白峯寺の御朱印|四国霊場 第81番|崇徳天皇が眠る四国唯一の御陵。神仏人習合のお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県坂出市)

所在地香川県坂出市青海町2635
宗 派真言宗御室派
寺 格別格本山
札 所四国八十八ヶ所 第81番
前後札所 ・前 → 第80番札所・讃岐国分寺
・後 → 第82番札所・根香寺
本 尊千手観世音菩薩
真 言おん ばさら たらま きりく
由 緒815年、空海(弘法大師)がこの地を訪れ、白峯山の山頂に如意宝珠を埋めて閼伽井を掘り、衆生救済の請願をしたそうです。その後、860年に円珍(智証大師)が白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観世音菩薩を刻み本尊として安置。それがこのお寺の始まりといいます。1164年、讃岐国へ流罪となっていた崇徳上皇が崩御。遺体は白峯山で火葬され、山腹の白峰御陵に葬られたそうです。最盛期には21の寺坊を有する大寺院に発展しますが、1382年の火災で焼失。その後、再建され現在に至ります。
HP白峯寺::四国霊場第81番札所::

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白峯寺とは?


四国八十八ヶ所の第81番札所であります白峯寺に到着。

第80番札所・讃岐国分寺から13km。
徒歩2時間50分。
車で25分のところに位置しています。

白峯寺と書いてしろみねじと読みます。

●白峯寺とは?

815年、弘法大師がこの地を訪れた際、白峯山の山頂に如意宝珠を埋めて閼伽井を掘り、衆生救済の請願をしたそうです。

その後、860年に円珍(智証大師)が白峯山の山頂に吉兆の光を発見!
そんなこんなで、白峯山を登頂すると、地主神である白髪の老翁(白峯大権現)より神託を受けたという。

そして、光を放つ霊木で千手観音像を刻んで本尊とし、堂宇を創建したそうです。

それがこのお寺の始まりといいます。


1156年、保元の乱で敗れた崇徳上皇讃岐国流罪となり、現在の坂出市内にあった雲井御所に3年、鼓岡御所に6年幽閉され、1164年に崩御したそうです。

その後、遺体はこの地に運ばれ、白峯山で火葬され、山腹の白峯御陵に葬られたといいます。


1166年、西行法師が白峯御陵を参詣。
そして御陵の前で読経すると、崇徳上皇の霊が現れ、上皇と歌を詠み交わしたという。

以後、都に変事が相次いだので、1190年に後鳥羽天皇が崇徳上皇の霊を祀る廟所として頓証寺を建立。

そして1191年、崩御までの6年間を過ごした鼓岡御所の木の丸殿を移築して法華堂を建立。
その際、崇徳上皇が仁和寺で軟禁されているときに描いた自画像を奉納し菩提を弔ったそうです。

その後、21の寺坊を有する大寺院に発展しますが、1382年の火災で焼失。


1414年に後小松天皇が頓證寺と書かれた勅額を奉納。

1680年には高松藩主・松平頼重と頼常が頓証寺と勅額門を再建。


1868年、明治天皇が白峯御陵に勅使を派遣。
そして御陵の前で勅使に祝詞を読ませたそうです。

『保元年間に起きた一連の忌々しいことは、本当に哀しみの極みでした。京都御所の近くに新しい宮を造りましたのでどうぞ都にお戻りいただき、天皇と朝廷を末永くお守りください。』

その後、崇徳上皇の御霊は京都・白峯神宮に祀られ、現在に至ります。
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五色台

●五色台

白峯寺は香川県のほぼ中央にある霊峰・五色台にあります。

五色台はその名の通り五色の峯からなる山塊です。

●五色台
①白峰(標高336.9m)
②青峰(標高449.3m)
③黒峰(標高375m)
④黄峰(標高174.8m)
⑤赤峰(標高245m)

そんなこんなで、白峯寺は五色台の最も西にある白峰山中腹、標高280m付近にあるお寺さんです。

ちなみに、青峰には四国八十八ヶ所の第82番・根香寺があります。

五色台の名称は、古代中国の陰陽五行説に由来するそうです。

寺社巡りをしていると、たまに目にする陰陽五行説。
陰陽五行説とは、簡単にいうと陰陽思想五行説を合体したもの・・・と言いますが、私は阿保なのでいまいち理解できず。。

この手の話は嫁はんが詳しいので、いつも質問しているのですが・・・わかったようなわからないような(-“-;) ??

そんなこんなで、阿保なりに陰陽五行説を簡単にまとめてみました。

●陰陽五行説とは?

●陰陽説
陰陽説は宇宙のすべてを陰陽に分ける考え方で、自然界のあらゆるものは陰と陽の2つに別れてるんだって。

●陰と陽の代表例
太陽が陽でが陰
男性が陽で女性が陰
が陽でが陰
奇数が陽で偶数が陰

このように2つはになっていて、一方がなければもう一方も存在しないとする考え方のようです。


●五行説
五行説はこの世に存在するあらゆるものを木・火・土・金・水に当てはめる五行思想を形にしたものなんだって。

木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、 水は木を生むという、生の循環を意味してるそうです。

逆に木は土の栄養を奪い、土は水を吸い上げ、水は火を消し、 火は金を溶かし、金(刃物)は木を倒すというように相手を滅ぼす意味も含まれてるんだって。

陰と陽、そして五行はどっちが良くてどっちが悪いとかという話ではなく、互いのバランスで成り立っているというお話のようです。

陰陽五行説を簡単に言うとこんな感じのようですが、詳しい話になるとこんなもんじゃないみたい。

ということで、ここでは詳しく書きません。
なぜなら・・・理解できてないから。。(笑)


そんなこんなで、陰陽五行説が由来のこの山も互いにバランスをとって成り立っているのかな?

だから山容が平らなのかな?
だとしたら完璧なバランスだ!


そんなことより、白峯といえば崇徳天皇!
もはや白峯は崇徳天皇の代名詞です。

京都の白神宮は峯。
この白寺も峯。
崇徳天皇陵である白御陵も峯。

しかし、第79番・天皇寺の白宮は峰。
この白山も峰。

正式名称は白山なのに、由緒では白山・・・

峯と峰・・・同じ意味だけど、ブログを書くときにどっちがどうだったかこんがらがってイヤになっちゃいます。

ちなみに、このお寺は白山にある白寺です。

ややこし〜ぃ。

この記事も峯と峰が混在していますが、そこはツッコずにスルーしてください m(_ _)m

そんなこんなで、参拝開始。
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七棟門と手水舎と鐘楼

●山門(七棟門)

●山門(七棟門)
・1803年建立
・瓦葺 切妻造 高麗門
・国指定重要文化財

まず最初に登場するのは山門

なんと、この門は高麗門の両サイドに2段の屋根をもつという個性派の塀重門。


山門を上から見るとこんな感じです。

7つあることから七棟門と呼ばれています。

面白い門ですねぇ。


●手水舎

●手水舎
・1981年建立
・銅板葺 切妻造

続いて、手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・明治時代建立
・瓦葺 切妻造

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。


本日は雨が降ったり止んだりです。

梅雨だから仕方ないのですが、何で週末だけ雨なんだよ!

平日はメッチャ晴れてたじゃん・・・。

過去のトラウマからか、山奥でのドシャ降りはザワザワしていて不気味で怖いのです。
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本堂と大師堂

●本堂

●本堂
・1599年建立
・瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

●本尊
・千手観世音菩薩

●真言
・おん ばさら たらま きりく

そして、本堂で参拝。

本堂は1599年に建立された古建築。

私が参拝したときは文化財に指定されていませんでしたが、どうやら2017年に国重文に指定されたみたいです!

ちなみに2017年の文化財指定の際は本堂の他に、大師堂・阿弥陀堂・行者堂・薬師堂・頓證寺殿・勅額門・客殿・御成門・勅使門・七棟門も国重文になりました。

ということで、境内の建造物はほとんどが国重文になっています(スゴっ)


●本尊 千手観世音菩薩
・鎌倉時代作
・坂出市指定有形文化財

本尊は千手観音さん。
脇侍として愛染明王と馬頭観音さんが安置されているそうです。

なんと御本尊さまは円珍(智証大師)と白峯大権現(天狗)の合作といわれています!

しかし残念ながら秘仏のため拝顔することはできず。。

ちなみに、毎年7月10日に御開帳されるそうですよ。

御開帳の時間は午前10時から始まる法要の間だけのようですので、ピンポイントで狙っていかないと厳しいと思われます。

その他、このお寺には寺宝としていくつかの仏像さんがおられるそうです。

●吉祥天立像
・平安時代作
・像高 44cm
・榧材 一木造
・香川県指定有形文化財

●十一面観世音菩薩立像
・鎌倉時代作
・坂出市指定有形文化財

●不動明王坐像
・鎌倉時代作
・坂出市指定有形文化財

●金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅
・平安時代〜鎌倉時代作
・坂出市指定有形文化財

このお寺は、明治政府によって白峯御陵の管理が宮内省に移り、さらに寺領を没収され、塔頭の一乗坊・宝積院・円福院が廃寺に、そして白峯寺は無住のお寺になってしまったという歴史があります。

明治政府は無檀家・無住寺院は廃寺にするという通達を出していたため、この白峯寺の存続はピンチを迎えてしまいました。。

しかし、信徒たちが住職選定を願い出て、新住職を迎え、廃寺を免れたそうです。

しかし、1878年に勅額門と頓証寺殿が白峰神社となり、金刀比羅宮の摂社になってしまったという。

その際、数々の寺宝金刀比羅宮に移されたんだって。

その後、それを不服とした住職と信徒は裁判を起こして勝訴
そんなこんなで、寺宝のごく一部が白峯寺に戻ってきたそうです。

1965年にも寺宝の返還を求めて裁判を起こしますが、残念ながら敗訴となってしまいました。

ということで、白峯寺の仏像さんは明治政府に翻弄され、そしてお寺関係者の尽力で戻ってこられたお方たちなんですね。


●大師堂

●大師堂
・1811年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
・国指定重要文化財

続いて、大師堂を参拝。

ネットの情報によると、堂内中央に弘法大師像。
そして左に稚児大師。
右に青面金剛が安置されてるんだって。

しかし本堂同様、こちらも秘仏のため拝顔することはできませんでした。

どうやら御開帳の予定はないみたいです。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
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勅額門と頓証寺殿と白峯御陵

●勅額門

●勅額門
・1680年建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
・国指定重要文化財

続いて、勅額門へ。

かつてこの門には後小松天皇が揮毫した勅額が掲げられていたんだって。

そのため、この門は勅額門と呼ばれています。

ちなみに、その勅額は国重文に指定されていて、現在は宝物館で保管されているそうです。

門には源為義さんと源為朝さんの武者像が安置されているそうですが、扉が閉っていたため拝顔することはできませんでした。

どうやら、現在の武者像は新しく寄進されたもののようで、もともとの像は明治時代に金刀比羅宮の白峰神社に移されちゃったみたいです。

ということで、寺宝の返還を求めて行った裁判で戻ってこれなかった像となりますね。

ちなみに新造された武者像は、修正会・正月大護摩法要・大般若お加持法要の際に御開帳されるそうですよ。


●頓証寺殿

●頓証寺殿 拝殿
・1680年建立
・銅板葺 軒唐破風付き入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、頓証寺殿で参拝。
頓証寺殿と書いてとんしょうじでんと読みます。

頓証寺殿にお祀りされているお方は崇徳さん!

崇徳さんをお祀りするこの頓証寺殿と、崇徳さんが眠る白峰御陵は、このお寺のハイライトとなります!

頓証寺殿は拝殿3つの奥殿からなる複合型のお堂(社?)になっていました。

もともとこの建物は、崇徳さんの廟堂として頓証寺という名で建立されました。

しかし明治時代、頓証寺は金刀比羅宮の摂社・白峰神社になりました。

その後、金刀比羅宮から返還され、頓証寺殿という名になったそうです。

そのような歴史があるため、頓証寺殿というお寺なのか神社なのかわからない、どっちつかずの名前になったと思われます(推測)


●奥殿の御本尊 or 御祭神
・左 → 白峯大権現相模坊
・中 → 崇徳天皇
・右 → 十一面観世音菩薩

なんと、神・仏・人の3者が一堂で祀られているという珍しい形式になっていました!

神仏習合ならぬ、神仏人習合です!

これは面白いですねぇ。


ちなみに白峯大権現相模坊とは日本八天狗ならびに讃岐三天狗の1狗です。

白峯大権現相模坊は、白峯寺の鎮守ならびに崇徳上皇の守護神といわれています。

●日本八天狗
①愛宕山太郎坊
②比良山次郎坊
③飯綱三郎
④鞍馬山僧正坊
⑤大山伯耆坊
⑥彦山豊前坊
⑦大峰山前鬼坊
白峰相模坊
別格 石鎚山法起坊

●讃岐三天狗
①金刀比羅宮の金剛坊
②八栗寺の中将坊
白峯寺の相模坊


●白峯御陵

そんなこんなで、崇徳天皇が眠る白峯御陵を参拝。

この白峯御陵は四国で唯一の御陵となります。

雨で霧がかった不気味さのせいか、はたまた祟りを恐れてか、なんとなく写真を撮るのを遠慮してしまいました。

気のせいだと思いますが、頭がガンガンしてしまったのです・・・((((;゚Д゚))))

お墓に来るとたまにこうなるのです・・・これは一体なんなんでしょ?

ということで、この写真はWikipedia様から頂きました!

非業の死をとげた崇徳さんはこの山で火葬され、そしてこの地に葬られました。

崇徳さん、安らかにお眠りください(-人-)

●ザックリと簡単に崇徳天皇とは?

ザックリと簡単に崇徳天皇とは第75代天皇のことです。

歴代天皇の中でトップクラスに不幸な生涯を過ごしたお方。
そして日本三大怨霊の1人として知られるお方です。


崇徳天皇は、第74代・鳥羽天皇第一皇子

当時、実権を握っていたのは鳥羽天皇ではなく祖父の白河法皇

崇徳さんが3歳のとき、白河さんは鳥羽さんに譲位を迫り、崇徳さんを天皇にしました。

崇徳さんが天皇に即位したことで、本来なら鳥羽さんが院政を行うのが順当・・・しかし政治の実権は白河さんが握ったままで鳥羽さんは政治に関わることができませんでした。

そんなこんなで、絶対的な権力を持つ白河さんは元気いっぱいにワンマン政治を執り行いました。

そして鳥羽さんは何の権限もなく悶々とした日々を過ごすことに・・・。

しかし、それ以上に鳥羽さんにとってやるせないことがありました。

それは、崇徳さんの誕生についての噂です。
鳥羽さんの嫁・待賢門院白河さんとの不倫でできた子供・・・それが崇徳さん!

つまり崇徳さんの父は祖父の白河さん・・・という噂が広まっていました。
どうやら白河さんはアッチの方も元気がよかったみたいです。

そんなこんなで、鳥羽さんは崇徳さんと白河さんのことが大嫌いで仕方ありませんでした。

嫁を爺ちゃんに寝取られた鳥羽さん・・・。

それでも絶対的な権力を持つ白河さんに逆らうことはできませんでした。


しかし白河さんが亡くなると、鳥羽さんは実権を握ることに!
そして今までの鬱憤を晴らすかのように逆襲に打ってでます。

大嫌いな崇徳さんを退位させ、わずか2歳の我が子・近衛天皇を即位させました。

しかし、近衛天皇は若くして急死・・・。

そして、もう1人の子・後白河天皇を即位させました。

その間、崇徳さんはといえば・・・無視されっぱなしの日々。
心中穏やかではありません。

しかし、鳥羽さんが亡くなると崇徳さんは動き出します。

後白河 vs 崇徳の権力争いが勃発!
いわゆる保元の乱が始まりました。

しかし勝ったのは後白河さん。

負けた崇徳さんは讃岐国(香川県)へ流罪となりました。


崇徳さんは流刑先の讃岐で、戦で亡くなった方々の供養をするため写経をする日々を送りました。
そして何百巻という写本ができあがりました。

そんなある日、崇徳さんは『どうかこの写経を京のお寺に納めてほしい』と朝廷に送りました。

しかし!

後白河さんは『この写経には呪いが込められているかも!』といって受け取らず、送り返してしまいました。

このことにはさすがの崇徳さんも激おこプンプン丸!

ブチ切れた崇徳さんは、自分の舌を噛み切って流れ出たで『日本の大魔王となって天皇の座を引きずりおろしてやる!』と書きつづった誓文を海に沈めます。

それ以来、崇徳さんはも切らず・・・その風貌は生きながら天狗になったと噂されるほどでした。


しかし1164年。

崇徳さんはお亡くなりになりました。

享年46歳。

生前、崇徳さんは『いつかは京に帰りたい・・・』と願っていましたが、願いは叶わず遺骨はそのまま四国の白峰山埋葬されました。

※ちなみに画像は崇徳天皇陵がある白峯寺
(2011年6月12日 参拝)


埋葬時、激しい風雨と雷鳴が轟き、そして棺桶から真っ赤なが流れ出たという!

そして火葬の煙は都に向かってまっすぐにたなびいたという!

そうです、崇徳さんの怨霊伝説の始まりです!

そして崇徳さんの呪いが天皇家と京に襲いかかります。

延暦寺の強訴・安元の大火・鹿ケ谷の陰謀といった動乱が続き、さらに後白河天皇さんに近い人々が次々と死んでいきました。

あげく鎌倉幕府の誕生。
政治の実権が天皇から武士に移ってしまったのです。

以後、約700年にわたり武士による政権が続くことになりました。


時は流れて明治時代前夜。
政治の実権が天皇に戻る頃のお話し。

明治天皇は崇徳さんが眠る讃岐に使者を送り出し、白峯寺にある崇徳さんのお墓を参拝。

そして崇徳さんの御霊を輿に載せて京都にお迎えして祀りました。

それが現在、京都市上京区に鎮座する白峯神宮です。

生前、『いつかは京に帰りたい・・・』と願っていた崇徳さん・・・約700年ぶりに京に戻ってこれたという!

なんだか泣けますね。。。

崇徳さん、安らかにお鎮まりください。

※画像は京都・白峯神宮。
(2010年9月4日 参拝)
白峰宮の御朱印~日本三大怨霊・崇徳天皇を祀る~(香川県坂出市)
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薬師堂・行者堂・護摩堂・瑜祇塔など

●薬師堂

●薬師堂
・江戸時代後期建立
・瓦葺 一重裳階付き宝形造
・国指定重要文化財

続いて、薬師堂を参拝。

見た目は2重のお堂に見えますが、下の屋根は裳階となるため実際は一重のお堂となります。

本尊は薬師如来さん。
脇侍として日光・月光菩薩さんが安置されているそうです。

いわゆる薬師三尊像です。

その他、薬師さんの眷属である十二神将さんと、金剛界・胎蔵界の大日如来さんが安置されてるんだって。

しかし、全て秘仏のため拝顔することはできませんでした。


●行者堂

●行者堂
・1779年建立
・瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、行者堂を参拝。

本尊は役小角さん。
その他、閻魔さん、十王さん、お地蔵さん、虚空蔵さんが安置されているそうです。

しかし、こちらも拝顔することができませんでした。


●護摩堂

●護摩堂
・1986年建立
・銅板葺 妻入り入母屋造

堂内には五大明王をはじめ、毘沙門天、普賢菩薩、弘法大師、蔵王権現、阿弥陀如来、歴代高松藩主、歴代先師の位牌が安置されていました。

ちなみに、堂内には納経所があります。


●瑜祇塔

●瑜祇塔
・1829年建立

本堂の近くには贔屓の上に建てられた瑜祇塔がありました。
瑜祇塔と書いてゆぎとうと読みます。

四国霊場で瑜祇塔が登場するのは第23番・薬王寺以来2度目となります。

屋根に5本の相輪が立っているのが面白いですね。
この相輪は金剛智慧の五峯を表してるんだって。

●瑜祇塔とは?
瑜祇塔は、天と地の和合を説く瑜祇経の教えに基づいて、瑜祇経の教理を形として表した塔だという。

瑜祇経には、世の中のものは皆2つの相対したものからできているが、これが1つになることによって世界の平和や家庭の幸福の基礎があると説かれているんだとか。

なんとなく、先ほど話した陰陽思想に似てるような?

●客殿

●客殿
・1673~1680年建立
・国指定重要文化財

玄関しか拝見できませんでしたが、七棟門の近くには客殿がありました。


●干支の守り本尊

あと、境内のあちこちに干支の守り本尊がおられました。


●石造五重塔

あともう1つ気になったのが、カラフルでアーティスティックな五重塔!


カラフルな小石でパッチワーク的にモザイク的に仕上げているという、メルヘン度の高い塔でした。

何だろう・・・夏休みの工作みたいだね。

その他、境内には勅使門・御成門・阿弥陀堂・廻向堂・石造十三重塔・玉章の木などなど・・・

もうキリがないので強引に終わります!


そんなこんなで、参拝終了。

第82番・根香寺へ続く。

次の札所
根香寺の御朱印|四国霊場 第82番|怪現象が続いた五色台・・・100%空元気|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県高松市)
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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥之院 毘沙門天の御朱印
・十一面観音の御朱印(崇徳天皇念持仏)
・白峯大権現相模坊の御朱印
・満願証(大願成就)

※2018年1月1日から4年間、散華の授与や記念スタンプがあります。

●御朱印の受付場所
・納経所(護摩堂内)

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥之院 毘沙門天 300円
・十一面観音(崇徳天皇念持仏)300円
・白峯大権現相模坊 300円
・満願証(大願成就)300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年6月12日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・あり(春期秋期のみ)
・団体のみ
・不定休
・要予約

●前後札所
・第80番札所・讃岐国分寺へ13km
 徒歩2時間50分
 車で25分

・第82番札所・根香寺へ7.5km
 徒歩2時間
 車で12分

●最寄りの駅
・JR鴨川駅から徒歩2時間10分
・JR鴨川駅から車で20分

・JR坂出駅から徒歩2時間30分
・JR坂出駅から車で25分

●最寄りのバス停
・琴参バス
 JR坂出駅前から王越・大屋富行きに乗車
 高屋(登山口) バス停で下車
 徒歩1時間

●最寄りのIC
・高松自動車道・瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)
 坂出ICから車で20分


・高松自動車道
 高松檀紙ICから車で20分


●駐車場
・無料の専用駐車場あり(250台)

白峯寺の地図

 

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