所在地 | 山口県防府市国分寺町2−67 |
---|---|
宗 派 | 高野山真言宗 |
寺 格 | 別格本山 |
由 緒 | 741年、聖武天皇の発願のもと全国に建立された国分寺の1つ。正確な創建年は不明ですが、756年の続日本紀に記述があることから、遅くとも756年以前には存在していたお寺と思われます。1417年に焼失しますが、1421年に大内盛見が金堂を再建。 その後も周防国を治めた大内氏・毛利氏の保護を受け、堂宇が再建されました。現在も創建当初の位置・規模で伽藍を残す極めて珍しいお寺となっております。 |
HP | 周防国分寺 |
周防国分寺とは?
●境内入口
本日は山口県防府市を旅しています。
そんなこんなで、周防国衙跡の西北隅近くに位置する周防国分寺に到着。
周防国分寺と書いてすおうこくぶんじと読みます。
門前には観光客がチラホラ。
周防国分寺のすぐ近くには、防府市の人気スポット・防府天満宮や毛利氏庭園がありますので、これらの人気スポットとセットで訪れる方も多いようです。
かつて防府には周防国の国府が置かれていました。
周防国府には国庁・国分寺・国分尼寺・総社(惣社)などが設置され、政治の中心地であるとともに司法・軍事・宗教の中心地でもありました。
他国の国府は平安時代後期から鎌倉時代始めに衰退していきましたが、周防国の国府は東大寺造営料国だったことから、現在まで良好な状態で原型が保たれてきました。
そのため、全国の国府跡の中で1番早く国の史跡に指定されたという!
さらに!
他の国分寺が廃寺や移転をするなか、この周防国分寺は現在も創建当初と同じ場所に、そしてほぼ同じ規模で存在しているという!
これは全国的に珍しい例で、大変貴重な遺構として注目を集めてるんだって。
そんなこんなで、この周防国分寺は何気にとんでもないお寺さんだという!
ちなみに山口県には2つの国府がありました。
防府という地名は周防国府を略したものといわれています。
そして長府という地名は長門国府を略したものといわれています。
そんなこんなで、参拝開始。
本日は山口県防府市を旅しています。
そんなこんなで、周防国衙跡の西北隅近くに位置する周防国分寺に到着。
周防国分寺と書いてすおうこくぶんじと読みます。
門前には観光客がチラホラ。
周防国分寺のすぐ近くには、防府市の人気スポット・防府天満宮や毛利氏庭園がありますので、これらの人気スポットとセットで訪れる方も多いようです。
かつて防府には周防国の国府が置かれていました。
周防国府には国庁・国分寺・国分尼寺・総社(惣社)などが設置され、政治の中心地であるとともに司法・軍事・宗教の中心地でもありました。
他国の国府は平安時代後期から鎌倉時代始めに衰退していきましたが、周防国の国府は東大寺造営料国だったことから、現在まで良好な状態で原型が保たれてきました。
そのため、全国の国府跡の中で1番早く国の史跡に指定されたという!
さらに!
他の国分寺が廃寺や移転をするなか、この周防国分寺は現在も創建当初と同じ場所に、そしてほぼ同じ規模で存在しているという!
これは全国的に珍しい例で、大変貴重な遺構として注目を集めてるんだって。
そんなこんなで、この周防国分寺は何気にとんでもないお寺さんだという!
ちなみに山口県には2つの国府がありました。
①周防国府(防府市)
②長門国府(下関市長府)
②長門国府(下関市長府)
防府という地名は周防国府を略したものといわれています。
そして長府という地名は長門国府を略したものといわれています。
●国分寺とは?
奈良時代、地震や疫病や内乱などが相次ぎ社会情勢が不安定になりました。
そうした中、聖武天皇は仏教の力で国を護る!ということを決定しました。
そんなこんなで741年、聖武天皇は国分寺建立の詔を発令し、日本全国に68もの国分寺を造らせました。
この周防国分寺もそのうちの1つです。
しかし、国司の怠慢や財政難などですぐに全国各地に建立されたという訳ではありませんでした。
そんな中、この周防国分寺は比較的早い時期に創建されていたようで、国分寺建立の詔が発令された頃の創建と推測されています。
周防国分寺の正確な創建年は不明ですが、756年の続日本紀に記述があることから、遅くとも756年以前には存在していたということがわかります。
平安時代になってからも、全国各地の国分寺は維持されていきますが、律令体制の衰退とともに国家的な援助ができなくなり荒廃する国分寺が増えていきました。
そして、廃寺となる国分寺も増えました。
しかし、宗派を変えるなどして存続を維持できたお寺もあったようです。
廃寺となった国分寺も、江戸時代に再興されることが多かったそうです。
現在、全国にある国分寺は改宗をしたり再興をしたりして続いた国分寺で、純粋な国分寺とは性格も性質も違う新しく生まれ変わった国分寺となります。
そのため現在でも国分寺と名乗る寺院は多数存在しています。
このような寺院のことを後継寺院と呼びます。
しかし!
他国の国分寺が廃寺や移転をするなか、この周防国分寺は現在も創建当初と同じ場所にほぼ同じ規模で存在しているという!
これは全国的に珍しい例で、大変貴重な遺構として注目を集めています!
1417年に金堂など多くのお堂を焼失してしまいますが、4年後の1421年に大内氏11代当主・大内盛見が金堂を再建。
1503年には大内氏15代当主・大内義興が金堂や仁王門などを修復しました。
さらに大内氏に代わって周防国を治めることになった毛利氏の時代には、1596年に長州藩祖・毛利輝元が仁王門を建立。
1642年に長州藩初代藩主・毛利秀就が金堂などの諸堂を再建。
そして1779年には長州藩7代藩主・毛利重就が金堂を再建。
このように周防国分寺は、周防国を治めた歴代国主の保護を受けながら、創建当初と変わらぬ場所で歴史が受け継がれてきました。
周防国分寺は昭和時代以降、何度か発掘調査が行われているみたいです。
近年では、1997〜2005年に金堂の保存修理(平成大修理)が行われ、その際の発掘調査により、金堂の位置が創建当初から同じ場所に存在していることが証明されました。
寺域は、南北約2町・東西約1町10間。
これも創建当初から同じ規模だといわれています。
他の国分寺同様、かつてはこの周防国分寺にも塔があったそうですが、現在は現存せず。
発掘調査によると、基壇上の建物は一辺7.88mの五重塔と推定されています。
明治時代の中頃までは礎石が残っていたそうですが、いつからかその礎石は持ち去られてしまったという。
その他、境内には掘立柱の建物が認められています。
多分ですけど、これは食堂・僧房・工房の可能性が高そうです。
また、門前を旧・山陽道が通るほか、付近に周防国衙跡があることから、古くからこの地が政治的・文化的中心地であったことも判明しています。
国分寺には2種類あります。
①国分僧寺(写真左)
・正式名称は金光明四天王護国之寺
・男性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・東大寺
・在籍人数は常時20人
②国分尼寺(写真右)
・正式名称は法華滅罪之寺
・女性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・法華寺
・在籍人数は常時10人
一般的に国分寺といえば国分僧寺のことを指します。
ちなみに、周防国分尼寺の所在地は定かになっていません。
周防国分寺尼寺は、僧寺と同じく1325年に再興されたそうですが、1688〜1704年以降に廃絶。
その後の由緒は不明となっております。
奈良時代、地震や疫病や内乱などが相次ぎ社会情勢が不安定になりました。
そうした中、聖武天皇は仏教の力で国を護る!ということを決定しました。
そんなこんなで741年、聖武天皇は国分寺建立の詔を発令し、日本全国に68もの国分寺を造らせました。
この周防国分寺もそのうちの1つです。
しかし、国司の怠慢や財政難などですぐに全国各地に建立されたという訳ではありませんでした。
そんな中、この周防国分寺は比較的早い時期に創建されていたようで、国分寺建立の詔が発令された頃の創建と推測されています。
周防国分寺の正確な創建年は不明ですが、756年の続日本紀に記述があることから、遅くとも756年以前には存在していたということがわかります。
平安時代になってからも、全国各地の国分寺は維持されていきますが、律令体制の衰退とともに国家的な援助ができなくなり荒廃する国分寺が増えていきました。
そして、廃寺となる国分寺も増えました。
しかし、宗派を変えるなどして存続を維持できたお寺もあったようです。
廃寺となった国分寺も、江戸時代に再興されることが多かったそうです。
現在、全国にある国分寺は改宗をしたり再興をしたりして続いた国分寺で、純粋な国分寺とは性格も性質も違う新しく生まれ変わった国分寺となります。
そのため現在でも国分寺と名乗る寺院は多数存在しています。
このような寺院のことを後継寺院と呼びます。
しかし!
他国の国分寺が廃寺や移転をするなか、この周防国分寺は現在も創建当初と同じ場所にほぼ同じ規模で存在しているという!
これは全国的に珍しい例で、大変貴重な遺構として注目を集めています!
1417年に金堂など多くのお堂を焼失してしまいますが、4年後の1421年に大内氏11代当主・大内盛見が金堂を再建。
1503年には大内氏15代当主・大内義興が金堂や仁王門などを修復しました。
さらに大内氏に代わって周防国を治めることになった毛利氏の時代には、1596年に長州藩祖・毛利輝元が仁王門を建立。
1642年に長州藩初代藩主・毛利秀就が金堂などの諸堂を再建。
そして1779年には長州藩7代藩主・毛利重就が金堂を再建。
このように周防国分寺は、周防国を治めた歴代国主の保護を受けながら、創建当初と変わらぬ場所で歴史が受け継がれてきました。
周防国分寺は昭和時代以降、何度か発掘調査が行われているみたいです。
近年では、1997〜2005年に金堂の保存修理(平成大修理)が行われ、その際の発掘調査により、金堂の位置が創建当初から同じ場所に存在していることが証明されました。
寺域は、南北約2町・東西約1町10間。
これも創建当初から同じ規模だといわれています。
他の国分寺同様、かつてはこの周防国分寺にも塔があったそうですが、現在は現存せず。
発掘調査によると、基壇上の建物は一辺7.88mの五重塔と推定されています。
明治時代の中頃までは礎石が残っていたそうですが、いつからかその礎石は持ち去られてしまったという。
その他、境内には掘立柱の建物が認められています。
多分ですけど、これは食堂・僧房・工房の可能性が高そうです。
また、門前を旧・山陽道が通るほか、付近に周防国衙跡があることから、古くからこの地が政治的・文化的中心地であったことも判明しています。
国分寺には2種類あります。
①国分僧寺(写真左)
・正式名称は金光明四天王護国之寺
・男性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・東大寺
・在籍人数は常時20人
②国分尼寺(写真右)
・正式名称は法華滅罪之寺
・女性の僧侶が在籍する国分寺
・総本山は奈良・法華寺
・在籍人数は常時10人
一般的に国分寺といえば国分僧寺のことを指します。
ちなみに、周防国分尼寺の所在地は定かになっていません。
周防国分寺尼寺は、僧寺と同じく1325年に再興されたそうですが、1688〜1704年以降に廃絶。
その後の由緒は不明となっております。
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門と参道
●仁王門●仁王門
・1596年再建
・1767年改修
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
・山口県指定有形文化財
まず最初に登場するのは重厚感たっぷりの仁王門。
この仁王門は、1596年に長州藩祖・毛利輝元さんが再建したものといわれています。
その後、1767年に長州藩7代藩主・毛利重就さんが大改修。
それが現在の仁王門といわれています。
高さは12.12m。
横幅は9.94m。
奥行は6m。
地方のお寺としてはかなり大掛かりな門になっていました。
柱はすべて円柱。
上層には桟唐戸。
軒下には扇垂木。
賑やかな詰組。
柱と礎石の間には礎盤。
そんなこんなで、仁王門には禅宗様の特徴がたくさん見られました。
●金剛力士像(仁王像)
・室町時代作
・阿形 像高350.5cm
・吽形 像高352.4cm
・檜材 寄木造
続いて、仁王さんにご挨拶。
仁王さんは破損が著しくボロッボロの状態でした。。
3.5mを超す巨像なうえ、ゾンビ感のある見た目のため、いろんな意味で迫力のある像となっておりました。
ちなみに現在、周防国分寺の寺務所にて修復の寄付金を募っています。
仁王門前にあるクスノキは樹齢600年といわれています。
栄華を極めた西国の大守・大内氏の時代からお寺の歴史を見守ってきた木なのですね。
●参道
そんなこんなで、仁王門をくぐって境内へ。
まるでグランドのような参道でした。
最盛期には61町歩余りの寺域に、七堂伽藍と25ヶ寺の塔頭・末寺を有する威容を誇っていたそうですが、現在はガラーンとした伽藍となっております(駄洒落です)
●塔頭
・安楽寺(宝寿院)
・禅光院
・地蔵院
・宝幢院
・禅悦院
・蔵之坊など
※塔頭は全て廃寺となっております。
・安楽寺(宝寿院)
・禅光院
・地蔵院
・宝幢院
・禅悦院
・蔵之坊など
※塔頭は全て廃寺となっております。
金堂
●金堂
●金堂
・1788年頃再建
・瓦葺 二重入母屋造
・国指定重要文化財
続いて、巨大な金堂がドーンと登場。
金堂は高さ18m。
横幅22m。
奥行15.8m。
屋根を二重としたボリューム感たっぷりのお堂となっておりました。
現在の金堂は、1788年頃に長州藩7代藩主・毛利重就さんが再建したものといわれています。
1997〜2004年の平成の大修理の際、金堂下の発掘調査が行われたそうです。
その際、この金堂は創建当初の金堂跡に再建されていることが確認されたんだって。
全国の国分寺の中で、ここまで大規模な金堂が残っているのはかなりレアなケースだと思いました。
御本尊は薬師如来さん。
現在の御本尊は薬師如来さんですが、創建当初の御本尊は丈六の釈迦如来さんだったといわれています。
木鼻は獅子と象。
蟇股には毛利氏の家紋・一文字三つ星と寅。
そんなことよりなんと!
金堂内には、御本尊・薬師如来坐像を始め、日光・月光菩薩立像、四天王像、十二神将など50体以上の仏像が安置されているという!
~画像はパンフレットより~
そんなこんなで、拝観受付をして金堂内へ。
中国地方のお寺さんで拝観料を払って堂内に入るのはかなりレアですね!
堂内ではガイドのお爺ちゃんがユーモアたっぷりに案内してくれました。
それにしても、想像をはるかに超える仏像群の素晴らしさに脳汁が垂れ流し状態でした。
都レベルの感動空間でしたよ。
※金堂内は写真撮影禁止
画像はパンフレットより
●金堂
・1788年頃再建
・瓦葺 二重入母屋造
・国指定重要文化財
続いて、巨大な金堂がドーンと登場。
金堂は高さ18m。
横幅22m。
奥行15.8m。
屋根を二重としたボリューム感たっぷりのお堂となっておりました。
現在の金堂は、1788年頃に長州藩7代藩主・毛利重就さんが再建したものといわれています。
1997〜2004年の平成の大修理の際、金堂下の発掘調査が行われたそうです。
その際、この金堂は創建当初の金堂跡に再建されていることが確認されたんだって。
全国の国分寺の中で、ここまで大規模な金堂が残っているのはかなりレアなケースだと思いました。
御本尊は薬師如来さん。
現在の御本尊は薬師如来さんですが、創建当初の御本尊は丈六の釈迦如来さんだったといわれています。
木鼻は獅子と象。
蟇股には毛利氏の家紋・一文字三つ星と寅。
そんなことよりなんと!
金堂内には、御本尊・薬師如来坐像を始め、日光・月光菩薩立像、四天王像、十二神将など50体以上の仏像が安置されているという!
~画像はパンフレットより~
そんなこんなで、拝観受付をして金堂内へ。
中国地方のお寺さんで拝観料を払って堂内に入るのはかなりレアですね!
堂内ではガイドのお爺ちゃんがユーモアたっぷりに案内してくれました。
それにしても、想像をはるかに超える仏像群の素晴らしさに脳汁が垂れ流し状態でした。
都レベルの感動空間でしたよ。
※金堂内は写真撮影禁止
画像はパンフレットより
仏像拝観
●本尊 薬師如来坐像
~画像はパンフレットより~
●本尊 薬師如来坐像
・室町時代作
・坐高 218cm
・檜材 寄木造
・国指定重要文化財
薬師如来さんといえば薬壺。
一説によると、重要文化財に指定されている薬師如来さんは247体。
そのうち薬壺を持っている薬師如来さんは191体といわれています。
薬壺というくらいだから、壺の中には薬が入っているのだろう・・・と思ったら大間違い!
なんと薬壺を持つ薬師如来さん191体は、全て中身が空っぽの薬壺を持っているという。
しかし、1997年に唯一の例外が見つかったんだと!
それが周防国分寺の薬師如来さん!
なんと、この薬師如来さんの薬壺からは米・大麦・小麦などの穀物をはじめ、朝鮮人参・丁子・白檀・菖蒲の根などの生薬、さらに色ガラス・水晶・五輪塔などの宝物、17種類が納められていたという!
薬壺の蓋に元禄12年と書かれていることから300年以上も昔に納められた物かも知れないという!
先ほど重要文化財に指定された191体の薬壺は空っぽと書きましたが、その中に周防国分寺の薬師如来さんは含まれていません。
実は薬壺の中身が見つかった1997年の時点では周防国分寺の薬師如来像はまだ重要文化財に指定されていませんでした。
というか、なんでこんなにもたくさんの内蔵物が!?
ヒントは薬壺の蓋に書かれた元禄12年という年号にあるみたいだ。
元禄12年は凶作だったといわれています。
ということで、当時の人々は五穀豊穣を願い穀類を。
そして金箔や鉱物など、当時の人々にとって簡単に入手できない高価な品々を納めることによって薬師如来さんに対する高い信仰心を表しているのではないか???
的なことが推測されています。
さらに!
寺伝によると、1417年の火災の際、当時の住職・仙秀宝憲さんが薬師如来さんの仏手を持ち出し、現・本尊である薬師如来さんの胎内に納めたと伝えられていたという。
平成の大修理の際、薬師如来さんを移動した際、なんと言い伝え通り仏手が出てきたんだと!
これはかなり珍しい薬師さんですね!
●日光・月光菩薩立像
●日光・月光菩薩立像
・平安時代初期作
・日光菩薩 像高180cm
・月光菩薩 像高179cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財
薬師如来さんの両サイドには日光・月光さんがおられました。
日光・月光さんは薬師如来さんの脇侍ですので、御本尊の薬師如来さんは薬師三尊像となります。
通常、日光・月光さんは左右対称の形でつくられるのですが、なんとこちらは左右同形でつくられているという!
これまた珍しい仏像さんですね!
●四天王像
●四天王像
・平安時代中期作
・像高 約200cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財
須弥壇の四隅には四方をお護りする四天王さんがおられました。
像高はいずれも2m以上。
持国天さんと増長天さんは像と邪鬼が一木造なんだって。
ちなみに国分寺の正式名称は金光明四天王護国之寺。
これは金光明経に『もし国王がこの経を崇拝すれば、われら四天王はこの国を常に守護せん』と書かれていることによります。
●阿弥陀如来立像
●阿弥陀如来立像
・鎌倉時代作
・像高 96cm
・檜材 寄木造
・快慶作
・山口県指定有形文化財
なんと、こちらの阿弥陀さんは快慶作だという!
来迎形式の阿弥陀如来立像は快慶さんの得意分野です。
●金銅 毘盧舎那如来
●金銅 毘盧舎那如来
・制作年不詳
・坐高 51.6cm
・山口県指定有形文化財
こちらは高麗からの渡来仏のようです。
智拳印なので大日如来さんかと思ったら毘盧舎那如来さんだという・・・(-“-;) ??
これまた珍しい仏像さんですね!
●金銅 誕生仏
●金銅 誕生仏
・平安時代作
・像高 25.3cm
・山口県指定有形文化財
こちらは、大陸貿易が行なわれていた大内時代に統一新羅から持ち帰られたと伝わる誕生仏です。
一般的に誕生仏は右手を上げているものが多いのですが、こちらは左手を上げているという!
これまた珍しい仏像ですね!
その他堂内には、十一面観音さん・十二神将さん・十二天さん・不動明王さん・愛染明王さんなどがおられました。
もうお腹いっぱいです。
●阿弥陀如来坐像
・平安時代作
・坐高 114cm
・檜材 寄木造
・国指定重要文化財
ちなみに持仏堂には半丈六の阿弥陀如来さんが安置されているそうです。
こちらは拝観することができませんでした。
~画像はパンフレットより~
●本尊 薬師如来坐像
・室町時代作
・坐高 218cm
・檜材 寄木造
・国指定重要文化財
薬師如来さんといえば薬壺。
一説によると、重要文化財に指定されている薬師如来さんは247体。
そのうち薬壺を持っている薬師如来さんは191体といわれています。
薬壺というくらいだから、壺の中には薬が入っているのだろう・・・と思ったら大間違い!
なんと薬壺を持つ薬師如来さん191体は、全て中身が空っぽの薬壺を持っているという。
しかし、1997年に唯一の例外が見つかったんだと!
それが周防国分寺の薬師如来さん!
なんと、この薬師如来さんの薬壺からは米・大麦・小麦などの穀物をはじめ、朝鮮人参・丁子・白檀・菖蒲の根などの生薬、さらに色ガラス・水晶・五輪塔などの宝物、17種類が納められていたという!
薬壺の蓋に元禄12年と書かれていることから300年以上も昔に納められた物かも知れないという!
先ほど重要文化財に指定された191体の薬壺は空っぽと書きましたが、その中に周防国分寺の薬師如来さんは含まれていません。
実は薬壺の中身が見つかった1997年の時点では周防国分寺の薬師如来像はまだ重要文化財に指定されていませんでした。
というか、なんでこんなにもたくさんの内蔵物が!?
ヒントは薬壺の蓋に書かれた元禄12年という年号にあるみたいだ。
元禄12年は凶作だったといわれています。
ということで、当時の人々は五穀豊穣を願い穀類を。
そして金箔や鉱物など、当時の人々にとって簡単に入手できない高価な品々を納めることによって薬師如来さんに対する高い信仰心を表しているのではないか???
的なことが推測されています。
●薬壺の内蔵物
①米
②大麦
③小麦
④大豆
⑤小豆
⑥石菖根
⑦菖蒲根
⑧朝鮮人参
⑨丁子
⑩白檀
⑪混合物
⑫白水晶
⑬紫色鉛ガラス
⑭青色鉛ガラス
⑮球状石灰石
⑯銀箔
⑰金箔
①米
②大麦
③小麦
④大豆
⑤小豆
⑥石菖根
⑦菖蒲根
⑧朝鮮人参
⑨丁子
⑩白檀
⑪混合物
⑫白水晶
⑬紫色鉛ガラス
⑭青色鉛ガラス
⑮球状石灰石
⑯銀箔
⑰金箔
さらに!
寺伝によると、1417年の火災の際、当時の住職・仙秀宝憲さんが薬師如来さんの仏手を持ち出し、現・本尊である薬師如来さんの胎内に納めたと伝えられていたという。
平成の大修理の際、薬師如来さんを移動した際、なんと言い伝え通り仏手が出てきたんだと!
これはかなり珍しい薬師さんですね!
●日光・月光菩薩立像
●日光・月光菩薩立像
・平安時代初期作
・日光菩薩 像高180cm
・月光菩薩 像高179cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財
薬師如来さんの両サイドには日光・月光さんがおられました。
日光・月光さんは薬師如来さんの脇侍ですので、御本尊の薬師如来さんは薬師三尊像となります。
通常、日光・月光さんは左右対称の形でつくられるのですが、なんとこちらは左右同形でつくられているという!
これまた珍しい仏像さんですね!
●四天王像
●四天王像
・平安時代中期作
・像高 約200cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財
須弥壇の四隅には四方をお護りする四天王さんがおられました。
像高はいずれも2m以上。
持国天さんと増長天さんは像と邪鬼が一木造なんだって。
ちなみに国分寺の正式名称は金光明四天王護国之寺。
これは金光明経に『もし国王がこの経を崇拝すれば、われら四天王はこの国を常に守護せん』と書かれていることによります。
●阿弥陀如来立像
●阿弥陀如来立像
・鎌倉時代作
・像高 96cm
・檜材 寄木造
・快慶作
・山口県指定有形文化財
なんと、こちらの阿弥陀さんは快慶作だという!
来迎形式の阿弥陀如来立像は快慶さんの得意分野です。
●金銅 毘盧舎那如来
●金銅 毘盧舎那如来
・制作年不詳
・坐高 51.6cm
・山口県指定有形文化財
こちらは高麗からの渡来仏のようです。
智拳印なので大日如来さんかと思ったら毘盧舎那如来さんだという・・・(-“-;) ??
これまた珍しい仏像さんですね!
●金銅 誕生仏
●金銅 誕生仏
・平安時代作
・像高 25.3cm
・山口県指定有形文化財
こちらは、大陸貿易が行なわれていた大内時代に統一新羅から持ち帰られたと伝わる誕生仏です。
一般的に誕生仏は右手を上げているものが多いのですが、こちらは左手を上げているという!
これまた珍しい仏像ですね!
その他堂内には、十一面観音さん・十二神将さん・十二天さん・不動明王さん・愛染明王さんなどがおられました。
もうお腹いっぱいです。
●阿弥陀如来坐像
・平安時代作
・坐高 114cm
・檜材 寄木造
・国指定重要文化財
ちなみに持仏堂には半丈六の阿弥陀如来さんが安置されているそうです。
こちらは拝観することができませんでした。
その他の見どころ
●中門
●中門
・1632年建立
・切妻造 四脚門
こちらは、1632年に長州藩初代藩主・毛利秀就さんが再建した中門です。
なんと、周防国分寺最古の建造物なんだって。
それにしても、痛々しい門でした。
補強しまくりで生かさず殺さずの状態・・・。
どうやら、1999年9月の台風18号によって崩壊寸前まで傾いてしまったのだとか。。
ちなみに現在、周防国分寺の寺務所にて再建のための寄付金を募っています。
●槇
●槇
・樹齢 約1000年
境内には樹齢1000年を超す槇の大木がそびえ立っていました。
●弘法大師と衛門三郎像
●弘法大師と衛門三郎像
・右 → 弘法大師
・左 → 衛門三郎
こちらは、衛門三郎さんが弘法大師さまに泣いて詫びるという、衛門三郎伝説の名場面です。
ちなみに、衛門三郎さんは遍路の元祖です。
こちらに衛門三郎さんのことを書いています。
ちなみに、境内を1周しそうな勢いで石仏が立っておられました。
サイズ的にお地蔵さんかなぁって思っていたら、全て弘法大師さんだったというね!
こんなにもたくさんの弘法大師像が並んでいるお寺も珍しい〜。
その他、境内には聖天堂・持仏堂・水鑑の井戸・仏足石などかありました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
●中門
・1632年建立
・切妻造 四脚門
こちらは、1632年に長州藩初代藩主・毛利秀就さんが再建した中門です。
なんと、周防国分寺最古の建造物なんだって。
それにしても、痛々しい門でした。
補強しまくりで生かさず殺さずの状態・・・。
どうやら、1999年9月の台風18号によって崩壊寸前まで傾いてしまったのだとか。。
ちなみに現在、周防国分寺の寺務所にて再建のための寄付金を募っています。
●槇
●槇
・樹齢 約1000年
境内には樹齢1000年を超す槇の大木がそびえ立っていました。
●弘法大師と衛門三郎像
●弘法大師と衛門三郎像
・右 → 弘法大師
・左 → 衛門三郎
こちらは、衛門三郎さんが弘法大師さまに泣いて詫びるという、衛門三郎伝説の名場面です。
ちなみに、衛門三郎さんは遍路の元祖です。
浄瑠璃寺の御朱印|四国霊場 第46番|お釈迦様の部位が点在する御利益のよろず屋|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県松山市)
所在地愛媛県松山市浄瑠璃町282宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第46番前後札所・前 → 第45番札所・岩屋寺・後 → 第47番札所・八坂寺本 尊薬師如来真 言おん ...
ちなみに、境内を1周しそうな勢いで石仏が立っておられました。
サイズ的にお地蔵さんかなぁって思っていたら、全て弘法大師さんだったというね!
こんなにもたくさんの弘法大師像が並んでいるお寺も珍しい〜。
その他、境内には聖天堂・持仏堂・水鑑の井戸・仏足石などかありました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・周防国分寺の御朱印(薬師如来)
●御朱印の受付場所
・庫裏もしくは本堂
●御朱印の受付時間
・9:00~16:00
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年4月24日 参拝
・2022年11月 更新
・周防国分寺の御朱印(薬師如来)
●御朱印の受付場所
・庫裏もしくは本堂
●御朱印の受付時間
・9:00~16:00
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年4月24日 参拝
・2022年11月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・9:00~16:00
●境内の拝観料
・無料
●金堂内の拝観
・拝観時間 9:00~16:00
・定休日 月曜日
※月曜日が祝祭日の場合は次の日が休み
・拝観料 大人500円
中学生以下300円
●最寄りの駅
・JR防府駅から徒歩30分
・JR防府駅から車で10分
●最寄りのバス停
・防長交通
国分寺 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
防府東ICから車で20分
・山陽自動車道
防府西ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(15台)
・9:00~16:00
●境内の拝観料
・無料
●金堂内の拝観
・拝観時間 9:00~16:00
・定休日 月曜日
※月曜日が祝祭日の場合は次の日が休み
・拝観料 大人500円
中学生以下300円
●最寄りの駅
・JR防府駅から徒歩30分
・JR防府駅から車で10分
●最寄りのバス停
・防長交通
国分寺 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
防府東ICから車で20分
・山陽自動車道
防府西ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(15台)