法光寺の御朱印|東大寺・仁王像の兄弟仏|重源上人ゆかりの寺|(山口県山口市徳地)

所在地山口県山口市徳地鯖河内1444
宗 派曹洞宗
由 緒1186年、奈良・東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が安養寺を建立。それがこのお寺の始まりといいます。重源上人は安養寺を拠点とし、用材の切り出し作業を行っていたそうです。最盛期には7坊を有するほど繁栄しますが、時の経過とともに衰退。しかし1570〜1572年、山口市の名刹・瑠璃光寺の11世・華翁圭岳和尚が再興し、瑠璃光寺の末寺となったそうです。その後、1870年の廃仏毀釈の際に寺号を法光寺と改め、現在に至るそうです。ちなみに近年、阿弥陀堂に安置されている阿弥陀如来坐像の年輪が、奈良・東大寺の仁王像(国宝)の年輪と同じということがわかり、注目を集めているそうです。
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重源上人と徳地


本日は重源上人ゆかりの地であります山口市徳地を旅しています。

そんなこんなで、重源上人が創建したと伝わる法光寺に到着。

法光寺と書いてほうこうじと読みます。


というか、こんなところまで山口市なのか!

どうやら山口市は、平成の大合併で領土をグングンと広げていったようで、地図で見る限り県内の1/5が山口市になってしまった模様。

山口市の中心部より周南市の方が近いので、ここが山口市といわれてもいまいちピンときません。


そんなことより、重源上人といえば中央で活躍したお方というイメージがありますが、実は山口と深く関係するお方でもあるという。

重源上人を語るうえで外せないエピソードは東大寺再建事業

実は東大寺の再建で使用された木材は山口市徳地から調達したものだという。

●重源上人と徳地

1180年、平清盛の命を受けた平重衡ら平家軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼き討ちにしました(南都焼討)

この焼き討ちによって興福寺は全焼。
東大寺も主要伽藍のほとんどが焼失してしまったという。

1181年、重源上人は東大寺の被害状況を視察に来ていた後白河法皇の使者・藤原行隆に東大寺再建を進言。

そして、重源上人は東大寺再建の責任者として東大寺勧進職に任命されました。

そんなこんなで、重源上人は東大寺再建のための巨木を求めて周防国の徳地を訪れました。

徳地は面積の約9割を森林が占め、古くから良質の木材が採れる産地として知られていました。

ちなみに、重源上人は宋から帰国後の1171年頃、博多・誓願寺の本尊を制作する際にも徳地の木材を使用しています。


そんなこんなで1186年、重源上人は周防国の国司として赴任。
そして木材切り出し運搬を指揮しました。

大木の伐採や運搬は困難を極めましたが、佐波川を使って材木を海まで運び、そこから船で奈良へ運んでいきました。


また、重源上人は作業に従事した人々の健康のために石風呂(サウナ)を設置。

石風呂は、防府・徳地周辺に約60ヶ所もつくったといわれています。



その他、重源上人は周防国に赴任中、周防国一宮・玉祖神社防府天満宮の社殿などを建て替えています(当時の社殿は現存せず)

そして周防国に赴任して9年後の1195年、無事大仏殿再建されました。

しかしその後、1567年に再び焼失してしまいました・・・重源さんオツです。。

そんなこんなで、参拝開始。
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山門と本堂

●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 四脚門

まず最初に登場するのは山門

もともとこのお寺さんは安養寺という寺号だったそうです。

その安養寺は、重源上人が東大寺再建用の木材を切り出すための拠点にしていたお寺なんだって。


●本堂

●本堂
・2005年建立
・瓦葺 入母屋造

そんなこんなで、山門をくぐるとすぐ本堂が登場。

最盛期には7坊を有するお寺さんだったそうですが、現在は規模を縮小して小さなお寺さんになっております。
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阿弥陀堂と仏像群

●阿弥陀堂

●阿弥陀堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

続いて、阿弥陀堂を参拝。

堂内には山口県の有形文化財に指定されている5体の古仏が安置されていました。

これらの仏像さんは安養寺(現・法光寺)の創建時に制作されたものといわれています。

●阿弥陀堂の仏像

●阿弥陀如来坐像
・鎌倉時代初期作
・像高 128.7cm
・檜材 一木造
・山口県指定有形文化財

●菩薩形立像
・鎌倉時代初期作
・像高 142.2cm
・檜材 一木造
・山口県指定有形文化財

●十一面観音立像
・鎌倉時代中期作
・像高 130.2cm
・檜材 一木造
・山口県指定有形文化財

●毘沙門天立像
・鎌倉時代初期作
・像高 188cm
・一木造
・山口県指定有形文化財

●不動明王立像
・鎌倉時代初期作
・像高 187cm
・檜材 一木造
・山口県指定有形文化財


というかなんと!

この阿弥陀堂に安置されている阿弥陀如来坐像の年輪パターンは、東大寺・南大門仁王さんの年輪パターン同じなんだと!

またまたぁ〜と思う方もおられるでしょうが、このことは科学的証明されているのだという!


そんなこんなで、法光寺の阿弥陀さんと東大寺の仁王さんは兄弟仏ということなんですね!

ちなみに、年輪パターンが一致したのは、と仁王さんの右ひじあたりなんだって。

いやはや、何気にとんでもない仏さんに出会えてもうた〜!


阿弥陀さんの右隣には菩薩形像不動明王さんがおられました。

この菩薩形像は、何の菩薩さんなのかは不明とのことです。

阿弥陀三尊像として造られたのなら聖観音さんか勢至菩薩さんの可能性がありそうだけど、専門家がわからないって言ってるんだから私みたいなもんが考察してもわかるはずがない。


そんなことより、不動明王さんの後ろにある梵字重源上人の自筆なんだって!

スゴっ!


そして阿弥陀さんの左隣には十一面観音さんと毘沙門天さんと重源さんがおられました。

阿弥陀さんと菩薩形像と不動明王さんと毘沙門天さんは安養寺(現・法光寺)創建当初に造られたものといわれていますが、十一面観音さんだけは後の時代に造られたものなんだって。
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十三重塔

●十三重塔

●十三重塔
・鎌倉時代後期建立
・山口市指定有形文化財

その他、境内には市重文の十三重塔がありました。

説明板によると、重源上人が 天下泰平・国家鎮護のため、川原の石に大般若経を書いて土の中に納めたんだって。
そして、その上に塔を建立したんだと。

それがこの十三重塔なんだって。

しかし実際には、鎌倉時代後期に建立された塔で、重源上人が生きていた時代と合わないんだとか・・・(-“-;) ??


そんなこんなで、参拝終了。

いやはや〜、こんな素敵な仏様を拝見できるとは思ってもみなかったよ。

ありがたや、ありがたや〜。
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御朱印情報

●御朱印の種類
・法光寺の御朱印(無量寿佛)

●御朱印の受付場所
・庫裏

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2009年11月28日 参拝
・2022年10月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR戸田駅から車で25分
・JR福川駅から車で25分
・JR新南陽駅から車で25分
・JR徳山駅から車で35分
・JR山口駅から車で45分

●最寄りのバス停
・防長交通
 高瀬 バス停から徒歩50分

●最寄りのIC
・中国自動車道
 徳地ICから車で15分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

法光寺の地図

 

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