聖福寺の御朱印~長崎四福寺の1つ・坂本龍馬ゆかりのお寺~(長崎県長崎市)

所在地長崎県長崎市玉園町3−77
宗 派黄檗宗
由 緒 1677年、隠元の孫弟子・鉄心道胖が開山。長崎奉行の後援や長崎在住の唐人、豪商・西村氏などの出資を得て創建されたお寺といいます。1867年、坂本龍馬率いる海援隊・いろは丸と、紀州藩船・明光丸が瀬戸内海の六島沖で衝突した事件(いろは丸事件)の談判が行われたお寺として知られています。 崇福寺・興福寺・福済寺とともに長崎四福寺の1つです。
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聖福寺とは?

●聖福寺とは?

崇福寺・興福寺・福済寺とともに長崎四福寺の1つであります聖福寺に到着。

JR長崎駅から徒歩10分。
アクセス良好の駅近物件です。

聖福寺の創建は1677年。
長崎三福寺が1620年代に創建されたのに比べると半世紀ほど遅い創建になります。

創建に至る経緯も長崎三福寺とは異なります。


●長崎三福寺の創建経緯
キリシタン弾圧が厳しかった時代、キリスト教禁令下において唐人たちは自らが仏教徒であることを示すために出身地別に唐寺を建立。

①崇福寺
・福州地方出身の唐人が創建
 通称・福州寺

②興福寺
・南京地方出身の唐人が創建
 通称・南京寺

③福済寺
・漳州と泉州出身の唐人が創建
 通称・漳州寺または泉州寺

●聖福寺の創建経緯
開山・鉄心道胖のために長崎奉行の後援や長崎在住の唐人、豪商・西村氏などの出資を得て創建。

鉄心道胖の父が福建省の漳州出身だったため広東人が多く帰依

そのため通称・広東寺と呼ばれていたそうです。

そんなこんなで、この聖福寺は他の長崎三福寺とはちょっと異なる歴史を歩んできたお寺のようです。
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山門

●山門

●山門
・1703年建立
・本瓦葺 牌楼式切妻造
・三間三戸 八脚門
・国指定重要文化財

そんなこんなで、参拝開始。

まず最初に登場するのは牌楼式の山門


この山門は、堺の豪商・京屋宗休が寄進。
そして堺の棟梁によって建立された門のようです。

パッと見はいかにも中華風の建物ですが、日本人工匠が建立しただけあって、和様建築を基調とした造りになっておりました。

そんなこんなで、長崎三福寺がコテコテの中国建築なのに対し、聖福寺はどこかしらマイルドな中華風味に仕上がっていました。

これは開山・鉄心禅師が、長崎三福寺の唐風建築より宇治・萬福寺の建築様式を好んだためといわれています。


扁額には聖福禅寺
これは日本黄檗宗の開祖・隠元禅師の筆なんだって。

開山は1677年。
山門は1703年建立。
しかし、扁額は1672年作・・・
開山よりも山門建立よりも早いという・・・

・・・はて?

どうやらこちらの扁額は、鉄心禅師が開山前にあらかじめ隠元禅師に書いてもらったという説があるそうですよ。

※2021年3月から修復工事を行っております。
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天王殿

●天王殿

●天王殿
・1705年建立
・本瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

そんなこんなで、山門をくぐると天王殿が登場。

天王殿・・・どっかで聞いたことあるなぁ〜と思ったら、黄檗宗の総本山・萬福寺だ!

ということは・・・


はいドン!

やはり萬福寺の天王殿と同じく、殿内には弥勒菩薩さんが安置されていました!


弥勒菩薩・・・???

どう見ても布袋さんじゃん・・・

と、お思いでしょうが、実は黄檗宗では弥勒さんと布袋さんは同体として扱われているという!

簡単にいうと布袋さんは弥勒菩薩の化身ということです。

そのため、黄檗宗では布袋さんのことを弥勒菩薩と呼んでいます。


開山・鉄心禅師は、黄檗の三筆の1人・木庵禅師に付き添って黄檗宗の総本山・萬福寺で修行を積んだお方です。

ということで、おそらく鉄心禅師は萬福寺の伽藍形式に倣って聖福寺を創建したのかなぁっと思ってみたりしました。

ちなみに長崎で天王殿があるお寺は、この聖福寺だけらしいですよ。

そんなこんなで、天王殿をくぐると・・・


はいドン!

表が弥勒菩薩さんとなれば、やはり裏側には韋駄天さん!

ということで、弥勒菩薩さんと韋駄天さんの配置も総本山・萬福寺と同じでした。

ちなみに韋駄天さんは伽藍を守る護法神です。

どうでもいい話しですけど、黄檗宗寺院では韋駄天さんを探すのが私の密かな楽しみだったりします。


ちなみに、こちらが本家本元の総本山・萬福寺の天王殿です。

※聖福寺・天王殿は2021年3月から修復工事を行っております。
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大雄宝殿

●大雄宝殿

●大雄宝殿
・1715年再建
・本瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

続いて、大雄宝殿を参拝。


この大雄宝殿は長崎の楠原与右衛門が建立したお堂ということで、山門・天王殿同様、日本人工匠が建立したものなんだって。

ということで、大雄宝殿も和様建築を基調とした黄檗様式になっているという。



しかし細部を見てみると結構大々的に黄檗様式が取り入れられているので、和様建築の雰囲気を感じることはちょっと少なかったです。


前廊部分を見上げるとアーチ型の天井になっていました。

これは黄檗天井と呼ばれるもので、黄檗様式の特徴です。


屋根にはシャチホコではなく魔伽羅が乗っていました。
これもまた黄檗宗寺院ならではの光景ですね。

ちなみに、魔伽羅とはサンスクリット語でワニを意味し、体が水でできている想像上の生き物です。

あと大棟に乗っている寳瓶も黄檗宗寺院ならではの光景でした。


それにしても、赤色の釉瓦の屋根が独特なオーラを放出していました。

意図的にそうしたのかどうかわかりませんが、色の濃さがバラバラで、まるでパッチワークのようになっていましたよ。


本尊は釈迦如来坐像

勉強不足のためハッキリといえませんが、おそらく脇侍は萬福寺と同じ迦葉尊者像阿難尊者像と思われます。



ちなみに長崎の唐寺は、魔除けのために山門と大雄宝殿をズラして配置しています。

ということで、この聖福寺も他の唐寺と同じようにズラして配置されていました。

※2021年3月から修復工事を行っております。
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鐘楼と石門と惜字亭

●鐘楼

●鐘楼
・1716年建立
・本瓦葺 入母屋造
・国指定重要文化財

●梵鐘
・1718年鋳造
・長崎市指定有形文化財

なんと、鐘楼には長崎最大の梵鐘が吊るされてるという!

その梵鐘は鉄心禅師の名をとって、通称・鉄心の大鐘と呼ばれているそうですよ。


鉄心の大鐘は、江戸時代後期、異船が襲来した際、緊急事態を知らせるために打ち鳴らされた鐘なんだって。

ちなみに、現在は除夜の鐘でしか音色を聞くことができないみたいです。

江戸時代の人が聞いた異船襲来の早鐘・・・聞いてみたいな~。

※2021年3月から修復工事を行っております。


●石門

●石門
・江戸時代初期建立
・1886年移築
・長崎市指定有形文化財

境内には異国感満載のアーチ式の石門がありました。

このようなアーチ式の石門は、 江戸時代初期に中国から持ち込まれた形式の門なんだって。
アーチ式の石門は、長崎市内の寺院にいくつか残っているそうですよ。

ちなみに石門に書かれた華蔵界という文字は、鉄心禅師の師匠・木庵禅師の筆なんだって。


●惜字亭

●惜字亭
・1866年建立
・長崎市指定有形文化財

こちらのメルヘンチックな炉は、経文や不要な文書類を処分するための焼却炉なんだって。

コンニャク煉瓦を使用した貴重な文化財だという。


・・・って、コンニャク!?
煉瓦・・・!?

なんだそりゃ!?!?

ということで調べてみることに・・・

煉瓦と書いてレンガと読むんだ・・・阿保なんで知らなかったよ!

ちなみにコンニャク煉瓦とは、長崎特有のレンガなんだって。

普通のレンガに比べて薄くて長くコンニャクに似ていることからコンニャク煉瓦と呼ばれるようになったんだって。


もしかして、先ほど参拝した興福寺の三江会所門はコンニャク煉瓦だったのかなぁ?

なんとなく普通のレンガに比べて細長いような気がする!


前日、観光した高島の石炭資料館のこれは普通のレンガ・・・?

なんか太いような気がする!

・・・って、どうでもいいか、こんな話し(笑)

その他の見どころ

●地蔵堂

参道途中には、長崎四国八十八ヶ所の第14番札所になっている地蔵堂がありました。


なぜかお堂の両サイドには、可愛い狛犬ちゃんもおられました。

ほぼ犬です。


●開梆(魚板・魚梆・飯梆)

当然、禅宗のマストアイテム・開梆もあります。

ちなみに開梆が進化したものが木魚です。

口にくわえている玉は人の煩悩の現れ。
叩いて煩悩を出すことから、木魚が叩かれるようになったといわれています。


●鬼塀

●鬼塀
・明治時代中期建立

境内には瓦が練り込まれた勇ましい瓦土塀もありました。

これは明治時代中期に廃寺となった末寺3ヶ寺の瓦を使用して造った塀なんだって。

よ~く見てみると、桃や魔伽羅などの黄檗アイテムを確認することができましたよ。

ナイスリサイクルです。


●坂本龍馬と聖福寺

なんと、このお寺はいろは丸事件の談判が行われたお寺でもあるという!

ザックリと簡単にいろは丸事件とは、1867年、坂本龍馬率いる海援隊の船・いろは丸が瀬戸内海で紀州藩船・明光丸と衝突して沈没した事件です。

坂本龍馬は紀州藩に賠償金8万3千両を支払わせることで決着。
8万3千両を現在の価値に換算すると、なんと164億円!(ひぇっ)

その賠償交渉が行われたのがこの聖福寺なんだって!

ということは、ここを龍馬さんが歩いたってことですか!

それだけでアドレナリンが大噴出します。
いやはや興奮。

ちなみに私が参拝したときにはありませんでしたが、現在境内には2020年建立の坂本龍馬像があるそうですよ。

周辺の見どころ

●伊能忠敬 止宿・大同庵跡

参拝後、聖福寺周辺をプラプラと散策していたらこんなものに出会いました。

こちらは、1813年に伊能忠敬江戸幕府天文方測量御用一行が16日間宿泊した地のようです。


●長崎歴史文化博物館

お城かぃ!?

と思って近づいてみると、こちらは長崎歴史文化博物館

もともとここは長崎奉行所があった場所なんだって。


どうやらジブリの大博覧会をやっているようなので、ちょっくら立ち寄ってみることに。

何気に見応えのある博覧会でしたよ。
楽しかった~。

御朱印情報

●御朱印の種類
・聖福寺の御朱印

●御朱印の受付場所
・庫裡

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2017年4月30日 参拝
・2021年4月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR長崎駅から徒歩10分

・路面電車
 桜町 電停で下車 徒歩4分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(2台)

聖福寺の地図

 

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