山田大王神社の御朱印情報~日本遺産・相良氏ゆかりの神社~(熊本県球磨郡)

所在地熊本県球磨郡山江村山田甲1514
祭 神平河次郎藤高
由 緒1405年、山田村の地頭・平河藤高の霊を祀るために創建。1546年、人吉城主・相良晴広と球磨奉行・東長兄が社殿を修復。その後、1580年に再興。1671年に拝殿および神供所を建立。1781年に本殿覆屋を建立。1745年に鳥居が建立されました。本殿は南九州地方でも中世に遡る数少ない建築で、保存状態も良く、貴重な存在といわれています。また相良氏関連文化財として、日本遺産・人吉球磨の構成文化財に認定されています。
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山田大王神社とは?

●山田大王神社とは?

JR人吉駅から車で10分。
山江村役場に近い集落の一角に鎮座する山田大王神社に到着。

山田大王という名前に惹かれてやってきました。

大王って!?

大王といわれてイメージするのは、アレクサンドロス大王、カメハメハ大王、エンマ大王・・・

古代日本では天皇のことを大王と呼んでいた時代がありますが、まさかこの村の片隅に山田という大王がいたということなのか!?

調べてみると、この神社でいう大王とは、かつてこの地を支配していた平河氏のことを指すらしい。

ということで、平河氏が大王なのか?
というと、そういうことでもないらしい。


平河氏は、桓武天皇の皇子・良峯安世の末孫と称し、球磨郷・永吉庄を支配していた豪族だったようです。

1187年、源頼朝さんから領土安堵の下文を貰い、錦町木上(荒田)の岩城を本拠として活躍していたみたいです。

ちなみに永吉庄とは、球磨川より北側一帯のことを指すらしい。


1198年、源頼朝さんの命を受けた相良氏の初代当主・相良長頼さんが人吉に下向。

相良長頼さんは人吉城主・矢瀬主馬佑さんに人吉城の明け渡しを迫りますが、拒否されました。
ということで、相良長頼さんは、この地を支配していた地頭・平河義高さんに、矢瀬氏の討伐を依頼。

平河義高さんはこれを快諾し、見事に矢瀬氏を討伐しました。
そして人吉城の奪取に成功!

そんなこんなで、相良長頼さんは平河義高さんに迎えられて人吉城に入城することができました。

その後、次第に平河氏は力を持つようになりました。

そのことに危機を覚えた相良長頼さんは『平河氏が相良氏に不満をもって陰謀を起こした』という言いがかりをつけて、血敷原の戦いで平河一族を皆殺しにしてしまったという!

その後、相良長頼さんは非業の死を遂げた平河氏の祟りを恐れ、各地に霊社を建立。

①平河藤高を祀る山田大王神社。
②平河義高を祀る荒田大王神社。
③平河守高を祀る横瀬大王神社。
④平河師高を祀る深田大王神社。
⑤平河重高を祀る平川大王神社。

これは祟りを恐れたもので、平河氏一族を滅ぼしたことに大義がなかったことを示唆します。


いやはや、敵将の霊を祀る神社を5つも建ててしまうとは・・・相良長頼さんは相当祟りに怯えていたのでしょうねぇ。。

平河氏は相良長頼さんの人吉城入りを叶えた立役者
恐らく、相良長頼さんは平河氏に恩義を感じていたに違いない。

なのに、大義もなく自分の身を守るために皆殺しにしちゃいました。

5つもの霊社を建立するあたり、相当な後ろめたさがあったのだと思います。

しかし、別角度からポジティブに考えると、こんな風に捉えることもできます。

敵将を祭神として祀ることによって、それまで平河氏に慕っていた領民の心の拠り所をつくったのでは・・・?

領民の心をつかんで、政権の安定に繋げたのでは・・・?

そういった配慮があったから、明治維新までの約700年間、相良氏は人吉球磨地方を統治し続けれたのかも知れません。


長々と話しましたが、結局大王ってなんなの?

大王という最高の称号を与えることによって、平河氏の霊を気持ち良くさせたのかな?
ついでに平河氏を慕っていた領民も気持ち良くさせたのかな?

それか、大義なく皆殺ししたように、大王にも大した意味はないのかな?( ̄▽ ̄;)
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鳥居と手水鉢

●鳥居

●鳥居
・1745年建立
・明神鳥居

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは石製・明神鳥居

一見、よくある明神鳥居に見えますが、笠木と貫がほぼ同じ長さで、柱間が広いのが特徴的な鳥居でした。


そして、横バージョンの扁額が特徴的な鳥居でもありました。

たまに横扁額に出会いますが、何度見ても違和感を覚えちゃいます。

神社創建の経緯を知ってしまったからか、横になった扁額が、戦で倒れた平河氏のように見えてしまったり。

ちなみに扁額には大王社と書かれておりました。


●手水舎

そんなこんなで、鳥居をくぐって手水舎へ。

手水鉢では龍が入浴中。
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拝殿と神供所

●拝殿

そんなこんなで
はいドン!

古民家風の拝殿!

なんと、こちらの社殿は向かって半分が拝殿で、半分が神供所になっているという!

しかも左右非対称の造りになってるという!


このように、拝殿と神供所が合体した社殿は球磨地方独自の造りで、近くでは老神神社などで見られます。

社殿を上から見るとL字型になっているのが特徴です。



●拝殿
・1671年建立
・茅葺 妻入寄棟造
・国指定重要文化財

●神供所
・1671年建立
・茅葺 平入寄棟造
・国指定重要文化財


拝殿は妻入寄棟造。
神供所は平入寄棟造。

ということで、妻入と平入を横に合体させた複雑構造。
大工さんの技術の高さがうかがえます!


拝殿と神供所の入口には、それぞれ石段が設けられていました。

殿内を拝見することはできませんでしたが、噂によると拝殿内には木造・神像と木造・狛犬が安置されているそうですよ。
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覆屋と本殿

●本殿覆屋

●本殿覆屋
・1781年建立
・茅葺 平入切妻造
・国指定重要文化財

そんなこんなで、本殿へ。
立派な茅葺・本殿!

といいたいところですが、こちらは本殿を保護する覆屋です。

覆屋のある本殿はよくありますが、国重文の指定を受けている覆屋ってなかなかレアです!

いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有り難き幸せ。


●本殿

●本殿
・1546年建立
・板葺 三間社流造
・国指定重要文化財

そんなこんなで、覆屋の中をのぞくと、丹土塗りが美しい本殿がドーンと登場。

なんと丹土塗りの手法が用いられた社殿は、太宰府より南の地域では見られないという!

1546年の建立ですが、覆屋のおかげで保存状態はよかったです。
このように室町時代の神社建築が、状態よく残っているのは南九州では珍しいことなんだって。


上手く写真に写っていませんが、本殿正面の壁にはX型のたすきがありました。

このX型のたすきは人吉・球磨地方の神社に多く見られる特徴なんだって。

しかも!
この神社が発祥ともいわれています!

ちなみにこのには魔除けの意味があるんだとか。

また平河氏の怨霊を封じ込めるためともいわれています。
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その他の見どころ

●石塔 一結諸衆(正平塔)

●石塔 一結諸衆(正平塔)
・1368年建立
・高さ 約120cm
・山江村指定有形文化財

本殿裏にはポツンと自然石がたっていました。

これは一結諸衆といわれる石塔らしく、上部には梵字で大日如来、下部には正平廿戌申一結諸衆と刻まれてるのだとか。

しかし風化が激しくほとんど文字を確認することができませんでした。

これ、説明板がなかったら完全にスルーするやつです。


当時、相良氏は人吉と多良木に政権が分立していたらしく、人吉の相良氏は北朝に、多良木の相良氏は南朝に味方していたんだとか。

そんなこんなで、相良氏一族が南朝・北朝の敵味方に別れ、人吉・球磨の各地で争っていた時代だったんだって。

ちなみに、地元では永富どんの墓という言い伝えもあるそうです。

永富どん・・・って、何者だぃ?


●蔦屋(仮名)

境内の横には緑の丘が・・・

古墳かな・・・?

いや、違う!

緑で覆われた廃墟だ!

名付けて蔦屋(TSUTAYA)!

蔦屋 山江村店!


少々不気味でしたが、興味津々で店内、いや家の中をのぞく。

いらっしゃいませ~、という声が聞こえたとか聞こえなかったとか・・・。

御朱印情報

2022年6月から御朱印が始まりました。

山田大王神社の御朱印情報はこちら

●御朱印の種類
・山田大王神社の御朱印(書置き)

●御朱印の受付場所
・社殿(?)

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円
※初穂料はお賽銭箱に入れるシステムになっています。

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2021年4月29日 参拝
・2022年8月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・人吉駅から車で10分

●最寄りのIC
・九州自動車道
 人吉ICから車で10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

山田大王神社の地図

 

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