忠海八幡神社(開発八幡宮)の御朱印~広島県竹原市忠海中町3丁目7−15~

都道府県別
住 所広島県竹原市忠海中町3丁目7−15
祭 神応神天皇・神功皇后・宗像三女神
由 緒876年、宇佐八幡宮より分霊を勧請したのが始まり。1816年に社殿を焼失しましたが、1829年、町年寄・河田清左衛門など7名、大工棟梁・西原儀蔵など29名が再建。もとは開発八幡宮という社名だったそうです。
スポンサーリンク

鳥居と狛犬と手水舎

●鳥居①

●鳥居①
・1918年建立
・明神鳥居

●注連柱
・1842年建立


●狛犬①②

●狛犬①②
・1918年建立
・構え獅子型

背伸びタイプの構え獅子でした。


●鳥居②

●鳥居②
・1718年建立
・明神鳥居

私が確認した限り、この神社で最古の石造物です。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・セメント瓦 平入り切妻造



なんと手水舎は漆喰壁の土蔵造!

そしてに鉄格子の窓!

さらに昔懐かしのセメント瓦!

久々に手水舎でテンションが上がりました。


●参道と社叢


社叢は国の天然記念物に指定されてます。
社叢を構成する樹木は、主にモッコクだそうです。


●狛犬③④

●狛犬③④
・1816年建立
・尾道石工・和助作

向かって右の狛犬ちゃんは、まるで風呂場をのぞき見してる風のポーズでした。
可愛いですなぁ。

スポンサーリンク

拝殿と本殿

●拝殿


●拝殿
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造

扁額には旧社名の開発八幡宮

それにしても、開発と書かれるともっすごい近代的で工業的なイメージを受けちゃいます。しかし平安時代前期から続く古社とのことです。

そして祭神は開発者をイメージしてしまうけど、応神天皇・神功皇后・宗像三女神を祀る王道スタイルの八幡社。

帰宅後、色々と調べてみたけど、この開発が意味するものが何なのかが全くわかりませんでした・・・宮司さんに聞いて帰ればよかったです。


●本殿

●本殿
・建立年不明
・銅板葺 三間社流造
・応神天皇・神功皇后・宗像三女神を祀る

スポンサーリンク

境内社

●琴比良神社

●琴比良神社
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
・大物主命を祀る


なんとっ!
横から見ると台形だという。
何じゃこりゃーですよ。
絶対、四角でも問題なかったはず・・・何か意味があるのかなぁ。


扁額には、かなり崩された文字で琴比良神社と書かれておりました。 いやはや、ポップな書体ですなぁ。まるでエジプトの象形文字みたいです。

そんなこんなで、個性が大爆発した境内社でした。


●八坂神社

●八坂神社
・建立年不明
・瓦葺 流造
・素盞嗚命を祀る

毎年7月に行われる祇園祭のみこし行事では、独特な動きで神輿を担ぐんですって。神輿の腹を見せるくらい左右に傾けたり、高く上げたり、とにかく荒々しい動きで神輿を担ぐんですって。
これはスサノオの凱旋の喜びを表した動きらしいです。

機会があったら是非とも拝見してみたいです。


●天満宮(?)

●天満宮(?)
・建立年不明
・瓦葺 平入り切妻造
・菅原道真を祀る(?)


何の社だろ?・・・と思っていたら、落ちている扁額を発見しました。扁額に天満宮と書いてあったので、おそらく天満宮だと思われます。梅の花も咲いてることですし!


●郷賢祀社

●郷賢祀社
・建立年不明
・銅板葺 流造
・浦宗勝・浅野長治・平賀晋民・木島晩翠・池田快堂・田窪藤平・山根与三兵衛を祀る

忠海の偉人が大集結した社です。


●境内社

こちらは何の社でしょ・・・わかりませんでした。

スポンサーリンク

池田快堂の彰徳碑など

●池田快堂の彰徳碑

池田徳太郎(快堂)は、江戸時代末期に活躍した忠海出身の維新の志士です。

安政の大獄で吉田松陰などが処刑されたことに憤慨し、清河八郎らと尊皇攘夷の挙に出ました。その後、清河八郎は無頼漢を斬殺したことにより投獄・・・。出獄後、新撰組の前身となる浪士組を結成しますが幕府に見切りをつけて帰省しました。

そして芸州藩に属し密使として活躍。 薩長芸三藩同盟成立の影の立役者といわれてます。

戊辰戦争終了後、常陸知県事・若森県権知事・新治県権令・島根県権令・岩手県参事・青森県権令を歴任した忠海の偉人です。


●境内の風景

境内には土蔵造の倉庫が3つ並んでました。
神輿庫でしょうか? 手水舎と似た建物でした。


参道からの景色です。
正面のお堂は西養寺の本堂です。

スポンサーリンク

御朱印

●御朱印

御朱印は社務所で頂きました。

忠海八幡神社(開発八幡宮)の地図

 

タイトルとURLをコピーしました