御袖天満宮の御朱印|尾道七社の1社|映画・転校生のロケ地(広島県尾道市)

所在地広島県尾道市長江1丁目11−16
祭 神菅原道真
由 緒901年、菅原道真が無実の罪により京から大宰府へ左遷される際、尾道に立ち寄ったそうです。その際、住民から麦飯と醴酒などの接待を受けたという。これに感謝した菅原道真は、自らの着物の片袖を破り自身の姿を描いて与えたそうです。その後、別当寺・天神坊(現・大山寺)の境内にその袖を祀る祠を建立。その袖は御袖の御影と呼ばれていたことから御袖天満宮という社号になったそうです。
HP御袖天満宮 – MisodeTenmangu Shrine
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社号標・鳥居・狛犬など


まるで昭和のまま時間が止まってしまったかのような町。

御袖天満宮へ続く路地は昭和の世界にタイムスリップしてしまったかのような町並みでした。

エモいなぁ〜。


坂道と路地と古民家がつくりだす尾道の風景。

そんな尾道の魅力に惹かれてたくさんの観光客が訪れます。

私もそんな尾道の魅力に惹かれた1人です。


かつて尾道の庶民は山の斜面に家を建てることができませんでした。

実は古くから尾道の山は聖域になっていて、お寺神社しか建物を建てられなかったんだと。

しかし、1891年に山陽鉄道(現・山陽本線)が開通したことにより、わずかな平地に住んでいた庶民は山へ移動することになったそうです。

しかし、山はお寺と神社の所有地。

ということで、現在も山に建つ家の多くはお寺と神社の借地なんだとか!

鉄道の開通により平地から山へ大移動。

尾道の坂道路地の民家はこうして生まれたのですね。


●井戸

御袖天満宮に続く石段脇には井戸がありました。

尾道にはこういった古井戸がたくさん残っています。


●石灯籠①

●石灯籠①
・1823年建立

こちらは石段脇にたつ石灯籠です。

文政6年と刻まれてましたので1823年に建立された石灯籠のようです。


●境内入口

●社号標
・1921年建立
・尾道石工 溝上民平作

そうこうしていると、御袖天満宮に到着。

御袖天満宮と書いてみそでてんまんぐうと読みます。

まず最初に登場するのは社号標

社号標には御袖天満宮ではなく天満神社と刻まれていました。

ちなみに社号標の文字は、浅野宗家13代当主ならびに広島藩最後の藩主・浅野長勲さんの書です。


●注連柱

●注連柱
・1907年建立

続いて登場するのは至誠可以仰神威 萬福之来依正道と刻まれた注連柱。

至誠可以仰神威 萬福之来依正道がどういう意味かというと・・・

・・・

・・・・・

わかりません。。(笑)

意味がどうこう言う以前に読めません。


●鳥居

●鳥居
・1852年建立
・台輪鳥居
・尾道石工 嘉十郎作

続いて、大きな木製扁額が印象的な鳥居が登場。

一見、明神鳥居に見えますが、島木と柱の間に台輪がありますので、こちらは台輪鳥居となります。


作者は尾道石工の嘉十郎さん。

尾道で嘉十郎さんの作品は浄土寺の石灯籠、艮神社の手水鉢、妙宣寺の手水鉢・題目塔、亀山八幡宮の百度石などがあります。


●石段

そんなこんなで、鳥居をくぐって石段を上る。

石段、玉垣、石灯籠、石垣・・・

見事な石造ワールド!

尾道は坂の町、文学の町、映画の町、芸術の町、猫の町、お寺の町などなど、様々な肩書きを持っていますが、石工の町としても知られています。

現在の尾道市久保町には、かつて石屋町と呼ばれた石工の町があったんだって。

石屋町には石工集団が住んでいて多くの石造物をつくっていたんだとか。

そして尾道石工による鳥居・常夜燈・水盤・狛犬などの石造物は、尾道水道から船で運ばれ、北九州瀬戸内海沿岸にかけて分布。

さらに北前船によって山陰北陸佐渡島北海道などにも運ばれていったそうです。


ちなみに現在、石屋町があった場所はスナックやパブが立ち並ぶ昭和レトロなディープスポットとなっております。


●狛犬

●狛犬
・奉納年不明

続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。

奉納年を探してみましたが、わかりませんでした。

尾道の狛犬といえば広島玉乗り型をイメージしますが、意外にもこういった座型狛犬もたくさんおられます。
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随身門・石段・手水舎

●随身門

●随身門
・1716年建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門

続いて、随身門が登場。

ネットの情報によると、この随身門は1716年の建立。

おそらく御袖天満宮最古の木造建造物だと思われます。

この神社は1973年に火災に遭っていますが、この随身門は焼失を免れたみたいですね。


随身像も建立当時からおられるのでしょうか?

見るからに古そうです。

よく見たら、虎の台にお座りになっているという!

いや、尾道は猫の町だから、猫の台かも知れない・・・それはないか。


●石灯籠②
・1905年建立
・尾道石工 百島長蔵作

ちなみに随身門前の石灯籠は明治38年に建立されたものでした。


そんなこんなで、随身門をくぐると、再び、石段が登場!


●石段

●石段
・1716~1736年築造
・花崗岩

石段の数は55段

最後の1段を除く各段は約5メートルの一本石を使用して造られてるんだって!


●1本の石の大きさ
・横幅 約5.2m
・奥行 約32cm
・高さ 約17cm

確かに継ぎ目がない1本石!


しかし最後の55段目だけはわざと石を継いでいるという。

これは、物事は完成したときから衰退が始まるという考え方に基づいた石工さんの工夫です。

建築物ではわざと柱の数を少なくしたり、柱をさかさまにして建てたり。

このように、昔の人は完璧なものを造ることをあえて避けるという考えがありました。


有名なのは日光東照宮・陽明門の逆柱や石清水八幡宮の逆向きの巴紋などなど。

京都・知恩院忘れ傘は、軒裏にあえて傘を残すことで不完全に仕上げているという。

昔の人の発想って面白いなぁ。


ちなみにこの石段は大林宣彦監督の映画・転校生で登場するあの有名な階段です!

一夫(尾美としのり)と一美(小林聡美)が階段から落ちて人格が入れ替わる、あまりにも有名なあのシーンです。

おそらく御袖天満宮を世に広めた石段といっても過言じゃないでしょう。


転校生とは、大林宣彦監督のヒット映画。

俗に言う尾道三部作の1つです。

1度でいいから、1日だけでいいから、異性になってみたいものです。

異性じゃなくても、とにかく他人になってみたいです。

他人が考えてることを知りたい。

他人は日々どんな事を考えながら生きているのか、どんな悩みがあるのか、どんな性生活を・・・おっといかん、卑猥な記事になってしまうとこだった!


ちなみに近くの民家に大林宣彦監督のメッセージが貼ってありました。


写真も貼ってありました。

その他、この神社は連続テレビ小説・てっぱんのロケ地、テレビアニメ・かみちゅ!の舞台にもなっています。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

●手水鉢
・1800年奉納

そんなこんなで、石段を上りきって手水舎でお清め。


竹細工の龍から水が出ていました。
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拝殿・本殿

●拝殿

●拝殿
・1983年建立
・瓦葺 入母屋造

続いて、拝殿で参拝。

天満宮ということで御祭神はもちろん菅原道真さん。

●御袖天満宮とは?
901年、菅原道真さんが無実の罪により京から大宰府へ左遷される際、尾道に立ち寄ったそうです。

その際、住民から麦飯と醴酒などの接待を受けたんだって。

これに感謝した道真さんは、自らの着物の片袖を破り自身の姿を描いて与えたそうです。

その後、別当寺・天神坊(現・大山寺)の境内にそのを祀る祠を建立。

その袖は御袖の御影と呼ばれていたことから御袖天満宮という社号になったそうです。


神社に残る記録によると、1606年と1687年に社殿を造営。

1799年と1849年に社殿を修復したそうです。

しかし、1973年に火災で焼失。。

その後、1983年に再建。

それが現在の社殿といわれています。


●本殿

●本殿
・1983年建立
・銅板葺 入母屋造

本殿はちょっと見にくいです。

おそらく朱色の建物が本殿だと思われます。
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境内社・御神木

●白太夫社

●白太夫社
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造

続いて、境内社の白太夫社を参拝。

御祭神は白太夫命

白太夫さんは、菅原道真さんが大宰府へ左遷される際にお伴をしたお方といわれています。

一説によると渡会春彦とも味酒安行ともいわれています。

ちなみに白太夫社と書いてしらだゆうしゃと読みます。


なんとお社には白太夫社の御朱印があるという!

この白太夫社の御朱印は授与所では頂けないのでお見逃しなく!


●桃咲稲荷神社と厳島神社

こちらは随身門の近くに鎮座している桃咲稲荷神社厳島神社です。


●桃咲稲荷神社

桃咲稲荷神社と書いてももさきいなりじんじゃと読むのでしょうか?

桃咲さん・・・何だがアイドルとかアニメキャラとかセクシー女優さんにいそうな名前だなぁ。

そんなことより、面白いなぁ〜と思ったのは、社殿と土塀が桃色だったところ。


●不明の建物

●不明の建物
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

こちらは何のお社でしょ?

ネットの情報によると旧拝殿と書いてありましたが、旧拝殿は1973年に火災で焼失しているはず・・・。


こちらも何の建物か不明。

ボロボロでした。


●御神木

謎の建物の前には大きな御神木が2本そびえ立っていました。
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さすり牛・筆形碑・文銭碑・力石の像など

●さすり牛(神牛)

●さすり牛(神牛)
・1839年奉納
・尾道石工 喜右衛門・重助・多兵衛

続いて、天満系のシンボルキャラであります神牛さんをスリスリ


作者は尾道石工の喜右衛門さんと重助さんと多兵衛さん。

尾道で喜右衛門さんの作品は、妙宣寺の香立台座、亀山八幡宮の標柱、浄土寺山・登山道の千手観音、浦崎町・住吉神社の狛犬と石灯籠などがあります。

尾道で重助さんの作品は、慈観寺の六地蔵、妙宣寺の石灯籠、善興寺の廻国供養塔・回忌塔などがあります。


●池

拝殿の横には小さながありました。


●筆形碑

●筆形碑
・1841年建立
・作者 島居勘十郎

池のほとりには筆形の石碑がありました。


●文銭碑(霊験碑)

●文銭碑(霊験碑)
・江戸時代建立?
・奉納者 生玉茂七

筆形碑の隣には文銭碑(霊験碑)がありました。

この石碑は、生玉茂七さんが天神さん(菅原道真)の霊験に感謝して建立されたものといわれています。

●文銭碑(霊験碑)とは?

大昔、茂七さんは商人として丁稚奉公(でっち)をしていました。

しかし不運なことに、茂七さんは身に覚えの無い疑いをかけられ冤罪を被りました。

そして茂七さんは、その冤罪が晴れるように何度も何度も天神さん(菅原道真)に祈りました。

その後、いろいろとあったみたいで、彼の奉公先が使っていた文銭のおかげで無罪が証明されました。

そんなこんなで、茂七さんは天神さんに感謝し、文銭碑(霊験碑)を建立しました。

このような経緯から、御袖天満宮は雪冤(冤罪を晴らす)の御神徳もあるそうです。


●狛犬

●備前焼狛犬
・1826年奉納

社務所の前には相方のいない備前焼狛犬がおられました。

台座には文政9年と刻まれていました。

ということで、1826年に奉納された狛犬ちゃんかな?

もしかしたら、台座と狛犬は違う年代のものかもしれません。


正面から拝見できませんでしたが、境内にはもう一対狛犬ちゃんがいました。

この背中は・・・

まさかの岡崎現代型!

尾道で岡崎現代型に出会ったのは初めてです!

いつもならガッカリする現代型ですが、今日は何だか嬉しい(笑)


●力石の像

参道脇には力石を持ち上げるマッチョ像もありました。

港町尾道の沖仲仕達は大きな力石を持ち上げて力自慢をしていたそうです。

その中でも特に力持ちだったのが和七さんという方なんだって。


江戸時代、尾道港は北前船の集結地として繁昌していました。

尾道港では海産物を扱う東浜、備後地方の特産品・畳表を扱う西浜に分かれて、浜の仲仕達は仕事のあい間に力石を持ち上げて力比べをしてたんだって。


●大山寺

御袖天満宮のすぐ隣には大山寺があります。

神仏習合時代、大山寺は御袖天満宮の別当寺だったみたいですよ。

菅公腰掛岩・タイル小路

●菅公腰掛岩

●門柱
・1939年建立

境内からほんのちょっぴり離れたところには菅原道真さんの腰掛け岩がありました。


それにしても、草がボーボーで近づくのに苦労しました(笑)


腰掛け岩は思ってたより大きな石でした。

昼寝とかしたら気持ち良さそうだなぁ。

道真さん、寝転がったかなぁ?

もしかしたら、菅公昼寝かも知れないね。


●タイル小路

菅公腰掛岩付近の階段を上ると、尾道三部作の1つ、映画・時をかける少女に登場するタイル小路がありました。


昔はもっとタイルがあったのに、現在は民家の私有地にギリギリ現存している状態でした。

嗚呼、諸行無常を感じる。。


そんなこんなで、参拝終了。

いやはや、素敵な神社でした。

御朱印情報

●御朱印情報

●御朱印の種類
・御袖天満宮の御朱印
・鷽替えの御朱印
・縁の御朱印
・和歌の御朱印(2種類)
・白太夫社の御朱印

御朱印は5種類ありました。

もしかしたら、季節ごとにラインナップが変わるパターンかもしれません。

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・あり


●御朱印の受付場所
・授与所

●御朱印の受付時間
・不明


●白太夫社の御朱印

白太夫社の御朱印は、白太夫社書置きが用意されています。

なぜか白太夫社の御朱印は授与所のメニュー入っていませんのでご注意を!


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
・サイズ 16cm × 11cm
・初穂料 2200円

・2012年12月8日 参拝
・2024年1月7日 再訪
・2024年1月 最終更新

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参拝情報とアクセス

●開門時間
・境内自由

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR尾道駅から徒歩25分

●最寄りのバス停
・おのみちバス
 長江口 バス停から徒歩5分

●最寄りのIC
・山陽自動車道
 尾道ICから車で15分

・山陽自動車道
 福山西ICから車で15分

●駐車場
・なし

※御袖天満宮には駐車場はありません
ですので、車で参拝する際は近隣の有料駐車場を利用することになります。

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御袖天満宮の地図

 

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