所在地 | 長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触271 |
---|---|
祭 神 | 素盞嗚尊・奇稻田姫命・大己貴命 |
社 格 | 式内社(論社) |
由 緒 | 創建年は不詳。一説によると創建当初は山上に祀られていたそうです。しかし祭祀の不便から麓に社殿を造営。その後、この神社は妙見宮と呼ばれていたといいます。1676年に橘三喜が式内調査をするまでは式内社でしたが、調査後に式外社になってしまったという。江戸時代を通じて肥前国平戸藩主が崇敬した神社で、大祭の際は馬廻りの武士が代参し、神幸式・流鏑馬の神事が執行されたそうです。1876年に村社に列し、1913年に神饌幣帛料供進社に指定。壱岐十七社の1社として知られる古社です。 |
境内入口
●境内入口
壱岐十七社の1社であります覩上神社に到着。
覩上神社と書いてとかみじんじゃと読みます。
印通寺港から県道23号線を北上。
原の辻遺跡の前に広がる広大な田園を過ぎてグチャグチャした道をグチャグチャに走ると覩上神社はありました。
とにかく壱岐はグッチャグチャに道が張り巡らされており、1本脇道に入っただけで頭がグッチャグチャになってしまいます・・・って思うのは私だけ?
観光化されてないため、地元の人もしくは神社好きな人以外は来ないだろうなぁ・・・と思えるくらい、人里離れたへんぴな場所に鎮座していました。
この島で神社巡りをするにはカーナビが必須だね。
とはいえ、その肝心なカーナビさえワケわからなくなって違う場所に案内しちゃうのよ。
私のカーナビがボロいだけなのかも知れないけど。
海神社のときのようにサファリみたいなアフリカ道に案内されなかっただけマシか!
そんなこんなで、参拝開始。
壱岐十七社の1社であります覩上神社に到着。
覩上神社と書いてとかみじんじゃと読みます。
印通寺港から県道23号線を北上。
原の辻遺跡の前に広がる広大な田園を過ぎてグチャグチャした道をグチャグチャに走ると覩上神社はありました。
とにかく壱岐はグッチャグチャに道が張り巡らされており、1本脇道に入っただけで頭がグッチャグチャになってしまいます・・・って思うのは私だけ?
観光化されてないため、地元の人もしくは神社好きな人以外は来ないだろうなぁ・・・と思えるくらい、人里離れたへんぴな場所に鎮座していました。
この島で神社巡りをするにはカーナビが必須だね。
とはいえ、その肝心なカーナビさえワケわからなくなって違う場所に案内しちゃうのよ。
私のカーナビがボロいだけなのかも知れないけど。
海神社のときのようにサファリみたいなアフリカ道に案内されなかっただけマシか!
そんなこんなで、参拝開始。
海神社の御朱印|海じゃなく山に鎮座|橘三喜が式内社に比定した神社|(長崎県壱岐市)
所在地長崎県壱岐市石田町筒城西触323祭 神豊玉彦命社 格式内社(大)由 緒創建年は不詳。しかし851年に正六位上の神階を与えられていることから、それ以前には存在していた神社と思われます。1676...
鳥居と参道と手水鉢
●鳥居
●鳥居
・江戸時代建立(?)
・鎮信鳥居
まず最初に登場するのは壱岐名物であります鎮信鳥居。
柱には建立年月日らしきものが刻まれてましたが、注連縄が邪魔しているため判別できず・・・うぅ~もどかしぃ。
3分割になっている笠木・島木・貫。
これは鎮信鳥居の特徴の1つです。
ところで、なんでこんなに分割した造りになってるのでしょうねぇ・・・(-“-;) ??
長い石材がなかったのかな?
細かく分割することによって運搬を楽にしたのかな?
扁額には覩上宮と書かれておりました。
どうやらこの神社!
国学者・橘三喜さんが壱岐島の式内社を調査する以前は式内社だったそうです。
しかし調査後に式外社にされてしまったという。
壱岐神社誌によると、延喜式神名帳に覩上神社のことを見上神社と誤まって記載していたため式外社にされてしまったとのこと。
しかしその壱岐神社誌の記述も誤記だという!
壱岐神社誌は角上神社のことを見上神社と書き間違えてしまってるというね。
覩上神社 → 見上神社 → 角上神社
もうわけわかんないよね。
薄目で見たら全部見に見えるから面白いよね。
ちなみに覩には『見る・じっと見つめる』という意味があるみたい。
延喜式神名帳しかり、壱岐神社誌しかり・・・
ちゃんと字を見たのかぃ?(笑)
誤字だらけの適当ブログのくせに偉そうなこと言うなって感じだけど!
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって参道へ。
林に囲まれた境内。
山中に神々しく鎮座する佇まいにちょっぴり感動したひと時でした。
●手水鉢
●手水鉢
・1930年奉納
そんなこんなで、石階段を上ると手水鉢に到着。
手水鉢には水が張られてましたが、どう見てもお腐りの模様。
ということで、水道水でお清め。
●鳥居
・江戸時代建立(?)
・鎮信鳥居
まず最初に登場するのは壱岐名物であります鎮信鳥居。
柱には建立年月日らしきものが刻まれてましたが、注連縄が邪魔しているため判別できず・・・うぅ~もどかしぃ。
3分割になっている笠木・島木・貫。
これは鎮信鳥居の特徴の1つです。
ところで、なんでこんなに分割した造りになってるのでしょうねぇ・・・(-“-;) ??
長い石材がなかったのかな?
細かく分割することによって運搬を楽にしたのかな?
扁額には覩上宮と書かれておりました。
どうやらこの神社!
国学者・橘三喜さんが壱岐島の式内社を調査する以前は式内社だったそうです。
しかし調査後に式外社にされてしまったという。
壱岐神社誌によると、延喜式神名帳に覩上神社のことを見上神社と誤まって記載していたため式外社にされてしまったとのこと。
しかしその壱岐神社誌の記述も誤記だという!
壱岐神社誌は角上神社のことを見上神社と書き間違えてしまってるというね。
覩上神社 → 見上神社 → 角上神社
もうわけわかんないよね。
薄目で見たら全部見に見えるから面白いよね。
ちなみに覩には『見る・じっと見つめる』という意味があるみたい。
延喜式神名帳しかり、壱岐神社誌しかり・・・
ちゃんと字を見たのかぃ?(笑)
誤字だらけの適当ブログのくせに偉そうなこと言うなって感じだけど!
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって参道へ。
林に囲まれた境内。
山中に神々しく鎮座する佇まいにちょっぴり感動したひと時でした。
●手水鉢
●手水鉢
・1930年奉納
そんなこんなで、石階段を上ると手水鉢に到着。
手水鉢には水が張られてましたが、どう見てもお腐りの模様。
ということで、水道水でお清め。
鎮信鳥居とは?
鎮信鳥居とは?鎮信鳥居と書いてちんしんとりいと読みます。肥前国平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんが寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったんだって。松浦鎮信さんが寄進した後も、平戸藩主や地元民が同型の...
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・2002年建立
・瓦葺 切妻造
続いて、拝殿で参拝。
1637年の棟札に龔奉再興妙見宮御宝殿壱宇(松浦隆信・忠生 押字)
1649年の棟札に龔奉再興湯岳村山方村妙見宮御宝殿一宇(松浦鎮信 押字)
さらに壱岐国神社田畑帳にも妙見宮と記されているとこから、この神社は江戸時代前期まで妙見宮と呼ばれていたみたいですね。
●御祭神
・素盞嗚尊
・奇稻田姫命
・大己貴命
御祭神はスサノオさんとスサノオの妻・クシナダヒメさん。
そしてスサノオの6世または7世孫のオオナムチ(大国主)さんがお祀りされていました。
そんなこんなで現在、この覩上神社は出雲系の神社となっております。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・2002年改築
本殿は覆屋に保護されていました。
ですので、建築様式を確認するができませんでした。
今回の壱岐旅で参拝したほとんどの神社が流造でしたので、もしかしたらこの神社の本殿も流造かも知れません(予想)
●拝殿
・2002年建立
・瓦葺 切妻造
続いて、拝殿で参拝。
1637年の棟札に龔奉再興妙見宮御宝殿壱宇(松浦隆信・忠生 押字)
1649年の棟札に龔奉再興湯岳村山方村妙見宮御宝殿一宇(松浦鎮信 押字)
さらに壱岐国神社田畑帳にも妙見宮と記されているとこから、この神社は江戸時代前期まで妙見宮と呼ばれていたみたいですね。
●御祭神
・素盞嗚尊
・奇稻田姫命
・大己貴命
御祭神はスサノオさんとスサノオの妻・クシナダヒメさん。
そしてスサノオの6世または7世孫のオオナムチ(大国主)さんがお祀りされていました。
そんなこんなで現在、この覩上神社は出雲系の神社となっております。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・2002年改築
本殿は覆屋に保護されていました。
ですので、建築様式を確認するができませんでした。
今回の壱岐旅で参拝したほとんどの神社が流造でしたので、もしかしたらこの神社の本殿も流造かも知れません(予想)
境内社と招福猫とイチョウ
●境内社
境内にはいくつかの境内社がありました。
一体全体、どなたがお祀りされているのでしょうね?
●招福猫
社殿の前には招福猫ちゃんがおられました。
この招き猫ちゃんはグルグル回る仕組みになっています。
そんなこんなでグルグル・・・
と思ったら、ガッチガチに固着してました!
当分、回されてないみたいだね。。
ということで、渾身の力を込めて回してきましたよ。
お願いごとどころじゃありませんでした。
ちなみに國片主神社にもグルグル回る招福猫ちゃんがおられました。
●イチョウ
その他、境内には立派なイチョウの木もありました。
なんと、こちらは島内で第3位のイチョウなんだって。
あと、御旅所のような石造物もありました。
壱岐の神社ではこのような石造物に出会うことが多かったです。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
境内にはいくつかの境内社がありました。
一体全体、どなたがお祀りされているのでしょうね?
●招福猫
社殿の前には招福猫ちゃんがおられました。
この招き猫ちゃんはグルグル回る仕組みになっています。
●招福猫の参拝法
・男性 → 右回り
・女性 → 左回り
男性はお願いごとを唱えながら右に、女性はお願いごとを唱えながら左に回すと御利益があるそうです。
・男性 → 右回り
・女性 → 左回り
男性はお願いごとを唱えながら右に、女性はお願いごとを唱えながら左に回すと御利益があるそうです。
そんなこんなでグルグル・・・
と思ったら、ガッチガチに固着してました!
当分、回されてないみたいだね。。
ということで、渾身の力を込めて回してきましたよ。
お願いごとどころじゃありませんでした。
ちなみに國片主神社にもグルグル回る招福猫ちゃんがおられました。
國片主神社の御朱印|たくさんの御利益を授かれる体験型神社(長崎県壱岐市)
所在地長崎県壱岐市芦辺町国分東触766−4祭 神主祭神 少彦名命相殿神 菅贈相國(菅原道真)社 格式内社(小)由 緒811年に創建。中国から石船に乗ってやって来た唐田天神(国分天神)を祀っ...
●イチョウ
その他、境内には立派なイチョウの木もありました。
なんと、こちらは島内で第3位のイチョウなんだって。
あと、御旅所のような石造物もありました。
壱岐の神社ではこのような石造物に出会うことが多かったです。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・覩上神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・覩上神社の拝殿内(書置き)
・月讀神社の社務所(直書き)
※覩上神社には宮司さんは常駐していません。
御朱印は覩上神社の拝殿内に書置きが用意されています。
しかし!
悲しいことに品切れでした・・・。
でも心配はいりません。
覩上神社の御朱印は月讀神社の社務所(授与所)でも頂くことができます。
●月讀神社の社務所(授与所)
覩上神社の御朱印を希望される方は月讀神社の社務所でも頂けます。
宮司さんは月讀神社と國片主神社と覩上神社と熊野神社を兼務しています。
宮司さんのご都合により不在の場合がございますので、事前に電話確認することをオススメします。
●月讀神社の社務所
・10:00〜17:00
●月讀神社の連絡先
・0920-45-4145
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
覩上神社の御朱印を希望される方は月讀神社の社務所でも頂けます。
宮司さんは月讀神社と國片主神社と覩上神社と熊野神社を兼務しています。
宮司さんのご都合により不在の場合がございますので、事前に電話確認することをオススメします。
●月讀神社の社務所
・10:00〜17:00
●月讀神社の連絡先
・0920-45-4145
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
●御朱印の料金
・500円
●御朱印の受付時間
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年8月28日 参拝
・2022年9月 更新
月讀神社の御朱印|月読神社の総本社|もともとは山の神だった(長崎県壱岐市)
所在地長崎県壱岐市芦辺町国分東触464祭 神月夜見命・月弓命・月読命社 格式内大社(名神大)由 緒創建年は不詳。日本書紀によると、京都・松尾大社の境外摂社である月讀神社は壱岐の県主の先祖・忍見宿...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・芦辺港から車で10分
・印通寺港から車で10分
・郷ノ浦港から車で15分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で10分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
今坂 バス停から徒歩10分
・壱岐交通
都城 バス停から徒歩10分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
●駐車場
・境内入口にちょっとした駐車スペースがあります。
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・芦辺港から車で10分
・印通寺港から車で10分
・郷ノ浦港から車で15分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で10分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
今坂 バス停から徒歩10分
・壱岐交通
都城 バス停から徒歩10分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
●駐車場
・境内入口にちょっとした駐車スペースがあります。
壱岐島の御朱印情報まとめ(28種)|受付場所・受付時間・初穂料・オリジナル御朱印帳など
壱岐島で頂ける御朱印をまとめてみました。白沙八幡神社●御朱印の種類・白沙八幡神社の御朱印・海神社の御朱印●御朱印の受付場所・白沙八幡神社●不在の場合・白沙八幡神社の拝殿内に...