所在地 | 山口県山口市三の宮2丁目6−22 |
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祭 神 | 住吉三神・下照姫命・味耜高彦根命 |
社 格 | 周防国三宮・式内社(小)・旧県社 |
由 緒 | 創建年は不詳。しかし平安時代に編纂された文徳実録や延喜式神名帳などに記載されていることから、それ以前には存在していた神社といわれています。1104年、 宮の前から現在地に遷座。1497年、九州の戦いから帰った大内義興が、周防国の一宮から五宮の順で戦勝報告をしたそうです。その際、この神社は古くから周防国の三宮だったことから3番目に参詣を受けたといわれています。1569年、大内輝弘の乱で焼失しましたが、その後に毛利輝元が再興。しかし1712年に再び焼失。そんなこんなで、1720年に再建され現在に至るそうです。 |
HP | 仁壁神社からのお知らせ |
鳥居と石橋と狛犬
●境内入口本日はレンタサイクルで西の京・山口を旅しています。
そんなこんなで、周防国の三宮であります仁壁神社に到着。
仁壁神社と書いてにかべじんじゃと読みます。
オンボロの私は久々に自転車をこいだのでモモと股関節が痛くなってきました。
自転車ってこんなにしんどかったっけ・・・。
と思ったら
空気が抜けとるやないか〜ぃ!
なんだ、このオンボロチャリ・・・
そんなこんなで、私も自転車もボロボロになりながらたどり着いたのでありました。
●鳥居①
●鳥居①
・江戸時代前期建立(?)
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
鳥居の柱には大江綱廣朝臣という文字を確認することができました。
大江綱廣朝臣とは長州藩2代藩主・毛利綱広さんのことなので、江戸時代前期に建立された鳥居なのでしょうか?
ちなみに鳥居の両サイドにある石灯籠は1835年に寄進されたものでした。
●参道
そんなことより、この神社は古くから周防国の三宮なんだって。
そのため、この神社は通称・三の宮さまと呼ばれているそうです。
①周防国一宮 玉祖神社
②周防国二宮 出雲神社
③周防国三宮 仁壁神社
④周防国四宮 赤田神社
⑤周防国五宮 朝田神社
②周防国二宮 出雲神社
③周防国三宮 仁壁神社
④周防国四宮 赤田神社
⑤周防国五宮 朝田神社
由緒によると、1497年に九州での戦いから帰った大内義興さんが、周防国の5社で戦勝報告をしたそうです。
その際、大内義興さんは一宮から五宮の順で参拝したんだって。
そんなこんなで、この仁壁神社は三宮ということで3番目の参詣を受けたそうですよ。
古くから各地域で格式が高い順に一宮・二宮・三宮と呼ばれてきました。
しかし時代とともに一宮だけが残り、二宮・三宮などが存在しない地域が多くなりました。
そんな中、周防国はいまだに一宮から五宮が残っているというね!
これはなかなかレアなケースですね。
●石橋(太鼓橋)
●石橋(太鼓橋)
・1865年寄進
続いて、見るからに古そうな石橋が登場。
どうやらこの石橋は1865年に寄進されたもののようです。
前年の1864年には禁門の変や第一次長州征討や高杉晋作さんの功山寺挙兵などなど。
翌年の1866年には薩長同盟や四境戦争(第二次長州征討)などなど。
そんなこんなで、この石橋は激動の幕末の最中に寄進されたもののようですね!
ということで、幕末から近代日本の歴史を見守った貴重な石橋となっております。
●鳥居②
●鳥居②
・1940年建立
・明神鳥居
続いて、鳥居②が登場。
鳥居②には皇紀2600年と刻まれていました。
そんなこんなで、この鳥居は1940年の建立となります。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
手水舎には手水鉢の他に井戸もありました。
●狛犬
●狛犬
・平成時代奉納(?)
続いて、個性丸出しの狛犬ちゃんにご挨拶。
もともとここには青銅製の狛犬ちゃんがいたそうですが、戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。
その後、残った台座にコンクリ製の狛犬ちゃんを造立。
これが好評だったらしく、長らくこの神社をお護りしていたそうですが、時とともに劣化が激しくなったみたいで。。
そんなこんなで、現在の石造・狛犬ちゃんに改めたそうですよ。
ということで、こちらは3代目の狛犬ちゃんとなります(多分)
戦時中の物資不足では金属の代わりとして粗悪なコンクリートで代用することが多かったと聞きます。
代表的なのは狛犬ちゃんや梵鐘など。
広島県にはコンクリート船までありました。
ちなみに山口県内では下関市の住吉神社にコンクリ製の狛犬ちゃんがおられました(現在は青銅製)
●住吉神社のコンクリ狛犬
●広島県安芸津のコンクリート船
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●広島県安芸津のコンクリート船
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拝殿と本殿
●拝殿●拝殿
・2001年再建
・銅板葺 入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
どうやら、もともとここには1720年に長州藩5代藩主・毛利吉元さんが建立した社殿が建っていたそうです。
しかし1997年の火災(放火)により焼失。
そんなこんなで、2001年に再建されたのが現在の拝殿なんだって。
ちなみに焼失前の社殿は山口県の有形文化財に指定されていたそうですよ。
拝殿の蟇股には毛利氏の家紋・一文字三ツ星がありました。
●本殿
●本殿
・2000年再建
・銅板葺 三間社流造
本殿は拝殿より1年早い2000年の再建。
主祭神は住吉三神と下照姫命と味耜高彦根命。
そして8神が配祀されていました。
●主祭神
・表筒男命(中殿)
・中筒男命(中殿)
・底筒男命(中殿)
・下照姫命(右殿)
・味耜高彦根命(左殿)
●配祀神
・神産日神
・高御産日神
・玉積産日神
・神生産神
・足産日神
・大宮賣神
・御食津神
・事代主神
・表筒男命(中殿)
・中筒男命(中殿)
・底筒男命(中殿)
・下照姫命(右殿)
・味耜高彦根命(左殿)
●配祀神
・神産日神
・高御産日神
・玉積産日神
・神生産神
・足産日神
・大宮賣神
・御食津神
・事代主神
【住吉三神】底筒之男神(そこつつのを)中筒之男神(なかつつのを)上筒之男神(うわつつのを)
イザナギの禊で生まれ、神功皇后の神託で再登場する住吉三神 神性 航海・漁業の守護神 エピソード イザナミのいる黄泉の国から逃げ帰ってきたイザナギが禊をしたときに生まれた神様だよ。 海底で底筒之男神(ソコツツノヲノカミ)、
現在の主祭神は住吉三神と下照姫命と味耜高彦根命ですが、927年に編纂された延喜式神名帳によると祭神の記載は1座。
創建当初の祭神は下照姫命とする説があるんだって。
しかし仁壁神社鎮座考によると主祭神は味鋤高彦根命で、相殿神として下照姫命。
そして住吉三神を合祀したと記されているそうです。
ちなみに仁壁神社が鎮座する宮野地区は、かつて神織機と呼ばれていたそうです。
主祭神の下照姫命は機織りと縁が深い神様です。
そんなこんなで、神織機という地は養蚕・織物が盛んな地域だったのかも?
しかし境内はおろか地区においても養蚕や織物の痕跡はなさそうです・・・(-“-;) ??
●売豆紀神社の参拝記と御朱印情報
下照姫命を祀る売豆紀神社です。
こちらに下照姫命のことを書いています。
売豆紀神社の御朱印~和歌の祖神・下照比売命を祀る~ (島根県松江市雑賀町)
所在地島根県松江市雑賀町1663祭 神主祭神下照比売命配神天照大神・豊受比売命・倭媛命社 格式内社由 緒創建年は不詳。733年に編纂された出雲国風土記に記載されていることから、それ以前...
こちらに下照姫命のことを書いています。
稲荷社と具明社と神楽殿
●稲荷社と具明社
●稲荷社と具明社
・左 → 稲荷社
・右 → 具明社
続いて、境内社の稲荷社と具明社を参拝。
稲荷社と具明社は拝殿の隣に鎮座しています。
ちなみに具明社と書いてぐみょうしゃと読みます。
具明社の前にはありがたそうな神玉がありました。
説明板によると、神玉をさすると御神威(神の威力)が頂けるそうですよ。
そんなこんなでスリスリ。
ちなみに具明社の御祭神は稲背脛命でした。
稲背脛命と書いていなせはぎのみことと読みます。
●神楽殿
●神楽殿
・2010年再建
・銅板葺 妻入り入母屋造
拝殿の横には神楽殿がありました。
その他、境内には綿津見社が2社ありました。
●社務所
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。
しかし戸は開いてたけど留守の模様・・・嗚呼。
これはきっと宮司さんのお宅で頂けるパターンだ!
と思い、宮司さんのお宅を訪ねるも、こちらも留守(笑)
ということで縁がなかったと諦め、空気が抜けた自転車を押しながら山口駅前のレンタサイクル屋さんまでトボトボ歩くことにしました。
途中、自転車屋に寄って空気を入れようとしたんだけど、こんなときに限って閉まってんだよ(笑)
嗚呼・・・自転車を捨てて帰りたい(笑)
そんなこんなで、最後の最後はグダグダになってしまいましたが、それを含めて楽しい1日でした!
●稲荷社と具明社
・左 → 稲荷社
・右 → 具明社
続いて、境内社の稲荷社と具明社を参拝。
稲荷社と具明社は拝殿の隣に鎮座しています。
ちなみに具明社と書いてぐみょうしゃと読みます。
具明社の前にはありがたそうな神玉がありました。
説明板によると、神玉をさすると御神威(神の威力)が頂けるそうですよ。
そんなこんなでスリスリ。
ちなみに具明社の御祭神は稲背脛命でした。
稲背脛命と書いていなせはぎのみことと読みます。
●稲背脛命とは?
稲背脛命は、出雲国造の祖神・天穂日命の子で、日本書紀の国譲り神話に登場する神様です。
美保関で釣りをしていた大国主の息子・事代主のところに行き、国譲りの承諾を問うたお方です。
その後、父・天穂日命の後を受けて、大国主の祭祀に仕えました。
国譲りが武力ではなく平和的に解決できたのは、稲背脛命などの奔走のおかげで、その功績は大きいといえます。
一説によるといなせとは否諾(いなせ)という意味とも。
●鷺神社の参拝記と御朱印情報 広島県三次市に鎮座する稲背脛命を祀る神社です。
稲背脛命は、出雲国造の祖神・天穂日命の子で、日本書紀の国譲り神話に登場する神様です。
美保関で釣りをしていた大国主の息子・事代主のところに行き、国譲りの承諾を問うたお方です。
その後、父・天穂日命の後を受けて、大国主の祭祀に仕えました。
国譲りが武力ではなく平和的に解決できたのは、稲背脛命などの奔走のおかげで、その功績は大きいといえます。
一説によるといなせとは否諾(いなせ)という意味とも。
●鷺神社の参拝記と御朱印情報
鷺神社の御朱印~ヤマトタケルを祀る神社~(広島県三次市十日市町)
所在地広島県三次市十日市町188−2祭 神●主祭神稲背脛命・日本武尊●相殿天照皇大神・大物主神など計29柱由 緒675年の夏、悪疫によりこの地域で死者が多発したそうです。秋、三次郷に霊異があっ...
●神楽殿
●神楽殿
・2010年再建
・銅板葺 妻入り入母屋造
拝殿の横には神楽殿がありました。
その他、境内には綿津見社が2社ありました。
●社務所
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために社務所へ。
しかし戸は開いてたけど留守の模様・・・嗚呼。
これはきっと宮司さんのお宅で頂けるパターンだ!
と思い、宮司さんのお宅を訪ねるも、こちらも留守(笑)
ということで縁がなかったと諦め、空気が抜けた自転車を押しながら山口駅前のレンタサイクル屋さんまでトボトボ歩くことにしました。
途中、自転車屋に寄って空気を入れようとしたんだけど、こんなときに限って閉まってんだよ(笑)
嗚呼・・・自転車を捨てて帰りたい(笑)
そんなこんなで、最後の最後はグダグダになってしまいましたが、それを含めて楽しい1日でした!
御朱印情報
●御朱印の種類
・仁壁神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
・宮司宅
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2015年9月5日 参拝
・2022年8月 更新
・仁壁神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所
・宮司宅
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2015年9月5日 参拝
・2022年8月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR宮野駅から徒歩15分
・JR宮野駅から車で3分
●最寄りのバス停
・中国JRバス 防長線(湯田温泉〜萩駅)
三の宮 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で10分
・中国自動車道
小郡ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)
※駐車場は鳥居をくぐって石橋(太鼓橋)の近くにあります。
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR宮野駅から徒歩15分
・JR宮野駅から車で3分
●最寄りのバス停
・中国JRバス 防長線(湯田温泉〜萩駅)
三の宮 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で10分
・中国自動車道
小郡ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)
※駐車場は鳥居をくぐって石橋(太鼓橋)の近くにあります。