
所在地 | 長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212 |
---|---|
祭 神 | 栲幡千々姫命・天忍穂耳尊 |
社 格 | 式内社(小) |
由 緒 | 創建年は不詳。1676年、国学者・橘三喜が式内社・手長比賣神社に査定するまでは手長男大明神や棚河大明神と呼ばれ、神功皇后を祀っていた神社だったという。しかし橘三喜の査定結果は怪しいものであり、本来の式内社・手長比賣神社は勝本浦の聖母宮と推測されています。 |
手長比賣神社へのアクセス

先ほど参拝した本宮八幡神社から車で3分。
本宮山の麓に鎮座する手長比賣神社に到着。
手長比賣神社と書いてたながひめじんじゃと読みます。

って、本宮八幡神社から車で3分と書きましたが、実際は20分ほどかかりました!
すんなりと行けば3分で到着できるのですが、手長比賣神社がどこにあるのかがわからず右往左往・・・例のごとくカーナビも案内を放り投げてダンマリを決め込んでしまいました。
地図上では確かにここにあるはずなのになぁ・・・。
壱岐には約1000社の神社があり、なかには小さな神社や祠も含まれているという。
もしかしたら手長比賣神社は小さな祠なのかな?
もしそうだったら探し当てるのは困難だなぁ・・・
と、諦めらかけたその時!

あった!
まさか下にあるとはね!

そんなことより、この手長比賣神社は田んぼの中に鎮座していました。

社殿前に駐車スペースがあるのですが、ここに駐車するにはこんなあぜ道を通ってこないといけないという!

路上駐車をススメるわけではございませんが、車の運転に自信がない方は神社後方の道路に路◯×※?駐〜★◇す※◎る%+♫のもひとつの手かも知れません。
くれぐれも路上駐車をススメてるわけではございませんからね!(笑)
そんなこんなで、参拝開始。
鳥居と本殿
●鳥居

●鳥居
・2006年建立
見てのとおり、手長比賣神社は鳥居とお家のような社殿が建つのみの小さな神社でした。
しかしこの神社は式内社・手長比賣神社に比定される古社だという!
とはいえ、やはりこの神社も橘三喜さんが査定した式内社でした。

もともとこの神社は手長男大明神や棚河大明神と呼ばれていたそうですが、1676年に壱岐の式内社を調査した橘三喜さんが式内社・手長比賣神社に比定。
以後、この神社は式内社と伝えられてきました。
しかし他の神社同様、橘三喜さんによる査定結果はいい加減なもので・・・
現在では勝本浦の聖母宮が式内社・手長比賣神社だったのではないかと考えられています。
かつてこの神社は棚河大明神と呼ばれていたそうです。
ちなみに棚河と書いてたなごうと読みます。
もしかしたら橘三喜さんは、棚河(たなごう)が手長姫(たながひめ)に似てるから式内社に比定したのかな?
んな馬鹿な・・・と思われる方もおられるでしょうが、橘三喜さんならじゅうぶんあり得る話なわけで・・・(笑)
今回の壱岐旅では橘三喜さんの怪しい由緒に触れる機会が多く、その由緒に触れる度、橘三喜さんの適当精神に魅了されるのでありました。
面白いなぁ、橘三喜さん。


●御祭神
・栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメ)
・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)
手長比賣神社ということで、手が長いお姫様が祀られてるのかなぁ・・・と想像してみたひと時。
あるいは手長猿のようなお姫様を想像してみましたが、御祭神はタクハタチヂヒメさんとアメノオシホミミさんでした。
オシホミミさんは、アマテラスとスサノオの誓約でお生まれになった神様。
そしてタクハタチヂヒメはアメノオシホミミさんの嫁はんです。
ちなみに手長とは御手長という旗竿が由来のようです。
壱岐島と沖ノ島の意外な繋がりにびっくりです。
壱岐島も沖ノ島も神が宿る島ですし、神功皇后ゆかりの島。

ちなみに福岡県宗像市に鎮座する織旗神社は、武内宿禰さんが旗を織った地といわれています。
そして織幡神社の社家は壱岐氏といわれています。


●鳥居
・2006年建立
見てのとおり、手長比賣神社は鳥居とお家のような社殿が建つのみの小さな神社でした。
しかしこの神社は式内社・手長比賣神社に比定される古社だという!
とはいえ、やはりこの神社も橘三喜さんが査定した式内社でした。

もともとこの神社は手長男大明神や棚河大明神と呼ばれていたそうですが、1676年に壱岐の式内社を調査した橘三喜さんが式内社・手長比賣神社に比定。
以後、この神社は式内社と伝えられてきました。
しかし他の神社同様、橘三喜さんによる査定結果はいい加減なもので・・・
現在では勝本浦の聖母宮が式内社・手長比賣神社だったのではないかと考えられています。
かつてこの神社は棚河大明神と呼ばれていたそうです。
ちなみに棚河と書いてたなごうと読みます。
もしかしたら橘三喜さんは、棚河(たなごう)が手長姫(たながひめ)に似てるから式内社に比定したのかな?
んな馬鹿な・・・と思われる方もおられるでしょうが、橘三喜さんならじゅうぶんあり得る話なわけで・・・(笑)
今回の壱岐旅では橘三喜さんの怪しい由緒に触れる機会が多く、その由緒に触れる度、橘三喜さんの適当精神に魅了されるのでありました。
面白いなぁ、橘三喜さん。

橘三喜の壱岐・式内社調査とは?
橘三喜の壱岐・式内社調査とは?1676年、平戸藩主・松浦鎮信さんは、壱岐国にある式内社24社を調査し、各社の御祭神の名を記録し、後世に残し伝えようと思い立ちました。その際、国学者・橘三喜さんに壱岐国24社の調査...

●御祭神
・栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメ)
・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)
手長比賣神社ということで、手が長いお姫様が祀られてるのかなぁ・・・と想像してみたひと時。
あるいは手長猿のようなお姫様を想像してみましたが、御祭神はタクハタチヂヒメさんとアメノオシホミミさんでした。
オシホミミさんは、アマテラスとスサノオの誓約でお生まれになった神様。
そしてタクハタチヂヒメはアメノオシホミミさんの嫁はんです。
ちなみに手長とは御手長という旗竿が由来のようです。
●御手長とは?

宗像大社の宗像大菩薩御縁起によりますと、神功皇后の三韓征伐の際、宗像大社の神が御手長という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄したといわれています。
そして最後に御手長を沖ノ島(福岡県宗像市)に立てたといいます。
そんなこんなで、天手長男と天手長比売の名前はこの御手長が由来なんだって。

宗像大社の宗像大菩薩御縁起によりますと、神功皇后の三韓征伐の際、宗像大社の神が御手長という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白の旗をつけ、これを上げ下げして敵を翻弄したといわれています。
そして最後に御手長を沖ノ島(福岡県宗像市)に立てたといいます。
そんなこんなで、天手長男と天手長比売の名前はこの御手長が由来なんだって。
壱岐島と沖ノ島の意外な繋がりにびっくりです。
壱岐島も沖ノ島も神が宿る島ですし、神功皇后ゆかりの島。

ちなみに福岡県宗像市に鎮座する織旗神社は、武内宿禰さんが旗を織った地といわれています。
そして織幡神社の社家は壱岐氏といわれています。

織幡神社の御朱印~武内宿禰ゆかりの神社~(福岡県宗像市鐘崎)
所在地福岡県宗像市鐘崎字岬224祭 神武内宿禰・住吉大神・志賀大神・天照大神宗像大神・八幡大神・壱岐真根子臣社 格式内社(名神大)・旧県社宗像大社境外摂社由 緒宗像大菩薩御縁起によると、神功皇后...
手長姫神社 vs 本宮八幡神社
●手長姫神社 vs 本宮八幡神社

手長比賣神社と本宮八幡神社は神領を競い合ったという伝説が残っています。
エノキに当ててしまう手長姫様・・・嗚呼。
なんだかホッコリとする伝説ですね。

手長比賣神社と本宮八幡神社は神領を競い合ったという伝説が残っています。
その昔、本宮八幡神社の神様と手長姫神社の神様が石を投げて領田の広さを競い合ったそうです。
八幡様が投げた石は遠くまで飛びましたが、手長姫様が投げた石は近くのエノキに当たって跳ね返り、足元に落ちてしまったという!
その結果、本宮八幡神社は広い祭田となり、手長姫神社の祭田は一反5畝という狭い祭田になってしまいました。
ちなみに、このとき投げた石は今でも田んぼの中にあるといわれています。
八幡様が投げた石は遠くまで飛びましたが、手長姫様が投げた石は近くのエノキに当たって跳ね返り、足元に落ちてしまったという!
その結果、本宮八幡神社は広い祭田となり、手長姫神社の祭田は一反5畝という狭い祭田になってしまいました。
ちなみに、このとき投げた石は今でも田んぼの中にあるといわれています。
エノキに当ててしまう手長姫様・・・嗚呼。
なんだかホッコリとする伝説ですね。
手長島

そんなこんなで参拝後、社前から田んぼを望みながら黄昏ていました。
すると、この神社が南向きじゃないことに気付く。
そんなこんなで、グーグルマップでチェックしてみると北西に向かって鎮座していました。
神社界は基本的に南向きの世界。
たまに北向きや東・西向きもありますが、北西とは珍しいですね。
もしかしたらこの先に何かあるのかなぁ・・・と思い地図を見てみると、この神社は対馬、そして朝鮮半島に向かって鎮座していました。
北でも西でもなく、わざわざ北西向きに鎮座している意味はなぜなのでしょ?
意図的に対馬・朝鮮半島に向かって鎮座しているのでしょうか?

さらに地図を見てみると、神社の真西に手長島という島があることに気付きました。
手長島と手長比賣神社・・・何か関係があるのかなぁ?
もしかしたら、御手長は沖ノ島ではなく手長島に立てたのではないのか・・・?
とかなんとか、答えのない妄想にふけっていたひと時。
天手長男神社と天手長比売神社跡
●天手長比売神社跡

ちなみに郷ノ浦町には壱岐国一宮の天手長男神社があります。
そして天手長男神社から約200m離れた地に天手長比売神社跡がありました。
もともと天手長比売神社跡には栲幡千々姫命・稚日女命・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命の5柱がお祀りされていたみたいです。
しかし鎌倉時代の元寇によって神社は廃れてしまったという。
そんなこんなで、現在は天手長男神社に合祀されているそうです。
そんなこんなで、参拝終了。
手長比賣神社。
天手長比売神社跡。
式内社・手長比売神社は聖母宮。
天手長比売神社は天手長男神社に合祀された。
もうなんのこっちゃわかんない!
壱岐の神社巡りは由緒が複雑です。

ちなみに郷ノ浦町には壱岐国一宮の天手長男神社があります。
そして天手長男神社から約200m離れた地に天手長比売神社跡がありました。
もともと天手長比売神社跡には栲幡千々姫命・稚日女命・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命の5柱がお祀りされていたみたいです。
しかし鎌倉時代の元寇によって神社は廃れてしまったという。
そんなこんなで、現在は天手長男神社に合祀されているそうです。
そんなこんなで、参拝終了。
手長比賣神社。
天手長比売神社跡。
式内社・手長比売神社は聖母宮。
天手長比売神社は天手長男神社に合祀された。
もうなんのこっちゃわかんない!
壱岐の神社巡りは由緒が複雑です。
御朱印情報



●御朱印の種類
・手長比賣神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・本宮八幡神社の社務所(授与所)
※手長比賣神社には宮司さんは常駐していません。
御朱印は本宮八幡神社の社務所(授与所)に書置きが用意されています。

●御朱印の料金
・300円
※御朱印代は初穂料受入口に納めるシステムになっています。
●御朱印の受付時間
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
●本宮八幡神社の連絡先
・・0920-43-0766
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
・2022年8月27日 参拝
・2022年9月 更新

本宮八幡神社の御朱印|式内社・兵主神社の有力論社|(長崎県壱岐市)
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参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・芦辺港から車で15分
・郷ノ浦港から車で20分
・印通寺港から車で25分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で25分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
鳥越 バス停から徒歩10分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場

●駐車場
・社殿前に駐車スペースあり(オススメしません)
※先ほども申しましたが、神社後方の道路に路◯×※?駐〜★◇し※◎た%+♫方がいいかもです!

・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・芦辺港から車で15分
・郷ノ浦港から車で20分
・印通寺港から車で25分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で25分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
鳥越 バス停から徒歩10分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場

●駐車場
・社殿前に駐車スペースあり(オススメしません)
※先ほども申しましたが、神社後方の道路に路◯×※?駐〜★◇し※◎た%+♫方がいいかもです!

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