所在地 | 徳島県鳴門市大麻町板東広塚13 |
---|---|
祭 神 | 大麻比古神 |
社 格 | 阿波国一宮・式内社(名神大) 旧国幣中社・別表神社 |
由 緒 | 神武天皇の時代、天太玉命の孫・天富命が阿波国に移住し、麻・楮の種を植えて阿波国を開拓。その後、麻布・木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたとして、天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったという。室町時代に細川氏・三好氏、江戸時代には徳島藩主・蜂須賀家の庇護を受けて繁栄。現在は阿波国一宮で、阿波国・淡路国の総鎮守となっております。 |
HP | 阿波國一の宮 大麻比古神社 |
大麻比古神社とは?
●境内入口
阿波国一宮ならびに阿波国・淡路国の総鎮守であります大麻比古神社に到着。
たたた大麻・・・!?
と思ったら、大麻比古神社と書いておおあさひこ神社と読むそうです。
地元ではおおあささんやおわさはんと呼ばれて親しまれているそうですよ。
安心しました!
ちなみに神紋は麻の葉です。
ちょっとこれに似てるのでドキッとします。
ちなみに大麻といえば、神社でよく見かけるこのフサフサ。
神道では大麻の書いておおぬさと読みます。
ぬさとは神への供え物またはお祓いに使用する祭具の1つです。
由緒によると、天太玉命の孫・天富命が阿波国に移住し、麻・楮の種を植えて阿波国を開拓。
その後、麻布・木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたということで、天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのがこの神社の始まりだという。
ちなみに、大麻比古神は阿波忌部氏(いんべし)の祖神といわれています。
忌部とは穢れを忌み嫌い、神聖な仕事に従事する集団という意味があるそうです。
そんなこんなで、忌部は大和朝廷の祭祀をはじめ、祭具の製作・宮殿の造営を担った氏族なんだって。
特に阿波忌部は、麻・穀・栗・蚕・和紙・農業・織物などの殖産興業に関わる技術集団だったらしく、朝廷に麻布と木綿を貢納していたといわれています。
かつてあった麻植郡(現・吉野川市)は、阿波忌部が麻を植えたことが地名の由来なんだって。
ちなみに、仏教が伝来してからは忌部の忌という文字が嫌う・避ける・憎み嫌うという縁起の悪い言葉になったので忌を斎に改め、忌部から齋部(斎部)になりました。
阿波国一宮ならびに阿波国・淡路国の総鎮守であります大麻比古神社に到着。
たたた大麻・・・!?
と思ったら、大麻比古神社と書いておおあさひこ神社と読むそうです。
地元ではおおあささんやおわさはんと呼ばれて親しまれているそうですよ。
安心しました!
ちなみに神紋は麻の葉です。
ちょっとこれに似てるのでドキッとします。
ちなみに大麻といえば、神社でよく見かけるこのフサフサ。
神道では大麻の書いておおぬさと読みます。
ぬさとは神への供え物またはお祓いに使用する祭具の1つです。
由緒によると、天太玉命の孫・天富命が阿波国に移住し、麻・楮の種を植えて阿波国を開拓。
その後、麻布・木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたということで、天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのがこの神社の始まりだという。
ちなみに、大麻比古神は阿波忌部氏(いんべし)の祖神といわれています。
忌部とは穢れを忌み嫌い、神聖な仕事に従事する集団という意味があるそうです。
そんなこんなで、忌部は大和朝廷の祭祀をはじめ、祭具の製作・宮殿の造営を担った氏族なんだって。
特に阿波忌部は、麻・穀・栗・蚕・和紙・農業・織物などの殖産興業に関わる技術集団だったらしく、朝廷に麻布と木綿を貢納していたといわれています。
かつてあった麻植郡(現・吉野川市)は、阿波忌部が麻を植えたことが地名の由来なんだって。
ちなみに、仏教が伝来してからは忌部の忌という文字が嫌う・避ける・憎み嫌うという縁起の悪い言葉になったので忌を斎に改め、忌部から齋部(斎部)になりました。
鳥居と狛犬
●大鳥居
●大鳥居
・2002年再建
・高さ 14.6m
・鋼管製
・明神鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
まず最初に登場するのは大鳥居。
大鳥居をくぐると約800mに渡って松並木の参道が続きます。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1868年奉納
そして境内の奥に進むと、台のような石碑のような物に脚をかける珍しい狛犬ちゃんが登場!
その台に刻まれていたのは・・・
はいドン!
煙を吐き出す男!
アウトォォォ!
大麻比古神社でこれはあかん(笑)
でもまぁ、日本では古来から大麻は祭具や衣料だけではなく、神々の祭礼に欠かせないものだったといいますし・・・!
ちなみに、この男性が何を吐き出しているのかは不明です。
何にしろ珍しい狛犬ちゃんでした!
●狛犬③④
●狛犬③④
・1762年奉納
こちらは拝殿前の狛犬ちゃんです。
ヘルメットのようなヘアースタイルと、どこかしらメカニックなお顔が面白い狛犬ちゃんでした。
棒のような細〜い脚も面白かったです。
●大鳥居
・2002年再建
・高さ 14.6m
・鋼管製
・明神鳥居
そんなこんなで、参拝開始。
まず最初に登場するのは大鳥居。
大鳥居をくぐると約800mに渡って松並木の参道が続きます。
●狛犬①②
●狛犬①②
・1868年奉納
そして境内の奥に進むと、台のような石碑のような物に脚をかける珍しい狛犬ちゃんが登場!
その台に刻まれていたのは・・・
はいドン!
煙を吐き出す男!
アウトォォォ!
大麻比古神社でこれはあかん(笑)
でもまぁ、日本では古来から大麻は祭具や衣料だけではなく、神々の祭礼に欠かせないものだったといいますし・・・!
ちなみに、この男性が何を吐き出しているのかは不明です。
何にしろ珍しい狛犬ちゃんでした!
●狛犬③④
●狛犬③④
・1762年奉納
こちらは拝殿前の狛犬ちゃんです。
ヘルメットのようなヘアースタイルと、どこかしらメカニックなお顔が面白い狛犬ちゃんでした。
棒のような細〜い脚も面白かったです。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1970年再建
・銅板葺 入母屋造
・千鳥破風・唐破風向拝付き
現在は阿波国一宮ですが、もともとは山間部にある上一宮大粟神社が阿波国一宮だったそうです。
しかし、参拝に不便なため平安時代後期に国府近くに分祠が作られたそうです。
そして、その分祠が一宮神社(徳島市一宮町)となり阿波国一宮になったといいます。
その後、名神大社という社格を誇っていた大麻社が、敵対勢力の一宮神社に代わる新たな阿波国一宮として地位を得ることになったといわれています。
●本殿
●本殿
・1880年再建
・銅板葺 流造
●主祭神
・大麻比古神
●配祀神
・猿田彦大神
由緒によると天太玉命 = 大麻比古神となっていました。
天太玉命は日本神話に脇役として登場する神様で、古事記では布刀玉命。
日本書紀では太玉命と表記されています。
布刀玉命もしくは太玉命と書いてフトダマノミコトと読みます。
ちなみにフトダマはアマテラスの岩戸隠れに登場したり
天孫降臨に登場したりする神様です。
こちらにアマテラスの岩戸隠れと天孫降臨について書いています。
●拝殿
・1970年再建
・銅板葺 入母屋造
・千鳥破風・唐破風向拝付き
現在は阿波国一宮ですが、もともとは山間部にある上一宮大粟神社が阿波国一宮だったそうです。
しかし、参拝に不便なため平安時代後期に国府近くに分祠が作られたそうです。
そして、その分祠が一宮神社(徳島市一宮町)となり阿波国一宮になったといいます。
その後、名神大社という社格を誇っていた大麻社が、敵対勢力の一宮神社に代わる新たな阿波国一宮として地位を得ることになったといわれています。
一宮神社の御朱印~元阿波国一宮であり元四国八十八ヶ所の札所~(徳島県徳島市一宮町)
所在地徳島県徳島市一宮町西丁244祭 神・大宜都比売命・天石門別八倉比売命由 緒創建年は不詳ですが、延喜式神名帳に記載されていることから、少なくとも927年までには存在していた神社のようです。現在の...
●本殿
●本殿
・1880年再建
・銅板葺 流造
●主祭神
・大麻比古神
●配祀神
・猿田彦大神
由緒によると天太玉命 = 大麻比古神となっていました。
天太玉命は日本神話に脇役として登場する神様で、古事記では布刀玉命。
日本書紀では太玉命と表記されています。
布刀玉命もしくは太玉命と書いてフトダマノミコトと読みます。
ちなみにフトダマはアマテラスの岩戸隠れに登場したり
天孫降臨に登場したりする神様です。
こちらにアマテラスの岩戸隠れと天孫降臨について書いています。
[7]天の岩屋戸に隠れるアマテラス
スサノオのいたずらは、一向におさまらず、死者がでた。アマテラスはショックを受け、天の岩屋戸に隠れてしまった。アマテラスを岩屋戸ならつれ出すために神々が協力して作戦を実行する。
[17]天孫降臨
国譲りの交渉中に生まれる 建御雷之男神 (タケミカヅチ)から葦原中国を平定したと聞いたアマテラスとタカミムスヒは 天之忍穂耳命 (アメノオシホミミ)に葦原中国を治めるように言ったよ。 すると、天之忍穂耳命 (アメノオシホ
大楠とフクロウの像と境内社
●御神木 大楠
●御神木 大楠
・樹齢 1000年以上
・樹高 約22m
・幹廻 約8.3m
・鳴門市指定天然記念物
境内にはとてつもなく巨大なクスノキがありました。
樹齢はなんと1000年以上!
昔、神社教室の師匠に教えてもらったのですが、この様な古木は根っこからも物凄いパワーが出ているので、木に触らなくても地面に立ってるだけでパワーをガンガンに浴びることができるんだって!
木にとって樹皮はとっても大事な部位。
触るだけでも傷んじゃうことがあるので、こういったパワースポット系の木はなるべく触っちゃダメよ・・・的な。
そんなこんなで、大楠の前に立って存分にパワーチャージ。
●フクロウの像
境内にはフクロウの像がありました。
大麻比古神社の境内では毎年の5月上旬にフクロウの雛が誕生するそうですよ。
一説によると、フクロウは忌部氏に関係する鳥らしく、大麻比古神社では神鳥として崇拝してるんだって。
●境内社
●奥宮峯神社
・猿田彦大神を祀る
●西宮社
・天照皇大神を祀る
●豊受社
・豊受大神を祀る
●山神社
・大山祇神を祀る
●丸山社
・丸山神を祀る
●水神社
・水波女神を祀る
●中宮社
・祭神不明
●御神木 大楠
・樹齢 1000年以上
・樹高 約22m
・幹廻 約8.3m
・鳴門市指定天然記念物
境内にはとてつもなく巨大なクスノキがありました。
樹齢はなんと1000年以上!
昔、神社教室の師匠に教えてもらったのですが、この様な古木は根っこからも物凄いパワーが出ているので、木に触らなくても地面に立ってるだけでパワーをガンガンに浴びることができるんだって!
木にとって樹皮はとっても大事な部位。
触るだけでも傷んじゃうことがあるので、こういったパワースポット系の木はなるべく触っちゃダメよ・・・的な。
そんなこんなで、大楠の前に立って存分にパワーチャージ。
●フクロウの像
境内にはフクロウの像がありました。
大麻比古神社の境内では毎年の5月上旬にフクロウの雛が誕生するそうですよ。
一説によると、フクロウは忌部氏に関係する鳥らしく、大麻比古神社では神鳥として崇拝してるんだって。
●境内社
●奥宮峯神社
・猿田彦大神を祀る
●西宮社
・天照皇大神を祀る
●豊受社
・豊受大神を祀る
●山神社
・大山祇神を祀る
●丸山社
・丸山神を祀る
●水神社
・水波女神を祀る
●中宮社
・祭神不明
ドイツ橋とメガネ橋
●ドイツ橋
●ドイツ橋
・1919年架橋
・石造アーチ橋
・全長 約9m
・幅 約2.1m
・高さ 約3.2m
・材質 和泉砂岩
・徳島県指定文化財史跡
なんとこの橋はドイツ人捕虜が造った橋だという!
捕虜が造ったものだから、無理矢理造らされたものかと思ったら、実はそんなことはなく、むしろ感謝の意を込めて造られたものだという!
って・・・どういうこと!?
第一次世界大戦中の1917〜1920年、大麻比古神社から約2km離れた地に板東俘虜収容所があったという。
そこには約1000名のドイツ人捕虜が収容されていたらしく、大麻比古神社の境内は捕虜たちの散策の場になっていたそうです。
日本サイドは捕虜に対して人道的かつ友好的に接し、所長の松江豊寿さんは捕虜を犯罪者のように扱うことを固く禁じていたという。
そうした扱いに、捕虜たちは松江所長をとても信頼していたといいます。
また、地元の住民たちはドイツ人捕虜をドイツさんと呼んで親しんでいたそうです。
捕虜の多くは志願兵(民間人)で、彼らの職業は家具職人・時計職人・楽器職人・パン屋・写真家・印刷工・製本工などなど様々。
捕虜は自らの技術を生かした作品を近隣住民に販売するなどの経済活動を行い、ヨーロッパの優れた工業や芸術を披露していたそうです。
収容所内にはパン工場が建てられ、独式牧場と名付けられた共同農場ではトマトや赤ビートやキャベツなど、それまで栽培されていなかった野菜の栽培指導が行われていたそうです。
しかも捕虜には見張りが付いていなかったという。
大麻比古神社の近くにある霊山寺では捕虜たちの展覧会が行われたりなんかして、住民との交流が積極的に行われていたんだって。
しかし、ドイツの戦況悪化のニュースが届くと、それまで陽気で勤勉だった捕虜は元気をなくし、収容所内は暗い悲しみに包まれたという。
その後、ドイツは敗戦。
そして松江所長はこのようなことを言ったそうです。
『この戦いで戦死した敵味方の勇士に対して哀悼の意を表したい。去る6月28日の調印をもって、我々は敵味方の区別がなくなる。と同時に諸君は捕虜ではなくなる。敗戦国であるため、帰国後の辛労を思うと胸が痛む・・・。今後も困難に負けず、祖国の復興に尽力してもらいたい。ただ今より、諸君の外出は自由!すなわち諸君は自由人なのだ!』
この言葉の後、拍手と歓声が沸き起こったといいます。
その後、別れを意識した捕虜は、さらに住民との繋がりを深め、お互いに別れを惜しんだという。
そして何百年も残るようにと、捕虜たちは1つ1つ石を積み上げたそうです。
それが、このドイツ橋なんだって!
別れの日、広場に整列して最後の点呼をして解散。
収容所を行進しながら出ていくドイツさんを、住民たちは総出で見送ったといいます。
住民たちには、目に涙を浮かべる人もいたのだとか。。
やべぇ、私も泣きそうだぁ ( ;∀;)
そんなこんなで、この橋は捕虜が感謝の気持ちを込めて築造したものなんだね!
ドイツと日本の友好の架け橋ということなんだ!
捕虜というと後ろで手を縛られて、言うことを聞かないヤツはお尻ペンペン!
みたいなイメージを持ってましたが、全然そんなことはなかった!
松江所長、最高だよ!
●めがね橋
●めがね橋
・1919年架橋
・石造 2連アーチ橋
その他、心眼の鏡池には小ぶりなめがね橋がありました。
この池と橋もドイツさんが築造したものなんだって。
メガネでメガネ橋を見る。
ちなみに、ドイツ橋は保存のために通行不可ですが、このめがね橋は通行可能です。
いやはや、胸アツなひと時でした。
●ドイツ橋
・1919年架橋
・石造アーチ橋
・全長 約9m
・幅 約2.1m
・高さ 約3.2m
・材質 和泉砂岩
・徳島県指定文化財史跡
なんとこの橋はドイツ人捕虜が造った橋だという!
捕虜が造ったものだから、無理矢理造らされたものかと思ったら、実はそんなことはなく、むしろ感謝の意を込めて造られたものだという!
って・・・どういうこと!?
第一次世界大戦中の1917〜1920年、大麻比古神社から約2km離れた地に板東俘虜収容所があったという。
そこには約1000名のドイツ人捕虜が収容されていたらしく、大麻比古神社の境内は捕虜たちの散策の場になっていたそうです。
日本サイドは捕虜に対して人道的かつ友好的に接し、所長の松江豊寿さんは捕虜を犯罪者のように扱うことを固く禁じていたという。
そうした扱いに、捕虜たちは松江所長をとても信頼していたといいます。
また、地元の住民たちはドイツ人捕虜をドイツさんと呼んで親しんでいたそうです。
捕虜の多くは志願兵(民間人)で、彼らの職業は家具職人・時計職人・楽器職人・パン屋・写真家・印刷工・製本工などなど様々。
捕虜は自らの技術を生かした作品を近隣住民に販売するなどの経済活動を行い、ヨーロッパの優れた工業や芸術を披露していたそうです。
収容所内にはパン工場が建てられ、独式牧場と名付けられた共同農場ではトマトや赤ビートやキャベツなど、それまで栽培されていなかった野菜の栽培指導が行われていたそうです。
しかも捕虜には見張りが付いていなかったという。
大麻比古神社の近くにある霊山寺では捕虜たちの展覧会が行われたりなんかして、住民との交流が積極的に行われていたんだって。
しかし、ドイツの戦況悪化のニュースが届くと、それまで陽気で勤勉だった捕虜は元気をなくし、収容所内は暗い悲しみに包まれたという。
その後、ドイツは敗戦。
そして松江所長はこのようなことを言ったそうです。
『この戦いで戦死した敵味方の勇士に対して哀悼の意を表したい。去る6月28日の調印をもって、我々は敵味方の区別がなくなる。と同時に諸君は捕虜ではなくなる。敗戦国であるため、帰国後の辛労を思うと胸が痛む・・・。今後も困難に負けず、祖国の復興に尽力してもらいたい。ただ今より、諸君の外出は自由!すなわち諸君は自由人なのだ!』
この言葉の後、拍手と歓声が沸き起こったといいます。
その後、別れを意識した捕虜は、さらに住民との繋がりを深め、お互いに別れを惜しんだという。
そして何百年も残るようにと、捕虜たちは1つ1つ石を積み上げたそうです。
それが、このドイツ橋なんだって!
別れの日、広場に整列して最後の点呼をして解散。
収容所を行進しながら出ていくドイツさんを、住民たちは総出で見送ったといいます。
住民たちには、目に涙を浮かべる人もいたのだとか。。
やべぇ、私も泣きそうだぁ ( ;∀;)
そんなこんなで、この橋は捕虜が感謝の気持ちを込めて築造したものなんだね!
ドイツと日本の友好の架け橋ということなんだ!
捕虜というと後ろで手を縛られて、言うことを聞かないヤツはお尻ペンペン!
みたいなイメージを持ってましたが、全然そんなことはなかった!
松江所長、最高だよ!
●めがね橋
●めがね橋
・1919年架橋
・石造 2連アーチ橋
その他、心眼の鏡池には小ぶりなめがね橋がありました。
この池と橋もドイツさんが築造したものなんだって。
メガネでメガネ橋を見る。
ちなみに、ドイツ橋は保存のために通行不可ですが、このめがね橋は通行可能です。
いやはや、胸アツなひと時でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・大麻比古神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・9:00~16:30
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
●サイズ
・16cm × 11cm
●初穂料(料金)
・1500円
・2009年10月10日 参拝
・2021年8月 更新
・大麻比古神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・9:00~16:30
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
●サイズ
・16cm × 11cm
●初穂料(料金)
・1500円
・2009年10月10日 参拝
・2021年8月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・3月~11月
6:00~17:00
・12月~2月
6:30~16:30
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・大鳥居まで
JR板東駅から徒歩15分
・社殿まで
JR板東駅から徒歩30分
●最寄りのIC
・神戸淡路自動車道
鳴門ICから車で10分
・高松自動車道
板野ICから車で20分
・徳島自動車道
藍住ICから車で15分
●最寄りのバス停
・不明
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(1000台)
・3月~11月
6:00~17:00
・12月~2月
6:30~16:30
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・大鳥居まで
JR板東駅から徒歩15分
・社殿まで
JR板東駅から徒歩30分
●最寄りのIC
・神戸淡路自動車道
鳴門ICから車で10分
・高松自動車道
板野ICから車で20分
・徳島自動車道
藍住ICから車で15分
●最寄りのバス停
・不明
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(1000台)