志度寺の御朱印|四国霊場 第86番|藤原氏ゆかりのお寺・運慶の仁王像・十一面閻魔さま|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県さぬき市)

所在地香川県さぬき市志度1102
宗 派真言宗善通寺派
札 所四国八十八ヶ所 第86番
前後札所 ・前 → 第85番札所・八栗寺
・後 → 第87番札所・長尾寺
本 尊十一面観世音菩薩
真 言おん まか きゃろにきゃ そわか
由 緒625年、海人族の凡薗子が十一面観音像を刻みお堂を建立したのが始まり。その後、681年に藤原不比等が堂宇を増築し、死渡道場と名付けたそうです。さらに、693年には藤原不比等の子・藤原房前が行基とともに伽藍を拡張し、僧侶の学問や信者の修行の場としたそうです。室町時代、四国管領・細川氏が代々寄進を行い繁栄しましたが、戦国時代に戦火に遭い焼失。江戸時代、生駒親正や高松藩主・松平氏が再興し現在に至るそうです。
HP補陀洛山 志度寺 – 四国八十八ヶ所霊場会

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志度寺とは?


四国八十八ヶ所の第86番札所であります志度寺に到着。

第85番札所・八栗寺から7km。
徒歩1時間30分。
車で12分のところに位置しています。

志度寺と書いてしどじと読みます。

●志度寺とは?

625年、海人族の凡園子志度の浦に漂着した檜の霊木で十一面観音像を刻み、お堂を建立したのが始まりといわれています。

ちなみに凡園子と書いておおしそのこと読むそうです。

凡園子は古代に玄界灘を制していた古代海人族らしく、文殊菩薩の化身ともいわれるお方のようです。


その後、681年に藤原鎌足の子・藤原不比等が妻のお墓を建立し死度道場と名付けたそうです。

さらに、693年には藤原不比等の子・藤原房前が行基とともにこの地を訪れ堂宇を建立し伽藍を拡張。

そして寺号を志度寺と改称し、学問の道場として栄えたそうです。


810〜824年、弘法大師がこの地を訪れた際、伽藍を修復。

室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い、多くの僧坊・子院を抱える大寺院に発展したそうです。


しかし、戦国時代に戦乱に巻き込まれ焼失。。

その後、1596〜1615年に藤原氏末裔・生駒親正が支援し、華厳坊・常楽坊・西林坊・常林坊・林蔵坊・空圓坊などの僧坊を復興。

さらに、1671年には高松藩初代藩主・松平頼重が仁王門や本堂などを寄進して再興し、現在に至るそうです。


この志度寺は日本史上最大の氏族・藤原氏によって基礎が築かれ、12件の国・県・市重文を有するお寺だという!

ちなみに四国霊場で唯一、藤原不比等・房前さんが関わったお寺です。


志度寺は志度湾に面して建立されています。
かつて志度湾は補陀落浄土に通じる海として信仰されていたんだって。

また志度の地は、江戸時代の奇才・平賀源内の故郷で、平賀源内の邸宅跡や記念館があることでも知られています。

そんなこんなで、参拝開始。
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仁王門と手水舎と鐘楼

●山門(仁王門)

●山門(仁王門)
・1671年建立
・瓦葺 切妻造
・三間一戸 八脚門
・三棟造
・国指定重要文化財

まず最初に登場するのは豪快な屋根が特徴的な仁王門

この仁王門は高松藩初代藩主・松平頼重さんが寄進したもので国重文に指定されているという。


それにしても、四国霊場は八脚門が多いです。

この志度寺も八脚門なのですが、なんとこちらは三棟造の八脚門!


ちなみに三棟造とは、読んで字のごとく3つの棟で構成された門です。

上手く説明できないので、下手クソながら門の断面図を描いてみました。
これは門を横から見た図です。

このように3つの切妻屋根を合体させて造った門を三棟造といいます。

もちろん三棟造は四国霊場唯一となります。



三棟造といえば、法隆寺・東大門東大寺・転害門が有名ですが、まさか四国にもあったとはね!

これはなかなかレアな門です。


このお寺の正式名称は補陀洛山 清浄光院 志度寺

ということで、扁額には補陀洛山と書かれておりました。

かつて、このお寺は死渡道場と呼ばれていたらしく、補陀落浄土への関所として信仰を集めてたんだって。

四国霊場で補陀洛といえば第38番・金剛福寺が有名ですが、まさかこの志度寺も補陀落信仰があったとは驚きです。

由緒などに記述がないため、実際にこの地から補陀落渡海が行われたかどうかは不明ですが、平安時代末期の歌謡集・梁塵秘抄に、この海辺は極楽浄土へ続いている的なことが書かれているそうなので、補陀落浄土を信仰していたのは間違いなさそうです。
金剛福寺の御朱印|四国霊場 第38番|補陀落渡海の出発地!足摺岬にあるお寺さんです|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐清水市)
所在地高知県土佐清水市足摺岬214−1宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第38番前後札所・前 → 第37番札所・岩本寺・後 → 第39番札所・延光寺本 尊三面千手観世音菩薩...

●金剛力士像(仁王像)
・鎌倉時代作
・阿形 像高304cm
・吽形 像高325cm
・檜材 寄木造 彫眼
・運慶作
・香川県指定有形文化財

そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。

なんと!!!

この仁王さんは大仏師・運慶作だという!

四国霊場で運慶作と伝わる仏像に出会ったのは、第33番・雪蹊寺、第67番・大興寺に続いて3度目となります。



像高は阿吽ともに3m超えで、写実的に表現された迫力のある大作となっておりました。


阿形さんだけ顔が赤く、そして顔がデカめ。
な〜んとなくですが、もしかしたら阿形さんの顔は後補かも知れません(推測)

それにしても顔が赤いからか憤怒感がビンビンと伝わってきます。
何も悪いことしてないけど謝ってしまいましたよ。

実はこの仁王さんにビビったのは私だけではありません。

なんと!

四国のお寺を焼き尽くしたあの長宗我部元親さんも、この仁王さんの威力ビビって退散したという逸話が残っているという!

●仁王像と長宗我部元親伝説

1583年、四国統一を目指す長宗我部元親が讃岐に進攻したときのこと。

四国の多くの寺院が焼き払われたのと同じく、この志度寺も焼き討ちにされそうになりました。

しかし、山門をくぐろうとすると、急に馬が動かなくなったという!

不思議に思った元親が仁王像を見ると、なんと仁王像から後光がさしていたという!

そんなこんなで、元親は部下に命じ、志度寺を焼くことを禁じ、仏前で礼拝して退散したそうです。

完。

ご存知、仁王さんは仏法を守護するのがお仕事。
無慈悲で暴れん坊の長宗我部さんからお寺を守ったという、正真正銘の守護神です。

ちなみに四国八十八ヶ所で長宗我部元親さんに焼き払われたお寺は28寺!

●天正の兵火で焼き払われたお寺

●阿波国(徳島県)
・23寺のうち13寺。

●伊予国(愛媛県)
・26寺のうち寺。

●讃岐国(香川県)
・23寺のうち11寺。

●土佐国(高知県)
・なし

なんと、四国霊場全体の3割以上のお寺が焼き尽くされてしまったという。

ちなみにこれは四国霊場だけの数なので、四国霊場以外のお寺を合わせるともっとたくさんの寺院が焼き払われたことになります。

恐るべし、長宗我部さん。。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造

そんなこんなで、仁王門をくぐり手水舎でお清め。


●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。

御本尊さまとお大師さまにご挨拶。


ってか、鐘たっか(笑)

まぁまぁヒモがギリでした。


ちなみに過去1番高かったのは広島の古保利薬師さん。

棒に取り付けられた木槌で叩くという(笑)

これはさすがに笑ってしまいました・・・って、どうでもいい話ですが!
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本堂

●本堂

●本堂
・1671年建立
・瓦葺 軒唐破風付き入母屋造
・国指定重要文化財

●本尊
・十一面観世音菩薩

●真言
・おん まか きゃろにきゃ そわか

続いて、本堂で参拝。

仁王門同様、本堂も高松藩初代藩主・松平頼重さんが寄進したもので国重文に指定されていました。


桁行7間、梁間5間という大きなお堂となっておりました。

ちなみに、香川県内の四国霊場で、江戸期に建立された仏堂としては唯一の七間堂となります。


そしてなんと、軒唐破風を設けた向拝は3間もあるという。

そんなこんなで、地味ながらも他のお寺にない規模・容姿のお堂となっておりました。


●本尊 十一面観世音菩薩立像
・平安時代中期〜後期作
・像高 約146cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財

●脇侍 不動明王立像
・平安時代中期〜後期作
・像高 約78cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財

●脇侍 毘沙門天立像
・平安時代中期〜後期作
・像高 約79cm
・檜材 一木造
・国指定重要文化財

御本尊は十一面観音さん。
脇侍は不動明王さんと毘沙門天さん。

この3体はいずれも藤原時代の作で国重文に指定されていました。

ちなみに作者は不明。
地方仏師の作品といわれています。

残念ながら御本尊さまを拝顔することはできませんでしたが、毎年7月16日と17日の午前中に御本尊と脇仏の御開帳があるそうですよ。


その他、堂内には凡薗子尼像阿弥陀如来図伝持の八祖の掛け軸があるそうです。


●大師堂

●大師堂
・江戸時代前期建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

このお堂は高松藩主・生駒正俊さんが寄進したものといわれています。

ちなみに生駒家は、松平家が高松藩主になる前に高松藩を治めていた家柄で、藤原房前さんをとする藤原北家の末裔といわれています。

あと、見事に見逃して帰りましたが、大師堂の背後にある大楠弘法大師お手植えなんだって。


それにしても彫刻が素敵なお堂でした。

中備には鶏!?

いや、羽根を休めた鳳凰!

隙間で窮屈そうだねぇ。


木鼻の龍と獅子。

獅子に比べて異常にデカい龍が印象的でした。
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五重塔

●五重塔

●五重塔
・1975年建立
・瓦葺 五層総檜造
・高さ 33m

続いて、五重塔を参拝。

この五重塔は地元の実業家・竹野二郎さんが寄進したものなんだって。

竹野二郎さんは、少年時代から第33代住職・十河龍澄和尚に可愛がられていたそうです。

そんなこんなで、竹野二郎さんは報恩と仏法興隆のため、私財3億円以上を寄進したという!

そして、3年3ヶ月の歳月をかけて落慶したのがこの五重塔なんだって。


ちなみに、四国八十八ヶ所で五重塔があるのは4ヶ寺

四国霊場を順打ちした場合、4番目に登場するのが志度寺の五重塔となります。

●四国八十八ヶ所の五重塔
①第31番 竹林寺(高知県)
②第70番 本山寺(香川県)
③第75番 善通寺(香川県)
④第86番 志度寺(香川県)


●如来形坐像
・平安時代中期作
・像高 約101cm
・欅材 一木造 漆箔
・香川県指定有形文化財

五重塔の御本尊は如来形坐像

・・・って、如来形坐像!?

寺伝では胎蔵界大日如来といわれていますが、通常の大日如来像と異なり、冠などの装身具をつけていない珍しい大日如来さんなんだって!
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閻魔堂と海女の墓

●閻魔堂

●閻魔堂
・1672年建立
・瓦葺 宝形造
・本尊 閻魔大王
・香川県指定有形文化財

続いて、閻魔堂を参拝。

仁王門と本堂に続き、閻魔堂も高松藩初代藩主・松平頼重さんが寄進したものでした。

閻魔堂という名前でもわかるように、御本尊は閻魔さま

しかし!

ただの閻魔さまではございません。

なんとこちら、十一面閻魔大王となっております!

それがこちら、はいドン!


頭上に11の仏面があるという!

志度寺の縁起によりますと、御本尊の閻魔さまは十一面観音と同体とされ、極楽往生・蘇生の閻魔とされてるんだって。

かつて志度寺は補陀落信仰が盛んだったといいます。
補陀落とは観音さんが住んでおられる場所・・・閻魔さまが十一面観音さんと同体というのは、補陀落信仰が関係しているのでしょうか?

ちなみに、この十一面閻魔大王は室町時代中期に造られたものらしく、見る人の心の在りようによって怖い顔優しい顔に見えるんだとか!

三棟造の仁王門しかり、装身具のない大日如来さんしかり、この十一面閻魔大王さんしかり、このお寺には全国的に珍しいものがたくさんありますねぇ。

あと見事に写真を撮り忘れましたが、境内には奪衣婆堂もありました。
奪衣婆堂も香川県の有形文化財に指定されています。


●海女の墓

境内の片隅には、海女の墓と伝わる苔むした五輪塔がひっそりとたたずんでいました。

どうやら、このお寺は海女の玉取りという伝説で知られるお寺さんのようです。

●海女の玉取り伝説とは?

その昔、に嫁いだ藤原鎌足の息女が、亡き父の供養物として数々の宝物を兄・藤原不比等に届けようとしました。

しかし、志度の浦で宝物を積んだが嵐に巻き込まれ、さらに宝物・面向不背の玉龍神に奪われてしまったという!

そんなこんなで、不比等は宝物の玉を取り戻すため、身分を隠して志度の地にやってきました。

そして、漁師の娘であった海女と恋に落ち、不比等と海女の間に房前が生まれました。

その後、親子3人で幸せに暮らしていました。

しかし、不比等が志度の地に来た理由を知った海女は、愛する夫のために玉を取り戻すことを決意!

そして龍神が棲む龍宮へ潜っていきました。
海女は龍神と戦い玉を取り返すことができましたが・・・傷ついた海女は亡くなってしまいました。

そして不比等は現・志度寺の境内に海女のお墓を建てて菩提を弔いました。

その後、玉は藤原氏の氏寺である奈良・興福寺に納められました。

時は過ぎ、藤原家を継いで大臣まで出世した藤原房前は、父・不比等から母のことを聞かされることに。

そんなこんなで、房前は行基を連れて志度を訪れ、1000基の石塔を建立。
さらに堂塔を建て替え、法華八講を修して亡き母の菩提を弔いました。

現在、志度寺の境内には房前が建立した1000基の石塔のうち、約20基が現存しています。

完。

藤原不比等・房前といえば奈良のイメージがありますが、四国にも縁があるお方だったとは知りませんでした!

ちなみに、この玉取り伝説にちなんで志度の浦は玉浦とも呼ばれているそうです。

また、海女が玉を奪い返した真珠島(龍宮)、不比等が住んだ淡海屋敷、玉を洗った淡海堀やそれを祀ったお釈迦台、海女の腰掛け岩など、この地には玉取り伝説にまつわる遺跡が数多く残されてるんだって。

さらに玉取り伝説を題材した、謡曲・海士、浄瑠璃・大織冠、歌舞伎・面光不背の玉などがあるそうです。


その他、境内には室町時代に四国管領・細川氏が作庭した曲水式庭園、重森三玲さんが作庭した無染庭、薬師堂、お辻の井戸などがありました。


そんなこんなで、参拝終了。

第87番・長尾寺へ続く。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・閻魔大王の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・閻魔大王 300円

●期間限定・特別御朱印
・あり

・本尊開帳の限定御朱印(紺色の紙に金字)
・料金 500円
・先着 200枚

●オリジナル御朱印帳
・あり

・サイズ 16cm × 11cm
・料金  1200円

・2011年6月19日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料

●宿坊
・なし

●前後札所
・第85番札所・八栗寺へ7km
 徒歩1時間30分
 車で12分

・第87番札所・長尾寺へ7km
 徒歩1時間30分
 車で15分

●最寄りの駅
・琴電志度駅から徒歩7分

・JR志度駅から徒歩15分

●最寄りのバス停
・大川バス
 国道口 バス停から徒歩5分

●最寄りのIC
・高松自動車道(高松東道路)
 志度ICから車で10分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(50台)

志度寺の地図

 

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