大善寺の御朱印情報~広島県三原市西町2丁目22−1~

住 所広島県三原市西町2丁目22−1
宗 派浄土宗
由 緒もともとは小早川隆景の居城・新高山城の山麓にあったお寺だそうです。その後、1580年、三原城の築城に伴い、現在地に移転したそうです。1652年、徳川幕府3代将軍・徳川家光の落し子といわれる月姫が、三原浅野家3代・浅野忠真の側室になったことにより、このお寺は月姫の祈願所となったそうです。徳川幕府は5000石の御化粧料を下賜し、将軍家の菩提寺である増上寺の寺号を与え、増上山・大善寺となったといいます。そして徳川家の家紋である三つ葉葵の使用を許可されたそうです。
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山門と手水鉢と鐘楼

●境内入口

三原市西町位置してます大善寺に到着。

先ほど参拝した釜山寺から徒歩5分のところにあります。


●山門


●山門
・建立年不明
・瓦葺 薬医門

骨々しい作りの蟇股が素敵な門でした。


●手水鉢

●手水鉢
・1629年作
・楢崎氏正重が寄進

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰鐘楼


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本堂

●本堂

●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊は阿弥陀如来

なんと!
本尊の阿弥陀如来立像は伝・快慶作だという!

あくまでです!


扁額には山号の増上山

なんとっ!
徳川幕府から徳川家の菩提寺・増上寺の寺号を与えられて、増上山という山号になったんですって!

どうやら1652年、徳川幕府3代将軍・徳川家光の落し子といわれる月姫が、三原浅野家3代・浅野忠真の側室になったことにより、このお寺は月姫の祈願所となったそうです。

そんなこんなで、徳川幕府は5000石の御化粧料を下賜し、将軍家の菩提寺である増上寺の寺号を与え、増上山・大善寺となったそうです。そして徳川家の家紋である三つ葉葵の使用を許可したそうです。


そんなこんなで、境内には徳川家の家紋である三つ葉葵の紋がありました。


本堂には獏と獅子の木鼻。
結構、気合いの入った作品です。


欄間の彫刻です。
浄土系のお寺でたまに見かける追いかけっこをしている獅子です。


その他、本堂にはこのような彫刻がありました。
左の漢字はなんて読むのでしょう???
?度廣・・・うぅ~ん、わかんない!

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月姫(月渓院)の墓

●月姫(月渓院)の墓

月姫とは徳川幕府3代将軍・徳川家光の落し子といわれるお方です。

江戸城内で遊戯中、三原浅野家の浅野忠真と出会ったそうです。

浅野忠真が、本来遊んではいけない場所で遊んでいた姫を戒めたことにより、月姫は浅野忠真に一目惚れ

周囲に大反対されますが月姫の意思は固く、幕府は仕方なく下賜という形で忠真に嫁がせたといいます。


姫が外様大名である浅野家の、しかも家老職の側室になったのは異例中の異例だったそうです。このことは三原浅野家はもちろん、主家の広島藩も2人の扱いに苦労したそうです。

そんなこんなで、幕府からの特別な配慮により財政は潤い、三原城下は大発展したといいます。

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その他のお堂

●釈迦堂

●釈迦堂
・建立年不明
・銅板葺 宝形造
・釈迦如来像を安置

本堂と向き合って建ってました。


●???

●???
・建立年不明
・銅板葺 宝形造

こちらは何のお堂でしょ?


●地蔵堂①

●地蔵堂①
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造

堂内には六地蔵さんがおられました。


●地蔵堂②

●地蔵堂②
・建立年不明
・瓦葺 妻入り切妻造

堂内には、お腹を突き出して、背中を丸めたお地蔵さんがおられました。この方はご老体のお地蔵さんでしょうか。ベテランオーラが出ているお地蔵さんでした。


●庫裏

●庫裏
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造?

ちなみに御朱印はこちらで頂けます。

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卒塔婆と勢至丸像と墓石群

●石造・卒塔婆と勢至丸像

●石造・卒塔婆(写真左)
・1910年建立

●勢至丸像(写真右)
勢至丸は、幼少期の法然上人です。


●墓石群

本堂前には、おぞましい数の無縁仏が集められてました。


●大善寺の全景

コンパクトにまとまったお寺でした。

御朱印

御朱印は庫裏で頂きました。

大善寺の地図

 

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