瑠璃光寺の御朱印|大内文化の最高傑作!国宝・五重塔!(山口県山口市)

所在地山口県山口市香山町7−1
宗 派曹洞宗
由 緒室町時代、大内氏第10代当主・大内義弘が、現在地に香積寺を建立したのが始まりといいます。1471年、陶氏第7代当主・陶弘房の夫人が、夫を弔うために現・山口市仁保高野に安養寺を建立し、後に寺号を瑠璃光寺と改めたそうです。1604年、毛利輝元が香積寺を萩に移したため、香積寺跡地に瑠璃光寺を移転。それが現在の瑠璃光寺といいます。 国宝・五重塔は、応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死した大内義弘の菩提を弔うために、弟・大内盛見が建立したものといわれています。
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瑠璃光寺とは?


日本三名塔の1つ、国宝・五重塔がある瑠璃光寺に到着。

このお寺の正式名称は保寧山 瑠璃光寺
ほねいさん るりこうじと読みます。

瑠璃光寺は、大内家の筆頭家老で周防国の守護代をつとめた陶弘房さんの菩提寺です。


ちなみに、お寺は香山公園の敷地内にあります。

公園内には瑠璃光寺の他に、瑠璃光寺資料館・露山堂・枕流亭・毛利家墓所などの見どころがあり、山口市を代表する観光スポットとなっております。

●瑠璃光寺とは?

瑠璃光寺の歴史は、香積寺仁保瑠璃光寺が移転を繰り返したことによって造営されたお寺となっております。


●香積寺
室町時代、大内氏第10代当主・大内義弘さんが、現在地に香積寺を建立。

ちなみに、香積寺の宗派は臨済宗だったそうです。

義弘さんは室町幕府3代将軍・足利義満を支えて存在感を高めました。

そして領国を周防・長門・石見・豊前・和泉・紀伊の6ヶ国まで広げ、有力な守護大名となりました。

しかし、その勢力が将軍・足利義満の目にとまり危険視されるようになりました。

そして敵対関係に・・・。

耐えかねた義弘さんは足利家に対して応永の乱を起こしますが、1399年に戦死してしまいました。

そんなこんなで、第11代当主・大内盛見さんが兄の菩提を弔うために五重塔の造営を開始。

しかし1431年、盛見さんも九州の少弐氏・大友氏との戦いで戦死してしまいました。

その後、1442年頃に五重塔完成したといわれています。


ちなみに江戸時代の伝承によると、広島市にある国宝・不動院 金堂は、もともと香積寺仏殿だったのではないかと考えられているそうです。


●仁保瑠璃光寺
1471年、陶氏第7代当主・陶弘房さんの夫人が、夫を弔うために現・山口市仁保高野に安養寺を建立。

その後、1492年に安養寺は瑠璃光寺と改称しました。

1586年、北九州・小倉で亡くなった吉川元春さんの霊牌所となり、元春さんの法名にちなみ海翁寺と称しますが、後に瑠璃光寺復称

長門・大寧寺、周防・龍文寺とともに中国三ヶ寺の1つで、最盛期には中国地方に170以上の末寺を有するまでに発展したそうです。


●現在の瑠璃光寺
1604年、関ヶ原の戦いの敗戦により防長二州に減封となった毛利輝元は広島からに拠点を移すことになりました。

その際、香積寺も五重塔を残してに移ることになりました。

そんなこんなで、香積寺跡地に仁保瑠璃光寺を移転

それが現在の瑠璃光寺といいます。


ちなみに香積寺が萩に移る際、五重塔も移築する予定だったんだって。

しかし、住民たちが大反対したため、移築を断念したのだとか!

まさか五重塔の移築計画があったとはね。

今も昔もこの五重塔は住民に愛され、山口市のシンボルとして親しまれてるんだね。

そんなこんなで、参拝開始。
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山門と鐘楼と回廊

●山門

●山門
・江戸時代中期建立
・瓦葺 切妻造 四脚門

まず最初に登場するのは山門

山門の両サイドは回廊で繋がっていました。

回廊で囲まれた伽藍配置は曹洞宗らしい光景だね。


扁額には山号の保寧山。

そして幕には五七桐紋久我山竜胆紋がありました。

これは寺紋ではなく曹洞宗の宗紋となります。


ちなみに、瑠璃光寺の寺紋は九曜紋

九曜紋は毛利元就の次男・吉川元春さんの家紋です。

って、陶氏の菩提寺なのに何で吉川元春さん!?

陶氏ちゃうんか〜ぃ!

って感じですが、実は大内氏が滅亡した後、この地は毛利氏が領していました。

1586年、毛利元就の次男・吉川元春さんが小倉で亡くなった際、瑠璃光寺11世・華翁和尚がこのお寺を元春さんの霊牌所とし、法号にちなんで海翁寺と改称。

そして元春さんの意向により寺紋を九曜紋にしたんだって。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰

回廊の途中には鐘楼がありました。

これもまた曹洞宗ならではの光景ですね。


本堂へは回廊を通って行くこともできますが、参道を直進して本堂へ向かうことにしました(特に理由はありません)
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本堂と薬師堂と開梆

●本堂

●本堂
・建立年不明
・銅瓦葺 妻入り入母屋造
・御本尊 薬師如来

そんなこんなで、本堂に到着。

瑠璃光寺という寺号でもわかるように、御本尊は薬師如来さん。

薬師如来さんは東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土)に住んでおられます。

薬師如来という名前で知られていますが、正式な名前は薬師瑠璃光如来といいます。


本堂前には大きなシャモジ檑木(すりこぎ)がありました。

これは『我が身を摩り減らして人を救う』という佛の心を象徴するものなんだって。


●薬師堂

●薬師堂
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
・御本尊 長寿薬師如来

続いて、薬師堂を参拝。

お堂の前にはカチカチと回す大数珠がありました。

どうやら、大数珠を回して数珠玉を8個落すと煩悩を払うことができるそうです。

このタイプの数珠はゆっくりと願いを込めながらカチ・・・カチ・・・と回すのが正式な作法と思いますが、後ろに行列ができている気配を感じたので

カチカチカチカチカチカチカチカチカチ!

多分、8個以上落ちたような気がします!

仏さまに失礼だわ

こんなことならやらない方が逆に礼儀正しい(笑)


そんなことより、薬師堂内には御本尊の長寿薬師如来さんと高祖承陽大師さんが安置されていました。

ちなみに高祖承陽大師とは、曹洞宗の開祖・道元さんのことです。


●開梆(かいぱん)

●開梆
・江戸時代初期作

総受付の前には禅宗寺院のマストアイテムであります開梛がありました。

なんと、この開梆は約550年前のものなんだって。

ということで、香積寺の跡地に仁保瑠璃光寺を移転したときに作られたものなのかな?

そんなことより、開梆は魚梆もしくは魚板とも呼ばれ、腹を叩いて時刻を知らせるためのものです。

ちなみに開梆は木魚の原型といわれています。

口にくわえている玉は、人間の心に潜むという煩悩のかたまりで、腹を叩くことによって煩悩の玉を吐き出させるという意味があります。

●貪瞋痴とは?
(とん) → 貪り(むさぼり)
(じん) → 怒り
(ち)  → 愚かさ

ちなみに、本格的に木魚を使い始めたのは黄檗宗の開祖・隠元さんといわれています。


●その他の見どころ


その他、境内には一畑薬師山口分院・身代わり地蔵さん・仏足石・吾唯足知のつくばい・経塚(石造五重塔)・池に建つ石塔などがありました。
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五重塔

●五重塔

●五重塔
・1442年頃建立
・檜皮葺 五重塔
・総高 31.2m
・国宝

そんなこんなで、山口市のシンボルであります五重塔を参拝。

瑠璃光寺の五重塔は、京都・醍醐寺、奈良・法隆寺とともに日本三名塔の1つに数えられています。

そして、屋外にある五重塔としては日本で10番目に古い塔なんだって。


この塔の美しさの理由は、何と言っても屋根の優美さ!

屋根は日本独自の伝統技法であります檜皮葺で、反りは緩やかで優雅。

どことなく女性的な優しさを感じる美塔でした。



国宝の五重塔は全9件。

なんと、檜皮葺の国宝・五重塔は瑠璃光寺室生寺のみだという!

一応、全ての国宝・五重塔を拝見してきましたが、瑠璃光寺の五重塔は他の塔にはない上品さがあり、優美さでいえばダントツで日本一の塔だと勝手に思っております(個人的感想)

●国宝・五重塔
①羽黒山(山形県鶴岡市)
②興福寺(奈良市)
③法隆寺(奈良県斑鳩町)
④室生寺(奈良県宇陀市)
⑤教王護国寺 東寺(京都市)
⑥醍醐寺(京都市)
⑦海住山寺(京都府木津川市)
⑧明王院(広島県福山市)
⑨瑠璃光寺(山口市)


一部、禅宗様の特徴が見られますが、基本的な建築様式は和様。

余計な装飾はなく、とてもシンプルなところがより日本的な美を強調しているような気がしました。

正面から見ると、塔身がスリムなことがわかります。

そして上層にいくほど各層の高さが狭くなっていることもわかります。

おそらく、これは塔を高く見せるための工夫なのではないか・・・と、勝手に思っております。


2層目〜4層目に比べ、初層は横幅が広く、そして柱が太かったです。

さらに観察してみると、1層〜4層までは緩やかな勾配なのに、5層目の屋根だけ強く反り上がっていることに気づきました。

さらに、2層目だけに廻縁高欄があることにも気づきました。

①塔身がスリム。
②上層にいくほど各層の高さが狭い。
③5層目の屋根だけ強く反り上げる。
④2層目だけ廻縁と高欄がある。
⑤装飾は少なくシンプルに。

各層に変化をつけることによって見た目のバランスと安定感をとり、そして完璧なプロポーション、ナイスバディを造りあげちゃいました!

この計算された美が、瑠璃光寺・五重塔の魅力だと勝手に思っております。

いやはや、大内文化の最高傑作といわれるのも納得!


●五重塔 内陣特別公開

本日は運良く内陣特別公開が行われていました!

これはラッキー!


初層の内陣には、僧形の大内義弘像阿弥陀如来像が安置されていました。

僧形の大内義弘像とは珍しいですね!

通常、須弥壇は方型ですが、この塔の須弥壇は円型になっているという!

なんと!

仏塔で円型の須弥壇があるのは日本で唯一なんだって!


本日は内陣特別公開ということもあって、塔の周りにはたくさんの観光客がおられました。

そんなこんなで、さりげなく団体客に混じって、前後左右から聞こえてくるガイドさんの説明を盗み聞きしてきました。

ふむふむ・・・

へぇ〜

なるほど〜。

って、えっ!?

なんと、塔の下には仏舎利ではなく大内義弘さんの(ひつぎ)が埋められているのだとか!

この五重塔は、時の将軍・足利義満に牙を剥いて戦死した大内義弘さんの供養塔です。

大内義弘さんは応永の乱で戦死した後、大坂のに葬られたそうです。

その後、瑠璃光寺の前身である香積寺に改葬され、供養塔としてこの五重塔を建立。

その際に柩を埋めたということなのかな!?


その他、内陣にはたくさんの経本が収蔵されていました。

あと、ガイドさんのお話によると、2階は真っ暗で何も見えないとのことです。



五重塔の周辺は香山公園として整備されていて、花の名所としても知られています。

香山公園にはソメイヨシノが約170本。
白梅と紅梅が40〜50本植えられているという。

さらに紅葉シーズンになると周りの木々が色づき、冬には雪と五重塔のコラボも楽しめるという。

そんなこんなで、シーズンになると大勢のカメラマンが訪れる映えスポットとしても知られています。

ちなみに五重塔周辺の芝生広場で、シートを引いてお花見をしている人もいましたよ。


●五重塔 ライトアップ

夜になるとライトアップされます。

ライトアップは毎日行われているそうなので、夜の瑠璃光寺も見どころの1つです。

●五重塔 ライトアップ
・期間 毎日
・時間 日没〜22時



●山口ゆらめき回廊

その他、毎年秋には山口ゆらめき回廊が行われます。

開催期間中は、1000個のキャンドルに火が灯り、幻想的な世界に彩られます。

ちなみに、開催日時は毎年違いますので公式サイトでチェックしてからお出かけください。

公式サイトはこちら

※コロナ禍により中止あり
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うぐいす張りの石畳と香山墓所

●うぐいす張りの石畳

そんなこんなで、瑠璃光寺からちょっと離れた場所にある香山墓所へ。

香山墓所の参道は石畳が敷き詰められていました。

なんとこの石畳の上で手を叩いたり足踏みをすると、音が反響してこだまするという。

その音がうぐいすの鳴き声のように聞こえることからうぐいす張りの石畳と呼ばれてるんだって。

うぐいす張りの廊下はたまにお見かけしますが、石畳バージョンもあるとはね!


●香山墓所

●香山墓所
・明治時代造営
・国の史跡

そんなこんなで、うぐいす張りの石畳を歩いて香山墓所に到着。

香山墓所には長州藩13代藩主・毛利敬親さんを始め、14代藩主・毛利元徳さんなどのお墓がありました。

ちなみに長州藩主の墓所は香山墓所の他に、萩市の天樹院大照院東光寺にもあります。



天樹院跡
・藩祖 毛利輝元

大照院
・初代藩主 毛利秀就
・2〜12代の偶数代藩主

東光寺
・3~11代の奇数代藩主

香山墓所(瑠璃光寺)
・13代藩主 毛利敬親
・14代藩主 毛利元徳


大内弘世と大内文化

●大内弘世像

香山公園には大内弘世さんの銅像がありました。

ちなみに、大内弘世さんは大内氏の9代当主で、西の京・大内文化の基礎を築いたお方です。

●西の京・大内文化とは?

1363年、周防国と長門国を統一した弘世さんは室町幕府2代将軍・足利義詮に謁見するためを訪れたそうです。

その際、京の高い文化や情緒に感銘を受け、また山口の地形が似ていることから山口に京を模した町づくりを始めたという。

弘世さんは一の坂川を京の鴨川に見たて、大路・小路といった京風の町を整備するとともに京から文化人を招いたそうです。

当時、京の町は戦乱で荒廃していたため、日本一の経済基盤を有する大内氏の財力を頼って多くの文化人公家が山口を訪れていたそうです。

大内氏は広大な領国を支配していましたが、石高自体は突出していたわけではありませんでした。

しかし商業地・博多や港町・門司の支配、さらに博多商人による貿易や銀山の運営などで莫大な利益を得ていたため、経済力は諸大名の中で突出していたそうです。

さらに、大内氏は朝鮮との貿易を独占して膨大な利益を得ていました。

ちなみに石見銀山の銀産出量は世界の3分の1を占めていたといいます。

貿易における主な輸入品と輸出品はこちら。

●輸出品
・鉱物(硫黄・銀・銅)
・漆器・扇子・刀剣・屏風・硯

●輸入品
・銅銭(永楽通宝)
・生糸・絹・織物・典籍・陶器

そんなこんなで、室町時代末期には京をしのぐほどにまで繁栄し、やがて西の京と呼ばれるようになったという!

また、大内氏は明・朝鮮・琉球など東アジアとの交易・交流を盛んに行っていたことから、外国文化を取り入れた独自の文化に発展。

そして、この山口で京の文化と外国の文化が融合し大内文化が花開いたという!


1551年、16代当主・大内義隆さんはフランシスコ・ザビエルの滞在とキリスト教の布教を許可。

そして日本初の南蛮寺である大道寺で日本初のクリスマス行事が行われるなど、大内文化は西洋の文化も流入していくことになりました。


しかし大内文化の遺構は室町時代末期の戦乱で焼失してしまい、幻の都市となってしまいました。

当時の繁栄を知ることのできる大内文化の遺構は、瑠璃光寺・五重塔や常栄寺・雪舟庭など、ごくわずかなものになっています。

●大内文化の遺構
・瑠璃光寺 五重塔
・常栄寺 雪舟庭
・龍福寺
・大内氏館跡
・大道寺(現・聖ザビエル記念公園)
・古熊神社 本殿
・八坂神社 本殿
・花岡八幡宮 閼伽井坊
・筥崎宮 本殿など


そんなこんなで栄華を極めた大内氏ですが、義隆さんは和歌や連歌や芸能など、公家文化へ関心を示し、束帯姿で牛車に乗るなど、まるで貴族のような暮らしをするようになりました。

そして武断派を遠ざけ、公家や文化人などを重用するようになりました。

そのことにより、家臣や国人の不満は高まっていくことに・・・。

そして1551年、武断派の陶晴賢は文化風流に傾倒する義隆さんへの不満が爆発し、謀反の兵を挙げました。

追い詰められた義隆さんは大寧寺自害(大寧寺の変)

その後、大内氏は滅亡しました。。


大寧寺の御朱印|大内義隆の終焉地|境内はまるで石塔の博物館|(山口県長門市)
所在地山口県長門市深川湯本門前1074−1宗 派曹洞宗由 緒1410年、大内氏の一族で、長門国・深川城主の鷲頭弘忠が深川城内に創建したのが始まり。1551年、大内義隆が家臣・陶隆房(晴賢)の謀反に遭い山口...
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枕流亭

●枕流亭

香山公園内には枕流亭という建物もありました。
枕流亭と書いてちんりゅうていと読むそうです。

もともとこの建物は長州藩主・毛利氏が参勤交代の際に山口の本陣として使用した豪商・安部家の離れだったんだって。

その後、2〜3度移築した後、1960年に現在地に移されたそうです。

そんなことより!

幕末期にこの建物で薩長連合の密議が行われたという!

1867年、薩摩の藩士の西郷隆盛大久保利通小松帯刀大山格之介らが山口に来訪し、長州藩の木戸孝允広沢真臣伊藤博文品川弥二郎らに迎えられたんだって。

そして薩長の藩士がこの建物で薩長連合の密談を重ね、江戸幕府を倒すため連合討幕軍の結成を誓ったという!

薩長のビッグネームがこの建物に!!!

スゴっ!

そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、見どころ特盛のお寺さんでした。

御朱印情報

●御朱印の種類
・瑠璃光寺の御朱印

●御朱印の受付場所
・総受付

●御朱印の受付時間
・9:00~17:00

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし


●オリジナル御朱印帳

●サイズ
・16cm × 11cm

●料金
・御朱印帳のみ 1500円
・御朱印込み  1800円 

・2022年6月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●資料館
・9:00~17:00
・大人 300円
 中高生200円
 小学生100円

●最寄りの駅
・JR上山口駅から徒歩25分
・JR上山口駅から車で6分

・JR山口駅から徒歩35分
・JR山口駅から車で7分

●最寄りのバス停
・防長バス
 香山公園五重塔前 バス停で下車 徒歩1分

・山口市コミュニティバス
 大内ルートに乗車
 香山公園五重塔前 バス停で下車 徒歩1分

●最寄りのIC
・中国自動車道
 山口ICから車で15分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(100台)

瑠璃光寺の地図

 

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