所在地 | 山口県光市小周防新宮2175 |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
札 所 | 中国四十九薬師霊場 第23番 |
由 緒 | 1444~1448年に創建。曹洞宗金剛派四道場の1つで、防州五刹に数えられる名刹です。室町時代〜戦国時代、大内氏と毛利氏の庇護を受けて繁栄し、最盛期には11の末寺と8の孫末寺を有する大寺院に発展したそうです。1555年、毛利元就が須々万沼城を攻略するために仮陣所を設けたお寺といわれています。 |
山門と鐘楼
●境内入口
山口県光市の北部にあります渓月院に到着。
渓月院と書いてけいげついんと読みます。
正式名称は亀玉山 渓月院。
山号はきぎょくざんと読むのでしょうか?
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
まず最初に登場するのは立派な山門。
見た感じ、そこまで古い建物には見えませんでしたが、どんなもんでしょ?
それにしても丸窓が印象深い門でした。
もしかしてこの窓は禅の円通を表現したものなのかな?
何にしろ、地方ではあんまり見かけない、珍しいタイプの楼門でした。
丸窓(悟りの窓)といえば京都の源光庵。
な〜んとなく京都・源光庵の山門に似てる・・・と思うのは私だけでしょうか?
ちなみに、渓月院は源光庵と同じ曹洞宗寺院です。
丸窓には蝶々と高僧らしき人物が彫刻されていました。
こちらはどなた様でしょ?
曹洞宗ということで道元さんかな?
それともこのお寺を開基した大庵禅師かな?
はたまた中興の祖・津翁禅師かも?
とか何とか思いつつ。
山門の両サイドは空室になっていました。
もともとは仁王さんが安置されてたのかな?
はたまた、これから仁王さんを安置する予定なのかな?
不自然に空っぽでしたよ。
向かって右側には古木が安置されていました。
これまた不自然・・・。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
境内は山門・鐘楼・禅堂・本堂・庫裏を⬜︎型に囲ってある、いわゆる曹洞宗寺院ならではの伽藍配置となっていました。
そして全ての堂宇が石州瓦なのが印象的でした。
一般的に石州瓦は耐寒性に優れた瓦といわれています。
この地域は寒冷地なのでしょうか?
県外の者なので、この地域の気候がわかりません。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き・・・
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
山口県光市の北部にあります渓月院に到着。
渓月院と書いてけいげついんと読みます。
正式名称は亀玉山 渓月院。
山号はきぎょくざんと読むのでしょうか?
●山門
●山門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門造
まず最初に登場するのは立派な山門。
見た感じ、そこまで古い建物には見えませんでしたが、どんなもんでしょ?
それにしても丸窓が印象深い門でした。
もしかしてこの窓は禅の円通を表現したものなのかな?
何にしろ、地方ではあんまり見かけない、珍しいタイプの楼門でした。
丸窓(悟りの窓)といえば京都の源光庵。
な〜んとなく京都・源光庵の山門に似てる・・・と思うのは私だけでしょうか?
ちなみに、渓月院は源光庵と同じ曹洞宗寺院です。
丸窓には蝶々と高僧らしき人物が彫刻されていました。
こちらはどなた様でしょ?
曹洞宗ということで道元さんかな?
それともこのお寺を開基した大庵禅師かな?
はたまた中興の祖・津翁禅師かも?
とか何とか思いつつ。
山門の両サイドは空室になっていました。
もともとは仁王さんが安置されてたのかな?
はたまた、これから仁王さんを安置する予定なのかな?
不自然に空っぽでしたよ。
向かって右側には古木が安置されていました。
これまた不自然・・・。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
境内は山門・鐘楼・禅堂・本堂・庫裏を⬜︎型に囲ってある、いわゆる曹洞宗寺院ならではの伽藍配置となっていました。
そして全ての堂宇が石州瓦なのが印象的でした。
一般的に石州瓦は耐寒性に優れた瓦といわれています。
この地域は寒冷地なのでしょうか?
県外の者なので、この地域の気候がわかりません。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き・・・
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そんなこんなで、本堂で参拝。
御本尊は薬師如来さん。
このお寺は中国四十九薬師霊場の第23番札所となっております。
木鼻は獏と獅子。
蟇股は松と鷹。
それにしても獅子ちゃん、濃いお顔だなぁ~。
こちらの亀甲紋は寺紋でしょうか?
どうでもいい話ですが、棟瓦がツルツルの平瓦になっているのが面白いなぁ〜と思いました。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
そんなこんなで、本堂で参拝。
御本尊は薬師如来さん。
このお寺は中国四十九薬師霊場の第23番札所となっております。
●渓月院とは?
1444〜1449年頃、龍文寺の4世・大庵禅師が開創したのが始まりといわれています。
ちなみに大庵禅師の弟子に金岡用兼禅師がいます。
金岡用兼禅師は曹洞宗開祖・道元禅師に次ぐ宗内きっての傑僧といわれ、広島の洞雲寺を開山したことで知られています。
当時、渓月院の隣峰に延命院というお寺があったそうです。
その延命院に金岡用兼禅師の弟子・章山禅師がいましたが、章山禅師はだいぶ弱っていたので、章山禅師の弟子・津翁禅師が補佐してたんだって。
その後、1466年に津翁禅師が荒廃していた渓月院を延命院と合併し再興したそうです。
そのことにより、開基は大庵禅師。
開山は章山禅師。
中興は津翁禅師となっております。
以来、防州五刹の1つ、さらに曹洞宗金剛派四道場の1つとして数十人の雲水が修行する禅林となったそうです。
室町時代〜戦国時代、大内氏と毛利氏から篤い保護を受けて栄え、最盛期には11の末寺と8の孫末寺を有する大寺院に発展したそうです。
ちなみにこの渓月院は、1555年に毛利元就が須々万沼城を攻略するために仮陣所を設けたお寺といわれています。
その後、1869年の火災で焼失。。
焼失前は七堂伽藍を有する寺院だったといわれています。
1444〜1449年頃、龍文寺の4世・大庵禅師が開創したのが始まりといわれています。
ちなみに大庵禅師の弟子に金岡用兼禅師がいます。
金岡用兼禅師は曹洞宗開祖・道元禅師に次ぐ宗内きっての傑僧といわれ、広島の洞雲寺を開山したことで知られています。
当時、渓月院の隣峰に延命院というお寺があったそうです。
その延命院に金岡用兼禅師の弟子・章山禅師がいましたが、章山禅師はだいぶ弱っていたので、章山禅師の弟子・津翁禅師が補佐してたんだって。
その後、1466年に津翁禅師が荒廃していた渓月院を延命院と合併し再興したそうです。
そのことにより、開基は大庵禅師。
開山は章山禅師。
中興は津翁禅師となっております。
以来、防州五刹の1つ、さらに曹洞宗金剛派四道場の1つとして数十人の雲水が修行する禅林となったそうです。
室町時代〜戦国時代、大内氏と毛利氏から篤い保護を受けて栄え、最盛期には11の末寺と8の孫末寺を有する大寺院に発展したそうです。
ちなみにこの渓月院は、1555年に毛利元就が須々万沼城を攻略するために仮陣所を設けたお寺といわれています。
その後、1869年の火災で焼失。。
焼失前は七堂伽藍を有する寺院だったといわれています。
木鼻は獏と獅子。
蟇股は松と鷹。
それにしても獅子ちゃん、濃いお顔だなぁ~。
こちらの亀甲紋は寺紋でしょうか?
どうでもいい話ですが、棟瓦がツルツルの平瓦になっているのが面白いなぁ〜と思いました。
その他の見どころ
本堂の近くには、旧本堂(多分)の屋根瓦がありました。
その他、石仏さんや鉄下駄や謎の器具などがありました。
何なんだろう、このエリアは・・・
まるで骨董品のフリマみたいになってましたよ。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・中国四十九薬師霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2016年12月3日 参拝
・2023年4月 更新
・中国四十九薬師霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2016年12月3日 参拝
・2023年4月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR山陽本線
島田駅から徒歩1時間5分
島田駅から車で10分
・JR岩徳線
大河内駅から徒歩50分
大河内駅から車で7分
●最寄りのバス停
・防長交通
中笠野 バス停から徒歩15分
・防長交通
八幡所 バス停から徒歩16分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
熊毛ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約20台)
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR山陽本線
島田駅から徒歩1時間5分
島田駅から車で10分
・JR岩徳線
大河内駅から徒歩50分
大河内駅から車で7分
●最寄りのバス停
・防長交通
中笠野 バス停から徒歩15分
・防長交通
八幡所 バス停から徒歩16分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
熊毛ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約20台)