所在地 | 愛媛県西予市宇和町明石205 |
---|---|
宗 派 | 天台寺門宗 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 第43番 ・南予七福神霊場 第5番(布袋) |
前後札所 | ・前 → 第42番札所・仏木寺 ・後 → 第44番札所・大宝寺 |
本 尊 | 千手観世音菩薩 |
真 言 | おん ばざらたらま きりく そわか |
由 緒 | 539~571年、欽明天皇の勅願により正澄が開基したのが始まりといいます。その後、734年に寿元行者が紀州熊野から十二社権現を勧請し修験道の中心道場になったという。822年、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が堂宇を修復して再興したそうです。1194年、源頼朝が命の恩人・池禅尼の菩提を弔うため、阿弥陀如来像を奉納し経塚を築き、山号を源光山に改称。室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、隆盛を極めたといいます。明治時代、神仏分離令により、熊野十二社権現と分離し現在に至るそうです。 |
HP | 源光山 円手院 明石寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
Contents
明石寺とは?
四国八十八ヶ所の第43番札所であります明石寺に到着。
第42番札所・仏木寺から15km。
徒歩3時間20分。
車で25分のところに位置しています。
明石寺と書いてめいせきじと読みます。
圧倒的に真言宗のお寺が多い四国霊場ですが、この明石寺の宗派は天台宗!
第43番にして、初の天台宗寺院となります。
ちなみに四国霊場の天台宗寺院は4ヶ寺。
●四国霊場の天台宗寺院
①第43番 明石寺(愛媛県)
②第76番 金倉寺(香川県)
③第82番 根香寺(香川県)
④第87番 長尾寺(香川県)
●明石寺とは?
寺伝によると、539~571年、欽明天皇の勅願により円手院正澄が唐からの渡来仏・千手観世音菩薩を祀るため、七堂伽藍を建立して開創したのが始まりといいます。
創建当時は、開基・円手院正澄にちなみ円手院という寺号だったそうです。
しかし、寺伝の通りだと、日本最古の飛鳥寺や四天王寺以前の創建ということになるので、実際の創建年は不明とされています。
734年、寿元行者が紀州熊野から十二社権現を勧請して、修験道の中心道場になったそうです。
ちなみに、寿元行者とは石鎚山を開山した役小角から5代目にあたるお方のようです。
その後、822年に弘法大師がこの地を訪れたそうです。
その際、荒廃した伽藍を見た弘法大師は、このことを嵯峨天皇に報告。
そんなこんなで、嵯峨天皇の勅命を受け、金紙金泥の法華経を納めて伽藍を再興。
そして、四国八十八ヶ所の第43番札所に定めたそうです。
1194年、源頼朝が命の恩人・池禅尼の菩提を弔うため、阿弥陀如来像を奉納し、経塚を築いたそうです。
そして、山号を現光山から源光山に改めたといいます。
以来、武士から篤く信仰されたそうです。
室町時代、領主・西園寺家の祈願所になったそうです。
さらに、江戸時代には宇和島藩主・伊達宗利が堂宇を建立して祈願所としたそうです。
最盛期には末寺70ヶ寺を有する大寺院に発展し、隆盛を極めたといいます。
その後、明治時代の神仏分離令により熊野十二社権現から独立し、現在に至るそうです。
寺伝によると、539~571年、欽明天皇の勅願により円手院正澄が唐からの渡来仏・千手観世音菩薩を祀るため、七堂伽藍を建立して開創したのが始まりといいます。
創建当時は、開基・円手院正澄にちなみ円手院という寺号だったそうです。
しかし、寺伝の通りだと、日本最古の飛鳥寺や四天王寺以前の創建ということになるので、実際の創建年は不明とされています。
734年、寿元行者が紀州熊野から十二社権現を勧請して、修験道の中心道場になったそうです。
ちなみに、寿元行者とは石鎚山を開山した役小角から5代目にあたるお方のようです。
その後、822年に弘法大師がこの地を訪れたそうです。
その際、荒廃した伽藍を見た弘法大師は、このことを嵯峨天皇に報告。
そんなこんなで、嵯峨天皇の勅命を受け、金紙金泥の法華経を納めて伽藍を再興。
そして、四国八十八ヶ所の第43番札所に定めたそうです。
1194年、源頼朝が命の恩人・池禅尼の菩提を弔うため、阿弥陀如来像を奉納し、経塚を築いたそうです。
そして、山号を現光山から源光山に改めたといいます。
以来、武士から篤く信仰されたそうです。
室町時代、領主・西園寺家の祈願所になったそうです。
さらに、江戸時代には宇和島藩主・伊達宗利が堂宇を建立して祈願所としたそうです。
最盛期には末寺70ヶ寺を有する大寺院に発展し、隆盛を極めたといいます。
その後、明治時代の神仏分離令により熊野十二社権現から独立し、現在に至るそうです。
由緒のとおり明石寺は、観音信仰・弘法大師信仰・熊野信仰・修験道など様々な信仰を背景に古くから多くの人々の崇敬を集めているようです。
八幡浜港と白王権現伝説と寺号の由来
●八幡浜港
南予地方の海の玄関口・八幡浜港の近くに位置する明石寺。
かつては、九州から訪れるお遍路さんの拠点になっていたそうですよ。
●寺号の由来
●明石寺の御詠歌
聞くならく千手の誓いふしぎには
大盤石もかろくあげ石
ちなみに、明石寺の御詠歌は現・奥の院の白王権現伝説を詠ったものといわれています。
現在は明石寺と書いてめいせきじと読みますが、もともとは明石寺と書いてあげいしじと読んでいたそうです。
あげいしとは、御詠歌で詠われている『大盤石もかろくあげ石』からきているんだって。
現在でも、このお寺のことをあげいしさんやあげしさんと呼んでいる方もいるんだとか。
ちなみに、住職の名前は明石さん。
こちらは、明石と書いてあかしと読みます。
そんなこんなで、あげいし、めいせき、あかしという3つの名前を使い分けているお寺さんのようです。
そんなこんなで、参拝開始。
南予地方の海の玄関口・八幡浜港の近くに位置する明石寺。
かつては、九州から訪れるお遍路さんの拠点になっていたそうですよ。
●白王権現伝説(奥の院)
その昔、若くて美しい女神がいたそうな。
女神は願かけのため大きな石を軽々と両腕に抱いて、深夜の山中を歩いていたという。
しかし、この地まで来たときに夜が明けてしまったという。
そんなこんなで、女神は夜明けに驚いて、石を置いて消え去ったそうです。
その女神は観音の化身か?
はたまた龍女か?
その後、その石を白王権現と崇めて祠を奉ったといいます。
その地が現・奥の院といわれています。
完。
その昔、若くて美しい女神がいたそうな。
女神は願かけのため大きな石を軽々と両腕に抱いて、深夜の山中を歩いていたという。
しかし、この地まで来たときに夜が明けてしまったという。
そんなこんなで、女神は夜明けに驚いて、石を置いて消え去ったそうです。
その女神は観音の化身か?
はたまた龍女か?
その後、その石を白王権現と崇めて祠を奉ったといいます。
その地が現・奥の院といわれています。
完。
●寺号の由来
●明石寺の御詠歌
聞くならく千手の誓いふしぎには
大盤石もかろくあげ石
ちなみに、明石寺の御詠歌は現・奥の院の白王権現伝説を詠ったものといわれています。
現在は明石寺と書いてめいせきじと読みますが、もともとは明石寺と書いてあげいしじと読んでいたそうです。
あげいしとは、御詠歌で詠われている『大盤石もかろくあげ石』からきているんだって。
現在でも、このお寺のことをあげいしさんやあげしさんと呼んでいる方もいるんだとか。
ちなみに、住職の名前は明石さん。
こちらは、明石と書いてあかしと読みます。
そんなこんなで、あげいし、めいせき、あかしという3つの名前を使い分けているお寺さんのようです。
そんなこんなで、参拝開始。
仁王門と参道と手水舎と鐘楼
●仁王門
●仁王門
・1901年頃建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国の登録有形文化財
まず最初に登場するのは仁王門。
石州系の赤い柚薬瓦が特徴的な門でした。
ちなみに、赤瓦は四国霊場で初登場!
四国霊場のみならず、四国で赤瓦のお寺というのはちょっとレアかも知れません。
それにしても、重厚感のある門でした。
このお寺には明治から昭和初期に建立されたお堂が建ち並んでおり、仁王門を含め9件の建造物が国の登録有形文化財に登録されているという。
木鼻は台輪付きの禅宗様。
出組で二軒繁垂木。
欄間や支輪板に雲紋の彫刻。
重厚感のあるダイナミックな門ですが、装飾はシンプルで控えめでした。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
足が長く、抜群のプロポーションの仁王さんでした。
そして、何より美白!
全てにおいて私と逆だ!
●参道
●仁王門前の石段・石垣
・1916年築造
・昭和時代増築
・国の登録有形文化財
●本堂前の石段・塀
・1930年 1944年築造
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、仁王門をくぐり参道へ。
仁王門に続き、石段・石垣・塀は国の登録有形文化財に登録されているという。
ちなみに、仁王門前と本堂前の階段は合計79段あります。
●手水舎
●手水舎
・1937年建立
・銅板葺 切妻造
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、手水舎でお清め。
なんと、手水舎までもが国の登録有形文化財だという。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代末期建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
鐘楼は江戸時代末期の建立。
このお寺で最古の建造物となります。
そして、鐘楼も国の登録有形文化財に登録されていました。 今のところ国の登録有形文化財4連発です。
ちなみに文化財登録制度は、1996年の阪神・淡路大震災を機に創設され、毎年約500件が新規登録されているといいます。
2019年12月1日時点で建造物の登録件数は12443件!
創設して23年で12000件超えという!
●仁王門
・1901年頃建立
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・国の登録有形文化財
まず最初に登場するのは仁王門。
石州系の赤い柚薬瓦が特徴的な門でした。
ちなみに、赤瓦は四国霊場で初登場!
四国霊場のみならず、四国で赤瓦のお寺というのはちょっとレアかも知れません。
それにしても、重厚感のある門でした。
このお寺には明治から昭和初期に建立されたお堂が建ち並んでおり、仁王門を含め9件の建造物が国の登録有形文化財に登録されているという。
木鼻は台輪付きの禅宗様。
出組で二軒繁垂木。
欄間や支輪板に雲紋の彫刻。
重厚感のあるダイナミックな門ですが、装飾はシンプルで控えめでした。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
足が長く、抜群のプロポーションの仁王さんでした。
そして、何より美白!
全てにおいて私と逆だ!
●参道
●仁王門前の石段・石垣
・1916年築造
・昭和時代増築
・国の登録有形文化財
●本堂前の石段・塀
・1930年 1944年築造
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、仁王門をくぐり参道へ。
仁王門に続き、石段・石垣・塀は国の登録有形文化財に登録されているという。
ちなみに、仁王門前と本堂前の階段は合計79段あります。
●手水舎
●手水舎
・1937年建立
・銅板葺 切妻造
・国の登録有形文化財
そんなこんなで、手水舎でお清め。
なんと、手水舎までもが国の登録有形文化財だという。
●鐘楼
●鐘楼
・江戸時代末期建立
・瓦葺 入母屋造
・国の登録有形文化財
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊さまとお大師さまにご挨拶。
鐘楼は江戸時代末期の建立。
このお寺で最古の建造物となります。
そして、鐘楼も国の登録有形文化財に登録されていました。 今のところ国の登録有形文化財4連発です。
●国の登録有形文化財とは?
そもそも国の登録有形文化財とは何かと言うと、文化財の所有者が自ら申請し、専門家の調査で定められた基準のいずれかを満たしていれば登録されるというユル〜い文化財のことです。
メリットとしては、登録された文化財は修理のための設計費の補助や減税を受けられることと、外観を大幅に変更しなければ改修や改装を行うことができることです。
国宝や、国・県・市が指定した重要文化財のような厳しい規制があるというわけではないのです。
指定文化財では改修の自由がなく、釘1本自由に打てないなど所有者にあらゆる制限がかかりますが、登録有形文化財はその点がユル〜いのです。
しかし、メリットがあればデメリットもあります。
登録有形文化財に登録されると、所有者の判断で自由に登録を抹消することができないこと。
逆に改修や修繕をして文化財の価値が損なわれたと判断された場合、登録有形文化財から登録抹消されちゃったりします。
そもそも国の登録有形文化財とは何かと言うと、文化財の所有者が自ら申請し、専門家の調査で定められた基準のいずれかを満たしていれば登録されるというユル〜い文化財のことです。
メリットとしては、登録された文化財は修理のための設計費の補助や減税を受けられることと、外観を大幅に変更しなければ改修や改装を行うことができることです。
国宝や、国・県・市が指定した重要文化財のような厳しい規制があるというわけではないのです。
指定文化財では改修の自由がなく、釘1本自由に打てないなど所有者にあらゆる制限がかかりますが、登録有形文化財はその点がユル〜いのです。
しかし、メリットがあればデメリットもあります。
登録有形文化財に登録されると、所有者の判断で自由に登録を抹消することができないこと。
逆に改修や修繕をして文化財の価値が損なわれたと判断された場合、登録有形文化財から登録抹消されちゃったりします。
ちなみに文化財登録制度は、1996年の阪神・淡路大震災を機に創設され、毎年約500件が新規登録されているといいます。
2019年12月1日時点で建造物の登録件数は12443件!
創設して23年で12000件超えという!
本堂と大師堂と地蔵堂
●本堂
●本堂
・1890年頃建立
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・国の登録有形文化財
●本尊
・千手観世音菩薩
●真言
・おん ばざらたらま きりく そわか
そんなこんなで、本堂で参拝。
仁王門同様、本堂も赤瓦が目を引くお堂となっておりました。
一般的に赤瓦は耐寒性や耐塩害性に優れた瓦といわれていますが、寒冷地ではない四国で、しかも沿岸部ではない山間で赤瓦のお堂があるというのは、やはりこのお寺の最大の個性だと勝手に思っております。
ちなみに、本堂も国の登録有形文化財です。
そんなことより、本堂外陣の天井画が素敵でした。
どうやら、こちらは明石寺の信徒が奉納したものらしく、1枚1枚に氏名と年齢が記入されているのが面白いなぁと思いました。
ちなみに、この本堂は全国の信徒の浄財のみで建立されたもののようです。
そんなこんなで、信徒さん達の信仰心の篤さをうかがい知ることのできるお堂となっておりました。
本尊は千手観音さん。
残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。
しかし、毎年8月9日に御開帳されるそうですよ。
ちなみに、御開帳の時間は午前10時から午後8時までというサービスっぷり!
●大師堂
●大師堂
・1880年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
・国の登録有形文化財
続いて、大師堂で参拝。
もともと、このお堂は桧皮葺だったそうですが、現在は燻銀の瓦葺になっております。
しつこいようですが、こちらも国の登録有形文化財となっております。
残念ながら、お大師さまを拝顔することはできませんでしたが、ときどき厨子が開いていることがあるそうなので、運が良ければ拝顔できるかもですよ。
●地蔵堂
●地蔵堂
・1909年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 地蔵菩薩
・国の登録有形文化財
続いて、地蔵堂を参拝。
仁王門と本堂同様、地蔵堂も石州系の赤瓦となっておりました。
こうなると、大師堂の燻銀瓦が惜しい!
大師堂も赤瓦だったら、また違った寺観になっていただろうなぁ〜とか思いつつ、オンカカカビサンマエイソワカ。
しつこいようですが、こちらも国の登録有形文化財となっております。
そんなことより、この地蔵堂は伊方の宮大工・清水太三郎(亀浦)さんと仙次郎親子が建立したものなんだって。
仙次郎さんは、幼少の頃から彫刻の才があったらしく、本堂には仙次郎さんが8歳のときに刻んだ木鼻が寄進されてるんだって。
くぅ〜、見事に見逃して帰りましたよ!
●本堂
・1890年頃建立
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・国の登録有形文化財
●本尊
・千手観世音菩薩
●真言
・おん ばざらたらま きりく そわか
そんなこんなで、本堂で参拝。
仁王門同様、本堂も赤瓦が目を引くお堂となっておりました。
一般的に赤瓦は耐寒性や耐塩害性に優れた瓦といわれていますが、寒冷地ではない四国で、しかも沿岸部ではない山間で赤瓦のお堂があるというのは、やはりこのお寺の最大の個性だと勝手に思っております。
ちなみに、本堂も国の登録有形文化財です。
そんなことより、本堂外陣の天井画が素敵でした。
どうやら、こちらは明石寺の信徒が奉納したものらしく、1枚1枚に氏名と年齢が記入されているのが面白いなぁと思いました。
ちなみに、この本堂は全国の信徒の浄財のみで建立されたもののようです。
そんなこんなで、信徒さん達の信仰心の篤さをうかがい知ることのできるお堂となっておりました。
本尊は千手観音さん。
残念ながら秘仏のため拝顔することはできませんでした。
しかし、毎年8月9日に御開帳されるそうですよ。
ちなみに、御開帳の時間は午前10時から午後8時までというサービスっぷり!
●大師堂
●大師堂
・1880年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師
・国の登録有形文化財
続いて、大師堂で参拝。
もともと、このお堂は桧皮葺だったそうですが、現在は燻銀の瓦葺になっております。
しつこいようですが、こちらも国の登録有形文化財となっております。
残念ながら、お大師さまを拝顔することはできませんでしたが、ときどき厨子が開いていることがあるそうなので、運が良ければ拝顔できるかもですよ。
●地蔵堂
●地蔵堂
・1909年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 地蔵菩薩
・国の登録有形文化財
続いて、地蔵堂を参拝。
仁王門と本堂同様、地蔵堂も石州系の赤瓦となっておりました。
こうなると、大師堂の燻銀瓦が惜しい!
大師堂も赤瓦だったら、また違った寺観になっていただろうなぁ〜とか思いつつ、オンカカカビサンマエイソワカ。
しつこいようですが、こちらも国の登録有形文化財となっております。
そんなことより、この地蔵堂は伊方の宮大工・清水太三郎(亀浦)さんと仙次郎親子が建立したものなんだって。
仙次郎さんは、幼少の頃から彫刻の才があったらしく、本堂には仙次郎さんが8歳のときに刻んだ木鼻が寄進されてるんだって。
くぅ〜、見事に見逃して帰りましたよ!
池禅尼の供養塔
●しあわせ観音石像と池禅尼の供養塔
本堂裏にある山には、しあわせ観音像と池禅尼の供養塔がありました。
なんと、この供養塔は源頼朝さんが建立したものだという。
由緒によると、1194年に源頼朝が命の恩人・池禅尼の菩提を弔うため、阿弥陀如来像を奉納し経塚を築き、山号を源光山に改称したとありました。
ということで、そのときに建立したものなのかなぁ?
それにしても、1194年の建立となると何らかの文化財に指定されていてもおかしくないと思うんだけどなぁ・・・!?
源頼朝さんの池禅尼に対する恩はハンパなかった!
本堂裏にある山には、しあわせ観音像と池禅尼の供養塔がありました。
なんと、この供養塔は源頼朝さんが建立したものだという。
由緒によると、1194年に源頼朝が命の恩人・池禅尼の菩提を弔うため、阿弥陀如来像を奉納し経塚を築き、山号を源光山に改称したとありました。
ということで、そのときに建立したものなのかなぁ?
それにしても、1194年の建立となると何らかの文化財に指定されていてもおかしくないと思うんだけどなぁ・・・!?
●源頼朝と池禅尼
~画像は蛭ヶ小島(静岡)にて~
1159年、源頼朝が14歳のとき。
平治の乱が起こり、平清盛が源義朝を破りました。
そのとき初陣だった源頼朝は平宗清に捕まってしまい、そして死罪に・・・。
しかし、敵の大将である平清盛の義母・池禅尼が、頼朝の命乞いをしてくれました。
ちなみに池禅尼は、息子(清盛の異母弟)が頼朝に似ていたため、清盛に助命嘆願したといわれています。
そのおかげで、頼朝は助かりました。
そんな頼朝さんにはこんなエピソードがあります。
●エピソード①
頼朝は戦の際、兵に対して『池殿(平頼盛)の兵には弓を放つな』と厳命し、池禅尼の息子・平頼盛の命を助けたといわれています。
●エピソード②
1183年、平家一門が都落ちし、後白河法皇による平家追討の院宣が出されたときのこと。
平家一門は官職を剥奪され所領が没収されるなか、頼朝は池禅尼の息子・平頼盛とその妻の所領を安堵したといわれています。
●エピソード③
1184年、源頼朝は平頼盛を誘って、海岸をぶらぶらとお散歩し、由比ヶ浜から船で森戸まで足を運んだといわれています。
そして、平頼盛が京都へ帰る際、餞別の宴を催したといわれています。
ちなみに平頼盛は、平清盛の兄弟で唯一壇ノ浦の戦い後も生き残ったお方です。
~画像は蛭ヶ小島(静岡)にて~
1159年、源頼朝が14歳のとき。
平治の乱が起こり、平清盛が源義朝を破りました。
そのとき初陣だった源頼朝は平宗清に捕まってしまい、そして死罪に・・・。
しかし、敵の大将である平清盛の義母・池禅尼が、頼朝の命乞いをしてくれました。
ちなみに池禅尼は、息子(清盛の異母弟)が頼朝に似ていたため、清盛に助命嘆願したといわれています。
そのおかげで、頼朝は助かりました。
そんな頼朝さんにはこんなエピソードがあります。
●エピソード①
頼朝は戦の際、兵に対して『池殿(平頼盛)の兵には弓を放つな』と厳命し、池禅尼の息子・平頼盛の命を助けたといわれています。
●エピソード②
1183年、平家一門が都落ちし、後白河法皇による平家追討の院宣が出されたときのこと。
平家一門は官職を剥奪され所領が没収されるなか、頼朝は池禅尼の息子・平頼盛とその妻の所領を安堵したといわれています。
●エピソード③
1184年、源頼朝は平頼盛を誘って、海岸をぶらぶらとお散歩し、由比ヶ浜から船で森戸まで足を運んだといわれています。
そして、平頼盛が京都へ帰る際、餞別の宴を催したといわれています。
ちなみに平頼盛は、平清盛の兄弟で唯一壇ノ浦の戦い後も生き残ったお方です。
源頼朝さんの池禅尼に対する恩はハンパなかった!
夫婦杉と弘法井戸と熊野神社
●夫婦杉
境内には夫婦杉がドーンとそびえ立っていました。
説明板がなかったので樹齢などの詳細はわかりませんでしたが、なかなかのベテラン感でした。
●弘法井戸と熊野神社
その他、境内には弘法井戸や客殿などがありました。
あと明石寺の隣には、かつて神仏習合の形態をとっていた熊野神社がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
第44番・大宝寺へ続く。
境内には夫婦杉がドーンとそびえ立っていました。
説明板がなかったので樹齢などの詳細はわかりませんでしたが、なかなかのベテラン感でした。
●弘法井戸と熊野神社
その他、境内には弘法井戸や客殿などがありました。
あと明石寺の隣には、かつて神仏習合の形態をとっていた熊野神社がありました。
そんなこんなで、参拝終了。
第44番・大宝寺へ続く。
次の札所
大宝寺の御朱印|四国霊場 第44番|通称・へそ寺。3番目に長く5番目に高い遍路転がし|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県上浮穴郡)
所在地愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2−1173−2宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第44番前後札所・前 → 第43番札所・明石寺・後 → 第45番札所・岩屋寺本 尊十一面観世...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・南予七福神霊場の御朱印(布袋)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・南予七福神霊場(布袋)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年5月1日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・南予七福神霊場の御朱印(布袋)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・南予七福神霊場(布袋)300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年5月1日 参拝
・2024年3月 最終更新
大宝寺の御朱印|四国霊場 第44番|通称・へそ寺。3番目に長く5番目に高い遍路転がし|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県上浮穴郡)
所在地愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2−1173−2宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第44番前後札所・前 → 第43番札所・明石寺・後 → 第45番札所・岩屋寺本 尊十一面観世...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・あり(30名)
●前後札所
・第42番札所・仏木寺へ15km
徒歩3時間20分
車で25分
・第44番札所・大宝寺へ80km
徒歩15時間15分
車で1時間10分
●最寄りの駅
・JR卯之町駅から徒歩30分
・JR卯之町駅から車で6分
●最寄りのバス停
・宇和高校前 バス停から徒歩15分
●最寄りのIC
・松山自動車道
西予宇和ICから車で5分
●駐車場
・専用の駐車場あり(200台)
●駐車料金
・普通車以下 無料
・バス 1000円 ・マイクロバス 500円
・無料
●宿坊
・あり(30名)
●前後札所
・第42番札所・仏木寺へ15km
徒歩3時間20分
車で25分
・第44番札所・大宝寺へ80km
徒歩15時間15分
車で1時間10分
●最寄りの駅
・JR卯之町駅から徒歩30分
・JR卯之町駅から車で6分
●最寄りのバス停
・宇和高校前 バス停から徒歩15分
●最寄りのIC
・松山自動車道
西予宇和ICから車で5分
●駐車場
・専用の駐車場あり(200台)
●駐車料金
・普通車以下 無料
・バス 1000円 ・マイクロバス 500円