金刀比羅宮の御朱印~膝が大爆笑!階段地獄へようこそ!こんぴら総本宮~(香川県仲多度郡琴平町)

所在地香川県仲多度郡琴平町892−1
祭 神主祭神 大物主神
相殿 崇徳天皇
由 緒 創建年は不詳。もともと金刀比羅宮は金毘羅大権現を祀る松尾寺でした。江戸時代中期、金毘羅信仰は全国の庶民の間へと広がり、各地で金毘羅講が組織され、こんぴら参りが盛んに行われるようになったといいます。この頃、こんぴら参りは伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったそうです。しかし、明治時代の神仏分離令により松尾寺はことごとく仏教色を排除されたという。そして松尾寺は金刀比羅宮になりました。
HP金刀比羅宮
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金刀比羅宮とは?

●金刀比羅宮の境内図

全国に約600社ある金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社総本宮であります金刀比羅宮に到着。

金刀比羅宮と書いてことひらぐうと読みます。

こんぴらさんという名称で親しまれているので、金刀比羅 → こんぴらと読んでしまいがちですが、厳密にいうと金刀比羅 = こんぴらではないのです。

ちょっとややこしいですが・・・!

金刀比羅宮は、もともと金毘羅大権現を祀る松尾寺だったのです。


●金刀比羅宮とは?

~画像は金毘羅大権現の古図~

寺伝によると松尾寺の創建は701〜704年。
修験道の開祖・役小角が象頭山に登った際、金毘羅(クンビーラ)に遭遇したのが始まりといいます。

そんなこんなで、インドの神・金毘羅(クンビーラ)を金毘羅大権現として祀りました。

その後、松尾寺は真言宗のお寺でありながら本尊の釈迦如来よりも金毘羅大権現の方が有名になり、松尾寺を取り仕切る金光院は金毘羅大権現の別当寺のような存在となりました。

江戸時代、全国の庶民の間で金毘羅信仰が広まりました。
こんぴらさん、すなわちこんぴら参りは伊勢神宮のお陰参りに次ぐ人気で、庶民の憧れとなりました。


ちなみに金毘羅(クンビーラ)とはインド仏教の神であり仏教守護の神です。
そして十二神将の筆頭でもあります。

そして権現とは、仏教の仏や菩薩神として仮の姿で現れたものです。
いわゆる本地垂迹思想にもとづいて用いられる神号です。

ということで金毘羅大権現とは、インドの神様・金毘羅神が仏の姿になったことを意味します。

しかし!

神様である金毘羅(クンビーラ)を大権現にしたことが災いとなり、結果的に神仏分離の標的にされることになるのでした。

明治時代の神仏分離令により松尾寺は廃寺
金毘羅大権現も、その存在を否定されることになります。

そして、松尾寺ならびに金毘羅大権現は容赦なく仏教色を排除されました。

その徹底ぶりは凄まじく、挙げ句の果てには町の名前までも変えられてしまいました。

●金毘羅大権現 → 大物主神
●金毘羅町 → 琴平町

●阿弥陀堂 → 若比売社
●観音堂 → 大年社
●薬師堂 → 旭社
●不動明王 → 津嶋神社
●摩利支天堂・毘沙門堂 → 常盤神社
●孔雀堂 → 天満宮
●万灯堂 → 火産霊社
●大行事堂 → 産須毘社

●多宝塔 → 破却
●経蔵 → 破却
●鐘楼 → 破却
●行者堂 → 破却
●文庫 → 破却
●仁王門(金剛力士像) → 撤去
●二天門(多聞天・持国天) → 撤去

そんなこんなで、金毘羅大権現は金刀比羅宮に生まれ変わりました。

ポイントは金毘羅ではなく金刀比羅という名前です。
なんとなく似た感じの名前に変えられたのです。

つまり金毘羅 = 金刀比羅ではないのです!
(ここがややこしい!)

ということで、現在の金刀比羅宮には金毘羅大権現はおられません。


~画像は松尾寺の古図~

ということで、松尾寺はもう存在しないのかぃ?

と思ったら、現在も松尾寺はあるのです!

実は神仏分離の際、松尾寺の塔頭・普門院は最後まで抵抗していました。

そして普門院は、松尾寺の仁王門の外にあり、檀家の葬儀を執り行っていたことにより存続を認められたという!

それが現在の松尾寺で、今も金刀比羅宮の片隅にひっそりと佇んでいます。
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表参道から鼓楼まで

●表参道と象頭山

こんぴらさんといえば、なんといっても1368段階段

金刀比羅宮は標高538mの象頭山の中腹に鎮座しているため、御本宮へは785段
奥社までは1368段の階段が続くという!

そんなこんなで、スポーツ要素の高い参拝となります。

ちなみに参拝時間の目安はこちら。

・御本宮(往復)→ 1時間〜1時間半

・奥社(往復)→ 2時間〜2時間半

※寄り道なしの時間です。
書院・宝物館の拝観をするともっとかかります。

体力がないから無理だぁ・・・

と思う方もおられると思いますが、ずーっと永遠に階段が続くわけではなく、途中に平地がたくさんありますので、休憩しながらゆっくりと上れば大丈夫だと思います。(多分)

ですので、時間に余裕を持たせて、ゆっくりとのんび〜り楽しく上っちゃいましょう。

実際に訪れてみると、お年寄りやお子様もたくさん上っておられますよ。


・・・


・・・・・


というのは、御本宮までのお話し!
御本宮から奥社までは結構キツいです!

ちなみに、以前は御本宮までに乗せて運んでくれる石段かごがありましたが、担ぎ手の高齢化により2020年に廃業してしまったそうです。。


●階段1段目


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 1段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

そんなこんなで、参拝開始。

こちらが記念すべき1段目です!

金刀比羅宮を訪れたのは実に25年ぶり。
当時は小学生だったため、無尽蔵のスタミナで奥社まで駆け上がれましたが、今や上る前からメンタルが敗北気味です!

果たして、奥社まで辿り着けるのか・・・。


●備前焼の狛犬


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 113段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●備前焼の狛犬
・1844年奉納
・備前焼
・高さ 約150cm
・国の重要有形民俗文化財

階段を上り始めて113段目

大きな備前焼狛犬がお出迎えしてくれました。

こちらは備前(岡山)の長榮講が奉納した狛犬のようです。
備前伊部村の木村長十郎他6名の細工人によってつくられたものなんだって。
説明板には、備前焼狛犬の中で1、2を争う大きさの良作と書かれていましたよ。

岡山といえば、蓮台寺・由加神社本宮が有名です。
かつては金刀比羅宮と、蓮台寺・由加神社本宮の両方を参拝する両参りという習慣があったんだって。

現在、香川と岡山は瀬戸大橋で繋がってますし、香川と岡山は同じ放送エリアなので同じテレビ番組が映ったりします。

ということで、今も昔も香川と岡山は密接な関係なんですね。


●一の坂

そんなこんなで、備前焼狛犬ちゃんを過ぎると一の坂と呼ばれる急坂が登場。

早くも息切れ・・・(弱っ)

階段脇にはお土産屋さんが立ち並んでいますので、休憩がてら立ち寄ってみるのもいいかも知れません。

ちなみにお土産屋さんには、無料の貸し杖があったりしますので、杖のチカラをお借りする手もありますよ。


●灯明堂


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 168段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●灯明堂
・1853年建立
・瓦葺 切妻造
・国の重要有形民俗文化財

一の坂には灯明堂という廊下のようなお堂がありました。

なんとこちらは船の下梁を利用して建立されたものなんだって。

堂内をのぞくと、銅製の釣灯籠が吊るされていましたよ。

きっとその昔は、夜の参道を妖艶な灯りで照らしていたんだろうなぁ。


そんなこんなで、上って上って


●青銅大燈籠


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 351段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●青銅大燈籠
・奉納年不明
・国の重要有形民俗文化財

すると立派な青銅大燈籠が登場。

境内にはいくつもの青銅製の燈籠がありますが、その中でもこちらは最も豪華な燈籠といわれています。

ちなみに同型のものが山形県の山寺と宮城県の黄金山神社に奉納されているそうですよ。


●鼓楼

●鼓楼
・1710年建立
・瓦葺 入母屋造 袴腰鼓楼

青銅大燈籠の向かい側には袴腰の鼓楼がありました。

通常、袴腰鼓楼もしくは袴腰鐘楼の屋根は1つなのですが、こちらは二重屋根になっているという!

造りがお城に似ていることから別名・琴平城と呼ばれているんだって!

何気に地味に珍しい建物でしたよ。


とまぁ、見どころが目白押しですが、ここまではほんの序章に過ぎません!

このブログ・・・とてつもなく長いページになりそうです!

最後までお付き合いしてくれる方は、もしかしたら奥社に行く以上に辛い思いをするかも知れません!m(_ _)m(笑)


そんなこんなで、青銅大燈籠と鼓楼を過ぎると・・・
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大門から桜馬場まで

●大門


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 365段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●大門
・1650年建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 二重門
・高松藩主・松平頼重が寄進

キツい一の坂を上りきると大門に到着。

大門と書いておおもんと読むそうです。
だいもんかと思ってました(汗)


大門を寄進したのは松平頼重さん。

松平頼重さんは水戸黄門で知られる徳川光圀のお兄さんです。

もともと高松藩は生駒家が治めていました。
しかし1640年にお家騒動(生駒騒動)で改易

その後、1642年に天領である讃岐高松に松平家入封しました。

ということで、この門は松平頼重さんが入封して間もなくに寄進した門ということなります。

このことからも、高松藩主・松平家が金毘羅大権現(現・金刀比羅宮)を篤く信仰していたことがわかります。

ちなみに扁額の琴平山という文字は有栖川宮熾仁親王の筆なんだって。


もともとこの門は松尾寺(金毘羅大権現)の仁王門だったそうです。

それが神仏分離で松尾寺(金毘羅大権現)から金刀比羅宮に生まれ変わる際、随身門になったんだって。

現在は随身像が安置されていますが、もともとは仁王像が安置されていたそうですよ。
この門が寺院風の造りになっているのは、そういった理由があったのですね!


●五人百姓
そんなこんなで、大門をくぐると神域に突入。

ここからしばらく平地が続きます。
階段地獄から解放されますので体力回復のチャンスです!

大門をくぐると五人百姓と呼ばれる5軒の飴屋が並んでいます。

五人百姓とは金刀比羅宮にまつわる五家の家筋。
先祖による御祭神の供奉を行っていた功労が称えられ、特別に神域での営業を許可されたお店です。

というのは全て帰宅後に知った情報です!

ということで、どこかに五人百姓が写っている写真がないかなぁっと探していたら、ギリギリ写ってた!


こちらが五人百姓です!

この飴屋さんでは、金刀比羅名物の加美代飴を買うことができるという!

もちろん写真はありませんが、ミニハンマーで砕いて食べるというユニークな飴のようです。

次来たときは買ってみよ!


●ブロンズ狛犬

●ブロンズ狛犬
・奉納年不明
・青銅製

ちなみに五人百姓の近くにはブロンズ狛犬ちゃんがおられました。

阿形は枝角
吽形の頭上には宝珠がありました。


●桜馬場

ここは桜馬場と呼ばれる場所のようです。

桜馬場は桜の名所らしく、春になると美しい桜参道に姿を変えるんだって。
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御厩とこんぴら狗とアフリカ象

●御厩(神馬舎)


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 431段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

桜馬場を過ぎると神馬舎に到着。


なんと神馬舎には本物のお馬さんがいるという!

ちなみに神馬とは神様の乗り物として神社に奉納される馬のことです。

こんぴらさんの神馬は、毎年10月に行わる例大祭で、金刀比羅大神様の御神輿の行列に随伴するそうですよ。


●こんぴら狗

神馬舎の近くには可愛いワンちゃんの像がありました。

なんだこりゃ?

と思い、説明板を読んでみると、どうやらこちらはこんぴら狗(いぬ)という像らしいです。

●こんぴら狗とは?

代参が盛んだった江戸時代。

こんぴらさんを登るのは大変なので、人間の代わりにが登ってお参りをすることがあったんだって。

その犬のことをこんぴら狗と呼んでいたそうですよ。

首にかけたこんぴら参りの袋には、木札初穂料(お賽銭)食費などが入っていて、道中に出会った人々に世話をされながら参拝を果たしていたという!

そして、無事にお参りを済ませると家族のもとへ戻っていったんだって!


なんて賢い犬なんだ!

犬目線で見ると大冒険!
金毘羅大権現というラスボスに向かっていくワンちゃんは、まるで勇者のようだね!

道中、悪いヤツもいたことでしょう。
お賽銭をパクるヤツもいたかも知れません。

パクられたことも気づかずにミッションを遂行するワンちゃん・・・そんなことを想像していたらなんだか泣けてきました!


ちなみに参拝中にお子様はぐれた場合は、この銅像を待ち合わせ場所にすることを推奨していました。

まるで渋谷のハチ公みたいだね!
よし、讃岐のハチ公と名付けよう!

というか、ゴンちゃんという名前なんだ!


●アフリカ象

こんぴら狗の近くにはアフリカ象もいました!

・・・なんで?(笑)

馬、犬、象・・・このエリアはまるで動物園のようだね!

説明板には由緒は書いておらず・・・。
何の意図があって奉納されたものなのか???

しばらく考える・・・

多分ですけど、金刀比羅宮が鎮座する象頭山にちなんで奉納されたものなのかなぁ・・・とか思ってみたひと時でした。
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桜馬場西詰銅鳥居から書院まで

●桜馬場西詰銅鳥居

そんなこんなで、桜馬場西詰銅鳥居をくぐってさらに階段を上ると


●書院


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 477段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

書院に到着。

見どころが多すぎて、なかなか段数が増えていきません・・・!


●表書院
・1654〜1660年建立
・檜皮葺 軒唐破風付入母屋造
・国指定重要文化財

●奥書院
・1717年建立
・瓦葺 入母屋造 庇銅板葺
・国指定重要文化財

もともとこの地は、金毘羅大権現を取り仕切っていた松尾寺の金光院があった場所なんだって。

書院は表書院と奥書院の2つに分かれていて、共に国重文に指定されています。

ちなみに一般公開されているのは表書院のみです。


書院内では、江戸時代の絵師・円山応挙さんの襖絵(国重文)などを拝観することができました。

襖には睨み合う2頭のが描かれていたのですが、当時はまだ日本に虎がいなかったため、応挙さんはを見ながら虎を描いたそうです。

そのため、ちょっぴり猫に似た虎に仕上がっていました。

ちなみに書院内は撮影禁止です。



そんなこんなで、書院に別れを告げて再び階段を上る。


まだまだ続きます。

旭社と賢木門と御前四段坂

●旭社


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 629段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●旭社
・1837年建立
・銅板葺 軒唐破風付き入母屋造
・国指定重要文化財

●祭神
・天御中主神・高皇産靈神・神皇産靈神
・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神
・天津神・國津神・八百萬神


続いて、旭社がドーンと登場。

あまりに巨大で立派な建物のため、こちらが御本宮だと思って引き返す人もいるんだとか!

そんなヤツおらんやろ〜!?

と思ったら、本当にいたんです、幕末に!

江戸時代末期、清水次郎長の子分として活躍した森の石松が、親分の代参でこんぴらさんを訪れた際、あまりに立派な旭社を御本宮と間違えて旭社の参拝のみで帰ってしまったという!

森の石松さん、なかなかお茶目ですね!


そんなこんなで参拝・・・

ノンノンノン。

実は旭社は、御本宮を参拝した後に参拝するのが正式な順序なんです!

あまりに立派な社殿のため、ついつい参拝しそうになりますが、ひとまず旭社をスルーして御本宮に向かわなければなりません。

ご挨拶もなしに神前を素通りするのは気が引けてしまいますが!

いやはや、面白いルールですね!

余計なお世話かもしれませんが、帰りに旭社を参拝することをお忘れなく!


ちなみにこの建物は、もともと松尾寺の金堂だったんだって!

そのため、旭社の外観は完全な寺院建築となっております。

廃仏毀釈で破壊されることなく、こうやって松尾寺時代の遺構が残されていることに感謝です。


それにしても軒下の巻雲の彫刻が圧巻でした!

もしかしたらこの金堂は、雲に届くくらい大きなお堂というコンセプトで建てられたのかも知れませんね。


あと、旭社には大量のマルキン醤油が奉納されていました。

マルキン醤油は香川県の小豆島に本社を置く醤油メーカーです。

なんとマルキンという社名は、金刀比羅宮の社紋(丸に金)にあやかって名付けられたという!


●銅製鳥居

そんなこんなで、旭社に別れを告げて銅製鳥居をくぐる。


●出雲丹後の狛犬

●出雲丹後の狛犬
・1869年奉納
・出雲丹後型

すると出雲丹後型の狛犬ちゃんがおられました。

おそらく来待石で造られた狛犬ちゃんと思われますが、崩れることなくほぼ完全体で現存していることが凄いと思いました。


●賢木門


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 642段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●賢木門
・1879年改築
・檜皮葺 向唐門(?)

続いて、賢木門が登場。

賢木門と書いてさかきもんと読むそうです。

●賢木門の由来

戦国時代、四国統一を目指す長宗我部元親が兵を起こしました。

イケイケの長宗我部軍は次々と領土を拡大していきます。
その際、多くの寺社を焼き払いました。

1584年、長宗我部軍は金毘羅大権現(現・金刀比羅宮)の北隣にある大麻山にを取りました。

その夜、草木が敵兵に見えるという錯覚を起こしてしまい大混乱に陥ってしまったという!

草木が敵兵に見えてしまったのは、金毘羅大権現付近に陣取りをしてしまったことによる神罰だと思った元親は、慌てて門を献納することにしました!

しかし、急いで建立したため柱の1本が逆さになってしまったという。

このことから、この門は逆木門(さかきもん)と呼ばれるようになりました。

しかし、という字は縁起が悪いということで、賢木門に改名したんだって。

ちなみに逆さの柱宝物館で拝観できます。


●御前四段坂

賢木門をくぐると御前四段坂が登場。

ここまで来たら御本宮までもう少しです!

御本宮エリア

●御本宮


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 785段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

そんなこんなで
はいドン!

御本宮に到着!

やっと着いたーーーっ!


●御本宮
・1878年再建
・桧皮葺 大社関棟造
・主祭神 大物主命
・相殿 崇徳天皇

こんぴら参りが全国的に広まったのは江戸時代。

当時、庶民が旅をすることは禁じられていましたが、寺社への参拝の旅は許されていました。
こんぴら参りは庶民の憧れで、一生に一度はこんぴらさんといわれるほどの人気っぷりだったみたいです。

現在も大勢の参拝者で賑わっていて、年間の参拝者数はなんと300万人!
香川県の人気スポットとなっております。


ちなみに神仏分離以前は、この場所に金毘羅大権現が祀られていたそうですよ!

残念ながら、今はもう金毘羅大権現はおられませんので、昔のこんぴら参りとは趣旨が変わってしまいましたが、今もこの山のどこかに金毘羅さんが鎮まっていると信じて参拝!


そんなこんなで、建物鑑賞。

この社殿の特徴は、正面と左右の3方向入母屋軒唐破風があること!

そして社殿の様式は大社関棟造・・・!?

大社関棟造・・・って、始めて聞くのですが、どんな様式なんでしょ???

ネットで調べてみるも、これといった情報を得ることができませんでした・・・(-“-;) ???

誰か大社関棟造について知っている人がいらしたら教えてください!m(_ _)m


あと、柱はもちろん組物まで角材で造られているのが面白かったです!

角材の組物は初めて拝見しましたよ!


社殿には社紋である丸金マーク。
なんだか学ランのボタンみたいで面白かったです。

ちなみに丸金と書いてまるこんと読むそうですよ。
このまるこんマークは金刀比羅宮と直轄の6社だけしか使えないという!


あと、本殿には見事な蒔絵が描かれていました。


●南渡殿

御本宮と三穂津姫社は南渡殿という長い廊下で繋がっていました。

その長さは、なんと約40m!


●三穂津姫社(御別宮)

●三穂津姫社 拝殿
・檜皮葺 大社関棟造

●三穂津姫社 本殿
・1876年建立
・檜皮葺 王子造
・三穂津姫社を祀る

続いて、南渡殿と繋がっている三穂津姫社を参拝。

拝殿は御本宮と同じく大社関棟造
そして本殿は王子造という!

大社関棟造は謎ですが、王子造は半年後に参拝した伊豫豆比古命神社(愛媛)で拝見しました。

大社関棟造同様、王子造もよくわからない様式で・・・(涙)

実は王子造という様式には明確な基準はないという。
でも王子造にはいくつかの特徴があるみたいですよ。

①妻入り切妻造の身舎に向拝が接続する。
②春日造に似ている。
③でも春日造とは、身舎と向拝の納まりがちょっと違う。

どうやら王子造を見分けるポイントは向拝にあるようです。

大社関棟造にしろ王子造にしろ、この神社はかなり独特なワールドで攻めてきます。
伊豫豆比古命神社(椿神社)の御朱印~愛媛の由来となった神様を祀る~(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市居相2丁目2−1祭 神伊豫豆比古命・伊豫豆比売命伊与主命・愛比売命社 格式内社・旧県社・別表神社由 緒創建年は不詳。社伝によると孝霊天皇の御代に鎮座したとされています。その昔、神...


●神饌殿

●神饌殿
・建立年不明
・檜皮葺 入母屋造

御本宮の左隣には神饌殿がありました。

ちなみに御本宮と神饌殿は北渡殿で繋がっています。


●神楽殿

●神楽殿
・建立年不明
・檜皮葺 入母屋造

その他、御本宮と向き合うかたちで神楽殿が建っていました。


●絵馬殿

●絵馬殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

金刀比羅宮は海の守護神というだけあって、絵馬殿には航海の安全を祈願した絵馬が所狭しと掲げられていました。


絵馬だけではなく船も奉納されていました!

どうやらこれはモルツマーメイド号という船のようです。

モルツマーメイド号は、海洋冒険家として有名な堀江謙一さんが地球環境問題を訴えるために空き缶約22000個をリサイクルして建造した船なんだって。

ソーラーパネルによる自力発電機を搭載しているそうです。


あと、どさくさに紛れて宇宙飛行士・秋山豊寛さんの絵馬もありました!

ロケット → 宇宙船 → 船!
ということで、ある意味ロケットも宇宙の航海?

それにしても顔がリアルだぁ。


●御神木

●御神木
・クスノキ
・樹高 25m

こちらは御本宮と社務所の間に立つクスノキです。


●展望台

御本宮のすぐ近くには、讃岐平野や讃岐富士などが望める展望台がありました。

天気はイマイチですが爽快!
これは長〜い階段を上ってきたご褒美です。



いやはや、素敵な神社でした・・・
と言いたいところですが、まだ終わってません!

ここはただの通過点!
ここからが本番なんです!

そうです、ここから奥社まで、まだまだ階段が続くのです!

多くの人はここで引き返しますが、時間と体力がある方は奥社にも是非!

御本宮から奥社まで


そんなこんなで、奥社に向けてGO!

再び階段地獄へ突入です。

上って上って上って・・・


●白峰神社


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 951段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

●白峰神社 拝殿
・1913年建立
・檜皮葺 入母屋造

●祭神
・崇徳天皇・待賢門院・大山祇命

奥社に向かう途中には白峰神社がありました。

白峰といえば崇徳天皇

崇徳さんは、菅原道真さん・平将門さんとともに日本三大怨霊の1人です。


●白峰神社 本殿
・建立年不明
・檜皮葺 一間社流造

保元の乱に敗れた崇徳天皇は、讃岐国(香川県)へ島流しにされ、そのまま讃岐国で亡くなられました。

その後、怨霊となって復讐劇が始まります。

祟りを恐れてか、御本宮で祀られ、さらにここでも祀られているという・・・。

ちなみに、崇徳天皇は亡くなる1年前の1163年に松尾寺・金光院(現・金刀比羅宮)に参籠しています。



そんなこんなで、白峰神社での参拝を終えて再び階段地獄へ。

上って上って菅原神社を参拝して・・・

※菅原神社の参拝記は割愛・・・すみません道真さん!


上って上って上って・・・


さらに上って上って上って・・・


そして最後の1段を上ると!


●奥社 厳魂神社


≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ 1368段 ≡ ≡ ≡ ≡ ≡ ≡

はいドン!

奥社 厳魂神社に到着!

膝が笑う・・・?

いえいえ、膝が大爆笑ですよ!

参拝後、何人かの人に話しかけられる・・・同じ苦を味わった者にしかわからない仲間意識からか・・・やたらとフレンドリーなファミリー感を出してくる。

なんだろう・・・この心の共鳴!

ここは心と心が繋がり合う素晴らしい神社だね!


●厳魂神社
・建立年不明
・檜皮葺 入母屋造
・厳魂彦命を祀る


社殿近くの断崖には天狗カラス天狗の彫物がありました。

祭神の厳魂彦命は、死ぬ前に『死して永く当山を守護せん』と言い残し、天狗になって姿を消したんだって!


奥社の境内からは、ご褒美の絶景を望むことができました!


瀬戸大橋まで望めるという!


そんなこんなで、こんぴら参りはこれにて終了!

長々と書いてしまいましたが、果たして最後まで読んでくれた人はいるのだろうか?

私だったらこんな長いブログは読みません(笑)

書く方も苦行。
読む方も苦行。

一体、何のメリットがあるのかっ!?

もし最後まで読んでくれた人がいるなら、その方は相当な精神力の持ち主。
きっとこんぴらさんの階段も平気で上れます(笑)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

御朱印情報

●御朱印の種類
・金刀比羅宮の御朱印
・白峰神社の御朱印
・厳魂神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・御本宮の授与所(社務所)
 金刀比羅宮の御朱印
 白峰神社の御朱印

・奥社 厳魂神社の授与所
 厳魂神社の御朱印

●御朱印の受付時間
・夏(4月~9月)
 6:00~18:00

・冬(10月~3月)
 6:00~17:00

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・笑顔元気くんの朱印帳
 サイズ 16cm × 11cm
 初穂料 1500円

・2010年1月23日 参拝
・2021年6月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・御本宮
 夏(4月~9月)
 6:00~18:00

 冬(10月~3月)
 6:00~17:00

・奥社
 8:00~17:00

●拝観料
・境内無料

●宝物館
・8:30~17:00
(入場は16:30まで)
・無休
・大人 800円
・高校生 400円
・中学生以下 無料

●書院
・9:00~16:00
(受付は15:30まで)
・無休(都合により休みあり)
・大人 800円
・高校生 400円
・中学生以下 無料

●最寄りの駅
・JR琴平駅から表参道まで徒歩10分
・琴電 琴平駅から表参道まで徒歩10分

●駐車場
・近隣に有料駐車場あり

金刀比羅宮の地図

 

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