本渡諏訪神社の御朱印~天草の総鎮守~(熊本県天草市)

所在地熊本県天草市諏訪町8−3
祭 神建御名方神・八坂刀売神・八幡大神
由 緒1274年と1281年、2度にわたる蒙古襲来(元冦)の際、本渡城の城主・天草大夫大蔵太子という女傑が、水軍を率いて出陣。その際、諏訪大明神の御加護により風神が守ってくれたという。そんなこんなで1283年、その神恩に感謝し、天草氏領土内の総鎮守として、信州・諏訪大社の御分霊を勧請したのがこの神社の始まりといいます。
HP本渡諏訪神社 ~熊本県天草の総鎮守~
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鳥居と手水舎

●境内図

天草の総鎮守であります本渡諏訪神社に到着。

本渡諏訪神社と書いてほんどすわ神社と読みます。

●本渡諏訪神社とは?

1274年と1281年、2度にわたる蒙古襲来(元冦)の際、本渡城の城主・天草大夫大蔵太子という女傑が、水軍を率いて出陣

その際、諏訪大明神の御加護により風神が守ってくれたそうです。

そんなこんなで1283年、その神恩に感謝し、天草氏領土内の総鎮守として、信州・諏訪大社の御分霊を勧請したのがこの神社の始まりといいます。

以来、天草氏の氏神ならびに郷中の総社として広く崇敬されたそうです。

しかし、1637年の天草・島原の乱で社殿や神宝などを焼失

天草・島原の乱の後、天草は天領となり、初代代官・鈴木重成が着任。

鈴木重成は焼失した寺社の復旧につとめ、天草・島原の乱から6年後の1643年に海岸浜宮の地(現・中央銀天街)に新社殿を造営したそうです。

その後、幾度か遷座を繰り返します。

明治時代、天草五郷社の1つとして郷社に列格。
1915年に旧庄屋大谷家の屋敷跡であった現在地に遷座

1917年に町山口諏訪神社から本渡諏訪神社に改称したそうです。
そして1945年に県社に昇格し現在に至るそうです。


●鳥居

●鳥居
・1940年建立
・明神鳥居

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは明神鳥居。

鳥居をくぐると参道 → 手水舎 → 拝殿へ続きます。

帰宅後に知ったのですが、参道の敷石には富士山・昇り龍と下り龍などの彫刻があるそうです。
その縁起のいい彫刻を踏むと御利益があるのだとか!

事前にそれを知っていれば・・・

偶然、参拝中に踏んでいたらラッキーなんだけど!


●手水舎

続いて、手水舎でお清め。

大きな龍が特徴的な手水舎でした。
(私が小さいだけという噂も)


そんなことより、手水鉢には神紋の蔓葵がありました。


ちなみに拝殿内には本場・諏訪大社の神紋であります諏訪梶の紋もありましたよ。
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狛犬と石灯籠

●狛犬①②(子抱き獅子)

●狛犬①②(子抱き獅子)
・1959年奉納
・子抱き型 玉取り型

参道脇には子取り型ならぬ子抱き型という珍しい狛犬ちゃんがおられました。

この子抱き獅子は、全国的にも珍しく、子授け・安産・育児・家内安全など、子孫繁栄の象徴として信仰されているそうですよ。


子を抱く母・・・

何となく母の喉元に噛み付いてるように見えます。

殺しにかかってるというか何というか・・・(笑)


玉取り型はキックオフを待つスタイルでした。

どことなくアスリートを気取っているようでカッコよかったです。


●狛犬③④

●狛犬③④
・1916年奉納

こちらは拝殿前の狛犬ちゃんです。

短足で大きな伏せ耳が特徴的な狛犬ちゃんでした。


●狛犬⑤⑥


●狛犬⑤⑥
・1643年奉納(?)
・玉取り型 子連れ型

裏口にはやたらと勇ましい狛犬ちゃんがおられました。

右側は玉取り&子連れ型。
左側は子連れ型。

右側は親は阿行子が吽形になっていて、左側は親は吽形子が阿形になっているという。

そんなこんなで、親子の阿吽が逆になっているのが面白いなぁっと思ったひと時でした。


台座には1283年1643年という2種類の年号が刻まれていました。
さすがに1283年に奉納された狛犬とは考えにくいので、この年号は神社が創建された年を刻んだものだと思われます。

ということで、この狛犬ちゃんは1643年に奉納されたもの???


それにしても1643年製にしては状態が良過ぎる狛犬ちゃんです。

・・・もしかして1643年に奉納されたという解釈は間違いなのかも知れません。

それにしても、どこかで見たことのある狛犬ちゃんだなぁ・・・

あっ!

高千穂神社の狛犬ちゃんにソックリだ!


こちらが高千穂神社の狛犬ちゃんです。


んでもって、こちらが本渡諏訪神社の狛犬ちゃんです。

同じじゃん(笑)

ちなみに高千穂神社の狛犬ちゃんも、確かな奉納年を確認することができませんでした。
高千穂神社の御朱印~鬼八退治の三毛入野命を祀る~(宮崎県西臼杵郡高千穂町)
所在地宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037祭 神高千穂皇神・十社大明神由 緒約1900年前、三毛入野命が神籬を建てて祖神である日向三代とその配偶神を祀ったのがこの神社の始まり。938~947年、豊後国から...


●狛犬⑦(石灯籠)

●石灯籠
・1923年建立

この神社にはもう一体狛犬ちゃんがおられます。

それがこちら。


はいドン。

なんと石灯籠にはおられるという!

相方はなんとエビスさん(笑)

何でこの組み合わせなのかは謎です。

お二方の共通点はただ1つ。
それは踊っていること・・・。

これは異色のダンスユニットなのかも知れません。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・1990年改修
・銅板葺 千鳥破風・唐破風向拝
・入母屋造

そんなこんなで、拝殿で参拝。

拝殿の建立年は定かではありませんが、明仁天皇御即位大典ならびに皇紀2650年を記念奉祝して改修されたものなんだって。


それにしても天草には諏訪神社が多いです。


こんなにもあるという!

・本渡諏訪神社・大島子諏訪神社
・崎津諏訪神社・棚底諏訪神社
・栖本諏訪神社・下津浦諏訪宮
・須子諏訪神社・楠浦諏訪神社
・元諏訪神社・宮野諏訪神社
・諏訪神社(上天草市松島)
・諏訪神社(天草市有明町)
・諏訪神社(天草市新和町)
・諏訪神社(天草市河浦町)

もしかしたら、まだあるかも知れません。

なぜ小さな地の天草(実は広い)に、こんなにもたくさんの諏訪神社があるのだろう・・・(-“-;) ??

と思い、自分なりに答えをまとめてみました。


1637年、日本最大にして最後の一揆といわれる天草・島原の乱の後、天草は幕府直轄の天領となりました。

そして、天草の初代代官となった鈴木重成さんは、乱で荒廃した天草を復興するために尽力します。

鈴木重成さんはキリスト教に救いを求めて破れてしまった人々の荒んだ心を癒すため、寺社を建立して、天草を日本の原風景に戻そうと考えました。 

そこで、僧侶である兄・鈴木正三さんを天草へ呼び、天草の各地に寺社を建立していきました。

その甲斐あって、次第に天草の人々は落ち着きを取り戻しました。


天草が天領となり鈴木重成さんが代官になる前は寺沢氏がこの地を治めていました。

しかし寺沢氏は国力を強く見せるために、天草でとれるお米の倍以上の石高を申請していたという。

そのため、天草の人々は過酷な年貢の取立てに苦しんでいました。

ちなみに、その過酷な年貢の取立てに耐えかねた領民が起こした反乱が天草・島原の乱です。


乱の原因となったこの年貢をなんとかせねば・・・。

そう考えた鈴木重成さんは幕府に年貢の半減を嘆願しました。

しかし、その願いは聞き入れられず。

鈴木重成さんは建白書を遺して、江戸の自宅で切腹したという。(諸説あり)

そんなこんなで、鈴木重成さんの切腹から7年後、石高の半減が許され天草の人々の生活は楽になりました。

そんなこんなで、天草では農民のために切腹した鈴木重成さんをとして崇めているという!

そんな鈴木重成さんが天草復興のために最初に建立した2社のうちの1つが栖本諏訪神社だという。

おそらく鈴木重成さんは諏訪大明神を信仰していたのでしょう。

天草に諏訪神社が多いのは、もしかしたらである鈴木重成さんが最初に建立した神社だったからなのかも???

とか思ってみたり。


●本殿

●本殿
・1863年建立
・銅板葺 入母屋造

●祭神
・建御名方神
・八坂刀売神
・八幡大神

本渡諏訪神社という社名でもわかるように、祭神は建御名方神八坂刀売神

この2神を総称して諏訪大明神といいます。

ちなみに建御名方神と八坂刀賣神は夫婦です。
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境内社

●恵比須神社

●恵比須神社
・1964年建立(?)
・1994年建立(?)
・瓦葺 妻入り入母屋造
・事代主大神を祀る

そんなこんなで、拝殿の隣に鎮座している恵比須神社を参拝。

恵比須神社ということで、祭神は事代主大神

諏訪神社の祭神・建御名方さんは、事代主さんのです。

ということで、本渡諏訪神社は建御名方さんの兄弟が祀られているのですね。

ちなみに、お父さんは大国主さんです。


それにしても、瓦製の扁額が素敵でした!

そんなこんなで、しばし扁額鑑賞・・・


と思ったら、なんと本殿も瓦製だという!

これはこれは!

瓦製の祠はちょいちょい出会いますが、ここまで本格的な社はお初です!
素人目で見ても素晴らしい作品だということはわかりました。


●恵比須神社 本殿
・1964年作(?)
・1994年作(?)
・瓦製 妻入り切妻造

由緒によると、この恵比須神社は1964年に現在へ遷座
そして、1994年に本渡町中央商店街大火災復興30周年ならびに市制発足40周年を記念して新社殿を建立と書いてありました。

この新社殿というのが、瓦製の本殿のことなのか、はたまた瓦製の本殿を覆う社のことなのか・・・(-“-;) ??

何かと便利な世の中なので、きっと答えはネットに書いてあるだろうと思って神社を後にしましたが・・・帰宅後に調べてみたら何の情報もありませんでした・・・。

こういう時に限って知りたい情報だけがないのですよ、ネットって(笑)

こんなことになるんだったら、御朱印を頂く際に神社の方に聞いて帰ればよかったです(後悔)


●御霊神社

●御霊神社
・1949年建立
・銅板葺 平入り切妻造
・戦没英霊 氏子祖霊を祀る

拝殿の隣には御霊神社も鎮座していました。

この御霊神社は、1949年の靖國神社秋季例大祭の日に創始されたそうです。

ちなみに、社内には氏子の祖霊も奉斎されているそうですよ。


●十五社神社

●十五社神社 鳥居
・1982年建立
・コンクリート製
・明神鳥居

本殿の裏には十五社神社がありました。

長~く垂れ下がった注連縄が印象的な鳥居でした。


●十五社神社 本殿
・建立年不明
・銅板葺 神明造

●祭神
・天照皇大神
・八幡大神
・春日大神
・阿蘇十二神

天草では地域ごとに縁の深い神様柱と阿蘇十二神を祀る十五社神社がたくさん鎮座しているんだって。

そんなこんなで、グーグルマップで調べてみると・・・


はいドン!

諏訪神社しかり十五社神社しかり、なんでこんなにも(笑)

そんなことより、なんと十五社神社は熊本県のみにしか存在してないんだって!
特に天草地方に多く祀られているそうですよ。

ビックリすることに、天草地方の全神社のうち1/3近くが十五社神社だという!

ちなみに、十五社神社は古くから耳病治癒の神様として信仰されているそうですよ。

その他、境内には4基の神祠がありました。
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大蘇鉄と栃光正之像

●大蘇鉄

●大蘇鉄
・樹齢 100年以上
・天草市指定文化財

拝殿の前には一対大蘇鉄がありました。

この蘇鉄は、1916年に氏子の森邦太郎さんと鶴田八十八さんが奉納したもののようです。

なんと、毎年5月頃に蘇鉄に自生したが花を咲かせるんだと。
これは全国的にも珍しいことなんだって。


●栃光正之像と力石

境内には大関・栃光正之さんの像もありました。

栃光正之さんは天草市牛深町深海出身。
1952〜1966年に活躍した大相撲力士なんだって。

栃光正之さんはこの神社を崇敬していたそうで、6回も境外広場で地方巡業を行ったという。


栃光正之像の隣には力石もありました。

この力石は、少年時代の栃光正之さんが持ち上げたものなんだと。

重さはなんと88kg!

恐ろしい少年だなぁ。


像の台座には栃光正之さんの手形があったので、お約束的に手の大きさを比べてみました。

身体も器も小さい私の手と大して変わらないのがちょっと衝撃でした。


●庭園

境内には綺麗に整備された庭園もありました。


あと境内のいたるところにくまもんがおられました。

そんなこんなで、参拝終了。

境内はさほど広くありませんが、見どころの多い神社でしたよ。

御朱印情報

●御朱印の種類
・本渡諏訪神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)

●御朱印の受付時間
・8:00~17:00

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2021年7月16日 参拝
・2021年8月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR三角駅から車で1時間

●最寄りのIC
・九州自動車道
 松橋ICから車で1時間40分

●最寄りのバス停
・諏訪神社入口

●車でアクセス(目安)
・JR熊本駅から車で1時間50分
・天草空港から車で15分
・阿蘇くまもと空港から車で2時間10分


●駐車場

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

駐車場は境内の裏にあります。

本渡諏訪神社の地図

 

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