所在地 | 広島県東広島市安芸津町木谷414 |
---|---|
祭 神 | 応神天皇・神功皇后・宗像三女神 |
由 緒 | 宇佐神宮より分霊を勧請したのがこの神社始まりといいます。しかし、1596~1614年の火災で社伝などを焼失したため、創建年などの詳細は不詳。創建当時は重松八幡宮という社名だったそうです。再建時の棟札(1658年)と、裁許状(1652年)があることから、少なくともそれ以前には存在していた神社のようです。2012年に発行された安芸津町史には、重松神社の開創は南北朝時代にまで遡ることができるのではなかろうか・・・と書かれているそうです。 |
HP | 重松神社と日髙神社のホームページ |
境内入口
●注連柱
広島県東広島市安芸津町に鎮座してます重松神社に到着。
1596~1614年の火災により社伝などを焼失したため、創建年などの詳細は不詳ですが、現存している棟札などから、少なくとも1658年以前には存在していた神社のようです。
●注連柱
・1880年建立
●鳥居
●鳥居
・1879年建立
・明神鳥居
扁額には右三つ巴紋。
現在は重松神社ですが、創建当時は重松八幡宮という社名だったそうです。
●石灯籠
●石灯籠
・1749年建立
同年に建立された一対の石灯籠。
向かって左は火袋があるけど、右の方は火袋がキューブ状の石でした。
おそらく後世の補修だと思われます。
●狛犬
●狛犬
・1841年建立
台座には石工三津 村上佐七刻之と刻まれてました。
村上佐七さんは、東広島市周辺で確認できる石工です。
●アーチ付き注連柱
●アーチ付き注連柱
・1932年建立
アーチには左三つ巴紋・・・って、あれ?
鳥居のの扁額は右三つ巴紋だったのに、アーチは左三つ巴紋・・・うぅ~ん。ま、いいか。
それにしてもモダンですなぁ。
注連縄もついてて。どうにもこうにも和洋折衷です。
●手水舎
手水舎には、PEZ(ペッツ)のような龍頭がドーン!
なんかスゴいセンスだなぁ。
手水鉢をよく見てみると、鉢の縁にカエルちゃんが彫られておりました。
これは粋な演出ですなぁ。
広島県東広島市安芸津町に鎮座してます重松神社に到着。
1596~1614年の火災により社伝などを焼失したため、創建年などの詳細は不詳ですが、現存している棟札などから、少なくとも1658年以前には存在していた神社のようです。
●注連柱
・1880年建立
●鳥居
●鳥居
・1879年建立
・明神鳥居
扁額には右三つ巴紋。
現在は重松神社ですが、創建当時は重松八幡宮という社名だったそうです。
●石灯籠
●石灯籠
・1749年建立
同年に建立された一対の石灯籠。
向かって左は火袋があるけど、右の方は火袋がキューブ状の石でした。
おそらく後世の補修だと思われます。
●狛犬
●狛犬
・1841年建立
台座には石工三津 村上佐七刻之と刻まれてました。
村上佐七さんは、東広島市周辺で確認できる石工です。
●アーチ付き注連柱
●アーチ付き注連柱
・1932年建立
アーチには左三つ巴紋・・・って、あれ?
鳥居のの扁額は右三つ巴紋だったのに、アーチは左三つ巴紋・・・うぅ~ん。ま、いいか。
それにしてもモダンですなぁ。
注連縄もついてて。どうにもこうにも和洋折衷です。
●手水舎
手水舎には、PEZ(ペッツ)のような龍頭がドーン!
なんかスゴいセンスだなぁ。
手水鉢をよく見てみると、鉢の縁にカエルちゃんが彫られておりました。
これは粋な演出ですなぁ。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
・応神天皇・神功皇后・宗像三女神を祀る
蟇股には左三つ巴紋。
鳥居 → 右三つ巴紋。
アーチ注連柱と本殿 → 左三つ巴紋。
結局、どっちが正解なんでしょ。
とりあえず、2;1で左が優勢です。
ちなみ御朱印は左三つ巴紋でした。
ということで、正解は左の可能性が高そうです。
・・・って、どうでもいいですね、この話し。
それにしても妻飾りの大瓶束が素敵でした。
あと、拝殿と本殿の間にあるブロック塀が、やけに昭和感があって良い味出てました。
●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本殿
●本殿
・建立年不明
・銅板葺 流造
・応神天皇・神功皇后・宗像三女神を祀る
蟇股には左三つ巴紋。
鳥居 → 右三つ巴紋。
アーチ注連柱と本殿 → 左三つ巴紋。
結局、どっちが正解なんでしょ。
とりあえず、2;1で左が優勢です。
ちなみ御朱印は左三つ巴紋でした。
ということで、正解は左の可能性が高そうです。
・・・って、どうでもいいですね、この話し。
それにしても妻飾りの大瓶束が素敵でした。
あと、拝殿と本殿の間にあるブロック塀が、やけに昭和感があって良い味出てました。
境内社
●祖霊社・護国神社
境内には祖霊社・護国神社がありました。
祖霊社には、重松神社代々宮司の御霊が祀られているそうですが、太平洋戦争で戦没した 木谷出身の英霊も一緒に祀られてるそうです。
そのため、祖霊社であると同時に木谷村の護国神社でもあるという。
それにしても、祖霊社・護国神社の水盤が素敵でした。
龍のお腹に水が溜まってて、なぜかお腹にはお魚がいるという。
もしかしたら、人間ポンプ的に吐き出すかもですよ~!(ないない)
●湯盛神社
どうやら、もともと湯盛という地にあった小社を合祀した神社のようです。
ちなみに湯盛と書いてゆざかりと読むそうです。
社内には絵馬掛けがあり絵馬の奉納所としても活躍してました。
●湯盛神社の社内
・左 → 湯之明神・胡神社
・中 → 住吉神社・新宮神社
・右 → 塩釜神社
●稲荷神社(元若宮)
この稲荷神社は、1788年に若宮として創建された神社だそうです。
なお、その後どうして稲荷神社になったのかは不明・・・。
境内には祖霊社・護国神社がありました。
祖霊社には、重松神社代々宮司の御霊が祀られているそうですが、太平洋戦争で戦没した 木谷出身の英霊も一緒に祀られてるそうです。
そのため、祖霊社であると同時に木谷村の護国神社でもあるという。
それにしても、祖霊社・護国神社の水盤が素敵でした。
龍のお腹に水が溜まってて、なぜかお腹にはお魚がいるという。
もしかしたら、人間ポンプ的に吐き出すかもですよ~!(ないない)
●湯盛神社
どうやら、もともと湯盛という地にあった小社を合祀した神社のようです。
ちなみに湯盛と書いてゆざかりと読むそうです。
社内には絵馬掛けがあり絵馬の奉納所としても活躍してました。
●湯盛神社の社内
・左 → 湯之明神・胡神社
・中 → 住吉神社・新宮神社
・右 → 塩釜神社
●稲荷神社(元若宮)
この稲荷神社は、1788年に若宮として創建された神社だそうです。
なお、その後どうして稲荷神社になったのかは不明・・・。
その他の見所
●遥拝所
一体全体、なんの遥拝所なんだろ・・・???
と思ったら、皇居と伊勢神宮の遥拝所!
伊勢神宮の遥拝所はよくお見かけしますが、皇居の遥拝所は初めて拝見しました!
●忠魂碑と慰霊碑
●忠魂碑
・1960年建立
文字は、陸軍中将・小原傳(伝)の筆。
ちなみに、傳(伝)と書いてつとうと読むそうです。
●慰霊碑
・1960年建立
慰霊碑は、第58・59・60代内閣総理大臣・池田隼人の筆。
ちなみに、池田隼人さんは広島出身です。
●大釜
●大釜
・1983年奉納
一体全体、なんの遥拝所なんだろ・・・???
と思ったら、皇居と伊勢神宮の遥拝所!
伊勢神宮の遥拝所はよくお見かけしますが、皇居の遥拝所は初めて拝見しました!
●忠魂碑と慰霊碑
●忠魂碑
・1960年建立
文字は、陸軍中将・小原傳(伝)の筆。
ちなみに、傳(伝)と書いてつとうと読むそうです。
●慰霊碑
・1960年建立
慰霊碑は、第58・59・60代内閣総理大臣・池田隼人の筆。
ちなみに、池田隼人さんは広島出身です。
●大釜
●大釜
・1983年奉納
御朱印情報
●御朱印情報
御朱印は、境内入口付近にある社務所で頂きました。
その御朱印がこちら!
よくある書置きの御朱印かと思っていたら・・・
裏を見ると、なんとポストカード!
これは面白いですね!
よし、自分宛てに投函しよ!
関係ない話しですけど、私はよく旅先でポストカードを買って、自分宛てに投函してます。
旅先から自宅に帰った時にそのポストカードを手に取り、リターン・トゥー・マイセルフ(浜田麻里)をして楽しんで遊んでます。
これは、過去の自分に会えた気がして嬉しい~ぃ・・・というひとり遊びです。
御朱印は、境内入口付近にある社務所で頂きました。
その御朱印がこちら!
よくある書置きの御朱印かと思っていたら・・・
裏を見ると、なんとポストカード!
これは面白いですね!
よし、自分宛てに投函しよ!
関係ない話しですけど、私はよく旅先でポストカードを買って、自分宛てに投函してます。
旅先から自宅に帰った時にそのポストカードを手に取り、リターン・トゥー・マイセルフ(浜田麻里)をして楽しんで遊んでます。
これは、過去の自分に会えた気がして嬉しい~ぃ・・・というひとり遊びです。