所在地 | 山口県山口市徳地上村572 |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
札 所 | 中国四十九薬師霊場 第25番 |
由 緒 | 1189年、奈良・東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が、九条兼実の協力を得て創建したお寺です。九条兼実が月輪関白と呼ばれていたことから、月輪寺という寺号になったそうです。その後、衰退しますが、江戸時代に再建され曹洞宗寺院になったそうです。薬師堂は山口県最古の木造建造物で、国の重要文化財に指定されており、 堂内には聖観音菩薩立像、四天王立像をはじめ多数の仏像が安置されています。 |
月輪寺とは?
本日は重源上人ゆかりの地であります山口市徳地を旅しています。
重源上人といえば中央で活躍したお方というイメージがありますが、実は山口と深く関係するお方でもあるという。
重源上人を語るうえで外せないエピソードは東大寺の再建事業。
実は東大寺の再建で使用された木材は山口市徳地から調達したものだという。
●重源上人と徳地
1180年、平清盛の命を受けた平重衡ら平家軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼き討ちにしました(南都焼討)
この焼き討ちによって興福寺は全焼。
東大寺も主要伽藍のほとんどが焼失してしまったという。
1181年、重源上人は東大寺の被害状況を視察に来ていた後白河法皇の使者・藤原行隆に東大寺再建を進言。
そして、重源上人は東大寺再建の責任者として東大寺勧進職に任命されました。
そんなこんなで、重源上人は東大寺再建のための巨木を求めて周防国の徳地を訪れました。
徳地は面積の約9割を森林が占め、古くから良質の木材が採れる産地として知られていました。
ちなみに、重源上人は宋から帰国後の1171年頃、博多・誓願寺の本尊を制作する際にも徳地の木材を使用しています。
そんなこんなで1186年、重源上人は周防国の国司として赴任。
そして木材の切り出しや運搬を指揮しました。
大木の伐採や運搬は困難を極めましたが、佐波川を使って材木を海まで運び、そこから船で奈良へ運んでいきました。
また、重源上人は作業に従事した人々の健康のために石風呂(サウナ)を設置。
石風呂は、防府・徳地周辺に約60ヶ所もつくったといわれています。
その他、重源上人は周防国に赴任中、周防国一宮・玉祖神社や防府天満宮の社殿などを建て替えています(当時の社殿は現存せず)
そして周防国に赴任して9年後の1195年、無事大仏殿が再建されました。
しかしその後、1567年に再び焼失してしまいました・・・重源さんオツです。。
ちなみに近年、徳地の法光寺に安置されている阿弥陀如来坐像の年輪が、東大寺・仁王像の年輪と同じということが判明し注目を集めています。
東大寺・南大門の仁王さん(国宝)は徳地の木でつくられていたのですね!
1180年、平清盛の命を受けた平重衡ら平家軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼き討ちにしました(南都焼討)
この焼き討ちによって興福寺は全焼。
東大寺も主要伽藍のほとんどが焼失してしまったという。
1181年、重源上人は東大寺の被害状況を視察に来ていた後白河法皇の使者・藤原行隆に東大寺再建を進言。
そして、重源上人は東大寺再建の責任者として東大寺勧進職に任命されました。
そんなこんなで、重源上人は東大寺再建のための巨木を求めて周防国の徳地を訪れました。
徳地は面積の約9割を森林が占め、古くから良質の木材が採れる産地として知られていました。
ちなみに、重源上人は宋から帰国後の1171年頃、博多・誓願寺の本尊を制作する際にも徳地の木材を使用しています。
そんなこんなで1186年、重源上人は周防国の国司として赴任。
そして木材の切り出しや運搬を指揮しました。
大木の伐採や運搬は困難を極めましたが、佐波川を使って材木を海まで運び、そこから船で奈良へ運んでいきました。
また、重源上人は作業に従事した人々の健康のために石風呂(サウナ)を設置。
石風呂は、防府・徳地周辺に約60ヶ所もつくったといわれています。
その他、重源上人は周防国に赴任中、周防国一宮・玉祖神社や防府天満宮の社殿などを建て替えています(当時の社殿は現存せず)
そして周防国に赴任して9年後の1195年、無事大仏殿が再建されました。
しかしその後、1567年に再び焼失してしまいました・・・重源さんオツです。。
ちなみに近年、徳地の法光寺に安置されている阿弥陀如来坐像の年輪が、東大寺・仁王像の年輪と同じということが判明し注目を集めています。
東大寺・南大門の仁王さん(国宝)は徳地の木でつくられていたのですね!
法光寺の御朱印|東大寺・仁王像の兄弟仏|重源上人ゆかりの寺|(山口県山口市徳地)
所在地山口県山口市徳地鯖河内1444宗 派曹洞宗由 緒1186年、奈良・東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が安養寺を建立。それがこのお寺の始まりといいます。重源上人は安養寺を拠点とし、用...
そんなこんなで、重源上人ゆかりの月輪寺を参拝。
月輪寺といえば京都・愛宕山にあるお寺さんを思い浮かべてしまいますが、京都の月輪寺はつきのわでら。
そして山口市徳地の月輪寺はがちりんじと読みます。
月をガチと読むとは・・・日本語って難しいなぁ(外人みたいに言うな)
●月輪寺とは?
寺伝によると、607年に聖徳太子が鹿野町清涼寺に清涼山薬師堂を創建したのが始まりといいます。
清涼山薬師堂には聖徳太子作の本尊・薬師如来像と弘法大師作の十二神将が安置されていたそうですが、時が経つにつれお堂を維持することができず荒廃してしまったという。
平安時代末期、重源上人は源平の争いで焼失した東大寺を再建するため、木材を求めて徳地を訪れていました。
重源上人は清涼山薬師堂が荒廃していることを知り、現在地に薬師堂を再建することを決意しました。
そして1189年、九条兼実の協力を得て薬師堂を再建(現・薬師堂)
九条兼実が月輪関白と呼ばれていたことから、月輪寺という寺号になったそうです。
その後、再び衰退してしまいますが、江戸時代に再建。
そして曹洞宗寺院となり、現在に至るそうです。
寺伝によると、607年に聖徳太子が鹿野町清涼寺に清涼山薬師堂を創建したのが始まりといいます。
清涼山薬師堂には聖徳太子作の本尊・薬師如来像と弘法大師作の十二神将が安置されていたそうですが、時が経つにつれお堂を維持することができず荒廃してしまったという。
平安時代末期、重源上人は源平の争いで焼失した東大寺を再建するため、木材を求めて徳地を訪れていました。
重源上人は清涼山薬師堂が荒廃していることを知り、現在地に薬師堂を再建することを決意しました。
そして1189年、九条兼実の協力を得て薬師堂を再建(現・薬師堂)
九条兼実が月輪関白と呼ばれていたことから、月輪寺という寺号になったそうです。
その後、再び衰退してしまいますが、江戸時代に再建。
そして曹洞宗寺院となり、現在に至るそうです。
手水鉢と山門
●手水鉢
●手水鉢
・1772年作
まずは境内入口にある手水鉢でお清め。
手水鉢には明和九年と刻まれていました。
明和九年は1772年ですので、約250年前の手水鉢となります。
●山門(登龍門)
●山門(登龍門)
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
続いて、登場するのは頭でっかちの山門。
月輪寺だけに頭デッガチ・・・的な駄洒落を言いつつ。
リーフレットによると、かつてこの門は茅葺き屋根だったみたいですね。
いつの時代に改修したのかはわかりませんが、現在はカバー工法で重ね葺きされております。
楼上に梵鐘が吊るされていましたので、こちらの門は鐘楼門となります。
私が参拝したときにはおられませんでしたが、現在は仁王像が安置されているみたいですよ。
そんなこんなで、現在は鐘楼門でもあり仁王門でもあるという2wayタイプの門となっております。
さらに私が参拝したときにはなかった登龍門という額も掲げられているみたいです。
●手水鉢
・1772年作
まずは境内入口にある手水鉢でお清め。
手水鉢には明和九年と刻まれていました。
明和九年は1772年ですので、約250年前の手水鉢となります。
●山門(登龍門)
●山門(登龍門)
・建立年不明
・銅板葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
続いて、登場するのは頭でっかちの山門。
月輪寺だけに頭デッガチ・・・的な駄洒落を言いつつ。
リーフレットによると、かつてこの門は茅葺き屋根だったみたいですね。
いつの時代に改修したのかはわかりませんが、現在はカバー工法で重ね葺きされております。
楼上に梵鐘が吊るされていましたので、こちらの門は鐘楼門となります。
私が参拝したときにはおられませんでしたが、現在は仁王像が安置されているみたいですよ。
そんなこんなで、現在は鐘楼門でもあり仁王門でもあるという2wayタイプの門となっております。
さらに私が参拝したときにはなかった登龍門という額も掲げられているみたいです。
薬師堂
●薬師堂
●薬師堂
・1189年建立
・茅葺 寄棟造
・国指定重要文化財
そんなこんなで、山門をくぐって薬師堂で参拝。
この薬師堂は1189年建立。
なんとこれは山口県内最古の木造建築だという!
ちなみにこの薬師堂は、東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が、九条兼実の協力を得て建立したものといわれています。
創建当時は現在の内陣部分である3間 × 2間だけのお堂でしたが、改修工事の際に廊下部分が増築され5間 × 4間のお堂になったそうです。
このお堂の最大の特徴は、鉋(かんな)を使わず、斧と釿(ちょうな)で木材を削っているところ。
そして、堂内の柱に無数の穴があいているところです。
なんと、この穴は呪釘の跡なんだと!
かつてはこの柱に呪い札や呪い人形が打ちつけられていたのだとか・・・((((;゚Д゚))))
ちなみに山口県最古の木造建造物ですが1957年に大修理を行っているため、ところどころに古建築を感じさせない綺麗な部材がありました。
そんなこんなで、興味深くお堂を拝見。
すると屋根の上に小さな秋を見つけました。
それにしても古ぼけた茅葺き屋根が素敵なお堂ですねぇ。
これぞ古寺と言いたくなるようなビジュアルです。
●薬師堂
・1189年建立
・茅葺 寄棟造
・国指定重要文化財
そんなこんなで、山門をくぐって薬師堂で参拝。
この薬師堂は1189年建立。
なんとこれは山口県内最古の木造建築だという!
ちなみにこの薬師堂は、東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が、九条兼実の協力を得て建立したものといわれています。
創建当時は現在の内陣部分である3間 × 2間だけのお堂でしたが、改修工事の際に廊下部分が増築され5間 × 4間のお堂になったそうです。
このお堂の最大の特徴は、鉋(かんな)を使わず、斧と釿(ちょうな)で木材を削っているところ。
そして、堂内の柱に無数の穴があいているところです。
なんと、この穴は呪釘の跡なんだと!
かつてはこの柱に呪い札や呪い人形が打ちつけられていたのだとか・・・((((;゚Д゚))))
ちなみに山口県最古の木造建造物ですが1957年に大修理を行っているため、ところどころに古建築を感じさせない綺麗な部材がありました。
そんなこんなで、興味深くお堂を拝見。
すると屋根の上に小さな秋を見つけました。
それにしても古ぼけた茅葺き屋根が素敵なお堂ですねぇ。
これぞ古寺と言いたくなるようなビジュアルです。
仏像と厨子と鰐口と経筒
●御本尊 薬師如来坐像御本尊さまは薬師如来坐像。
御本尊さまは秘仏になっており、内陣の厨子に安置されているそうです。
ちなみに、秘仏・薬師如来坐像は20年に1度御開帳されるそうですよ。
●前立薬師如来(なで薬師)
薬師堂の外陣にはなで薬師さんがおられました。
そんなこんなで、ナデナデ。
このなで薬師さんは秘仏御本尊さまのお前立のようですが、御本尊さまは坐像なのにお前立はなぜか立像だというね。
●厨子
●厨子
・1481年作
・板葺 入母屋造
・桁行 120cm
・梁間 88cm
説明板によると、御本尊さまが安置されている厨子は室町時代作で国重文に指定されているみたいです。
●厨子
その他、内陣には聖観音菩薩立像と四天王像と十二神将が安置されているみたいです。
●聖観音菩薩立像
・平安時代後期作
・像高 167.5cm
・檜材 一木寄木造
・山口県指定有形文化財
●四天王立像
・平安時代後期作
・像高 170~178cm
・一木造
・山口県指定有形文化財
聖観音さんと四天王さんは山口県の有形文化財に指定されているらしく、御本尊さんの秘仏御開帳の際に拝顔することができるみたいです。
ちなみに聖観音さんと四天王さんは県重文ですが、御本尊さまは文化財に指定されていませんでした。
●鰐口と経筒
その他、このお寺には寺宝として鰐口と経筒があるそうです。
●鰐口
・室町時代作
・青銅製
・直径 24.6cm
・山口市指定有形文化財
●経筒
・平安時代末期~鎌倉時代初期作(推定)
・青銅製
・高さ 22cm
・口径 11cm
・山口市指定有形文化財
開山堂と子安観音堂と本堂
●開山堂
●開山堂
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、開山堂を参拝。
このお寺は聖徳太子が創建したのが始まりとのことですので、このお堂には聖徳太子さんがお祀りされてるのでしょうか?
それとも、現在地に再建した重源上人がお祀りされてるのでしょうか?
●子安観音堂
●子安観音堂
・建立年不明
・銅板葺 宝形造
続いて、子安観音堂を参拝。
その名の通り、子安観音さんが安置されているお堂です。
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
ちなみに、本堂は薬師堂エリアから少し離れたところにありました。
そんなこんなで参拝後、本堂内でご住職さんとお話タイム。
ご住職さんはとても気さくなお方で、日本人の素晴らしさと日本人としての生き方をお話してくれました。
そして『あなたは愛想よく話を聞いてくれるから、お饅頭をサービス』とお饅頭をくれたことが良い想い出となりました。
ご住職さん、その節はどうもありがとうございました!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
●開山堂
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
続いて、開山堂を参拝。
このお寺は聖徳太子が創建したのが始まりとのことですので、このお堂には聖徳太子さんがお祀りされてるのでしょうか?
それとも、現在地に再建した重源上人がお祀りされてるのでしょうか?
●子安観音堂
●子安観音堂
・建立年不明
・銅板葺 宝形造
続いて、子安観音堂を参拝。
その名の通り、子安観音さんが安置されているお堂です。
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
ちなみに、本堂は薬師堂エリアから少し離れたところにありました。
そんなこんなで参拝後、本堂内でご住職さんとお話タイム。
ご住職さんはとても気さくなお方で、日本人の素晴らしさと日本人としての生き方をお話してくれました。
そして『あなたは愛想よく話を聞いてくれるから、お饅頭をサービス』とお饅頭をくれたことが良い想い出となりました。
ご住職さん、その節はどうもありがとうございました!
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・中国四十九薬師霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・本堂
※本堂は薬師堂エリアから少し離れたところにあります。
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年11月28日 参拝
・2022年10月 更新
法光寺の御朱印|東大寺・仁王像の兄弟仏|重源上人ゆかりの寺|(山口県山口市徳地)
所在地山口県山口市徳地鯖河内1444宗 派曹洞宗由 緒1186年、奈良・東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が安養寺を建立。それがこのお寺の始まりといいます。重源上人は安養寺を拠点とし、用...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR福川駅から車で15分
・JR戸田駅から車で15分
・JR新南陽駅から車で20分
●最寄りのバス停
・薬師前(防長交通)
※JR徳山駅から島地・堀行きのバスに乗車
薬師前 バス停で下車 徒歩7分
●最寄りのIC
・中国自動車道
徳地ICから車で15分
・中国自動車道
鹿野ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR福川駅から車で15分
・JR戸田駅から車で15分
・JR新南陽駅から車で20分
●最寄りのバス停
・薬師前(防長交通)
※JR徳山駅から島地・堀行きのバスに乗車
薬師前 バス停で下車 徒歩7分
●最寄りのIC
・中国自動車道
徳地ICから車で15分
・中国自動車道
鹿野ICから車で25分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)