花岡八幡宮の御朱印|神仏習合の名残を伝えるお寺のような神社(山口県下松市)

所在地山口県下松市末武上400
祭 神 ・応神天皇・神功皇后
・姫大神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)
由 緒 709年、豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのが始まり。鎌倉時代、重源上人が社殿を再建。室町時代には大内義隆が社領を寄進。安土桃山時代には豊臣秀吉が参詣。江戸時代には毛利氏が社殿を修復。16世紀末頃には136石余の社領、社坊9ヶ寺を有する周防の大社だったといわれています。そんなこんなで、多くの武士から信仰を集めた由緒ある神社です。
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鳥居①と狛犬①②と参道

●境内入口

山口県の下松市に鎮座する花岡八幡宮に到着。

花岡八幡宮と書いてはなおかはちまんぐうと読みます。

社伝によると、709年に豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を勧請した際、一夜にして山全体花が咲いたことから花岡と名付けられたんだって。

その他、この地がだったため端岡と呼ばれていたものが、鎮座後に端岡 → 花岡になったという説もあるみたいです。

八幡神は花咲か爺さん・・・そんなくだらないことを想像しつつ、参拝開始。


●鳥居①

●鳥居①
・建立年未確認
・明神鳥居

まず最初に登場するのは鳥居①

この神社は各時代の歴史人ならびに権力者から崇敬された神社みたいです。

鎌倉時代には重源上人が社殿を再建。

室町時代には大内氏16代当主・大内義隆さんが社領を寄進。

安土桃山時代に豊臣秀吉さんが朝鮮出兵前に戦勝祈願。

江戸時代には毛利氏が社殿を修復。

また、古くから花岡の地は交通の要衝だったため、旧山陽道の宿場町として栄えていたそうです。

江戸時代には大名や役人が宿泊するお茶屋も設けられていたそうですよ。

そんなこんなで、この地は東西を行き来する人たちのお立ち寄りスポットだったみたいですね。


●狛犬①②

●狛犬①②
・1789年奉納

鳥居①の前には異国感のある狛犬ちゃんがおられました。

きよし師匠並みに飛び出した目玉

そしてボディーにはたこ焼きのような毛並みが表現されていました。

もしかして、これはプードルをイメージして作られたのでしょうか?

・・・さすがにそれはないか。


●参道

それにしても、石畳と灯籠と白壁が素敵な参道でした。

そんなこんなで、どことなく江戸の香りがしたひと時。

ちなみに、白壁の建造物は金分銅酒造という酒蔵のようです。
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閼伽井坊

●鳥居②と閼伽井坊

参道を抜けると、鳥居②が登場。

そして、鳥居②の脇には閼伽井坊という社坊がありました。

どうやら、こちらは神仏習合時代の名残のようです。

ちなみに、閼伽井坊と書いてあかいぼうと読みます。


●閼伽井坊

閼伽とは仏様に供える清浄な水のことです。

そんなこんなで閼伽井坊とは、仏様に供える清浄な井戸がある僧坊という意味になります。

どうやらこの閼伽は、花岡八幡宮や大名の御用水として使用されていたみたいですよ。


かつて花岡八幡宮には9ヶ寺の社坊があったそうですが、現在はこの閼伽井坊のみが現存してるんだって。

9ヶ寺中、唯一生き残った閼伽井坊・・・

今日まで廃絶することなく現存できたのは、大切な閼伽を守るためだったのかも知れませんね。

閼伽井坊の参拝記と御朱印情報はこちら。

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鳥居②と楼門と狛犬③④と鐘楼

●鳥居②

●鳥居②
・建立年未確認
・明神鳥居

そんなこんなで、花岡八幡宮の参道に戻って鳥居②へ。

鳥居の前には立派な桜の木が立っていました。

どうやら、この神社は桜の名所として知られているらしく、境内にはソメイヨシノやヤマザクラなど約200本の桜が植えられているそうですよ。

まさにだぁ〜。

ちなみに、私が参拝したのは11月。

花岡ではなくハゲ岡でした。


●参道

そんなこんなで、鳥居②をくぐると長〜い石階段が登場。

ネットの情報によると、この石階段は約200段あるそうです。


●楼門(随身門)

●楼門(随身門)
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造

長〜い石階段を上ると、立派な楼門ドーンとお出迎えしてくれました。

建立年を知ることはできませんでしたが、見た感じ、そこまで古そうな門ではありませんでした。


ちなみに、門の両サイドに随身像がお祀りされていたので、この門は随身門となります。


●狛犬③④

●狛犬③④
・1923年奉納

こちらは楼門前におられる狛犬ちゃんです。

笑ってるような表情と、サザエのような巻き毛が特徴的な狛犬ちゃんでした。

そんなことより、なんと!

楼門の近くには鐘楼があるという!


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造 袴腰

一瞬、鼓楼かな?

と思いましたが、梵鐘が吊るされていたので間違いなく鐘楼!

説明板がなかったため詳しいことはわかりませんが、閼伽井坊と同じく、この鐘楼も神仏習合時代の名残だと思われます。

多分ですが、閼伽井坊が管理しているのかも知れませんね。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、楼門をくぐって手水舎でお清め。

それにしても手水鉢、高っ!


そんなことより、なんと手水舎の横には多宝塔がっ!
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多宝塔(閼伽井坊塔婆)

●多宝塔(閼伽井坊塔婆)

●多宝塔(閼伽井坊塔婆)
・室町時代中期〜後期再建
・柿葺 多宝塔
・高さ 13.5m
・本尊 大日如来(金剛界)
・国指定重要文化財

閼伽井坊からの鐘楼からの多宝塔・・・

もはやここが花岡八幡宮なのか閼伽井坊なのかわからなくなってきました!


そんなことより、この多宝塔は室町時代中期〜後期の再建で国重文に指定されています。

再建前の多宝塔は、藤原鎌足さんが建立した日本十六塔の1つだったんだとか!

というか・・・

日本十六塔って何だぃ???

初めて聞くなぁ・・・

と思い、ネットで調べてみたんだけど、全くヒットしないんだよね・・・(-“-;) ??


というか・・・

花岡八幡宮が創建されたのは709年
閼伽井坊はそれ以降の創建。

そして藤原鎌足が生きた時代は614〜669年!

あれれ・・・

時代が合わない・・・

よし、説明板は見なかったことにしよう(笑)

もしかしたら、閼伽井坊の創建は飛鳥時代の創建なのかな・・・(-“-;) ??


こちらは組物と蟇股。

それにしても、素敵な多宝塔だなぁ。


一見、よくあるタイプの多宝塔のように見えますが、一般的な多宝塔に比べて亀腹が小さいのが特徴的でした。

通常、亀腹は漆喰で造られているのですが、この多宝塔の亀腹はなんと木製!

これは珍しいですねぇ。


あと、相輪・上層・下層のバランスが3等分になっているところもお見事でした。

もっとじっくりと拝見したいところですが、見上げると雨に濡れちまうので早々に諦める・・・。
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鳥居③と狛犬⑤⑥と狛犬⑦⑧

●鳥居③

●鳥居③
・1795年建立
・高さ 4.2m
・明神鳥居

そんなこんなで、再び花岡八幡宮の参道に戻ると鳥居③が登場。

柱に寛政七歳乙卯と刻まれていましたので、1795年に奉納された鳥居となります。


●狛犬⑤⑥

●狛犬⑤⑥
・1984年奉納
・青銅製

鳥居③の前には青銅製狛犬ちゃんがおられました。

もともとここには違う狛犬ちゃんがおられたそうですが、戦時中の金属類回収令で供出されちゃったみたい。。

その後、1984年に有志の篤志により復元奉納されたのが現在の狛犬ちゃんなんだって。

ということで、この狛犬ちゃんは2代目となります。


●狛犬⑦⑧

●狛犬⑦⑧
・1797年奉納

続いて、拝殿前の狛犬ちゃんにご挨拶。

こちらは1797年生まれ。

この神社では2番目に古い狛犬ちゃんとなります。


足元の札には、狛犬さま アーウーと書かれておりました。

阿吽じゃなくてアーウーとは・・・なんか可愛いなぁ~。

拝殿と幣殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・1818年建立
・銅板葺 二重屋根
・唐破風向拝付き入母屋造

そんなこんなで、やっとこさ拝殿に到着!

花岡八幡宮 → 閼伽井坊 → 花岡八幡宮 → 閼伽井坊・・・拝殿にたどり着くまで長かった〜(笑)


そんなことより、拝殿は仏教建築の要素が強め!

拝殿というより仏殿と呼びたくなるようなお社でした。

地味に珍しい!

これもまた神仏習合時代の名残なのでしょうか?

先ほどの多宝塔も素晴らしかったですが、個人的にはこの拝殿が1番グッとくる建造物でした。


拝殿には素敵な彫刻が施されていました。

どうやら、この彫刻は岩瀬長五郎さんというお方の作品のようです。

ちなみに岩瀬長五郎さんは江戸時代中期〜後期に活躍した宮大工のようです。

左甚五郎さんと同じ岐阜県飛騨の出身で西の甚五郎と呼ばれているのだとか。

●左甚五郎とは?

左甚五郎さんは江戸時代初期に活躍した彫刻家。

日光東照宮の眠り猫など、全国各地に多数の名作を残したお方です。

しかし実在していたかは定かでなく、作品の製作時期も安土桃山~江戸後期の約300年にわたるため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたという説が定説になりつつあります。


拝殿の唐破風には毛利氏の家紋・一文字三星がありました。

この花岡八幡宮は毛利氏が崇敬した神社のようで、1700年・1714年・1744年・1757年など、計5回も社殿の修復を行ったそうです。


●本殿

●本殿
・1830年建立
・銅板葺 三間社流造

八幡宮ということで、御祭神は応神天皇神功皇后宗像三女神

拝殿は仏教要素が強い建造物でしたが、本殿は一般的な神社建築。

しかし、入母屋造と妻入り切妻造を合体させた幣殿は、なかなか珍しいものでした。

そんなこんなで、入母屋造からの切妻造からの流造という複雑構造となっておりました。

神馬と借景の庭

●神馬

●神馬
・1806年奉納
・体長 217cm
・像高 162.3cm
・下松市指定有形文化財

続いて、神馬舎へ。

な〜んか違和感があるなぁ・・・

と思ったら、なんとブロンズ製の神馬!

説明板によると、この神馬ちゃんは金毘羅宮にある神馬の兄弟馬なんだって。

それにしても金毘羅宮って、どこの金毘羅宮なんでしょうねぇ?

香川県の金刀比羅宮のことなのかなぁ?

金刀比羅宮の神馬ちゃんは、ブロンズ製ではなく本物のお馬さんだったけど・・・(-“-;) ??


そんなことより、この神馬ちゃんは別名・願かけの御神馬と呼ばれているらしく、頭を撫でながら願掛けをすると願いが叶うといわれてるんだって。


●借景の庭

●借景の庭
・1789〜1801年築庭
・借景式庭園

境内には借景の庭という荒れたお庭がありました。

借景庭園というくらいですから、背後の林を借景とする庭園なのでしょうか?

というか、いろんな物が傾いてました。

借景庭園というか斜景庭園と呼びたくなるようなお庭でした。

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破邪の御太刀と絵馬

●破邪の御太刀
・1859年作
・全長 4.65m
・重さ 75kg
・下松市指定有形文化財

この神社にはたくさんの社宝があるみたいですが、その中で唯一無二なのが破邪の御太刀

なんと、その太刀は4.65mもあるという日本最大の太刀!

よよよ、4.65メートル!?

ホンマかいな!?

と思い、ネットで画像検索してみたら、本当に4.65mもある巨大な太刀でした!

笑っちゃうくらいデカいので興味がある方は調べてみてください。

ちなみに、破邪の御太刀は一般公開してないそうです(残念!)

しかし、年に2度ほど一般公開されるそうですよ!

●破邪の御太刀とは?

安政6年(1859年)、創始1150年にあたる式年大祭で、氏子たちが尊皇攘夷を祈願して奉納した大太刀。

幕末の動乱期、尊王攘夷運動で活躍する志士たちを後押しするため、氏子たちが刀鍛冶に制作を依頼。

太刀で邪気を払い明るい世の中を築こう、という願いが込められた太刀といわれています。

太刀の制作には重さ約1トンもの砂鉄が使われ、焼き入れの際には、近くの川をせき止めて作業をしたそうです。


●絵馬
・1797年作
・縦 1.83m
・横 3.84m
・下松市指定有形民俗文化財

宝物館には徳山毛利藩の絵師・南陵朝倉光世作の巨大な絵馬もあるそうです。

その他、宝物館には下松市の有形文化財に指定されている鰐口文書なども所蔵されているそうですよ。

いずれも一般公開はされていませんので、拝観を希望する方は、事前に社務所または下松市観光ボランティアの会にお問い合わせください、とのことです。


そんなこんなで、参拝終了。

見どころ満載で、素敵な神社でした。

御朱印情報

●御朱印の種類
・花岡八幡宮の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所

●御朱印の受付時間
・9:00~16:30

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年11月5日 参拝
・2023年3月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR下松駅から車で10分
・JR下松駅から徒歩55分

●最寄りのバス停
・防長交通
 宮の前 バス停から徒歩6分

●最寄りのIC
・山陽自動車道
 徳山東ICから車で10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約30台)

花岡八幡宮の地図

 

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