所在地 | 山口県光市光井3丁目17−1 |
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祭 神 | 菅原道真・菅原是善・吉祥女 |
由 緒 | 901年、菅原道真が無実の罪により京都から大宰府へ左遷される際、暴風に見舞われたため、現・光市の戸仲の浦に船を寄せたそうです。その際、神太夫という百姓が家に案内し手厚くもてなしたという。そして菅原道真は1~2日間滞在した後、お礼に冠を与えたそうです。その後、934年に神太夫の長男・太郎次の夢に『東の山の梅の古木に花を開かしめん。その場所に社殿を建て冠を神体として祀るべし』というお告げがあったという。そんなこんなで、お告げ通り冠を御神体とし祠を建立。それが冠天満宮の始まりといいます。 |
Contents
注連柱と鳥居①
●説明板
冠山総合公園の隣に鎮座してます冠天満宮に到着。
冠天満宮と書いてかんむりてんまんぐうと読みます。
天満宮ということで、菅原道真さんを祀る神社です。
由緒によると、901年に菅原道真さんが京から大宰府へ左遷される際、暴風に見舞われたため、現・光市の戸仲の浦に船を寄せたといわれています。
西日本の神社巡りをされてる方なら何度も出会ったであろう、左遷 → 暴風雨 → 立ち寄るのパターン。
とにかく天神社系の由緒にはこのパターンが多いです!
どんだけ嵐にあっとんね〜ん。
と、毎回ツッコんでしまう私なのであります m(_ _)m
そんなこんなで、参拝開始。
●注連柱
●注連柱
・1911年建立
まず最初に登場するのは境内入口に建つ大きな注連柱。
冠天満宮は国道188号線沿いに鎮座しています。
その他、境内入口には郷社碑と緑十字がありました。
社格は1874年に村社へ。
そして1930年に郷社に昇格したそうです。
それにしても、神社に緑十字とはなかなかの珍光景ですねぇ。
●鳥居①
●鳥居①
・1863年建立
・明神鳥居
続いて、鳥居①が登場。
注連柱に続き、鳥居①も大きなつくりになっていました。
いや、注連柱も鳥居もそこまで大きくないのかも知れない。
国道188号線の狭い歩道から見上げたので大きく見えただけなのかも知れません・・・(-“-;) ??
それか私が小さいからか・・・。
ちなみに、鳥居①には冠天満宮と書かれた木製の扁額が掲げられていました。
冠山総合公園の隣に鎮座してます冠天満宮に到着。
冠天満宮と書いてかんむりてんまんぐうと読みます。
天満宮ということで、菅原道真さんを祀る神社です。
由緒によると、901年に菅原道真さんが京から大宰府へ左遷される際、暴風に見舞われたため、現・光市の戸仲の浦に船を寄せたといわれています。
西日本の神社巡りをされてる方なら何度も出会ったであろう、左遷 → 暴風雨 → 立ち寄るのパターン。
とにかく天神社系の由緒にはこのパターンが多いです!
どんだけ嵐にあっとんね〜ん。
と、毎回ツッコんでしまう私なのであります m(_ _)m
そんなこんなで、参拝開始。
●注連柱
●注連柱
・1911年建立
まず最初に登場するのは境内入口に建つ大きな注連柱。
冠天満宮は国道188号線沿いに鎮座しています。
その他、境内入口には郷社碑と緑十字がありました。
社格は1874年に村社へ。
そして1930年に郷社に昇格したそうです。
それにしても、神社に緑十字とはなかなかの珍光景ですねぇ。
●鳥居①
●鳥居①
・1863年建立
・明神鳥居
続いて、鳥居①が登場。
注連柱に続き、鳥居①も大きなつくりになっていました。
いや、注連柱も鳥居もそこまで大きくないのかも知れない。
国道188号線の狭い歩道から見上げたので大きく見えただけなのかも知れません・・・(-“-;) ??
それか私が小さいからか・・・。
ちなみに、鳥居①には冠天満宮と書かれた木製の扁額が掲げられていました。
社号標と光井の井戸と参道
●社号標
●社号標
・1977年建立
続いて、社号標が登場。
もともとこの神社は光井天満宮という社号だったそうです。
その後、1873年に菅原神社と改称し、1975年に現在の冠天満宮になったんだって。
ということで、この社号標は冠天満宮になって約2年後に建立されたもののようですね。
●参道
●石階段
・1867年築造
社号標を過ぎると長い石階段が続きます。
ちなみに、この石階段は1867年につくられたもののようです。
●光井の井戸(井の本)
参道の入口には光井の井戸と呼ばれる井戸がありました。
説明板によると、この井戸が光井という地名の発祥地なんだとか!
●参道の石灯籠①
●参道の石灯籠①
・1976年建立
・2009年建立
石階段の脇には同型の石鳥居がズラ〜と並んでいました。
建立年を確認してみると、昭和51年10月と平成21年1月に奉納されたものでした。
●鳥居②
●鳥居②
・2000年再建
・明神鳥居
石階段の途中には平成12年に再建された新しめの鳥居がありました。
柱に再建と刻まれていましたので、もともとここには違う鳥居が建っていたのかも知れませんね。
●参道の石灯籠②
●参道の石灯籠②
・1973年建立
そんなこんなで、鳥居②をくぐると再び石灯籠が登場。
こちらは全て昭和48年4月に奉納されたものでした。
この神社が冠天満宮と改称されたのは昭和50年ということなので、この灯籠は前社号の菅原神社時代のものとなります。
●社号標
・1977年建立
続いて、社号標が登場。
もともとこの神社は光井天満宮という社号だったそうです。
その後、1873年に菅原神社と改称し、1975年に現在の冠天満宮になったんだって。
ということで、この社号標は冠天満宮になって約2年後に建立されたもののようですね。
●参道
●石階段
・1867年築造
社号標を過ぎると長い石階段が続きます。
ちなみに、この石階段は1867年につくられたもののようです。
●光井の井戸(井の本)
参道の入口には光井の井戸と呼ばれる井戸がありました。
説明板によると、この井戸が光井という地名の発祥地なんだとか!
●光井の井戸とは?
1841年の熊毛郡光井村風土記(風土注進案)によると、かつてこの村は明光ノ里と呼ばれていたのだとか。
その村には人家が無く、人々は村の遠近あちこちに住み、谷川の水を汲んで暮らしていたそうです。
しかし夏は水が乏しくなるので、村人が産土神に祈願したところ『3つの場所に井戸を掘れば水が湧き出る』と神託があったという。
そんなこんなで、お告げ通りに井戸を掘ると水が湧き出たことから村の名前を三ツ井と改めたそうです。
その後、この地に天満宮が創建された際、この井戸から夜な夜な 光りが発したという。
そのことにより、この地が光井村と呼ばれるようになったんだとか。
ちなみに3つの井戸はこちら。
①冠天満宮(井の本)
②観音堂の下(八海の井)
③山本家(西方の井)
1841年の熊毛郡光井村風土記(風土注進案)によると、かつてこの村は明光ノ里と呼ばれていたのだとか。
その村には人家が無く、人々は村の遠近あちこちに住み、谷川の水を汲んで暮らしていたそうです。
しかし夏は水が乏しくなるので、村人が産土神に祈願したところ『3つの場所に井戸を掘れば水が湧き出る』と神託があったという。
そんなこんなで、お告げ通りに井戸を掘ると水が湧き出たことから村の名前を三ツ井と改めたそうです。
その後、この地に天満宮が創建された際、この井戸から夜な夜な 光りが発したという。
そのことにより、この地が光井村と呼ばれるようになったんだとか。
ちなみに3つの井戸はこちら。
①冠天満宮(井の本)
②観音堂の下(八海の井)
③山本家(西方の井)
●参道の石灯籠①
●参道の石灯籠①
・1976年建立
・2009年建立
石階段の脇には同型の石鳥居がズラ〜と並んでいました。
建立年を確認してみると、昭和51年10月と平成21年1月に奉納されたものでした。
●鳥居②
●鳥居②
・2000年再建
・明神鳥居
石階段の途中には平成12年に再建された新しめの鳥居がありました。
柱に再建と刻まれていましたので、もともとここには違う鳥居が建っていたのかも知れませんね。
●参道の石灯籠②
●参道の石灯籠②
・1973年建立
そんなこんなで、鳥居②をくぐると再び石灯籠が登場。
こちらは全て昭和48年4月に奉納されたものでした。
この神社が冠天満宮と改称されたのは昭和50年ということなので、この灯籠は前社号の菅原神社時代のものとなります。
大師堂(戸仲大師堂)と石仏
●大師堂(戸仲大師堂)
●大師堂(戸仲大師堂)
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造(多分)
・本尊 弘法大師
参道の脇道には大師堂がありました。
なぜ神社に大師堂が!?
もしかして神仏習合の名残なのでしょうか?
それとも他の場所から移転してきたのでしょうか?
大師堂には防陽霊場と平和霊場と書かれた札が掛けられていました。
調べてみると、防陽霊場とは防陽八十八ヶ所霊場のことで、平和霊場とは平和八十八ヶ所霊所のことみたいです。
それにしても、霊場じゃなく霊所というところが面白いですねぇ。
そんなことより古い資料に、平和八十八ヶ所霊所 12番札所 天神社の下 戸仲と書いてありました。
もし天神社というのが冠天満宮のことなら、もともとこの大師堂は冠天満宮の下にあったということになります。
それがいつの時代からか、冠天満宮の境内に移転したものと思われます。
そういえば、境内入口に2体の石仏さんがおられたなぁ!
もしかすると、この石仏さんも平和八十八ヶ所霊所に関係するものかも知れませんね(間違ってたらスミマセン)
その他、大師堂の前には4体の石仏さんがおられました。
左から、福?、慈母観音像、延命地蔵尊、ぼけふうじ大師。
もしかしたら、この石仏さんもどっかからお引越ししてきたものかも知れません(間違ってたらスミマセン)
●大師堂(戸仲大師堂)
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造(多分)
・本尊 弘法大師
参道の脇道には大師堂がありました。
なぜ神社に大師堂が!?
もしかして神仏習合の名残なのでしょうか?
それとも他の場所から移転してきたのでしょうか?
大師堂には防陽霊場と平和霊場と書かれた札が掛けられていました。
調べてみると、防陽霊場とは防陽八十八ヶ所霊場のことで、平和霊場とは平和八十八ヶ所霊所のことみたいです。
それにしても、霊場じゃなく霊所というところが面白いですねぇ。
そんなことより古い資料に、平和八十八ヶ所霊所 12番札所 天神社の下 戸仲と書いてありました。
もし天神社というのが冠天満宮のことなら、もともとこの大師堂は冠天満宮の下にあったということになります。
それがいつの時代からか、冠天満宮の境内に移転したものと思われます。
そういえば、境内入口に2体の石仏さんがおられたなぁ!
もしかすると、この石仏さんも平和八十八ヶ所霊所に関係するものかも知れませんね(間違ってたらスミマセン)
その他、大師堂の前には4体の石仏さんがおられました。
左から、福?、慈母観音像、延命地蔵尊、ぼけふうじ大師。
もしかしたら、この石仏さんもどっかからお引越ししてきたものかも知れません(間違ってたらスミマセン)
狛犬と手水舎
●狛犬①②
●狛犬①②
・1797年奉納
・浪速型
参道脇には寛政9年に奉納された狛犬ちゃんがおられました。
ということで、光井天満宮時代の狛犬ちゃんとなります。
多分ですけど、私が確認した限り、この神社で最古の石造物かも?
●注連柱②
●注連柱②
・1924年建立
こちらは社殿前の注連柱です。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
手水鉢は花手水になっていました。
可愛いですねぇ~。
●狛犬③④
●狛犬③④
・1876年奉納
続いて、狛犬ちゃん③④が登場。
垂れ耳&ブタ鼻が可愛い狛犬ちゃんでした。
それにしても、山口県には上を向いている狛犬ちゃんが多いような気がします。
●狛犬①②
・1797年奉納
・浪速型
参道脇には寛政9年に奉納された狛犬ちゃんがおられました。
ということで、光井天満宮時代の狛犬ちゃんとなります。
多分ですけど、私が確認した限り、この神社で最古の石造物かも?
●注連柱②
●注連柱②
・1924年建立
こちらは社殿前の注連柱です。
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
手水鉢は花手水になっていました。
可愛いですねぇ~。
●狛犬③④
●狛犬③④
・1876年奉納
続いて、狛犬ちゃん③④が登場。
垂れ耳&ブタ鼻が可愛い狛犬ちゃんでした。
それにしても、山口県には上を向いている狛犬ちゃんが多いような気がします。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 千鳥破風付き入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
天満宮ということで、御祭神は菅原道真さん。
そして、父の菅原是善さんと吉祥女さんがお祀りされていました。
というか、吉祥女さんってどなたさんだぃ???
調べてみると、吉祥女さんは道真さんの妻だという!
・・・って、待て!
確か菅原道真さんの妻は島田宣来子(のぶきこ)さんだったような・・・。
ということで、吉祥女さんは側室かな?
と思ったら、島田宣来子 = 吉祥女なんだと!
そう言えば、北野天満宮の相殿に北政所吉祥女という方がお祀りされてたなぁ!
なんで北野天満宮に北政所がお祀りされてるのかと思ってたけど、まさか道真さんの妻のことだったとはね!
ちなみに、901年に道真さんが大宰府へ左遷させられた際、吉祥女さんは子女3人とともに奥州(岩手県)に流されたんだとか。
ほんでもって、903年に道真さんが亡くなったとき、その知らせを聞いた吉祥女さんは悲しみのあまり病に伏せ42歳の若さでお亡くなりになったんだと。。
大宰府と岩手かぁ・・・
えらい遠くに引き裂かれてしまったもんだなぁ。
天満宮ということで、神紋は梅鉢紋。
もちろん境内には梅の木がありました。
ちなみに、冠天満宮の隣にある梅の里(冠梅園)には、約100種類、2000本の梅の木があるという!
梅をこよなく愛した道真さんもさぞかしお喜びになっていることでしょう。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造
本殿は三間社流造。
正面の屋根が幣殿にめり込んでいるのが面白いなぁ〜と思いました。
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 千鳥破風付き入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
天満宮ということで、御祭神は菅原道真さん。
そして、父の菅原是善さんと吉祥女さんがお祀りされていました。
というか、吉祥女さんってどなたさんだぃ???
調べてみると、吉祥女さんは道真さんの妻だという!
・・・って、待て!
確か菅原道真さんの妻は島田宣来子(のぶきこ)さんだったような・・・。
ということで、吉祥女さんは側室かな?
と思ったら、島田宣来子 = 吉祥女なんだと!
そう言えば、北野天満宮の相殿に北政所吉祥女という方がお祀りされてたなぁ!
なんで北野天満宮に北政所がお祀りされてるのかと思ってたけど、まさか道真さんの妻のことだったとはね!
ちなみに、901年に道真さんが大宰府へ左遷させられた際、吉祥女さんは子女3人とともに奥州(岩手県)に流されたんだとか。
ほんでもって、903年に道真さんが亡くなったとき、その知らせを聞いた吉祥女さんは悲しみのあまり病に伏せ42歳の若さでお亡くなりになったんだと。。
大宰府と岩手かぁ・・・
えらい遠くに引き裂かれてしまったもんだなぁ。
天満宮ということで、神紋は梅鉢紋。
もちろん境内には梅の木がありました。
ちなみに、冠天満宮の隣にある梅の里(冠梅園)には、約100種類、2000本の梅の木があるという!
梅をこよなく愛した道真さんもさぞかしお喜びになっていることでしょう。
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造
本殿は三間社流造。
正面の屋根が幣殿にめり込んでいるのが面白いなぁ〜と思いました。
光冠稲荷社と冠石神殿
●光冠稲荷社
●光冠稲荷社
・1998年遷座
本殿の裏には境内社の光冠稲荷社がありました。
もともとこの神社は旧光市と旧大和町の境にある山に鎮座していたみたいです。
約50年前までは奉納相撲が行われるなど、多くの庶民が参拝していたそうですが、時とともに神社へ通じる道が荒れ、荒廃していったそうな。。
そんなこんなで、冠天満宮の宮司と稲荷神社の宮司が相談した結果、1998年に現在地へ遷座。
それが現在の光冠稲荷社なんだって。
●冠石御神殿
●冠石御神殿
・1989年建立
・銅板葺 流造
さらに、光冠稲荷社の近くには冠石御神殿という境内社がありました。
なんと、ここには社号の由来となった冠が祀られてるんだと!
さらになんと!
その冠は菅原道真さんの形見なんだとか!
現在もこの石の下に道真さんの冠があるのかなぁ?
冠石の前には願い叶う希望の冠という石もありました。
説明板がなかったため詳細は不明ですが、多分、願いが叶う石なんでしょう。
ということで願いごとを・・・競馬が当たりますように。
さらに冠石御神殿には天満宮と書かれた石造の扁額が置かれていました。。
ここでピンとくる・・・
そういえば、鳥居②の柱に平成12年再建と書いてあったなぁ!
もしかして、この扁額は旧鳥居②に掲げられていたものかも???
そんなことを想像しつつ・・・(間違ってたらスミマセン)
冠石御神殿の近くには赤い太鼓橋がありました。
この橋を渡ると、光市の人気スポット・梅の里(冠梅園)に突入します。
先ほども書きましたが、梅の里(冠梅園)には約100種類、2000本の梅の木が植樹されています。
●光冠稲荷社
・1998年遷座
本殿の裏には境内社の光冠稲荷社がありました。
もともとこの神社は旧光市と旧大和町の境にある山に鎮座していたみたいです。
約50年前までは奉納相撲が行われるなど、多くの庶民が参拝していたそうですが、時とともに神社へ通じる道が荒れ、荒廃していったそうな。。
そんなこんなで、冠天満宮の宮司と稲荷神社の宮司が相談した結果、1998年に現在地へ遷座。
それが現在の光冠稲荷社なんだって。
●冠石御神殿
●冠石御神殿
・1989年建立
・銅板葺 流造
さらに、光冠稲荷社の近くには冠石御神殿という境内社がありました。
なんと、ここには社号の由来となった冠が祀られてるんだと!
さらになんと!
その冠は菅原道真さんの形見なんだとか!
●冠石とは?
901年、菅原道真が無実の罪により京都から大宰府へ左遷される際、暴風に見舞われたため、現・光市の戸仲の浦に船を寄せたそうです。
その際、神太夫という百姓が家に案内し手厚くもてなしたという。
そして菅原道真は1~2日間滞在した後、お礼に冠を与えたそうです。
その後、934年に神太夫の長男・太郎次の夢に『東の山の梅の古木に花を開かしめん。その場所に社殿を建て冠を神体として祀るべし』というお告げがあったという。
そんなこんなで、お告げ通り太郎次は冠入れた箱を山に埋め、そこに大きな石を置いて祠を建立。
その石がこの冠石なんだって。
901年、菅原道真が無実の罪により京都から大宰府へ左遷される際、暴風に見舞われたため、現・光市の戸仲の浦に船を寄せたそうです。
その際、神太夫という百姓が家に案内し手厚くもてなしたという。
そして菅原道真は1~2日間滞在した後、お礼に冠を与えたそうです。
その後、934年に神太夫の長男・太郎次の夢に『東の山の梅の古木に花を開かしめん。その場所に社殿を建て冠を神体として祀るべし』というお告げがあったという。
そんなこんなで、お告げ通り太郎次は冠入れた箱を山に埋め、そこに大きな石を置いて祠を建立。
その石がこの冠石なんだって。
現在もこの石の下に道真さんの冠があるのかなぁ?
冠石の前には願い叶う希望の冠という石もありました。
説明板がなかったため詳細は不明ですが、多分、願いが叶う石なんでしょう。
ということで願いごとを・・・競馬が当たりますように。
さらに冠石御神殿には天満宮と書かれた石造の扁額が置かれていました。。
ここでピンとくる・・・
そういえば、鳥居②の柱に平成12年再建と書いてあったなぁ!
もしかして、この扁額は旧鳥居②に掲げられていたものかも???
そんなことを想像しつつ・・・(間違ってたらスミマセン)
冠石御神殿の近くには赤い太鼓橋がありました。
この橋を渡ると、光市の人気スポット・梅の里(冠梅園)に突入します。
先ほども書きましたが、梅の里(冠梅園)には約100種類、2000本の梅の木が植樹されています。
その他の見どころ
●天水受け
●天水受け
・1877年奉納
拝殿の前には立派な天水受けがありました。
なんとこの天水受けは幕末〜明治時代に活躍した光村弥兵衛さんが奉納したものだという!
●神牛
●神牛
・1995年奉納
さらに拝殿の前には天満宮のシンボルキャラであります神牛ちゃんもおられました。
もともとここには氏子有志が奉納した初代・神牛がおられたみたいです。
しかし、その神牛は太平洋戦争中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。
そんなこんなで、現在の神牛ちゃんは1995年に奉納された2代目となります。
●神馬
●神馬
・1995年奉納
拝殿の前には神馬ちゃんもおられました。
もともとここには市川精造というお方が奉納した神馬ちゃんがおられたみたいですが、神牛同様、太平洋戦争中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。
そんなこんなで、現在の神馬ちゃんは1995年に市川精造さんの曽孫が再建したものなんだって。
●授与所
●授与所
・2010年建立
拝殿の隣には授与所がありましたが、残念ながら無人・・・。
この売店みたいな建物も授与所なのかなぁ?
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
●天水受け
・1877年奉納
拝殿の前には立派な天水受けがありました。
なんとこの天水受けは幕末〜明治時代に活躍した光村弥兵衛さんが奉納したものだという!
●光村弥兵衛とは?
光村弥兵衛さんは山口県出身の実業家。
同郷の伊藤博文・井上馨の引き立てで官営事業を請け負い、1869年に廻船問屋長門屋を設立。
西日本の海運業界を支配したことにより、西の光村弥兵衛、東の岩崎弥太郎と並び称されるお方です。
光村弥兵衛さんは山口県出身の実業家。
同郷の伊藤博文・井上馨の引き立てで官営事業を請け負い、1869年に廻船問屋長門屋を設立。
西日本の海運業界を支配したことにより、西の光村弥兵衛、東の岩崎弥太郎と並び称されるお方です。
●神牛
●神牛
・1995年奉納
さらに拝殿の前には天満宮のシンボルキャラであります神牛ちゃんもおられました。
もともとここには氏子有志が奉納した初代・神牛がおられたみたいです。
しかし、その神牛は太平洋戦争中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。
そんなこんなで、現在の神牛ちゃんは1995年に奉納された2代目となります。
●神馬
●神馬
・1995年奉納
拝殿の前には神馬ちゃんもおられました。
もともとここには市川精造というお方が奉納した神馬ちゃんがおられたみたいですが、神牛同様、太平洋戦争中の金属類回収令で供出されちゃったみたいです。。
そんなこんなで、現在の神馬ちゃんは1995年に市川精造さんの曽孫が再建したものなんだって。
●授与所
●授与所
・2010年建立
拝殿の隣には授与所がありましたが、残念ながら無人・・・。
この売店みたいな建物も授与所なのかなぁ?
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・冠天満宮の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・不明(不在の場合あり)
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年3月13日 参拝
・2023年4月 更新
・冠天満宮の御朱印
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・不明(不在の場合あり)
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年3月13日 参拝
・2023年4月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR光駅から車で10分
・JR島田駅から車で12分
●最寄りのバス停
・中国JRバスもしくは防長交通
戸仲 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・山陽自動車道(広島方面からの場合)
熊毛ICから車で20分
・山陽自動車道(九州方面からの場合)
徳山東ICから車で25分
●駐車場
・無料の駐車場あり
※境内入口の駐車場は大型車専用となっているため、隣接する冠山総合公園の駐車場を利用することとなります。
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR光駅から車で10分
・JR島田駅から車で12分
●最寄りのバス停
・中国JRバスもしくは防長交通
戸仲 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・山陽自動車道(広島方面からの場合)
熊毛ICから車で20分
・山陽自動車道(九州方面からの場合)
徳山東ICから車で25分
●駐車場
・無料の駐車場あり
※境内入口の駐車場は大型車専用となっているため、隣接する冠山総合公園の駐車場を利用することとなります。