豆売命

この神社は伊勢神宮の分霊を勧請したのが始まりということで、伊勢でお馴染みの天照大御神(内宮)・豊受大御神(外宮)・倭姫命(内宮の別宮)が祀られていました。

天宇豆売命は、内宮の近くに鎮座する猿田彦神社の祭神・猿田彦大神の嫁さんです。

ちなみに本殿も伊勢神宮と同じ神明造なんだそうです。
写真を撮り忘れましたがね〜(笑)

そんなこんなでこの神社は、通称・豊前の国のお伊勢様として親しまれているそうですよ。
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金刀比羅宮

●金刀比羅宮

●金刀比羅宮
・大物主神を祀る

境内社の金刀比羅宮には、木製の鯛神輿が奉納されていました。

この鯛神輿はケヤキの一刀彫で、大漁祈願を願って奉納されたものなんだって!

鯛の神輿なんて初めて拝見しましたよ!


●奉納砲弾

●奉納砲弾
・長さ 約77cm
・直径 約28cm
・重さ 210kg

台座には

明治三十七八年戦役ノ際旅順要塞攻囲軍ニ参加セル砲兵軍人相諮リ二〇三高地ニ於テ収集セル発射弾丸ヲ献納シ以テ戦捷ノ紀念トス

と刻まれていました。

ということで、日露戦争の戦勝を紀念して奉納された砲弾のようです。


●境内の風景

境内から中津城を望む。
拝殿と中津城のコラボです。
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中津城

●中津城 天守

そんなこんなで参拝後、中津城を散策してきました。

中津城は1588年に黒田孝高(官兵衛)が築城し、細川忠興が完成させたお城です。

高松城・今治城とともに日本三大水城としても知られています。
ちなみに水城とはお堀の中に海水が流れ込むお城のことです。

現在の天守は、1964年に建立された模擬天守なので、ワクワク度はちょっと低いですが、当時の石垣などが現存していたので、それなりに楽しめるお城でしたよ。


あと、現在NHK大河ドラマ・軍師官兵衛が放送中ということで、城内は官兵衛づくしになっていましたよ。


●中津城 石垣

●写真左
下半分の黒っぽい石垣が当時の石垣。
上半分の白っぽい石垣が復元した石垣なんだって。

●写真右
中津城三の丸の東端にある大手門の石垣。
当時は櫓門だったそうですよ。


●写真左
中津城西南隅にある西門の石垣。
大手門と同じく櫓門だったそうです。

●写真右
堀の本丸側にはおかこい山と呼ばれる石垣がありました。
当時、ここには土塁が築かれていたそうですよ。


●高輪地蔵

1656年、東京高輪の中津藩主・奥平氏の下屋敷で、隣りに屋敷を構える隣藩と境界争いが起こったんだって。

その際、隣藩の1人が中津藩に味方したため、隣藩の上司が腹を立て裏切った藩士を惨殺したという・・・。

そして奥平氏の下屋敷に亡骸を投げ捨てたという!

そんなこんなで、中津藩4代藩主・奥平忠昌はこのことに心を痛め、地蔵菩薩として供養したそうです。

それがこの高輪地蔵さんの由来です。


●西南役中津隊之碑

中津隊とは、西南戦争の際に西郷軍に呼応した部隊のことです。

この碑は1925年に建立されたもののようです。

その他、城内には中津隊百年祭記念碑・恭事神明碑・御即位奉祝記念碑・松尾芭蕉の俳句碑などの石碑がありました。
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黒田孝高(官兵衛)とは?

●ザックリと簡単に黒田孝高(官兵衛)とは?

黒田官兵衛とは、戦国時代~江戸時代初期にかけて活躍した武将です。

官兵衛という名で知られていますが、実際の名は黒田孝高
隠居した後は、黒田如水と名乗りました。

官兵衛は軍事的才能に優れ、主に織田信長や豊臣秀吉の下で働き、戦はもちろん調略や他大名との交渉など、幅広く活躍したお方です。

また、秀吉の参謀役として有名な軍師・竹中半兵衛とともに両兵衛二兵衛と称されるお方です。


●黒田孝高(官兵衛)の年表
1546年潘磨国の姫路城主・小寺職隆の嫡男として誕生。
1567年光姫を正室に迎える。
家督を継いで姫路城主となる。
1568年松寿丸(黒田長政)をもうける。
1569年姫路城を攻めてきた赤松政秀を撃退し、官兵衛の名が世に知れ渡る。
1575年信長と謁見。
秀吉に仕える。
1578年謀反をおこした荒木村重を説得するため単身で有岡城に乗り込む。しかし捕縛され約1年間幽閉される。
1579年有岡城の落城にともない救出される。
1580年三木城を攻略。
1万石を手に入れ大名となる。
1581年兵糧攻めで鳥取城を攻略。
1582年備中高松城を水攻めで攻略。
本能寺の変で織田信長が自害。
中国大返しを豊臣秀吉に提言。
山崎の戦いで明智光秀軍勢を破る。
1586年九州平定のため豊前国へ入国。
1588年中津城の築城を開始
中津城内で宿敵・宇都宮鎮房をだまし討ち。合元寺で家臣約40名を切り殺す。
1589年家督を長政に譲る。
1590年小田原征伐に参加。
使者として活躍し小田原城を無血開城させる。
1591年 秀吉の命により名護屋城の縄張を行う。
1592年名護屋城を出兵拠点として総大将・宇喜多秀家の軍師として朝鮮に渡る。
1593年名を黒田如水と改める。
1598年豊臣秀吉が死去。
1600年関ヶ原の戦いに乗じ、九州をほぼ平定。
関ヶ原の戦いで活躍した長政は、筑前52万石を与えられる。
1601年福崎の地を福岡と改称し、福岡城の築城を開始。
1604年死去。
崇福寺に葬られる。

御朱印情報

●御朱印の種類
・中津大神宮の御朱印
・中津神社の御朱印
・城井神社の御朱印

中津大神宮の他に、中津神社と城井神社の御朱印も頂けます。




●御朱印の受付場所
・中津大神宮の社務所
(中津大神宮の拝殿前)

●御朱印の受付時間
・9:00~16:30

●御朱印の初穂料(料金)
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2018年3月18日 参拝
・2021年1月 更新

アクセスと駐車場

●JR 中津駅

●最寄りの駅
・JR中津駅から徒歩15分
・JR中津駅から車で6分


●駐車場

●駐車場
・無料の駐車場あり
・約50台
(中津城公園の駐車場を利用)

中津大神宮の地図

中津城公園内の神社

 

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