漢陽寺の御朱印|重森三玲が作庭した6つの庭園(山口県周南市)

所在地山口県周南市鹿野上2872
宗 派臨済宗南禅寺派
札 所 ・中国三十三観音霊場 第15番
・山陽花の寺二十四か寺 第4番
由 緒 1374年、大内家11代当主・大内盛見が用堂明機禅師を招いて開山したお寺といいます。明治時代初期まで臨済宗用堂派の本山として、約200ヶ寺の末寺を有していたそうです。昭和の雪舟と称される作庭家・重森三玲が造った庭園が有名なお寺さんです。
HP鹿苑山 漢陽寺 | 山口県にある日本庭園が美しいお寺
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漢陽寺とは?

●境内入口

山口県周南市の鹿野という地にあります漢陽寺に到着。

このお寺の正式名称は鹿苑山 漢陽寺

鹿苑山 漢陽寺と書いてろくおんざん かんようじと読みます。

●漢陽寺とは?

1346年、中国での修行を終えた用堂明機禅師が日本に帰国する際、船が大嵐に遭遇し難破しそうになったという。

そこで用堂明機禅師は母から御守りとして渡されていた八葉の鏡と、中国の師・竺源遠禅師から頂いた栢の実を空高く投げ『この鏡と栢の実が辿り着いた地に観世音菩薩さまをお祀りいたします』と願ったそうです。


それから30年後。

用堂明機禅師は、大内氏の祈願所を建立するため鹿野に招請されたという。

するとこの地から八葉の鏡が出土し、栢の芽が出ているのを発見!

そんなこんなで用堂明機禅師は『こここそが私の安住の地』といい、漢陽寺を建立し、聖観世音菩薩を安置したそうです。

それがこのお寺の始まりといいます。


天気予報を見ない能天気な男。

まさか雪だとはね!

年季の入ったノーマルタイヤだったため、路面の凍結にビビリましたが何とか無事到着できました。

そんなこんなで、参拝開始。
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山門

●山門

●山門
・江戸時代建立
・2006年大修理
・瓦葺 入母屋造 二重門

まず最初に登場するのは重厚な山門

見ようによっては新しくも見えるし、古くも見える・・・

そんなこんなでメガネをかけてよく見てみると、古い部材と新しい部材が混在した門になっていました。


どうやらこの門は1677年の大火災後、毛利氏の加護により再建。

その後、2006年に大修理を行い現在に至るそうです。

もともとは茅葺き屋根だったそうですが、明治時代末期に瓦葺きになったんだって。


帰宅後に知ったのですが、右側の扉の下に弾痕があるのだとか!

って、何で弾痕が!?

1869年、戊辰戦争後の冷遇に不満を持った長州藩諸隊の兵士が反乱を起こした際、このお寺に立て籠もったんだと。

その際、長州藩の兵士が長州藩諸隊に向けて大砲を撃ち込んだのだとか!

それが漢陽寺の山門に残る弾痕なんだって。

嗚呼、見事に見逃して帰りましたねぇ・・・

相変わらず詰めが甘い!
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本堂と法堂

●本堂

●本堂
・1990年建立
・銅板葺 入母屋造

続いて、本堂で参拝。

本堂は創建当初の様式を復元した方丈建築

樹齢2000年以上の台湾檜材で造られたものなんだって。

中国地方で本堂を方丈建築にしたお寺に出会ったのは初めてのような気がします。


御本尊は聖観世音菩薩さん。

中国三十三観音霊場の第15番札所ならびに山陽花の寺二十四か寺の第4番札所となっております。


●法堂

●法堂
・江戸時代建立
・瓦葺 重層入母屋造

続いて、法堂を参拝。

建立年は不明ですが、山門と同時期に建立されたものといわれています。

外観は二層のお堂に見えますが下の屋根は裳階のため、実際は一層の建物です。


小ぶりながらも重厚感のある禅宗様建築で、法堂というより仏殿と呼びたくなるようなお堂でした。


堂内の床は四半敷になっていました。

そんなこんなで、このお堂は本格的な禅宗様となっております。
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潮音洞

●潮音洞

●潮音洞
・1654年築造
・山口県指定文化財(史跡)

この水路は1654年に当時の代官・岩崎想左衛門重友さんが造ったものなんだって。

想左衛門重友さんは、水に恵まれなかった鹿野の水田開作と生活用水を救うために私財を投げうって、このお寺の裏山にトンネルを掘り、錦川上流の水を引いたんだと。

トンネルの長さはなんと約88m!

錦川から引いた水路は約200mにも及ぶという!

現在のように重機がない時代・・・岩盤にノミとツチでトンネルを開通させる工事は困難を極めたそうですよ。


そんなこんなで1651年に着工した工事は、約4年の歳月をかけて1654年に完成。

そして潮音洞の完成により62町歩の水田を開作することに成功。

荒地だった鹿野の地に、次々と新しい田畑が作られていったそうです。

さらに住民300戸の生活用水を救うことができたんだって。

その功績により、長州藩2代藩主・毛利綱広さんは岩崎家を藩士として登用したそうですよ。


天気のせいか参拝者は私のみ。

人がいなかったせいか、何だか時間が止まってるように思えたひと時でした。

でも境内には水が轟々と流れていて。

水の流れを見ていると、刻々と時間が流れていることに気付くのでありました。

ちなみに潮音洞から流れる水は平成の名水百選に選ばれています。
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庭園

●庭園

漢陽寺といえば庭園!

庭園の作庭者は昭和の雪舟と称される作庭家・重森三玲さん!

なんと重森三玲さんのファンだった前住職が熱心に作庭を依頼し、1973年に足かけ8年の歳月をかけて完成させたお庭なんだって。

面白いなぁ〜と思ったのは、平安・鎌倉・桃山・現代という、様々な時代形式のお庭があること。

なんだか日本庭園の歴史を見ているようで、まるで庭園の博物館みたいでしたよ。

ちなみにこの庭園は、2021年に国の登録記念物(名勝地関係)に登録されたそうです。


●曲水の庭

●曲水の庭
・平安時代様式
・重森三玲 作

こちらは曲水の庭です。

曲水の庭と書いてきょくすいのにわと読むそうです。

その名のとおり、曲水とは曲がりくねった水路のこと。

曲水様式の庭園は平安時代〜鎌倉時代にかけて流行したお庭なんだって。

当時の貴族は、曲水に浮かべたが自分の前に来るまでにを詠まなければいけないという曲水の宴で遊んでいたそうですよ。


素敵なお庭ですねぇ。

色のない景色。

雪のおかげで水墨画のような景色を堪能することができましたよ。


●地蔵遊化の庭

●地蔵遊化の庭
・平安時代様式
・重森三玲 作

こちらは地蔵遊化の庭です。

地蔵遊化の庭と書いてじぞうゆうげのにわと読むそうです。

この庭園は地蔵菩薩子供と遊んでいる様を表現した平安時代様式のお庭なんだって。


ちなみにこのお庭は四方のどこからでも観賞することができます。

見る方向によって違った姿を見せてくれる素敵なお庭でした。


●蓬莱山池庭

●蓬莱山池庭
・鎌倉時代様式
・重森三玲 作

こちらは蓬莱山池庭です。

蓬莱山池庭と書いてほうらいさんいけにわと読むそうです。

蓬莱山とは不老不死の仙人が住む理想郷です。

こちらは裏山を利用した築山と、潮音洞の水を利用した流水式の池庭を合体させた鎌倉時代様式のお庭になっていました。

ちなみに蓬莱式庭園とは、蓬莱山から流れた水が大海になる姿を表現したお庭です。


●曹源一滴の庭

●曹源一滴の庭
・桃山時代様式
・重森三玲 作

こちらは曹源一滴の庭です。
山門前にあります。

曹源一滴の庭と書いてそうげんいってきのにわと読むそうです。

公式ホームページによると、中国の画家・玉澗が創作した山水画の画風を日本庭園の様式に取り入れたことから玉澗式と呼ばれるお庭なんだって。


その他、九山八海の庭瀟湘八景の庭があるそうですが、もう寒すぎて足の裏が限界!

これは真冬のお寺巡りあるあるです。

あと、消災石(しょうさいせき)という見所があるそうなのですが、雪に埋もれていたため発見できず・・・(笑)

そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵なお寺さんでした。

今度は雪のない暖かい季節に再訪したいですねぇ〜。


その後、漢陽寺から車で5分のところに鎮座する鹿野稲荷神社を参拝してきました。

境内からは鹿野の町並みが一望でき、素晴らしい景色を堪能することができました。

御朱印情報

●御朱印の種類
・中国三十三観音霊場の御朱印
・山陽花の寺二十四か寺の御朱印
・消災石の御朱印

●御朱印の受付場所
・拝観受付

●御朱印の受付時間
・9:00~16:00

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2009年1月17日 参拝
・2023年3月 更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・9:00~16:00

●拝観料
・大人 400円
・中学生以下は無料

●最寄りの駅
・JR徳山駅から車で40分

●最寄りのバス停
・防長バス
 鹿野 バス停から徒歩10分

●最寄りのIC
・中国自動車道
 鹿野ICから車で5分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約20台)

漢陽寺の地図

 

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