海龍寺の御朱印|技芸上達・文楽の墓|御本尊が御開帳されていた|尾道七佛めぐり(広島県尾道市)

住 所広島県尾道市東久保町22−8
宗 派真言宗泉涌寺派
札 所中国地蔵尊霊場 第9番
由 緒 1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃していた浄土寺を再興したそうです。1307年、大本山・浄土寺の塔頭となりますが、1347年に焼失。その後、すぐに再建。1662年、海龍寺に改称し、現在に至るそうです。
HP【公式】尾道 七佛めぐり
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石柱と山門と手水鉢


本日は尾道七佛めぐりをしております。


●境内入口

そんなこんなで浄土寺での参拝を終え、尾道七佛めぐり最後のお寺になります、海龍寺に到着!

持光寺からスタートした尾道七佛めぐりも目でたくフィナーレを迎えることになりました。


ちなみに浄土寺から海龍寺までは徒歩5秒!

近過ぎるっ!


●石柱

●石柱
・1919年建立

まず最初に登場するのは大正8年に建立された石柱

この石柱は渡瀬徳兵衛さんと堀田敬次郎さんというお方が奉納したものでした。

調べてみると、渡瀬徳兵衛さんは渡瀬屋呉服店の代表者のようです。

ちなみに渡瀬屋呉服店の設立は大正8年。

石柱の建立年と同じです。


●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 切妻造 薬医門

続いて登場するのは山門

山門の幕には寺紋の丸に笹竜胆

屋根瓦にも丸に笹竜胆がありました。


そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。


●手水鉢

そして手水鉢でお清め。

ちなみに手水鉢は、山門をくぐってすぐ左側にあります。

目立たない場所にあるので、お見逃しなく!
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本堂と田の神さあ

●本堂

●本堂
・1732年再建
・瓦葺 入母屋造

続いて、本堂で参拝。

●海龍寺とは?

1245年、備後国大田庄の荘官・和泉法眼渕信が曼茶羅寺(曼荼羅堂)を建立したのが始まり。

1298年、西国巡教をしていた定證上人が曼茶羅寺に住み、荒廃していた浄土寺を再興したそうです。

1307年、大本山・浄土寺の塔頭となりますが、1347年に焼失。

その後、すぐに再建。

1662年、海龍寺に改称し、現在に至るそうです。


●千手観世音菩薩立像
・鎌倉時代前期作
・像高 139cm
・玉眼 寄木造
・広島県指定重要文化財

御本尊は千手観音さん。

御本尊は秘仏のため普段は拝顔することはできません・・・が!

本日は運よく御開帳されていました!

ネットの情報によると、毎年お正月に御開帳されるみたいです。

超ラッキーだね!


御本尊は細部まで全て造立当初のままの姿で残ってるんだって!

作者は不詳ですが、細部まで丁寧な作りであることから、優れた技術をもった仏師が作ったものと思われてるんだとか。


ちなみに光背と台座も同時代のものと思われています。

光背をよく見てみると、迦陵頻伽さんの姿も確認できました。

新年早々、有難いものを拝見できて幸せだなぁ。


そんなこんなで、五色の紐を握って御本尊と縁を結びました。


●田の神さあ

えっ!?

なぜか、なぜなのか、本堂に田の神さあがおられました!

ちなみに田の神さあとは、鹿児島県と宮崎県南部に点在する農業神です。


その後、別の場所でも田の神さあに出会う!

なぜ尾道に田の神さあがいるのだい・・・(-“-;) ??


ちなみに広島県で田の神さあに出会ったのは、観音神社以来2度目です。


観音神社の御朱印情報~広島県広島市佐伯区坪井1丁目32−9~
住 所広島県広島市佐伯区坪井1丁目32−9祭 神岩長姫命・安藝都彦命・湯津彦神・日本武命・帯中津日子命・息長帯日賣命・品陀和気命・大穴牟遅命・少彦名命・宇迦之御魂神・高龗神・源範頼霊神・武内宿禰命由...
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阿弥陀堂(位牌堂)と西郷四郎(姿三四郎)

●阿弥陀堂(位牌堂)

●阿弥陀堂(位牌堂)
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造

続いて、本堂の隣に建つ阿弥陀堂を参拝。


本堂の隣に建ってるというより、本堂と阿弥陀堂は合体してます!


本堂の屋根が阿弥陀堂の屋根に乗っかっちゃってて、ちょっと面白いお堂でしたよ。


阿弥陀堂の屋根には鴟尾がありました。

中国地方で鴟尾付きのお堂に出会うことってそうそうありません。


御本尊は阿弥陀如来さん。

どうやらこのお堂は位牌堂と呼ばれてるみたいです。

説明板によると、死者のために家の仏壇に位牌を祀るとともにこのお堂にも位牌を祀るという習わしが江戸時代から続いてるんだって。

ちなみに、御本尊は柔道家・西郷四郎(姿三四郎)さんが晩年に祈っていた念持仏なんだって。


海龍寺から徒歩5分のところに西郷四郎像があります。

西郷四郎像がある地は浄土寺の塔頭・吉祥坊(廃寺)があった場所といわれています。

西郷四郎さんは病気療養のために吉祥坊に移り住んだのだとか。

しかし2年後に亡くなったそうです。。


説明板によると、現在の海龍寺・阿弥陀堂の御本尊はもともと吉祥坊の御本尊だったそうですよ。
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地蔵堂と六地蔵

●地蔵堂

続いて、地蔵堂を参拝・・・

と思ったら、地蔵堂がない!

以前、参拝した時は、確かにここに地蔵堂があったと思うんだけど・・・(-“-;) ??


そんなこんなで調べてみると、なんと2019年2月19日に放火焼失してしまったんだとか・・・。

ニュースによると放火犯は仏像3体を盗んだあと、地蔵堂に火をつけて逃げたのだとか・・・。


ちなみに、こちらが焼失前地蔵堂です。


このお堂が中国地蔵尊霊場の第9番札所だったのですが・・・


こちらが御本尊です。


地蔵堂跡地には、焦げたお地蔵さんと、焦げた火炎光背らしきものが置かれていました。

もしかして、この焦げたお地蔵さんが現在の札所本尊なのかなぁ?


それとも、地蔵堂跡地の横におられるお地蔵さんが札所本尊なのかなぁ?


その他、地蔵堂の跡地には焦げた法具も置かれていました。


●六地蔵

境内には六地蔵さんもおられました。

それにしても尾道には六地蔵さんがいるお寺が多いです。

私が参拝したお寺には、ほとんどと言っていいほど六地蔵さんがおられました。


ちなみに7体おられますが、中尊は上品上生(来迎印)の印相が確認できましたので、おそらく阿弥陀如来さんだと思われます。

そんなこんなで、中尊は六地蔵にカウントされません。


可愛い六地蔵ちゃんもおられました。

それにしても、六地蔵ちゃんの背後におられる謎の老人が気になります。

鍬のようなものを持ってますし、もしかしたら田の神さあみたいな農業神なのかも?


●水子地蔵と石仏群

六地蔵さんの近くにはたくさんの石仏さんもおられました。

多分ですけど、ほとんどがお地蔵さんと思われます。

ザックリと数えてみたところ、120体以上いるっぽいです。


本堂の裏にはピラミッド状に積まれた墓石もありました。

多分ですけど、無縁仏?
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文楽の墓と竹本弥太夫の墓とお経塚


左から
①石標
②文楽のお墓
③竹本弥太夫のお墓
④お経塚
⑤石標

境内には江戸時代後期に活躍した人形浄瑠璃劇場主・植村文楽軒(初代)さんと竹本弥太夫さんのお墓がありました。


●文楽のお墓

植村文楽軒さんは、現・兵庫県淡路市出身。

1789〜1801年頃に大坂に出て、1805年頃に私財を投じて高津新地の席という人形浄瑠璃の小屋を開きました。

ちなみに高津新地の席が文楽座の基礎となります。

当時、人形の芝居を観るには神社境内の小さな小屋に足を運ぶしかなかったそうです。

そんなこんなで、植村文楽軒は人形浄瑠璃興行に専念するため、1809年に北堀江へ小屋を移しました。

しかし翌年の1810年に死去し、大坂の円成院(遊行寺)に葬られました。

ちなみに文楽のお墓となっておりますが、正確には文楽さんの追善供養塔です。

墓石に刻まれた釈楽道善男という文字は植村文楽軒さんの法名なんだって。


●竹本弥太夫のお墓

こちらは右から2番目に建つ竹本弥太夫(初代)のお墓です。

竹本弥太夫さんは、江戸時代後期に活躍した浄瑠璃太夫です。

竹本弥太夫さんは京都出身。

幼少の頃に上京し、竹本座の竹本義太夫に弟子入り。

そして義太夫の死後、竹本座を継承し、初代・竹本弥太夫を名乗りました。

竹本弥太夫さんは、その優れた語り口で、すぐに人気を博し、浄瑠璃界の第一人者となる。

竹本弥太夫さんにはたくさんの弟子がいましたが、6代目以降は長らく途絶えています。


●お経塚

こちらはお経塚です。

塚碑がお経の巻物になってるところが面白いですねぇ。

ちなみにお経の塚を撫でながら念じると技芸が上達するといわれています。

石造物


右から
宝篋印塔(南北朝時代建立)
五輪塔(南北朝時代建立)
一石五輪塔(安土桃山時代建立)
阿弥陀種子板碑(室町時代建立)
像容板碑(室町時代建立)
像容板碑(室町時代建立)

文楽さんのお墓の近くには石塔が建ち並んでいました。


●宝篋印塔

①宝篋印塔
・南北朝時代建立(推定)
・高さ 167cm
・材質 花崗岩


●五輪塔

②五輪塔
・南北朝時代建立(推定)
・高さ 101cm
・材質 花崗岩


●一石五輪塔

③一石五輪塔
・1588年建立
・高さ 80cm
・材質 花崗岩

どうやらこちらは徳順居士の逆修塔のようです。

ちなみに逆修とは、生前に自分の死後の供養を行うことです。

一説によると、逆修は死後に追善供養するのに比べて7倍の功徳があるといわれています。


●板碑三基

④阿弥陀種子板碑
・室町時代後期建立(推定)
・高さ 94cm
・材質 花崗岩

上部に阿弥陀如来のキリークが陰刻されています。


⑤像容板碑
・南北朝時代後期建立(推定)
・高さ 60cm
・材質 花崗岩

南北朝時代の特徴である蓮華座の蓮弁上に合掌した仏像が彫られています。


⑥像容板碑
・室町時代後期建立(推定)
・高さ 52cm
・材質 花崗岩

こちらも合掌した仏像が彫られています。


よく見ると、境内の巨石に3基の板碑のようなものが彫られていました。

これは珍しいですねぇ。


その他、スケルトンタイプの宝塔と、蓮華座に座る石仏さんがおられました。

な〜んとなくの予想ですが、宝塔も石仏さんも違う部材を寄せ集めて作ったものかも?


境内の裏山には剥き出しになった巨石が!

山の地肌とでも申しましょうか、これほどまで巨大な花崗岩はもしかしたら尾道市最大級のものかも知れません!


●浄土寺山の鎖場

その他、境内の裏山には浄土寺・奥の院へ続く鎖場もありました。

●浄土寺山の鎖場

●浄土寺山の鎖場
壱の鎖 29m61cm(73連)
弐の鎖 12m12cm(32連)
参の鎖 20m45cm(51連)

合計  62m18cm(156連)

御朱印情報

●庫裏(納経所)

そんなこんなで、御朱印を頂くために庫裏へ。


そして尾道七佛めぐり7ヶ寺目の御朱印を頂き、尾道七佛めぐりを結願しました!

ドンドンパフパフ♪

●通常の御朱印


●中国地蔵尊霊場の御朱印


●文楽の御朱印(技芸上達)


●尾道七佛めぐり 宝印紙



封筒の印鑑コンプリート!


そんなこんなで、記念品の尾道帆布特製の朱印帳袋オリジナル手拭いを頂きました!

ドンドンパフパフ♪


尾道七佛めぐりの七ヶ寺はどのお寺も個性的だったので楽しく巡ることができました。

所要時間も3〜4時間くらいなので、また機会があれば巡ってみたいと思いました。

次回は色紙かパワーストーンを集めてみようかな!


そんなこんなで、これにて尾道七佛めぐりは終了。

いやはや、楽しい1日でした。

●御朱印情報

●御朱印の種類
・通常の御朱印
・中国地蔵尊霊場の御朱印
・文楽の御朱印(技芸上達)
・尾道七佛めぐり(専用色紙)
・尾道七佛めぐり(宝印紙)

●御朱印の料金
・通常の御朱印(300円)
・中国地蔵尊霊場の御朱印(300円)
・文楽の御朱印(300円)
・尾道七佛めぐり 専用色紙御朱印(各寺300円)
・尾道七佛めぐり 宝印紙(各寺500円)

●御朱印の受付場所
・庫裏(納経所)

●御朱印の受付時間
・9:00~17:00

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし


・2008年12月28日 参拝
・2009年2月15日 再訪
・2019年5月12日 再訪
・2024年1月7日 再訪
・2024年3月 最終更新

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参拝情報とアクセス

●拝観時間
・9:00~16:30

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩30分

●最寄りのバス停
・おのみちバス
 浄土寺下 バス停から徒歩5分

●最寄りのIC
・山陽自動車道
 福山西ICから車で15分

・山陽自動車道
 尾道ICから車で20分


●駐車場

境内入口に約6台ほどの無料の専用駐車場があります。


が、しかし!

駐車場までの道は極細道です!


ここ、どうやって通るのよ!(笑)

多分、軽自動車でギリ!

普通車だと相当なギャンブルになりそうです。

ということで、車で参拝する方はある程度の覚悟が必要かもです。

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海龍寺の地図

 

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