法常寺の御朱印~小早川隆景の葬儀と火葬が行われたお寺~(広島県三原市西宮)

都道府県別
住 所広島県三原市西宮1丁目8−1
宗 派曹洞宗
由 緒1258年、竹原小早川氏の菩提所として、竹原市新庄木村山城の西側高地に創建したのがこのお寺の始まりだそうです。創建当時は、法輪常転禅寺という寺号で天台宗のお寺だったそうです。1539年、小早川隆景の義父・小早川興景が大休登懌和尚を招いて曹洞宗に改宗。その後、本郷町・新高山城北側の山麓に移転し、1592年に現在地へ移転。1597年、小早川隆景が三原城で逝去した際、このお寺で盛大な葬儀が行われ、境内で火葬されたそうです。その後、遺骸は沼田小早川家の菩提所・米山寺に葬られたといいます。
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山門と地蔵堂

●山門

●山門
・建立年不明
・瓦葺 薬医門

毛利元就の3男・小早川隆景葬儀と火葬が行われた法常寺に到着。

隆景さんは知名度こそ地味ですが、毛利元就の3男として、そして豊臣5大老の1人として結構活躍したお方です。個人的にすごく好きな歴史人のため、少々興奮気味。鼓動がスタッカートに刻まれたひと時でした。

そんなこんなで、参拝開始。


山門の扁額には華厳窟
屋根瓦には、印鑑のようなオリジナル瓦と、足ピーンの玉乗り獅子と、小早川氏の家紋である左三つ巴紋がありました。


●地蔵堂


●地蔵堂
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

山門をくぐると地蔵堂があり、堂内には六地蔵さんがおられました。

六地蔵の中尊は三界萬霊のお地蔵さんです。
ちなみに三界萬霊とは欲界・色界・無色界の3つの世界のことです。

●欲界
欲を持つものが生きる最下位の世界

●色界
欲から離れた者が生きる世界。

●無色界
欲からも物質からも離れた、高度かつ最上級の精神的な世界
最高位置は有頂天です。

間違いなく私は欲界だろうなぁ。

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本堂

●本堂

●本堂
・1688~1704年建立
・瓦葺 裳階付き入母屋造
・曹洞宗
・本尊は釈迦如来像
・正式な寺号は法輪常轉禅寺
・小早川隆景の菩提寺

見た目は2層の建物に見えますが、下の屋根は裳階のため、実際は1層の建物です。


本堂には2つの扁額がありました。

上の扁額 → 山号の東日山
下の扁額 → 寺号の法常寺


寺紋は16菊紋桐紋という最強ツートップです。
めちゃくちゃ高貴な寺紋ですなぁ。

16菊紋は皇室が使用している紋です。

桐紋は室町時代以降、皇室や豊臣政権などが使用していて、現在では日本国政府の紋章として用いられてます。

もしかして隆景さんが豊臣5大老だから寺紋が桐紋なのかなぁ・・・とか思ってみたり。


どうやら、たくさんの寺宝を有するお寺のようです。

その中で、1番気になったのが定朝作の釈迦如来像!
説明板に詳しくは庫裏でお尋ね下さいと書いてあるではないか!

そんなこんなで、ウッキウキで庫裏に向かうも、法事のためお堂に上がることができず・・・うぉぉぉーっ無念じゃ!

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小早川隆景公 小祠

●小早川隆景公 小祠

そんなこんなで、このお寺のハイライトでございます小早川隆景公 小祠に到着。どうやらここが小早川隆景を火葬した跡地のようです。


1597年、小早川隆景が三原城で逝去した際、このお寺で盛大な葬儀が行われ、境内で火葬されたといいます。

小早川隆景と黒田官兵衛は仲が良く、お互いの才を認め合った仲。
隆景が亡くなった時、官兵衛は『これで日本に賢人はいなくなった』と悲しんだそうです。

火葬跡地には小さな祠がポツンと建つのみ。
おそらく小早川隆景を祀る祠なんでしょう。


それにしてもシンプルな祠ですなぁ。


●小早川隆景とは

小早川隆景とは、戦国時代~安土桃山時代に活躍した武将・大名です。毛利元就の3男で、兄の吉川元春とともに毛利両川として毛利氏の発展に尽くしました。豊臣政権下では豊臣五大老の1人として活躍しました。先見の明に長けた智将で、豊臣秀吉や黒田官兵衛も隆景の才を認めていたといいます。実子がいなかったため、木下家定の5男で豊臣秀吉の養子となっていた羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲ります・・・が、小早川秀秋は、その後、関ヶ原の戦いで西軍を裏切るという・・・こんなオチがあるとは。。

1533年毛利元就の3男として生まれる。
1544年竹原小早川家の養子になる。
1550年本家・沼田小早川家の当主・小早川繁平の妹と結婚して家督を継ぐ。
1552年新高山城を築城。
1555年日本三大奇襲の1つ・厳島の戦いで活躍し、毛利氏の勝利に貢献する。
1567年三原城を築城。三原城主になる。
1571年父・毛利元就が死去。新たに毛利家の当主となった毛利輝元の補佐役になる。
1582年毛利軍 vs 羽柴軍の備中高松城の戦い。
本能寺の変により毛利氏と羽柴秀吉は和睦。
1585年秀吉の四国攻めで活躍。その後、伊予国35万石を与えられる。
1587年秀吉の九州攻めで活躍。その後、筑前・筑後・肥前(一部)に転封。筑前・名島城主になる。
1592年朝鮮出兵(文禄の役)で活躍。
1593年豊臣五大老になる。羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎える。
1595年家督を秀秋に譲り、三原城に隠居。
1597年三原城で死去。


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庫裏

●庫裏

●庫裏
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

御朱印はこちらで頂けます。


●境内からの景色

境内から三原の町を望む。
銀色のドームは三原市芸術文化センター(通称・ポポロ)です。

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ひと足のばして 三原城

●JR・三原駅と三原城


なんと!
JR・三原駅と三原城は合体しているという!


三原城の石垣の上に駅舎・ホームがあるという!

先見の明がある隆景さんといえども、まさか自分の城がこんな事になるとは予想できなかったでしょうね!



石垣の上を線路が突っ切ってます。
なかなかの珍駅ですなぁ。


しかも駅舎の中から天守台に登るという珍っぷりです。


三原城・天守台

●三原城
・1567年築城
・築城主は小早川隆景
・主な城主は小早川氏・福島氏・浅野氏
・別名・浮城または玉壺城


三原城の天守台は、江戸城の天守台と同じ規模の面積があるそうです。

ちなみに、天守は建築されなかったそうです。


三原城・発掘調査


お堀の周辺を発掘調査してました。
画像は2011年に見つかった遺構です。
天保通宝や陶磁器なども見つかったそうです。
ちなみに、調査後は公園として整備されるそうです。


1645~1648年に描かれた絵です。
前面には瀬戸内海、背後には桜山。
本丸東南には突出部を持つ船入櫓があります。

そんなこんなで、三原城は軍港の機能を備えたお城で、瀬戸内海を軍事的に掌握するために築城したといわれてます。

満潮時には、お城が海に浮かぶように見えたそうです。そのため、別名・浮城と呼ばれています。

三原のタコと三原やっさ祭り

●三原のタコと三原やっさ祭り

三原の名物といえばタコ!
ほんとに美味いです。(今記事を書きながらヨダレがでた!)

あと、三原といえば三原やっさ祭りです。
やっさ祭りは、三原城の完成を祝って、祝酒に酔った人達が踊り出したのが始まりだそうです。

●ご当地電話ボックス

電話ボックスの上にはお城が建ってました。

御朱印

御朱印は庫裏で頂きました。

法常寺の地図

 

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