大宝寺の御朱印|四国霊場 第44番|通称・へそ寺。3番目に長く5番目に高い遍路転がし|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県上浮穴郡)

所在地愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2−1173−2
宗 派真言宗豊山派
札 所四国八十八ヶ所 第44番
前後札所 ・前 → 第43番札所・明石寺
・後 → 第45番札所・岩屋寺
本 尊十一面観世音菩薩
真 言おん まか きゃろにきゃ そわか
由 緒585年、百済から来た聖僧が十一面観音像を山中に安置したのが始まり。その後、701年に明神右京・隼人という狩人がこの地で十一面観音像を発見し、草庵を建てて祀ったという。そのことを知った文武天皇は、早速勅命を出し寺院を建立したそうです。822年、空海(弘法大師)が訪れた際、天台宗から真言宗に改宗し、第44番札所に定めたそうです。1573~1592年、長宗我部軍の兵火に遭い焼失。その後、江戸時代に松山藩主・松平氏が再建しますが、明治時代に再び焼失。その後、再興され現在に至るそうです。
HP菅生山 大覚院 大寶寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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大宝寺とは?


四国八十八ヶ所の第44番札所であります大宝寺に到着。

第43番札所・明石寺から80km。
徒歩15時間15分。
車で1時間10分のところに位置しています。

大宝寺と書いてだいほうじと読みます。

●大宝寺とは?

585年、百済から来た聖僧が十一面観音像山中安置したのが始まりといいます。

701年、安芸国からやってきた明神右京隼人という狩人がこの地で十一面観音像を発見し、草庵を建てて祀ったそうです。

その後、そのことを知った文武天皇は、早速勅命を出して寺院を建立。

元号にちなんで大寶寺と名付けたそうです。

ちなみに、創建当時は天台宗の寺院だったといいます。


822年、この地に弘法大師が訪れた際、密教を修法されて真言宗に改宗。

そして、四国八十八ヶ所の第44番札所に定めたそうです。

その後、1152年に失火により全山を焼失。。


1156年、後白河天皇が脳の病気平癒を祈願したところ病が治ったという。

そのことにより、後白河天皇が伽藍を再興。

そして、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺としたそうです。

その際、菅生山の勅額を下賜し、多額の浄財を寄進。

さらに七堂伽藍を建立し、最盛期には48坊を数えるほど栄えたといいます。


ちなみに妹宮の死後、廟墓と五輪塔が建立され陵権現としてお祀りされたそうです。

現在も境内近くに陵権現堂があります。


隆盛を極めた大宝寺ですが、1573~1592年に長宗我部元親の兵火により再び焼失。。

その後、江戸時代に松山藩主・加藤嘉明の支援で雲秀法師が再興。

江戸時代中期には松山藩主・松平家の祈願所になったそうです。

しかし、1874年に再び全焼。。

その後、地元の人々によって再興を果たし、現在に至るそうです。


四国山地に囲まれた標高560m付近にある大宝寺は、四国八十八ヶ所の中で5番目に高い位置にあるお寺さんという。

さらに、前札所の明石寺から大宝寺までの札所間距離は80km!

これは四国八十八ヶ所の中で3番目の札所間距離となります。

遍路道は峠越えの難所が続くため、歩き遍路さんはなんと3日間もかかるという!(ひぇっ)

四国霊場には遍路転がしと呼ばれる難所がいくつかありますが、大宝寺への道のりは峠越え + 距離というかなりハードな修行が待ち受けているみたいです。
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弘法大師伝説とへそ寺

●久万高原町

大宝寺は久万高原町の中央部に位置しています。

きゅうまん?

くまん?

正解は久万と書いてくまと呼ぶみたいです。

久万という地名の由来には、奥まった地など諸説あるそうですが、弘法大師伝説が地名の由来となったという説もあるみたいです。

●弘法大師と久万伝説

平安時代、山に囲まれたこの地にはおくまというお婆ちゃんだけが住んでいたという。

ある日、弘法大師が久万高原町を訪れた際、おくまは弘法大師を自宅に泊め、そして接待をしたそうです。

そんなこんなで、弘法大師はその恩に報いるため、おくまの望みを聞きました。

おくまは『自分ひとりしか住んでいない寂しい土地なので、もっと多くの人が住んでにぎわう町にしてほしい』とお願いしたそうです。

その後、弘法大師のパワーで多くの人がこの地を訪れるようになり、多くの人が住む町に発展したという。

そんなこんなで、久万という地名はおくまさんの名前が由来といわれています。



88 ÷ 2 = 44!

そうです!

とうとうというかやっと四国霊場の半分に到着しました。

この第44番・大宝寺は、四国霊場の中間の札所ということで中礼所と呼ばれているそうです。

さらに、中間 = へそという意味でへそ寺とも呼ばれてるんだって。

正式名称は菅生山 大覚院 大寶寺

霊場会の公式ホームページやその他の資料には大寺ではなく大寺と表記されていますので、正式には大寶寺と書くみたいです。

でも、なんて書いたことないし、習っていない。

何より、老眼が始まった私には画面上で見るとの真ん中辺りが迷路にしか見えない・・・。

ということで、あえてこのページでは大寺と書かせていただきます・・・。

そんなこんなで、参拝開始。
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仁王門と参道

●山門(仁王門)

●山門(仁王門)
・1956年再建
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 楼門

まず最初に登場するのは仁王門

杉や桧の巨木が林立する山中。
適度に荒れた道と苔むした石。
そして幽寂な空気に包まれた門。

これぞ山寺!

この門だけで山寺の美味しい部分を全て表現してくれているような・・・そんな気がしたひと時でした。


●仁王像
・1455年作
・総高 約3m
・総檜造
・久万高原町指定有形文化財

そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。

仁王さんは室町時代作で久万高原町の有形文化財に指定されていました。

越前国の法眼という仏師を招いて造らせたものといわれています。

1874年の火災から焼失を免れた強運の持ち主で、550年以上もお遍路さんを見守り続けているという!


その他、仁王門には巨大な草鞋が奉納されていました。

四国最大といわれる第17番・井戸寺の草鞋に匹敵するくらいの巨大さでした。

どのくらい巨大かというと・・・

はいドン!


門に収まりきっていないという!


これじゃ、仁王門というより草鞋門!


明石寺から大宝寺。

そして大宝寺から次の札所・岩屋寺へ。

いくつもの峠を越えなくてはいけないお遍路さんにとって足は命のようなもの。

そういうこともあり、草鞋にはたくさんのお札が納められていました。

こういった信仰心の厚さを目の当たりにすると、草鞋が巨大なのも納得できます。

ちなみに、この大草履は100年に1度取り替えるそうですよ。


●参道

そんなこんなで、仁王門をくぐって参道へ。

境内には樹齢数百年といわれる杉や桧や、様々な植物がワイルドに乱立していて、何とも言えない神秘的な空間をつくりだしていました。

葉っぱの呼吸は酸素とともに霊気も吐き出しているかのよう・・・そんな想像をしつつ階段を上っていたひと時。
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手水舎と鐘楼

●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、手水舎でお清め。


ヘアースタイルのせいか、頭だけなのにやたらとスピード感のある龍頭でした。


●鐘楼

●鐘楼①(本堂前)
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、ゴーンといきたいところですが、撞木の角度が・・・(笑)


さすがにこれじゃ鐘を撞けません・・・。

ということで、鐘撞きを諦めようとしたその時!


もう1つの鐘楼を発見!

境内に2つの鐘楼があるのは、ちょっと珍しいですね。

そんなこんなで、鐘楼②で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。

ちなみに、鐘楼①(本堂前)の梵鐘は、太平洋戦争で亡くなった地元の英霊を供養する平和の鐘なんだって。

●鐘楼②(大師堂前)
・建立年不明
・銅板葺 切妻造
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本堂と大師堂

●本堂

●本堂
・1925年再建
・銅板葺
・千鳥破風・唐破風向拝付き入母屋造

●本尊
・十一面観世音菩薩

●真言
・おん まか きゃろにきゃ そわか

続いて、本堂で参拝。

四国霊場も半分まできたのかと思うと感慨深いものがありますねぇ。

こんなにも巡ったのにまだ半分もあるのか!

という途方もない思いと

あと44ヶ所も旅ができるぞ!

というワクワクする思い。

しどろもどろだった1番札所のことを思うと、多少は遍路としてそれなりの格好になったような・・・そんなことを思いつつ。(調子に乗るな)


本尊は十一面観音さん。

いつの時代に造られたものなのかは確認できませんでした。


本堂前にはブロンズ製十一面観音さんが立っておられましたので、もしかしたらこちらの観音さんは御本尊を写したものなのでしょうか???


●大師堂

●大師堂
・1984年再建
・銅板葺 寄木造
・総檜造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂で参拝。

大師堂は正面から入るのではなく、から入る形式になっていました。

そして舟肘木のようなもので廊下を支えているのが面白いなぁと思いました。


あと、お堂正面の廊下にベンチがあるのもこのお堂の特徴です。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・

久万山農民一揆と掘出観音堂

●久万山農民一揆
この大宝寺には久万山農民一揆にまつわるエピソードが残っているそうです。

●久万山農民一揆とは?

1741年、久万山の農民3000人が、土地を捨て大洲領内へ逃げてしまったという。

そこで困り果てた松山藩の役人は、大宝寺の住職・斉秀に説得を依頼。

そして斉秀は、説得の末、全ての農民帰村させることに成功したんだって。

しかも、断罪者を1人も出すことなく帰村させたという!

そのことにより、松山藩は大宝寺に150石を寄進し、斉秀の労をねぎらったといいます。

完。


●掘出観音堂
その他、本堂の左奥にある掘出観音堂にはこんなエピソードが残っているそうです。

●掘出観音伝説とは?

~画像はWikipedia 大宝寺より~

1934年、霊能祈祷師の石田そよという女性が牛頭天王堂を参拝後、突然身震いして何かが乗り移ったという。

その日以来、そよさんは『我は管生山の金の性じゃ、掘り出せ〜』と口走るようになったんだって。

そして、そよさんは大宝寺の住職に『何とか掘り出してくれないか』と訴え続けたそうです。

そんなこんなで、住職の許可を得て、そよさんが指すこんもりと盛り上がった場所を掘ってみると、なんと金銅製の観音像が発見されたという!

その観音像は経文が書かれた平らな石130枚の下に眠っていたそうです。

その後、2日間にわたる作業の末、7体の仏像さんを発見!

そんなこんなで、、盛大に開眼法要が行われ、現・掘出観音堂に安置されたんだって。

ちなみに、京都博物館の鑑定によると、その観音像は平安時代後期〜鎌倉時代初期作と判明したそうですよ。


いやはや、素敵なお寺さんでした。


そんなこんなで、参拝終了。

第45番・岩屋寺へ続く。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年6月5日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・あり(150名)

●前後札所
・第43番札所・明石寺へ80km
 徒歩15時間15分
 車で1時間10分

・第45番札所・岩屋寺へ11.5km
 徒歩2時間25分
 車で15分

●最寄りの駅
・なし

●最寄りのバス停
・久万高原駅(自動車駅)のバス停から
 徒歩25分

●最寄りのIC
・松山自動車道
 松山ICから車で35分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり

・境駐車場 普通車20台
       大型車3台

・境駐車場 普通のみ10台

大宝寺の地図

 

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