海岸寺の御朱印~もう1つの弘法大師生誕地~(香川県仲多度郡多度津町)

所在地香川県仲多度郡多度津町西白方997−1
宗 派真言宗醍醐派
札 所 ・四国別格二十霊場 第18番
・四国三十六不動霊場 第31番
・讃岐十二支霊場 卯歳守護文殊菩薩札所
由 緒807年、弘法大師が弥勒菩薩を刻み、お堂を建立したのがこのお寺の始まり。 その後、816年に弘法大師が自身の像を刻み、大師堂を建立。それが奥の院の始まりといいます。 弘法大師の生誕地として一般的に知られているのは善通寺ですが、弘法大師はこのお寺の奥の院で生まれたという説があります。江戸時代、善通寺と海岸寺は弘法大師の生誕地を巡って争ったそうです。しかし、結局どちらが本当の生誕地なのか定かにならぬまま現在に至っています。弘法大師は幼少の頃、母・玉依御前と離れて暮らし、本坊にあった別館で勉学に励んでいたそうです。そして、毎月14日に十四橋を渡って母・玉依御前に会いに行き、産土神である熊手八幡宮へお参りに行っていたといわれています。
HP屏風ヶ浦海岸寺 | 弘法大師誕生ゆかりの寺
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本坊 山門と手水舎と鐘楼

●JR海岸寺駅

本日は久々に四国スタイルに変身。

そんなこんなで、JR海岸寺駅から徒歩5分。
海岸沿いにある、その名も海岸寺に到着。


●山門

●山門
・1965年建立
・瓦葺 入母屋造 八脚門

到着後、山門前にて1.5度見してしまう。




なんとっ!





お相撲さん!

金剛力士像だと思っていたその像は、まさかの人間力士像でした!

これは仁王門ならぬ二力士門!


なんと、実際の力士像を安置しているお寺は日本で唯一なんだって。

なんだよなんだよ、面白いじゃん。


●大豪像
どうやら、向かって左におられるのは大豪さんという力士のようです。

調べてみると、大豪さんは1950〜1960年代に活躍した元関脇の大相撲力士。
香川県丸亀市出身なんだって。

なんと、香川県出身で初めての優勝力士だという。
そして香川県出身で唯一優勝している力士だという。
(2021年6月現在)


●琴ヶ浜像
そして向かって右におられるのは琴ヶ浜さんという力士のようです。

調べてみると、1950〜1960年代に活躍した元大関の大相撲力士。
香川県観音寺市出身なんだって。

琴ヶ浜さんは香川県出身で唯一の大関力士のようです。
(2021年6月現在)


両者とも香川県の誇りなんですね!

いやはや、本日も珍しいものが拝見できて有り難き幸せ。


ちなみに山門裏には大草鞋が奉納されていました。

そこは通常の仁王門スタイルになっています。


●手水舎と鐘楼

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

そんなこんなで、手水舎で清めてゴーン♪
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本坊 本堂

●本堂

●本堂
・1856年再建
・瓦葺 入母屋造
・本尊 聖観世音菩薩像
・四国別格二十霊場 第18番

そして本堂で参拝。

このお寺は四国別格二十霊場の第18番札所となっております。

ということで、本日はビシッと白衣と輪袈裟と菅笠をキメこんで、四国スタイルで参拝をしております。


読経も完了。

久々のわりには出来はよかったです。
自画爺さん(自画自賛)。


そんなこんなで、本堂を観察。

木鼻は獏。
木鼻を避けて増設された壁にスッポリとハマっていました。

通常の獏より鼻が短いのでコンパクトに収納されていましたよ。


本堂内では雲中供養菩薩さんがおられました。

各方向から雲中供養菩薩さんの熱視線を感じながらの読経は緊張しました。

そうこうしていると、住職さんと思われるお方が話しかけてくれました。
そして住職さんは、本堂内陣へ案内してくれました(ラッキー)。

御本尊は、弘法大師作の観音さん。
観音じゃなくて観音というところが珍しいですね!

そんなこんなで、正観音さんと向き合って有難い時間を過ごしてきましたよ。
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弘法大師の生誕地

●弘法大師の生誕地

住職さんのお話しによると、この地は弘法大師の母・玉依御前の出身地だという。

そして玉依御前は海岸寺・奥の院で弘法大師を出産したんだって。

ということで、海岸寺弘法大師の生誕地とのことです。


ふむふむふむ・・・


なるほど・・・って、おい!

弘法大師の生誕地は善通寺じゃなかったのーーーっ!

どどど、どういう事ですか・・・!?!?


そんなこんなで、住職さんに聞いてみました。

住職さんがおっしゃるには

①近くのお寺に弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡があること。(現・仏母院)

②その屋敷跡に弘法大師のへその緒を納めた塚があること。(現・仏母院)

③このお寺に弘法大師の産湯の井戸があること。

④このお寺に赤ちゃん姿の弘法大師像があること。

などなど、弘法大師の生誕地であることを証明できる史跡がたくさんあることが理由だという!



しかし!

江戸時代に善通寺海岸寺は弘法大師の生誕地を巡って争いを起こしてしまったという!

どうやら、海岸寺が生誕地を名乗ることに納得できなかった善通寺が不服を申し立てたのが争いの原因だったようです。

この争いは丸亀藩・多度津藩をも巻き込む大事態に発展。

そんなこんなで、このことを知った京都・智積院の能化僧正が、争いを穏便に済ますために嵯峨御所・大覚寺に書状を送ったという。

そして大覚寺は、本寺明王院(現・道隆寺)と海岸寺の住職を呼び寄せて事情聴取を行ったんだって。

そして1816年に嵯峨御所・大覚寺が裁決を下しました。

それは

善通寺は誕生所
海岸寺は弘法大師出化初因縁の霊跡

というものでした。

弘法大師出化初因縁の霊跡って、言い方を変えただけで生誕地を認めちゃってるような・・・!

そんなこんなで、結局どちらが本当の生誕地なのか定かではないまま現在に至っています。



ならば、海岸寺は弘法大師の生誕地ですよ~!
と大々的にアピールすればいいじゃないか!

とお思いでしょうが、住職さんはこう言いました。

様々な諸事情があるためそれはできない・・・と。

もしかしたら何かしらの圧がかかっているのかな・・・大人の事情で言いたくても言えないのだ、きっと。

そのため現在は知る人ぞ知る霊跡になっている模様。


ちなみに海岸寺と善通寺は、まぁまぁ近い距離にあります。

どちらが生誕地かはわかりませんが、この距離の近さからしてこの地域で生まれたのは間違いなさそうです。

海岸寺説と善通寺説・・・真相はいかに。



●仏母院の参拝記と御朱印情報
弘法大師の生誕地は善通寺?海岸寺?

こちらに私なりの弘法大師生誕地の仮説を書いています。
仏母院の御朱印~日本唯一!弘法大師の胞衣塚。玉依御前の屋敷跡に建つ小さなお寺さん~(香川県仲多度郡多度津町)
所在地香川県仲多度郡多度津町西白方535宗 派真言宗醍醐派札 所・四国八十八ヶ所 番外霊場・新四国曼荼羅霊場 第17番由 緒弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡に建つお寺です。平安時代初期、玉依御...
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本坊 不動明王堂

●不動明王堂(金毘羅不動護摩場)

●不動明王堂(金毘羅不動護摩場)
・建立年不明
・銅板葺 宝形造

続いて、住職さんは本堂と廊下で繋がっている不動明王堂へ案内してくれました(ラッキーは続く)。

堂内には、こんぴら系神社の総本宮・金刀比羅宮で祀られていた不動明王立像(鎌倉時代作)が安置されていました。

そのため、このお堂は別名・金毘羅不動護摩場と呼ばれているそうです。

その他、弘法大師作の神変大菩薩像(役行者)も拝観できましたよ。

この2つの像は、明治時代の神仏分離令の際に法難から逃れ、金刀比羅宮から移されたものらしいですよ。
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本坊から奥の院

●海岸寺本坊から奥の院

住職さんのお話しによると、弘法大師がお生まれになった場所は、現在の奥の院とのこと。

奥の院は、海岸寺本坊からちょっと離れた飛び地境内にあるという。

そんなこんなで、奥の院に向けてGO!


現在は、海岸寺本坊と奥の院の間には県道とJR・予讃線が通っているため、境内は分断されています。

とりあえず塔に向かって歩けば、道に迷うことはないと思います。(多分)


今は分断されているけど昔は同一境内だったのかなぁ~。
とか思いつつ田舎町をテクテク歩くこと10数分。

海岸寺のランドマーク的存在である塔が近づいてきました。

奥の院 四天門と手水舎

●奥の院 境内入口

そんなこんなで、海岸寺の奥の院に到着。


●奥の院 四天門

●奥の院 四天門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・鉄筋コンクリート造

表2体、裏2体という通常のスタイルではなく、表に4体が横並びしているという珍しいスタイルの四天門でした。


●四天王像
・広目天像(左)
・増長天像(左から2番目)
・持国天像(左から3番目)
・多聞天像(左から4番目)


ちなみに四天門は鐘楼門になっていました。

ということで、ゴーン♪


●奥の院 手水舎

そんなこんなで、四天門をくぐって参道を歩くと手水舎に到着。

昭和センス大爆発のイカした手水舎でした。
昭和建築特有の怪しさが抜群に素敵です。

ということで、めでたく私の中の昭和遺産に認定。

奥の院 大師堂と産井と湯手掛の松

●奥の院 大師堂

●奥の院 大師堂
・奥殿 1920年建立
・拝殿 1934年建立
・瓦葺 入母屋造

続いて、大師堂に到着。

ここが、弘法大師がお生まれになったところです!

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


御本尊はもちろん弘法大師像。

しかし、ただの弘法大師像ではございません!

なんとこちらの弘法大師像は、日本で唯一赤ちゃん姿の弘法大師さんなんです!

いわゆる弘法大師の誕生佛です!

しかも弘法大師自作の尊像なのです!


そんなこんなで、お寺の方に案内されて堂内へ。

入口の戸には弥勒菩薩さんの梵字で結界が張られていました。
ただならぬ厳重っぷりに気軽な気持ちが一掃されました。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・


堂内は、外陣・内陣・内々陣という3つのエリアに分かれておりました。

内陣には弘法大師像。

そして内々陣には赤ちゃん姿の弘法大師像
両サイドの脇侍は四天王像。
さらにその脇侍に弘法大師の父と母の像が安置されているという!

なかなか珍しいフォーメーションでした。

ちなみに、秘宝として弘法大師御産盥も安置されているそうです。

※弘法大師の誕生佛はお寺の方に申し出れば拝観できます。


●弘法大師産井

奥の院の境内には弘法大師 産湯の井戸もありました。

読んで字のごとく、弘法大師を出産するときに産湯として使った井戸です。


海岸寺から徒歩10分のところには、弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡(仏母院)があります。

弘法大師生誕地の説はいろいろありますが、玉依御前の屋敷跡は説ではなく確定事項のようです。

善通寺は父の屋敷があったところ。
海岸寺周辺は母の屋敷があったところ。

当時、お寺で血を流すのはNGということで、出産をする際は出産用の屋敷を建ててそこで子を産んでいたんだって。

ということで、善通寺からちょっと離れた海岸寺周辺のこの地に屋敷(現・仏母院)を建てて出産したというわけだ。

そういう話しを聞くと海岸寺説の方が説得力がある・・・
私は、何となく海岸寺説を推したい・・・
そんな気持ちになってきました!


ちなみにこの井戸は、現在も枯れてないそうです。

眼病に効く霊水とのことですが、水質検査の関係で飲むことはできないそうです。


●湯手掛の松

産湯の井戸の向かい側には湯手掛の松というものもありました。

なんとこの松は、出産の際に弘法大師を取り上げた産婆さんが手拭いを掛けた松なんだと!


そんなこんなで、建屋の中をのぞくと・・・枯れた古木が祀られていました。

枯れていて安心!
これ系のやつは、現役だと変に疑ってしまいがちなので、枯れている方が信ぴょう性があってリアルです!

ちなみに建屋の前にある小さな松は、湯手掛の松の4代目の子孫なんだって。


●子安観音

参道脇には子安観音さんもおられました。

こちらは、母・玉依御前が安産祈願をしたといわれる観音さんなんだって。

もうここが生誕地でしょ!

と言いたくなるくらい、生誕地関係の史跡が目白押しです!

奥の院 二重塔

●奥の院 二重塔

そんなこんなで参拝後、経納山にある二重塔へ。

二重塔へは大師堂脇にある山道を登っていきます。

幼少時代の弘法大師が、法華経一字一石写経して、この山に納めたことが経納山という名前の由来だという。

やはりここも弘法大師の生誕説を匂わせる場所でした!

ちなみに経納山は、海岸寺の山号にもなっています。


●二重塔
・1953年建立
・1層 鉄筋コンクリート造
・2層 木造

住職さんのお話しによると、当初は三重塔を建立する予定だったけど、資金不足のため二重塔になってしまったという。

ちなみに、宝物館にて建立予定だった三重塔の図面を拝観することができましたよ。

1層は鉄筋コンクリート造。
2層は木造という・・・。
お世辞にもカッコいいとはいえない・・・そんな塔でした。
って、めっちゃ失礼 m(__)m

それにしても、なんでこうなってしまったのか???

住職さんのお話しによると、老朽化のため1層部だけをコンクリにしたとのことです。
わりと普通の理由でした。

ちなみにこの二重塔は、戦後復興のために建立されたもののようですよ。


塔内には御本尊の薬師如来をはじめ、十二神将が安置されているそうです。


ちなみに納経山の山内には屏風ヶ浦新四国百八ヶ所というミニ霊場があります。

ミニ霊場といいながら、大師堂の脇から山頂(標高138.5m)まで約1.6km。
かかる時間は40~90分!
結構な規模のミニ霊場です。

屏風ヶ浦新四国百八ヶ所は江戸時代から続く霊場で、四国八十八ヶ所と四国別格二十霊場の石仏が山全体に安置されているそうです。

巡拝したい方は大師堂の納経所で、納札・御朱印票をお求めして巡ってくださいとのことです。

百回満願の方は生涯安楽大師守がいただけるそうですよ!

時間と体力と根性のある方は是非!

宝物館と屏風ヶ浦

●宝物館

そんなこんなで、住職さんに案内されて宝物館へ。

館内は広く、かなりの量の寺宝を拝観することができました!


そういえば、見たことのない不思議な仏像さんに出会えたのですよ!

その仏像さんは頭に頭蓋骨を乗せた六臂の仏像さんで法輪の光背。

一見、愛染さんっぽいけど坐像ではなく立像。
何より光背が違うし、決定的に違うのは愛染さんの頭上は獅子

ならば頭蓋骨がトレードマークの深沙大将さんかも?
と思うも、六臂なのでこれまた違う。

住職さんに聞いてみるも、正体不明の相当珍しい仏像さんだという!

そこで私は
『愛染さんの獅子が白骨化したものかも?』
という阿保な答えを導き出してしまい失笑という名の爆笑をかっさらってしまうはめに・・・あかん、阿呆がバレてしまった(ぼけつ)。



その他、宝物館には先代の住職さんが集めた納経軸がズラーッと掛けられていました!

なんとっ!

先代の住職さんは、日本全国の霊場を全て巡ったというとんでもないお方だったという!

しかもっ!

日本で初めてお遍路バスツアーをしたお方なんだと!

今あるお遍路バスツアーの元祖!
パイオニアです!

その後、曼荼羅の話し、三千仏の話し、お経の話しなどなど、気がつけばどえらく長居。

門跡寺院とも関係があるとのとこですし、とんでもないお寺に来てしまったと実感。

住職さん、その節はどうも有難うございました!


●屏風ヶ浦

その後、プラプラとお散歩。

海岸寺本坊の真裏は屏風ヶ浦という海岸になっていました。

なんとこの海岸もお寺の敷地だという!


遠くに見える御盥山には、文殊堂不動坊を望むことができました。

なんと文殊堂と不動坊もお寺の敷地だという!

現在は飛び地境内になっていますが、当時は相当広大な寺領を有するお寺さんだったみたいです!

その他、屏風ヶ浦にはでこぼこ十三仏椿弁財天かびらつ神社跡もありましたよ。


ちなみにこの海岸は、戦時中にロシア兵捕虜収容所(善通寺俘虜収容所)があった場所としても知られています。

その収容所には約1000名の捕虜が収容されていたそうですよ。

・・・

なんだか最後は重い空気になっちゃいました。


そんなこんなで、堤防に座ってひと休み。

やばい・・・

寝てしまうかも・・・(どこでも寝れる人)

御朱印情報

●御朱印の種類
・正観音(四国別格二十霊場)
・弘法大師誕生佛(奥の院)
・厄障明王(四国三十六不動霊場)
・大智尊(讃岐十二支霊場)

●御朱印の受付場所
・本坊の納経所
・奥の院の納経所

奥の院の納経所が不在の場合は、本坊の納経所でいただけます。

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・各300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2018年3月26日 参拝
・2021年6月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR海岸寺駅から徒歩5分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

海岸寺の地図

海岸寺 奥の院の地図

 

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