御調八幡宮の御朱印~広島県三原市八幡町7~

所在地広島県三原市八幡町7
祭 神応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥命・比咩大神(宗像三女神)
由 緒769年、和気清麿呂の姉・和気広虫が宇佐八幡宮の神託事件でこの地に流罪となった際に八幡神を祀ったのがこの神社の始まりといわれてます。1158年、石清水八幡宮の別宮となりました。また備後総鎮護の神社として繁栄したそうです。1573~1592年、三原城に滞在中の豊臣秀吉が御調八幡宮を参拝し、境内に桜樹を手植えしたといわれてます。
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鳥居と清明橋

●鳥居

●鳥居
・建立年不明
・両部鳥居

和気清麿呂の姉・和気広虫ならびに豊臣秀吉ゆかりの御調八幡宮に到着。
ちなみに御調八幡宮と書いてみつき八幡宮と読みます。

境内入口には立派な両部鳥居が建ってました。
宮島の大鳥居を始め、なぜか広島県内には両部鳥居を構える神社が多いです。


●清明橋

●清明橋
・建立年不明
・木造・屋根付太鼓橋

両部鳥居もそうですが、なぜか広島県内の山間部には屋根付き橋も多いです。
佛通寺の巨蟒橋を始め、竹林寺の八千代橋や、福成寺の屋根付き橋などがあります。


ちなみに、こちらが佛通寺と竹林寺と福成寺の屋根付き橋です。


境内を流れる八幡川に架かる清明橋。
この神社は紅葉の名所としても有名で、シーズン中は多くの参拝者で賑わいます。


いやはや、情緒こぼれまくりで素敵ですなぁ。
そんなこんなで、清明橋を渡ると

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楼門と狛犬

●楼門

●楼門
・建立年不明
・銅板葺 入母屋楼門造


建立年を確認することができませんでしたが、社殿と同じく江戸期の建立でしょうか?やたらと風格のある楼門でした。

1層部は壁板を張っておらず、スッカスカになってるのが特徴的です。
扁額には備前国総鎮護と書いてありました。


●狛犬

●狛犬
・1924年建立
・広島玉乗り型(尾道型)

名前の通り、広島県内には異常に広島玉乗り型(尾道型)の狛犬が多いです。

両部鳥居しかり、屋根付き橋しかり、狛犬しかり、モミジしかり、広島の神社の美味しい所を凝縮したような神社でした。

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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・江戸時代建立
・銅板葺 入母屋造


宇佐八幡宮の神託事件で、和気清麿呂が大隅国(現・鹿児島県)へ配流された後、姉・和気広虫は備後国(現・広島県東部)に配流されました。
そして和気広虫はこの地に八幡神を祀ったといいます。それが、この神社の始まりなんですって。

それにしても、なんで関係ない広虫さんまで配流に・・・??? 実は、もともとは広虫さんが宇佐八幡宮へ派遣される予定だったそうです。でも病弱だったため、弟の清麻呂に派遣を託したんだって。

病弱なのにムゴい・・・容赦ないなぁ。


●本殿

●本殿
・江戸時代建立
・銅板葺 千鳥破風付き入母屋造
・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥命・比咩大神(宗像三女神)を祀る
・日本六ヶ所八幡の1つ

なんと、5間x5間という巨大な本殿。
圧倒的な存在感でした。


本殿前には陶製の狛犬がおられました。
見た感じ、瓦製に見えるのですが、どんなもんでしょ?
ちなみに、近くで拝見できなかったため、建立年は確認できませんでした。


●和気清麿呂とは
和気清麿呂とは奈良時代末期から平安時代初期に活躍した貴族です。地方豪族・和気氏(父は郡の長官)の長男として備前国藤野郡(現・岡山県和気郡和気町)で生まれました。宇佐八幡宮神託事件で有名な人です。


●ザックリと簡単に宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)とは

主な登場人物
・道鏡・・・僧侶
・孝謙上皇(称徳天皇)・・・女帝
・和気清麻呂・・・貴族

※ちなみに孝謙上皇(称徳天皇)と道鏡は恋仲。 道鏡のナニはとても立派だったようで、孝謙上皇はだいぶメロメロだったようです。 下半身で成り上がろうとした道鏡・・・男の中の男である。


そんなこんなで道鏡は、孝謙上皇(女帝)の病を治したことから信頼を得て出世しました。

孝謙上皇と対立した最高実力者・藤原仲麻呂。 藤原仲麻呂は反乱を起こしましたが、孝謙上皇と道鏡の策によって殺されてしまいます。 孝謙上皇は、仲麻呂の推挙で天皇に立てられた淳仁天皇から皇位を剥奪。 淳仁天皇は淡路国に島流しにされました。そして孝謙上皇は称徳天皇になりました。

道鏡は称徳天皇の片腕となり、僧侶なのに太政大臣となります。 そして翌年には、なんと法王になります。 こうして、称徳天皇の寵愛を一身に受けた道鏡は、政治にしばしば介入しました。 朝廷の官僚たちは、仲麻呂を政界からの排除のために称徳天皇に協力しただけで、 孝謙上皇が天皇になることや道鏡が政治に介入することに賛同したわけではありませんでした。そんな中、道鏡の弟が『道鏡を天皇にしたら天下は泰平である』という内容の 宇佐八幡宮の神託を読み上げました。道鏡はこの神託にノリノリとなり天皇になることを望みました。

称徳天皇には子供がいなかったため、次は誰が天皇になるのか?という関心を集めていました。道鏡を次の天皇にしたかった称徳天皇は、改めて宇佐八幡宮に使者を送って、その神託が本当かどうか確かめさせることにしました。 その使者となったのは和気清麻呂。 道鏡は清麻呂に『あの神託が本物だといえば、出世させてあげるよ』的なことをそそのかせます。

そんなこんなで、清麻呂は天皇の勅使として宇佐八幡宮に派遣されました。 そして神託を持ち帰ります。

神託の内容は『この世ができて以来、我が国は臣下が君主になったことはありません。 だから必ず皇族を天皇に即位させよ。これに背くものは排除せよ』でした。

愛する道鏡を次の天皇にしたかった称徳天皇は大激怒! 清麻呂は左遷されてしまいました。さらに別部穢麻呂というわけのわからない名前に改名させられて大隅国へ島流しにされました。

その後、称徳天皇は崩御。道鏡は唯一にして最大の後ろ盾を失ってしまいました。 政界での力を失った道鏡は下野の薬師寺へ左遷。その後どうなったかはわかりません・・・。

そんなこんなで、宇佐八幡宮神託事件はザックリとこんな感じです。(ザックリのわりに長い)

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豊臣秀吉公お手植えの桜樹株

●豊臣秀吉公お手植えの桜樹株

境内には、豊臣秀吉が植えた桜があったそうです。
しかし、現在は桜の木は朽ちてしまい、切り株を残すだけなんですって。

残念ですなぁ・・・せめて切り株だけでも拝見したい~と思うも、見つからず・・・どこにあったんだろう???


ちなみに毎年4月の第2日曜日に春季例祭・桜花祭が行われ、その時に県指定無形民俗文化財である御調八幡宮の花おどりが奉納されるそうです。

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境内社と絵馬堂

●若宮神社と彰徳神社

左 → 若宮神社
右 → 彰徳神社

その他、地主神社・春日神社・稲荷神社・住吉神社・祇園神社・気比神社があります。


●神庫

●神庫
・建立年不明
・茅葺 宝形造

苔生し加減が素敵な建物でした。


●斎釜殿


斎釜殿には、大きな釜がありました。
釜には、銘酒・旭菊とありました。調べてみると、旭菊は福岡の地酒でした。ということで、福岡の酒造が奉納した釜のようです。


●絵馬殿


絵馬殿の天井には古い絵馬がギッシリと掲げられてました。
ここまでの密度を誇る絵馬殿はなかなか出会えないような・・・文字通り絵馬殿!

そんなこんなで、絵馬鑑賞。とんでもない数なので首が痛くなりました。

紅葉

●紅葉
御調八幡宮は紅葉の名所としても有名です。


シーズン中は真っ赤な境内になります。


絵馬殿から望む紅葉。


清明橋と紅葉。

いやはや、素敵です(写真じゃなくて紅葉がね)。

三原のタコと三原やっさ祭り

●三原のタコ

三原の名物といえばタコ!
ということで、御調八幡宮の駐車場にはタコがデザインされた自販機がありました。


三原のタコは、ほんとに美味いです。
(今記事を書きながらヨダレがでた!)


タコ天丼を食べたり


タコ天を食べたり


タコ天を食べたり

・・・タコ天ばっか(笑)
好きなんです、タコ天が・・・。


●三原やっさ祭り

あと三原といえば、三原やっさ祭り。
三原やっさ祭りとは、毎年8月の第2金・土・日の3日間で開催される三原最大のお祭りです。JR・三原駅前を中心に行われます。

約110チーム、およそ7000人の踊り手たちが『やっさやっさ』と言いながら三味線・笛・太鼓に合わせて踊り、三原駅前を練り歩く楽しいお祭りです。

御朱印

●御朱印情報

御朱印は社務所で頂きました。

実は、足掛け9年、5度目の参拝で頂けたという(笑)
この神社の御朱印には一生縁がないのかと思ってましたが、なんとか強引に縁を結ぶことができました。

そんなこんなで、嬉しさのあまり紅葉の海の上で思わず御朱印帳を抱きしめてしまったひと時。
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御調八幡宮の地図

 

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