コンクリート船・武智丸の観光記。龍宮神社の参拝記も(広島県呉市安浦町)

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コンクリート船・武智丸とは

●安浦漁港

本日昼前、インターネットをポチポチしていたら武智丸の存在を知ってしまう。
初めて武智丸の存在を知ったのだけど、コンクリート船という言葉も初めて知りました。 どうやら終戦間際、造船用の鋼材が極度に不足したため、日本軍が苦肉の策として造ったのがコンクリート船。戦後、船としての役目を終えたコンクリート船・武智丸は、現在、防波堤として活躍中とのこと!

是非とも拝見したい!
と思った数分後には、もうすでに車の中。
コンクリート船に向けて、絶賛運転中!
こういう時だけ、かなり迅速な私。


そんなこんなで、コンクリート船・武智丸がある安浦漁港に到着。
どこにあるのかなぁ、と辺りを見渡すと・・・
あった!あれだ!


●コンクリート船・武智丸とは

武智丸は、コンクリート船として1944年に完成した大日本帝国海軍の貨物船とのこと。
当時、武智丸は4隻造られましたが、第三武智丸は瀬戸内海・小豆島沖で触雷沈没・・・。第四武智丸は艤装中に終戦を迎え、その後、終戦後に完成。しかし台風で座礁し廃船となりました。

現在は、第一武智丸と第二武智丸のみが現存し、安浦漁港の防波堤として活躍中です。


●防波堤になるまでの経緯

1945年、枕崎台風により三津口湾は甚大な被害を受けたそうです。
それもそのはず、三津口湾には防波堤がなかったのです・・・。
そんなこんなで1947年、安浦漁協の会長が防波堤の設置を県に願い出ました。 しかし、港の地盤が軟弱だったため、当時の土木技術では対応が困難・・・ということに。

そこで浮上したのが、コンクリート船を防波堤にするという案。
そんなこんなで、呉から第一武智丸を、大阪から第二武智丸を安浦漁港に合流させ、防波堤として、そして水の守り神として第二のお役目に就くこととなりました。

武智丸は神様になっちゃいました。


ちなみに、安浦漁港から向かって左側が第一武智丸
向かって右側が第二武智丸です。

第一武智丸と第二武智丸の船尾を合体させて防波堤にしてます。


それにしても、コンクリートの船って超珍しい!
と思ったら、実はそこまで珍しいものではなく、当時は世界中でコンクリート船が造られていたみたいです(汗)

しかし現在、旧日本海軍の戦艦がほぼ現存してないということを考えると、やはり相当珍しい遺構!しかも防波堤という珍品!敗戦国の戦艦が現存していることがほぼ奇跡なんです!

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武智丸を散策

●コンクリート船・武智丸の入口

そんなこんなで、武智丸の散策を開始。

入口には、立入禁止と書いてありましたが、柵が全開に開いており、とてもウエルカムな状態でした。
(2016年1月16日現在)

このあたりで遊んじゃダメ的なことも書いてありましたが、本日は遊びではなく平和学習だから問題なし。

ということで、お邪魔します。


●第一武智丸

そんなこんなで柵を抜けると、武智丸に続く道・・・と思ったら、もうすでに第一武智丸の上でした!


●写真左・・・船首部分。
●写真右・・・船倉部分。

ちなみに船倉とは、貨物を積んでおく場所のことです。
当時は、ここに石炭などの軍需物資を積んでいたんでしょうね。


本日は潮が高かったせいか、第一武智丸はほぼ水没状態でした。
いやはや・・・言葉にならない。


おそらくここは機械室だと思われます。

いかんせんコンクリート製のため、エンジンやクレーンなどの取り付けが相当困難だったようです。

正直、この時点では全くもって船の上にいる実感がなかったけど・・・


●第二武智丸

第二武智丸に到着した途端、急に船の上にいるという実感が湧く!

マジで船ですやん!
これは紛れもなく船ですわ!


第一武智丸と違い、第二武智丸の方はそこまで浸水しておらず、本当に海に浮いてるみたいでした。


そんなこんなで、ただただ立ちすくむ私。


これが本当に浮いて動いていたのか・・・私の想像力じゃ追いつかない。


オールコンクリートなのかと思ったら、船首部分だけ鉄板が取り付けられてました。
どうやらこの鉄板は、衝突時の破壊を防ぐ目的で取り付けられたみたいです。

コンクリート船というと、すごくひ弱なイメージをもちますが、実は結構頑丈な船だったようで、鋼船に追突された際は相手の船が沈没したという逸話が残ってるのだとか。

いやはや・・・私の想像力じゃ追いつかない。



そんなこんなで、船内を散策。
すんごくドキドキするんですけど。

天井は抜け落ち、錆びた鉄筋がむき出しになってる部分がありました。
一部、木製の部分もありました。


しばらく立ちすくむ私・・・高揚感と虚無感が同時にやってくる不思議な感覚になりました。


廃墟感満載だけど、丸窓を見てると船にいることを実感します。
やっぱりこれは船なんだ・・・



ちなみにコンクリートの配合は、容積比で1:1.5:3(セメント:砂:砂利)らしいです。

コンクリート船は通常の船とは異なり、耐水性・水密性に優れる反面、大量の型枠用木材が必要になるなど、費用が鋼船の2倍かかる上に、コンクリートの性質上、冬季でも温暖な地域でしか造れないという欠点がありました。そのためコンクリート船は鋼船の代用品でしかなかったみたいです。


丸窓から瀬戸内海を望む。
お寺でいう悟りの窓的な。

戦争には負けたけど、防波堤として生き残った武智丸は勝ち組だよ。

そんなこんなで、口が開きっぱなしの1時間。
陽は傾き、満潮間近・・・戻れなくなってあの世に向けて出航したらシャレにならないので武智丸とお別れすることにしました。

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広島の戦争遺跡・まとめ

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・大久野島(ウサギ島)
・コンクリート船・武智丸
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記事の内容・・・大久野島(ウサギ島)・コンクリート船 武智丸・アレイからすこじま・大和ミュージアム・歴史の見える丘・工廠神社(産業神社)のトーチカ・旧海軍兵学校・弾痕・防空壕などを紹介してます。


随時更新していきます。

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龍宮神社

●境内入口

その後、武智丸の近辺をブラブラしていると神社を発見。
ということで、立ち寄る。


●鳥居

●鳥居
・1887年建立
・明神鳥居


●狛犬

●狛犬
・1893年建立
・広島玉乗り型(尾道型)


●拝殿

●拝殿
・建立年不明
・銅板葺 妻入り切妻造


●本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
・祭神は不明


●境内社

●境内社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・祭神は不明


●石柱と石灯籠と手水鉢

●石柱(写真左)
・1880年建立

●石灯籠
・1881年建立


●手水鉢(写真左)
・1894年作

●玉垣(写真右)
崩れ落ちる玉垣・・・まるでテトリスのよう。


境内には明治期の石造物が多数点在していたので、それなりに見所のある神社でした。

いろいろと調べてみましたが、由緒や祭神などを確認することはできず・・・謎の多い神社でした。社名や鎮座地などから、おそらく海の安全を見守る神社なんでしょう。

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龍宮神社の御朱印情報

●御朱印情報
御朱印は確認できませんでした。
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生かき屋直売所

●生かき屋直売所

武智丸の近くには生かき直売所が4軒並んでました。


店の外から出てきた牡蠣の殻が、コンベアで運ばれてトラックの荷台に落ちていきます。

なんだか面白かったので、しばらく見学していました。


その後、安浦漁港に戻り深呼吸(なんで?)。
いやはや、本日も楽しい1日でした。

コンクリート船・武智丸の地図

コンクリート船・武智丸へのアクセス

・公共機関・・・JR呉線・安浦駅から徒歩約15分
・駐車場・・・約10台

 

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