住 所 | 岡山県岡山市南区藤田509 |
---|---|
祭 神 | 豊受大神・大国主命・少彦名命 |
由 緒 | 1899年、藤田財閥初代当主・藤田傳三郎が私財を投じて児島湾の干拓事業を始めたそうです。しかし、干拓事業は想像を絶する難工事だった為、藤田傳三郎は完成を見る事なく1912年に他界。その後、2代目当主・藤田平太郎が引き継ぎ、干拓事業は終了しました。そんなこんなで、1915年に藤田財閥の寄進により干拓地(高崎・藤田・岡南・浦安・七区)の守護神として児島湾神社を創建。その後、藤田神社と改称したらしいです。 |
HP | 藤田神社 |
鳥居と手水舎と狛犬
●境内入口
児島半島に別れを告げ、ダラダラと倉敷方面へ。
そんなこんなで、御朱印が素敵という噂の藤田神社に到着。
●鳥居
●鳥居
・1924年建立
・神明鳥居
・藤田組が建立
●手水舎
手水舎には龍の玉(天・地・人)が隠されてるということですが、見つけることができませんでした・・・嗚呼、夢は叶わない。
●狛犬
●狛犬
・1924年建立
なかなかの個性的な狛犬ちゃんです。
児島半島に別れを告げ、ダラダラと倉敷方面へ。
そんなこんなで、御朱印が素敵という噂の藤田神社に到着。
●鳥居
●鳥居
・1924年建立
・神明鳥居
・藤田組が建立
●手水舎
手水舎には龍の玉(天・地・人)が隠されてるということですが、見つけることができませんでした・・・嗚呼、夢は叶わない。
●狛犬
●狛犬
・1924年建立
なかなかの個性的な狛犬ちゃんです。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1916年建立
・1981年改修
・銅板葺 神明造
・千木は内削ぎ
切妻向拝にも千木があるという。
なぜか拝殿には杉玉がありました。
お酒でも造ってるのかな・・・なわけないか。
あと、妻は真壁になっておりました。
真壁の神社建築って何気に珍しいです。
●本殿
●本殿
・1917年建立
・1981年改修
・銅板葺 一間社流造
・豊受大神・大国主命・少彦名命を祀る
この神社は伊勢神宮と出雲大社の神を祀る事から、 拝殿は出雲大社にならって内削ぎの千木、 本殿は伊勢神宮・外宮にならって外削ぎの千木となっております。
なかなか面白い造りです。
ちなみに似たような造りの千木は、岡山県岡山市北区の伊勢神社にもあります。伊勢神社の方は、本殿に内削ぎと外削ぎの千木があります。
●伊勢神社の参拝記
↓
●拝殿
・1916年建立
・1981年改修
・銅板葺 神明造
・千木は内削ぎ
切妻向拝にも千木があるという。
なぜか拝殿には杉玉がありました。
お酒でも造ってるのかな・・・なわけないか。
あと、妻は真壁になっておりました。
真壁の神社建築って何気に珍しいです。
●本殿
●本殿
・1917年建立
・1981年改修
・銅板葺 一間社流造
・豊受大神・大国主命・少彦名命を祀る
この神社は伊勢神宮と出雲大社の神を祀る事から、 拝殿は出雲大社にならって内削ぎの千木、 本殿は伊勢神宮・外宮にならって外削ぎの千木となっております。
なかなか面白い造りです。
ちなみに似たような造りの千木は、岡山県岡山市北区の伊勢神社にもあります。伊勢神社の方は、本殿に内削ぎと外削ぎの千木があります。
●伊勢神社の参拝記
↓
伊勢神社(元伊勢)の御朱印~元伊勢・名方浜宮の伝承地〜(岡山県岡山市北区番町)
住 所岡山県岡山市北区番町2丁目11−20祭 神主祭神・・・天照皇大神・豊受大神相殿・・・栲幡千千姫命由 緒元伊勢・名方浜宮の伝承地の1つです。平安時代には式内社として栄え、室町時代まで備前岡山の...
境内社など
●藤田天満宮
●藤田天満宮
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・菅原道真を祀る
●弁天様
石祠の中には弁天さんと小さな狛犬がおられました。
●最上稲荷
●最上稲荷の鳥居
・1907年建立
・明神鳥居
・最上位経王大菩薩(稲荷大明神)を祀る
●観音堂
扁額に慰霊と書かれておりました。
堂内には御首題が書かれた卒塔婆があったので、おそらく最上稲荷と関係するお堂だと思われます。
●地水両神
●地水両神
・1934年建立
地と水を守る神様でしょうか?
水陸両用の神様って面白いですね。
その他、本殿横には謎の石が祀られてました。
●藤田天満宮
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・菅原道真を祀る
●弁天様
石祠の中には弁天さんと小さな狛犬がおられました。
●最上稲荷
●最上稲荷の鳥居
・1907年建立
・明神鳥居
・最上位経王大菩薩(稲荷大明神)を祀る
●観音堂
扁額に慰霊と書かれておりました。
堂内には御首題が書かれた卒塔婆があったので、おそらく最上稲荷と関係するお堂だと思われます。
●地水両神
●地水両神
・1934年建立
地と水を守る神様でしょうか?
水陸両用の神様って面白いですね。
その他、本殿横には謎の石が祀られてました。
道通様(トウビョウ)
●道通様(トウビョウ)
岡山といえば道通様!
そんなこんなで、本殿裏には道通様がおられました。
ちなみに道通(トウビョウ)とはヘビの憑きものです。トウビョウが憑いてる家は 金持ちになって裕福になるといわれています。逆にトウビョウを粗末に扱えば、飼い主に襲いかかるという。また飼い主の意思に従って怨みを抱いた相手に災いをもたらしたりします。
道通様(トウビョウ)の祠を見ると、岡山に来たーってなります。 いやはや、岡山ならではの風景ですなぁ。
そんなこんなで、道通様のお家をのぞいてみるとなんと大黒天さんが!
あれ?(笑)
毘沙門天と弁財天も!
道通様のお家は七福神さんに占拠されてました!
そんなこんなで、過疎化が進む道通様の集落に、古民家再生的に七福神さんがひと役買ったという設定で妄想をして、ひとりニヤニヤしていたひと時。
布袋尊と恵比寿天(写真左)。
福禄寿と恵比寿天(写真右)。
そして寿老人と犬!
さらには蔵王権現さん!(笑)
岡山といえば道通様!
そんなこんなで、本殿裏には道通様がおられました。
ちなみに道通(トウビョウ)とはヘビの憑きものです。トウビョウが憑いてる家は 金持ちになって裕福になるといわれています。逆にトウビョウを粗末に扱えば、飼い主に襲いかかるという。また飼い主の意思に従って怨みを抱いた相手に災いをもたらしたりします。
道通様(トウビョウ)の祠を見ると、岡山に来たーってなります。 いやはや、岡山ならではの風景ですなぁ。
そんなこんなで、道通様のお家をのぞいてみるとなんと大黒天さんが!
あれ?(笑)
毘沙門天と弁財天も!
道通様のお家は七福神さんに占拠されてました!
そんなこんなで、過疎化が進む道通様の集落に、古民家再生的に七福神さんがひと役買ったという設定で妄想をして、ひとりニヤニヤしていたひと時。
布袋尊と恵比寿天(写真左)。
福禄寿と恵比寿天(写真右)。
そして寿老人と犬!
さらには蔵王権現さん!(笑)
藤田伝三郎
●社務所
社務所前には藤田伝三郎さんの等身大パネルがありました。
というか、藤田伝三郎さんって誰!?
そんなこんなで、スマホをポチポチ。
どうやら藤田伝三郎さんは、明治時代に活躍した日本政財界の重鎮らしいです。 藤田財閥の創立者で、日本の礎を築いて民間初の男爵となったお方なんですって。
1899年、伝三郎は私財を投じて児島湾の干拓事業を始めたそうです。干拓事業は想像を絶する難工事だった為、伝三郎さんは完成を見る事なく1912年に他界・・・。その後、2代目当主・藤田平太郎さんが工事を引き継ぎ、干拓事業は無事終了したそうです。そんなこんなで、1915年、藤田財閥の寄進により干拓地(高崎・藤田・岡南・浦安・七区)の守護神としてこの神社が創建されたんだと。
ということで、この神社の祖なわけですな。
この地の祖でもあるわけですな!
結構、偉大なお方なんですね。
●藤田伝三郎碑
●藤田伝三郎碑
・1998年建立
社務所前には藤田伝三郎さんの等身大パネルがありました。
というか、藤田伝三郎さんって誰!?
そんなこんなで、スマホをポチポチ。
どうやら藤田伝三郎さんは、明治時代に活躍した日本政財界の重鎮らしいです。 藤田財閥の創立者で、日本の礎を築いて民間初の男爵となったお方なんですって。
1899年、伝三郎は私財を投じて児島湾の干拓事業を始めたそうです。干拓事業は想像を絶する難工事だった為、伝三郎さんは完成を見る事なく1912年に他界・・・。その後、2代目当主・藤田平太郎さんが工事を引き継ぎ、干拓事業は無事終了したそうです。そんなこんなで、1915年、藤田財閥の寄進により干拓地(高崎・藤田・岡南・浦安・七区)の守護神としてこの神社が創建されたんだと。
ということで、この神社の祖なわけですな。
この地の祖でもあるわけですな!
結構、偉大なお方なんですね。
●藤田伝三郎碑
●藤田伝三郎碑
・1998年建立
その他の見所
●殉国慰霊碑
●殉国慰霊碑
・1964年建立
太平洋戦争戦没者の慰霊碑です。
●藤田ふるさと広場
神社に隣接する藤田ふるさと広場には、足つぼマッサージ的な健康歩道がありました。
本当は裸足で歩くのが正解なんでしょうけど、ちょっと汚かったので靴のまま歩く・・・なもんで効果ゼロです。
●オリジナル絵馬
エビスさんとダイコクさんがデザインされてました。
●殉国慰霊碑
・1964年建立
太平洋戦争戦没者の慰霊碑です。
●藤田ふるさと広場
神社に隣接する藤田ふるさと広場には、足つぼマッサージ的な健康歩道がありました。
本当は裸足で歩くのが正解なんでしょうけど、ちょっと汚かったので靴のまま歩く・・・なもんで効果ゼロです。
●オリジナル絵馬
エビスさんとダイコクさんがデザインされてました。
御朱印
御朱印は社務所で頂けました。