所在地 | 長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触133 |
---|---|
祭 神 | 素戔嗚尊・大巳貴命・稲田姫命・闇淤加美神 |
社 格 | 式内社(小) |
由 緒 | 創建年は不詳。社記によると、素戔嗚尊が朝鮮半島を巡って帰国した際、この地に到着して宮殿を建てたという。その後、素盞嗚尊が祀られ、武生水郷(現・郷ノ浦町)の惣廟として崇敬されたそうです。もともとこの神社は妙見宮と呼ばれていましたが、1676年に壱岐国の式内社を調査した国学者・橘三喜が式内社・國津意加美神社に比定。江戸時代、肥前国平戸藩主・松浦氏が壱岐を巡見する際、親しく参向し、そして礼幣を捧げたことから直参の社と呼ばれていたそうです。1876年、村社に列し、1925年に神饌幣帛料供進社に指定され、現在に至るそうです。 |
鳥居と石灯籠と狛犬
●境内入口
郷ノ浦の中心部から徒歩15分。
壱岐市役所の向かいに鎮座する國津意加美神社に到着。
國津意加美神社と書いてくにつおかみじんじゃと読みます。
江戸時代、國津意加美神社が鎮座する郷ノ浦は平戸藩の役所が置かれたところです。
そんなこんなで郷ノ浦は、今も昔も政治の中心地となっております。
この神社は素戔嗚尊を祀ったのが始まりといいます。
その後、スサノオさんの妻・稲田姫命と、スサノオさんの6世または7世孫・大巳貴命(大国主)が祀られるようになったみたいです。
さらに現在は水の神様・闇淤加美神が祀られてるんだって。
スサノオ繋がりということで稲田姫命と大巳貴命はわかりますが、闇淤加美神が祀られるようになった経緯は何なのでしょ?
もしかしたら國津意加美神社という社号に由来してるのかなぁ?
神様には天津神と国津神の2種類あります。
闇淤加美神は天津神なので国津意加美神社じゃなく天津意加美神社と呼びたくなっちゃうね。
いや、それじゃ国津神の素戔嗚尊と大巳貴命と稲田姫命の立場がない。
とかなんとか、どうでもいい妄想をしつつ参拝開始。
●鳥居
●鳥居
・江戸時代建立(?)
・鎮信鳥居
まず最初に登場するのは壱岐名物の鎮信鳥居!
建立年を探るため柱の文字を確認しましたが、阿保なので何が書いてあるのかわからず、す〜ぐ諦めてしまいました。
鳥居が放つオーラと風合いから、な〜んとなく江戸期に建立されたものかな?
と勝手に推測してみたひと時。
そんなことより面白いなぁ〜と思ったのは、柱が3本継ぎになってること!
しかも2本目が異常に短いという!
3本継ぎの鳥居は肥前鳥居や筥崎鳥居に見られる特徴ですが、こんなにも短い継柱をもつ鳥居は初めて拝見しましたよ。
●石灯籠
境内入口には扁額付きの石灯籠がありました。
今回の壱岐旅ではこのような扁額付き灯籠に出会うことが多かったです。
他県でもたまにお見かけしますが、壱岐での扁額付き灯籠の遭遇率は群を抜いてました。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって境内へ。
もともとこの神社は妙見宮と称していたそうです。
しかし1676年に肥前国平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社を調査した国学者・橘三喜さんが式内社・國津意加美神社に比定。
以来、この神社は國津意加美神社と称することになったという。
江戸時代を通じて、肥前国平戸藩主・松浦氏から崇敬された神社で、社殿を造営する際は国守の直営で行われたそうです。
また奉仕の祠官には特殊の格式と職権が与えられたんだって。
ちなみに鎮信鳥居で知られる平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんは、木鏡御正体と石領を献納しているみたいです。
肥前国平戸藩主・松浦氏が壱岐を巡見する際、親しく参向し、そして礼幣を捧げたことからこの神社は直参の社と呼ばれていたそうですよ。
●狛犬
●狛犬
・1862年奉納
・山内利兵衞 作
・郷ノ浦町指定有形文化財
そんなこんなで、石階段を上ると狛犬ちゃんが登場。
吽形ちゃんは、わりとデカめの子供を抱いていました。
人間でいうと小6くらい?
何にしろこんなにデカい子供を抱く子取り型は初めて拝見しました!
説明板を読んでみるもほぼ白紙状態!
もはや推測でも読めない状態になっていました。
そんなこんなでネットで調べてみることに。
なんと、この狛犬ちゃんは壱岐の名工・山内利兵衞さんの傑作なんだと。
利兵衞さんが63歳のときに造られたものらしく、頭が小さく均整のとれた優しい姿が特徴の作品なんだって。
郷ノ浦の中心部から徒歩15分。
壱岐市役所の向かいに鎮座する國津意加美神社に到着。
國津意加美神社と書いてくにつおかみじんじゃと読みます。
江戸時代、國津意加美神社が鎮座する郷ノ浦は平戸藩の役所が置かれたところです。
そんなこんなで郷ノ浦は、今も昔も政治の中心地となっております。
この神社は素戔嗚尊を祀ったのが始まりといいます。
その後、スサノオさんの妻・稲田姫命と、スサノオさんの6世または7世孫・大巳貴命(大国主)が祀られるようになったみたいです。
さらに現在は水の神様・闇淤加美神が祀られてるんだって。
スサノオ繋がりということで稲田姫命と大巳貴命はわかりますが、闇淤加美神が祀られるようになった経緯は何なのでしょ?
もしかしたら國津意加美神社という社号に由来してるのかなぁ?
神様には天津神と国津神の2種類あります。
・天津神 → 高天原にいる神様
・国津神 → 地上に出現した神様
・国津神 → 地上に出現した神様
闇淤加美神は天津神なので国津意加美神社じゃなく天津意加美神社と呼びたくなっちゃうね。
いや、それじゃ国津神の素戔嗚尊と大巳貴命と稲田姫命の立場がない。
とかなんとか、どうでもいい妄想をしつつ参拝開始。
●鳥居
●鳥居
・江戸時代建立(?)
・鎮信鳥居
まず最初に登場するのは壱岐名物の鎮信鳥居!
建立年を探るため柱の文字を確認しましたが、阿保なので何が書いてあるのかわからず、す〜ぐ諦めてしまいました。
鳥居が放つオーラと風合いから、な〜んとなく江戸期に建立されたものかな?
と勝手に推測してみたひと時。
そんなことより面白いなぁ〜と思ったのは、柱が3本継ぎになってること!
しかも2本目が異常に短いという!
3本継ぎの鳥居は肥前鳥居や筥崎鳥居に見られる特徴ですが、こんなにも短い継柱をもつ鳥居は初めて拝見しましたよ。
鎮信鳥居とは?
鎮信鳥居とは?鎮信鳥居と書いてちんしんとりいと読みます。肥前国平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんが寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったんだって。松浦鎮信さんが寄進した後も、平戸藩主や地元民が同型の...
●石灯籠
境内入口には扁額付きの石灯籠がありました。
今回の壱岐旅ではこのような扁額付き灯籠に出会うことが多かったです。
他県でもたまにお見かけしますが、壱岐での扁額付き灯籠の遭遇率は群を抜いてました。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって境内へ。
もともとこの神社は妙見宮と称していたそうです。
しかし1676年に肥前国平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社を調査した国学者・橘三喜さんが式内社・國津意加美神社に比定。
以来、この神社は國津意加美神社と称することになったという。
江戸時代を通じて、肥前国平戸藩主・松浦氏から崇敬された神社で、社殿を造営する際は国守の直営で行われたそうです。
また奉仕の祠官には特殊の格式と職権が与えられたんだって。
ちなみに鎮信鳥居で知られる平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんは、木鏡御正体と石領を献納しているみたいです。
肥前国平戸藩主・松浦氏が壱岐を巡見する際、親しく参向し、そして礼幣を捧げたことからこの神社は直参の社と呼ばれていたそうですよ。
●狛犬
●狛犬
・1862年奉納
・山内利兵衞 作
・郷ノ浦町指定有形文化財
そんなこんなで、石階段を上ると狛犬ちゃんが登場。
吽形ちゃんは、わりとデカめの子供を抱いていました。
人間でいうと小6くらい?
何にしろこんなにデカい子供を抱く子取り型は初めて拝見しました!
説明板を読んでみるもほぼ白紙状態!
もはや推測でも読めない状態になっていました。
そんなこんなでネットで調べてみることに。
なんと、この狛犬ちゃんは壱岐の名工・山内利兵衞さんの傑作なんだと。
利兵衞さんが63歳のときに造られたものらしく、頭が小さく均整のとれた優しい姿が特徴の作品なんだって。
神様の家系図
神様の家系図を描いてみました。古事記にでてくる33代推古天皇までの家系図です。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
続いて、拝殿で参拝。
なんと拝殿がピンク!
お菓子の国に迷い込んでしまったのかと思うくらい、メルヘンでファンシーなお社でしたよ。
そしてポップな降懸魚と木鼻。
蟇股には鯉の彫刻もありました。
ちなみに壱岐では高御祖神社と箱崎八幡神社でも鯉の彫刻を拝見することができました。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
さらにさらに本殿もピンクでした!
今回の壱岐旅ではカラフルな本殿に出会うことが多かったのですが、桃色一色の本殿は初見参です。
メルヘンチックなカラーのせいでボヤけてしまってますが、組物や彫刻の細部を見てみるとかなり丁寧な造りになっていました。
も〜しかしたら、この本殿はそれなりに年季の入った古建築かも!?
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
続いて、拝殿で参拝。
なんと拝殿がピンク!
お菓子の国に迷い込んでしまったのかと思うくらい、メルヘンでファンシーなお社でしたよ。
そしてポップな降懸魚と木鼻。
蟇股には鯉の彫刻もありました。
ちなみに壱岐では高御祖神社と箱崎八幡神社でも鯉の彫刻を拝見することができました。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
さらにさらに本殿もピンクでした!
今回の壱岐旅ではカラフルな本殿に出会うことが多かったのですが、桃色一色の本殿は初見参です。
メルヘンチックなカラーのせいでボヤけてしまってますが、組物や彫刻の細部を見てみるとかなり丁寧な造りになっていました。
も〜しかしたら、この本殿はそれなりに年季の入った古建築かも!?
境内社
●境内社
●境内社 覆屋
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
社殿の隣には2つの石祠を保護する覆屋が建っていました。
●疱瘡神
ネットの情報によると、向かって右側の石祠には疱瘡神がお祀りされているそうです。
●稲荷神
そして向かって左側の石祠には稲荷神が祀られているみたいです。
その他、境内にはいくつかの石祠や相方を失った小さな狛犬ちゃんなどがありました。
●境内社 覆屋
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
社殿の隣には2つの石祠を保護する覆屋が建っていました。
●疱瘡神
ネットの情報によると、向かって右側の石祠には疱瘡神がお祀りされているそうです。
●稲荷神
そして向かって左側の石祠には稲荷神が祀られているみたいです。
その他、境内にはいくつかの石祠や相方を失った小さな狛犬ちゃんなどがありました。
壱岐の犬狩り騒動
●壱岐の犬狩り騒動
明治時代初期、壱岐にはたくさんの野犬がいたそうです。
そのせいで農民たちは山や畑に行けませんでした。
野犬は農家のにわとり小屋を襲い、さらに子供たちを襲ったりしていました。
そこで農民たちは野犬を退治することに。
農民たちは集団で野犬狩りをすることになりました。
ところが、その野犬狩りが思わぬ方向へ向かうことに!
野犬狩りで集まった農民たちが暴徒化し、商人の家や蔵を襲うという事件が発生したのでありました。
その原因は明治政府が行った地租改正。
江戸時代まで農民たちは米や麦などで納税していました。
しかし明治政府が行った地租改正により地代の3%をお金で納めることになったのです。
農家は農作物を売って収入を得ていたため、毎月決まった現金収入はなく、手元に納税できる現金がなかったのです。
この頃、壱岐では米を取り扱う商人たちが裏で米の相場を操作し、農民から米を安く買っているという噂が絶えませんでした。
米を安く買いたたかれ、明治政府からは高い税金を支払わされている・・・
そんなこんなで、1873年3月18日の早朝。
国津意賀美神社の境内に、壱岐の村々から2000人の農民が集結。
そして本田三右衛門や豊永新助という旧士族を中心に、米屋や酒屋を襲うという事件が発生しました。
暴徒化した農民は郷ノ浦をかわきりに、湯ノ本浦、印通寺浦を襲うのでありました。
印通寺浦を襲った後、国分天満宮の馬場に集結。
次の標的を芦辺浦と勝本浦のどちらにするかを相談しました。
一揆の対象にされた勝本浦では、700人体制で防御することに。
しかし農民の士気が次第に衰え、勝本浦を襲うことは中止になりました。
3月25日、対馬の役人が一揆の取り締まりのために壱岐島に到着。
翌日、首謀者の本田三右衛門ら4人が逮捕されました。
さらに3月27日、今度は長崎から大勢の役人がやってきました。
3月29日、暴徒化した農民たちに対して厳しい取り調べが行われ、白状しない者は拷問を受けることに。
ちなみに首謀者の本田三右衛門たちの取り調べは3年かかったといわれています。
完。
明治時代初期、壱岐にはたくさんの野犬がいたそうです。
そのせいで農民たちは山や畑に行けませんでした。
野犬は農家のにわとり小屋を襲い、さらに子供たちを襲ったりしていました。
そこで農民たちは野犬を退治することに。
農民たちは集団で野犬狩りをすることになりました。
ところが、その野犬狩りが思わぬ方向へ向かうことに!
野犬狩りで集まった農民たちが暴徒化し、商人の家や蔵を襲うという事件が発生したのでありました。
その原因は明治政府が行った地租改正。
江戸時代まで農民たちは米や麦などで納税していました。
しかし明治政府が行った地租改正により地代の3%をお金で納めることになったのです。
農家は農作物を売って収入を得ていたため、毎月決まった現金収入はなく、手元に納税できる現金がなかったのです。
この頃、壱岐では米を取り扱う商人たちが裏で米の相場を操作し、農民から米を安く買っているという噂が絶えませんでした。
米を安く買いたたかれ、明治政府からは高い税金を支払わされている・・・
そんなこんなで、1873年3月18日の早朝。
国津意賀美神社の境内に、壱岐の村々から2000人の農民が集結。
そして本田三右衛門や豊永新助という旧士族を中心に、米屋や酒屋を襲うという事件が発生しました。
暴徒化した農民は郷ノ浦をかわきりに、湯ノ本浦、印通寺浦を襲うのでありました。
印通寺浦を襲った後、国分天満宮の馬場に集結。
次の標的を芦辺浦と勝本浦のどちらにするかを相談しました。
一揆の対象にされた勝本浦では、700人体制で防御することに。
しかし農民の士気が次第に衰え、勝本浦を襲うことは中止になりました。
3月25日、対馬の役人が一揆の取り締まりのために壱岐島に到着。
翌日、首謀者の本田三右衛門ら4人が逮捕されました。
さらに3月27日、今度は長崎から大勢の役人がやってきました。
3月29日、暴徒化した農民たちに対して厳しい取り調べが行われ、白状しない者は拷問を受けることに。
ちなみに首謀者の本田三右衛門たちの取り調べは3年かかったといわれています。
完。
全く関係のない話しになりますが、壱岐市立一支国博物館に人と戯れる犬のジオラマがありました。
どうやら古代一支国の市では犬が売られていたみたいです。
そんなこんなで、古代の人々は犬を食べていたというね!
あんなにも懐いているのに、このあと食べられちゃうのかぁ・・・。
・・・って学ぶところはそこじゃない!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・國津意加美神社の御朱印
・塞神社の御朱印
・爾自神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・國津意加美神社
●御朱印の料金
・各300円
●御朱印の受付時間
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年8月27日 参拝
・2022年9月 更新
・國津意加美神社の御朱印
・塞神社の御朱印
・爾自神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・國津意加美神社
※國津意加美神社には宮司さんは常駐していません。
御朱印を希望される方は事前に電話確認することをオススメします。
※宮司さんは國津意加美神社と塞神社と爾自神社を兼務しています。
●國津意加美神社の連絡先
・0920-47-0675
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
御朱印を希望される方は事前に電話確認することをオススメします。
※宮司さんは國津意加美神社と塞神社と爾自神社を兼務しています。
●國津意加美神社の連絡先
・0920-47-0675
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
●御朱印の料金
・各300円
●御朱印の受付時間
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年8月27日 参拝
・2022年9月 更新
壱岐島の御朱印情報まとめ(28種)|受付場所・受付時間・初穂料・オリジナル御朱印帳など
壱岐島で頂ける御朱印をまとめてみました。白沙八幡神社●御朱印の種類・白沙八幡神社の御朱印・海神社の御朱印●御朱印の受付場所・白沙八幡神社●不在の場合・白沙八幡神社の拝殿内に...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・郷ノ浦港から車で5分
・印通寺港から車で15分
・芦辺港から車で15分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で15分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
壱岐市役所郷ノ浦庁舎前 バス停から徒歩1分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
・境内に駐車スペース有り
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・郷ノ浦港から車で5分
・印通寺港から車で15分
・芦辺港から車で15分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で15分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
壱岐市役所郷ノ浦庁舎前 バス停から徒歩1分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
・境内に駐車スペース有り