箸蔵寺(こんぴら奥の院)の御朱印~法難から逃れた神仏習合のお寺~(徳島県三好市池田町)

所在地徳島県三好市池田町州津字蔵谷1006
宗 派真言宗御室派 別格本山
札 所 ・四国別格二十霊場 第15番
・四国三十六不動尊霊場 第4番
・四国三十三観音霊場 第28番
・阿波西国三十三観音霊場(西部) 第23番
由 緒828年、四国巡錫中の空海がこの地を訪れた際、箸蔵山の山頂に漂う不思議な霊気に導かれたという。すると金毘羅大権現が現れ『箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん』というお告げを授かったそうです。 そこで空海は、自ら金毘羅大権現の像を刻み堂宇を建立。それがこのお寺の始まりといいます。
HPこんぴら奥の院 箸蔵寺
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箸蔵寺と金刀比羅宮

●箸蔵寺の境内図

こんぴら奥の院であります箸蔵寺に到着。

箸蔵寺と書いてはしくらじと読みます。


●箸蔵寺と金刀比羅宮

~画像は金刀比羅宮~

こんぴらさんといえば金刀比羅宮

金刀比羅宮といえば、全国に約600社ある金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮です。

ということで、この箸蔵寺は金刀比羅宮の奥の院!

と言いたいところですが、どうもそういうわけではなさそうです。

実は金刀比羅宮こんぴら奥の院・箸蔵寺の関係は少々複雑なんです。

その複雑さの原因は松尾寺の存在!

箸蔵寺は金刀比羅宮の奥の院ではなく、松尾寺の奥の院なんです!

えっ!?

こんぴら奥の院なのに、金刀比羅宮の奥の院ではないってどういうこと???

そもそも松尾寺って何よ!?

ということで、私なりに簡単にまとめてみました。
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神仏分離と金毘羅大権現


~画像は金毘羅大権現の古図~

寺伝によると松尾寺の創建は701〜704年。
修験道の開祖・役小角が象頭山に登った際、金毘羅(クンビーラ)に遭遇したのが始まりといいます。

そんなこんなで、インドの神・金毘羅(クンビーラ)を金毘羅大権現として祀りました。

その後、松尾寺は真言宗のお寺でありながら本尊の釈迦如来よりも金毘羅大権現の方が有名になり、松尾寺を取り仕切る金光院は金毘羅大権現の別当寺のような存在となりました。

江戸時代、全国の庶民の間で金毘羅信仰が広まりました。
こんぴらさん、すなわちこんぴら参りは伊勢神宮のお陰参りに次ぐ人気で、庶民の憧れとなりました。


ちなみに金毘羅(クンビーラ)とはインド仏教の神であり仏教守護の神です。
そして十二神将の筆頭でもあります。

そして権現とは、仏教の仏や菩薩神として仮の姿で現れたものです。
いわゆる本地垂迹思想にもとづいて用いられる神号です。

ということで金毘羅大権現とは、インドの神様・金毘羅神が仏の姿になったことを意味します。

しかし!

神様である金毘羅(クンビーラ)を大権現にしたことが災いとなり、結果的に神仏分離の標的にされることになるのでした。

明治時代の神仏分離令により松尾寺は廃寺
金毘羅大権現も、その存在を否定されることになります。

そして、松尾寺ならびに金毘羅大権現は容赦なく仏教色を排除されました。

その徹底ぶりは凄まじく、挙げ句の果てには町の名前までも変えられてしまいました。

●金毘羅大権現 → 大物主神
●金毘羅町 → 琴平町

●阿弥陀堂 → 若比売社
●観音堂 → 大年社
●薬師堂 → 旭社
●不動明王 → 津嶋神社
●摩利支天堂・毘沙門堂 → 常盤神社
●孔雀堂 → 天満宮
●万灯堂 → 火産霊社
●大行事堂 → 産須毘社

●多宝塔 → 破却
●経蔵 → 破却
●鐘楼 → 破却
●行者堂 → 破却
●文庫 → 破却
●仁王門(金剛力士像) → 撤去
●二天門(多聞天・持国天) → 撤去

そんなこんなで、金毘羅大権現は金刀比羅宮に生まれ変わりました。

ポイントは金毘羅ではなく金刀比羅という名前です。
なんとなく似た感じの名前に変えられたのです。

つまり金毘羅 = 金刀比羅ではないのです!
(ここがややこしい!)

ということで、現在の金刀比羅宮には金毘羅大権現はおられません。


~画像は松尾寺の古図~

ということで、松尾寺はもう存在しないのかぃ?

と思ったら、現在も松尾寺はあるのです!

実は神仏分離の際、松尾寺の塔頭・普門院は最後まで抵抗していました。

そして普門院は、松尾寺の仁王門の外にあり、檀家の葬儀を執り行っていたことにより存続を認められたという!

それが現在の松尾寺で、今も金刀比羅宮の片隅にひっそりと佇んでいます。

その松尾寺の奥の院が箸蔵寺というわけなのです。
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仁王門と鞘橋と参道

●箸蔵山ロープウェイ

そんなこんなで、参拝開始。

標高633mの箸蔵山の山頂にある箸蔵寺へのアクセスは3種類あります。

①登山
②車かバイク(仁王門付近まで)
③ロープウェイ

はて、どの手段で行きましょ?

ということで、ロープウェイ乗り場のおば様にお話しを伺うことに。
おば様がおっしゃるには、ロープウェイに乗ると一気に山頂まで行けるという!

当然、楽ちんだからロープウェイに乗るでしょ?
的に、ニッコニコ顔で私を見てきましたが、それでは困るのです。

門好きの私は、仁王門を通り越して山頂に行かれると困るのです!

ということで、やんわりとお断りしてGO!

ごめん、おばちゃん!


●仁王門

●仁王門
・1880年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 二重門
・国の登録有形文化財

そんなこんなで、箸蔵山の中腹に位置する仁王門に到着。

●寺号の由来
828年、四国巡錫中の空海がこの地を訪れた際、箸蔵山の山頂に漂う不思議な霊気に導かれたという。

すると金毘羅大権現が現れ『箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん』というお告げを授かったそうです。

そんなこんなで、空海は自ら金毘羅大権現の像を刻み堂宇を建立。
それがこのお寺の始まりといいます。

ちなみに『箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん』とは『国民全てを救いましょう』という意味なんだって。

箸を挙ぐる者

箸を使うもの全て

当時、全ての人々が箸を使っていた

国民全て

という意味になります。

ちなみにこのお告げを受けた空海は、この山に寶珠(宝珠)とを納めたんだって。

そんなこんなで、(おさめ)るという意味で、寶珠山箸蔵寺という寺号になったという。


2階部分には火灯窓。
1階2階とも出組詰組で二軒繁垂木。

どこかしら禅宗様の雰囲気を醸し出す素敵な門でした。


仁王門ということで、門の両サイドには仁王さんがおられました。

製作年は不明ですが、それなりに古そうです。
もしかしたら、門の建立に合わせてつくられたものかも知れません。


そんなこんなで、仁王門をくぐる。

見上げると大きな草鞋が1.5足分ありました。


表側にいるときには気付きませんでしたが、振り返るとポツンと建っていました。

ロープウェイで登る人が多いせいか、仁王門付近は参拝者はおらず寂しい風景になっておりました。


●参道

そんなこんなで、参道へ。

季節のせいか、天気のせいか・・・
ガラーンとしていて寂しさしかありません。

噂によると、ここから約1.5km先にメインエリアがあるそうです。
ということで気長に歩こう。


●鳥居①

ちなみに参道には鳥居がありました。

神仏習合の名残りです。


●鞘橋

●鞘橋
・江戸時代建立
・寄棟造 屋根付橋

そうこうしていると鞘橋に到着。

通常、屋根付橋は切妻造なのですが、こちらはなんと寄棟造!
何気に珍しい造りになっていました!

ちなみに紅葉シーズンになると、この鞘橋は人気の撮影スポットになるそうですよ。


●天狗像
・左 → 烏天狗
・右 → 大天狗

鞘橋の両サイドには1対の天狗像がおられました。

どうやらこのお寺には天狗の箸運びという伝説があるようです。

天狗の箸運びとは、こんぴらさんのお祭りで使われた箸を、箸蔵山にすむ天狗さんがこの山に運び納めたという伝説らしいです。


●参道

そんなこんなで、鞘橋を渡ると階段が登場!

なんとここから約500段の階段が続くという!

ちなみにロープウェイを使うと、この階段はワープできます。


実は箸蔵寺に来る前に、金刀比羅宮で1368段の階段を上ってきたばっかりなんです!

ゼィゼィ・・・はぁはぁ・・・

正直しんどい・・・!
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方丈と石灯籠と護摩殿

●方丈

●方丈
・1856年建立
・瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

そんなこんなで、方丈に到着。
箸蔵寺の本坊です。

やっと着いたーっ!
と思ったら、いきなり雪の洗礼を受けました!

なんだ、この歓迎されてない感はっ!



そんなこんなで、雪宿りがてら彫刻鑑賞。

素敵です。


●市川團十郎の石灯籠

しばらくすると雪が止んだので、先に進むことに。

すると、灯籠と基壇の大きさが釣り合っていない妙な石灯籠が登場。

なんとこちらは、江戸時代の歌舞伎役者である8代目・市川團十郎さんが寄進した灯籠だという!

調べてみると、灯籠と基壇が釣り合っていないのにはちゃんとした理由があったのです!


こちらは市川家の紋であります三枡紋。


この灯籠を真上から見ると、なんと市川家の紋と同じになるという!

これは面白いですね!
発想がオシャレです!


●護摩殿

●護摩殿
・江戸時代末期建立
・外陣 → 瓦葺 入母屋造
・内陣 → 瓦葺 切妻造
・奥殿 → 瓦葺 宝形造
・国指定重要文化財

続いて、護摩殿に到着。

護摩殿は、手前から外陣・内陣・奥殿が並ぶ複合建築になっていました。

護摩ではなく護摩殿というところに神仏習合を感じます!


ちなみにこの護摩殿では、約1200年の歴史を持つ護摩祈祷毎朝毎晩行われてるんだって。



それにしても、圧巻の彫刻!

とてもスピード感のある彫刻になっていました!

今にもお堂が動き出しそうです!


そして屋根には和製エンジェルがおられました!
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鐘楼堂と鳥居と手水舎

●鐘楼堂

●鐘楼堂
・1861年建立
・瓦葺 入母屋造 楼造
・国指定重要文化財

続いて、鐘楼堂に到着。

頭デッカチで重厚な鐘楼でした!
バランスの悪さが抜群です!

先ほどの石灯籠も抜群にバランスが悪かったですが、こちらも負けていません。


そんなことより、正面の額に神鏡があるという!

このパターンの神仏習合は初めて拝見しました!

いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有難き幸せ。


鐘を撞いてもOKとのことなのでゴーンと1発♪


ちなみに鐘楼堂の前には狛犬ちゃんがおられました。

これもまた神仏習合の風景です。


●鳥居②

続いて、鳥居②が登場。

境内の奥に進むにつれて、どんどん神仏習合の色が濃くなってきました。

ワクワクしますねぇ。


そんなこんなで、鳥居②をくぐると再び階段が登場!

こちらは約220段あります!

スポーツ要素の高い参拝だ!
もう笑うしかないです!


●手水舎

●手水舎
・1896年建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財

階段を上りきると手水舎が登場。

手水舎はお寺にも神社にもある共通アイテムです。
ということで、神仏習合の香りはしませんでした。


というか、久々にツララを見ました!

もちろん手水はキンキンに冷えていました。

もう地獄や。

本殿

●本殿

そんなこんなで
はいドン!

お寺なのに神社建築!

お寺なのに本殿!

神仏習合の姿を今に残す見事な風景です!


●本殿 外陣
・江戸時代末期建立
・銅板葺 入母屋造
・国指定重要文化財

●本殿 内陣
・江戸時代末期建立
・前方 → 銅板葺 切妻造
・後方 → 銅板葺 両下造
・国指定重要文化財

●本殿 奥殿
・江戸時代末期建立
・銅板葺 入母屋造
・国指定重要文化財

本殿は、手前から外陣・内陣・奥殿と並ぶ複合建築。
別名・八棟造といいます。

ちなみに、八棟とは多数という意味で、必ずしも八つの棟があるとは限りません。


傾斜地に建っているため、土地の高低差を利用して外陣・内陣・奥殿の床高を変えているのが特徴的です。

そのため、入母屋・切妻・両下という複雑な屋根を構成しているという!


本尊は金毘羅大権現

なんと、開山以来の秘仏になっているため、歴代の住職でさえその姿を見たことがないという!

ちなみに神仏習合の風習を色濃く残すお寺のため、本殿の参拝方法はお寺式でも神社式でもどちらでも問題ないそうです。


護摩殿に続き、本殿の彫刻もとんでもないことになっていました!

容赦なく彫りまくっています。
しかも全てが極上の仕上がりになっていました。

無数の龍と獅子と獏。
もはやこの建物は生き物と化しています!



あまりの素晴らしさに全身の毛穴から鼓動が音漏れしてましたよ!


その他、烏天狗と大天狗の絵馬もありました。

これも天狗の箸運び伝説によるものと思われます。


いやはや、素敵なひと時でした。

神仏分離と箸蔵寺

●神仏分離と箸蔵寺
それにしても、不思議だ・・・

松尾寺は神仏分離で廃寺に追い込まれたのに、なんで奥の院の箸蔵寺は現在も神仏習合の姿のままなのか・・・???

調べてみると、どうやらこのお寺が神仏分離の難から逃れられたのには、箸蔵寺が真言宗御室派だったことが関係しているみたいなんです!

●箸蔵寺が神仏分離を免れた理由

箸蔵寺は、真言宗御室派の寺院。

御室派とは京都・仁和寺を本山とする真言宗の宗派です。

888年に宇多天皇が建立し、その後も皇族・公家が住職を務める門跡寺院として明治維新を迎えました。

明治維新当時、仁和寺の門跡(住職)は最後の皇室出身者である純仁法親王でした。

純仁法親王は勅命により還俗し、小松宮彰仁親王になりました。
そして、戊辰戦争で旧幕府軍を討伐する官軍の総大将になったという!

つまり新政府軍の総大将が御室派のトップなのです!
しかも天皇ゆかりの方だという!

このことが、神仏分離を免れた大きな理由なんだって!

ちなみに、戊辰戦争にかかった莫大な費用の多くは、親王が御室派の寺院から調達したものといわれています。

もしかしたら、箸蔵寺も何らかの形で戊辰戦争に関わっていたのかもしれませんね!

ちなみに松尾寺の宗派は高野山真言宗

もし松尾寺が御室派だったなら、こんぴらさんは今とは全然違う形になっていたんだろうなぁ!

観音堂と薬師堂と御影堂

●観音堂

●観音堂
・江戸時代前期建立
・銅板葺 入母屋造
・徳島県指定有形文化財

続いて、観音堂へ。

凄まじい彫刻の本殿とは打って変わり、観音堂は極彩色で彩られた落ち着きのあるお堂になっていました。

本殿が動なら、観音堂は静。



ちなみにこの観音堂は、箸蔵寺に現存する最古のお堂なんだって。

色褪せ加減が抜群に素敵なお堂でした。


●薬師堂

●薬師堂
・1861年頃建立
・瓦葺 宝形造
・国指定重要文化財

続いて、薬師堂へ。

こちらも国重文に指定されています。



薬師堂は梅とウグイスをコンセプトにした彫刻になっていました。

素晴らしい!

でも本殿と護摩殿で彫師の本気をまざまざと見せつけられたため、薬師堂の彫刻にちょっと物足りなさを感じてしまいました・・・完全に感覚が麻痺しています!


●御影堂

●御影堂
・1989年建立
・銅板葺 宝形造

こちらには、真言宗の開祖ならびに箸蔵寺を開山した弘法大師が祀られています。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


●弘法大師像

お大師さまの笠にも雪が積もってまいりました。


うぅぅぅ・・・それにしても寒い。

ということで、もう帰ります!

またあの道を戻るのか・・・

ちなみに本日は
金刀比羅宮の階段・・・1368段
箸蔵寺の階段・・・769段

2137段の階段を上りました。

往復だと4274段!

こんな目に遭うのならロープウェイで来ればよかった!(笑)

祖谷渓の小便小僧とかずら橋

●祖谷渓の小便小僧


ちなみに箸蔵寺から車で1時間のところに祖谷渓の小便小僧ちゃんがおられます。

珍絶景が楽しめますのでオススメです。


●かずら橋


あと、箸蔵寺から車で1時間10分のところにかずら橋もあります。


スリル満点なので、こちらもオススメです。

御朱印情報

●御朱印の種類
・四国別格二十霊場の御朱印
・四国三十六不動尊霊場の御朱印
・四国三十三観音霊場の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場(西部)の御朱印

●御朱印の受付場所
・本坊(方丈)の納経所

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・月替わりの御朱印(郵送可)

●オリジナル御朱印帳
・なし







・2010年1月23日 参拝
・2021年6月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR箸蔵駅
 ロープウェイ乗り場まで徒歩10分

・JR阿波池田駅
 ロープウェイ乗り場まで車で15分

●最寄りのバス停
・箸蔵駅前

●最寄りのIC
・高速井川池田ICから車で3分

●駐車場
・ロープウェイ乗り場の駐車場(無料)
・仁王門前の駐車場(無料)

●箸蔵山ロープウェイの料金
往復片道
大人1700円900円
中・高生1250円680円
小人850円450円
(2021年6月の情報)


●運行時間
4月~11月8:00より運行(15分間隔で運行)
12月~3月9:00より運行(15分間隔で運行)

●下りの最終便は17:00
●所要時間 約4分
●団体・大祭時・お正月は臨時運行あり

(2021年6月の情報)

箸蔵寺の地図

 

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