所在地 | 大分県中津市寺町961−2 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
由 緒 | 1587年、黒田孝高(官兵衛)が開基し、真誉見道上人が開山したお寺といわれています。その後、1600年に真誉見道上人は黒田氏に従って福岡に移り、同名の円応寺を開いたそうです。江戸時代を通じて、黒田氏・細川氏・小笠原氏の各藩主に保護されてきたお寺だそうです。また、河童伝説が残るお寺としても知られています。 |
山門と水文瓦
●山門
合元寺で参拝後、赤壁の写真を撮っていたらニコニコしたお爺ちゃんが近づいてきて、中津の観光スポットを教えてくれました。
そんなこんなで、ニコニコ爺ちゃんに教えてもらった円応寺に到着。
合元寺から約100mぐらいのところにあります。
到着後、まず最初に目に入ったのは山門に掛かる水と書かれた幕。
●土塀と水文瓦
そして、塀の瓦にも水水水!
黒田官兵衛が開基したお寺ということで、黒田如水の水かな?
と思ったら全然違いました(笑)
実はこの水の瓦は水文瓦といわれ、近くで火災があった際に瓦の文字から水が噴射し火災から救ったといわれてるんです!
ということで、スプリンクラー機能を備えた超ハイテク瓦!
もしかしたら水という文字の周りにある点点点から水が出るのかなぁ?
・・・
・・・・・
こんな感じで!
ちなみに観音堂の屋根瓦にも水文瓦がありました。
こちらには点点点はありませんでした。
もしかしたらスプリンクラー機能はついてないのかもしれません・・・。
合元寺で参拝後、赤壁の写真を撮っていたらニコニコしたお爺ちゃんが近づいてきて、中津の観光スポットを教えてくれました。
そんなこんなで、ニコニコ爺ちゃんに教えてもらった円応寺に到着。
合元寺から約100mぐらいのところにあります。
到着後、まず最初に目に入ったのは山門に掛かる水と書かれた幕。
●土塀と水文瓦
そして、塀の瓦にも水水水!
黒田官兵衛が開基したお寺ということで、黒田如水の水かな?
と思ったら全然違いました(笑)
実はこの水の瓦は水文瓦といわれ、近くで火災があった際に瓦の文字から水が噴射し火災から救ったといわれてるんです!
ということで、スプリンクラー機能を備えた超ハイテク瓦!
もしかしたら水という文字の周りにある点点点から水が出るのかなぁ?
・・・
・・・・・
こんな感じで!
ちなみに観音堂の屋根瓦にも水文瓦がありました。
こちらには点点点はありませんでした。
もしかしたらスプリンクラー機能はついてないのかもしれません・・・。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・鉄筋コンクリート 宝形造
・宗派 浄土宗鎮西派
・本尊 阿弥陀如来
そんなこんなで、本堂前に到着。
本堂は白いRC造でした。
どこかしら西洋の神殿みないなビジュアルだね!
このお寺は、1587年に黒田孝高(官兵衛)が開基し、真誉見道上人が開山したお寺なんだって。
江戸時代を通じて黒田氏・細川氏・小笠原氏の各藩主に保護されてきたお寺らしいですよ。
●本堂
・建立年不明
・鉄筋コンクリート 宝形造
・宗派 浄土宗鎮西派
・本尊 阿弥陀如来
そんなこんなで、本堂前に到着。
本堂は白いRC造でした。
どこかしら西洋の神殿みないなビジュアルだね!
このお寺は、1587年に黒田孝高(官兵衛)が開基し、真誉見道上人が開山したお寺なんだって。
江戸時代を通じて黒田氏・細川氏・小笠原氏の各藩主に保護されてきたお寺らしいですよ。
河童の墓と河童の池
●河童のお墓
そんなこんなで本堂で参拝後、ニコニコ爺ちゃんに教えてもらったあの場所へ。
あの場所とは河童のお墓です!
やばいです。
UMA好きにはたまんないスポットだね!
大丈夫???
心臓のウキウキ音が体外に漏れてない???
そんなこんなで
はいドン!
河童のお墓に到着。
・・・って
なんで河童のお墓があるの???
調べてみると、江戸時代中期に寂玄上人というお方が河童たちを仏門に入らせたというじゃない。
そして修行の末、河童の頭目3匹に戒名を授けたんだって。
その戒名がこちら。
①本誉覚圓信士(俗名・岡本宇兵衛)
②本誉覚心信士(俗名・竹本三太夫)
③本誉覚源信士(俗名・蔵本要助)
お寺には河童に授けた戒名が現存していて、現在でも追善供養が行われているんだって!
参拝後、住職さんとお話しをしていたら
なんと!
偶然にも本日は河童法要の日でした!
なんなの、この偶然!
●河童の池
河童のお墓の近くには河童の池もありました。
現在でも法要の際には、必ず河童の頭目の回向を行っているそうですよ!
すんごいドキウキします。
出てこい、カッパ!
それにしても、九州はカッパ伝説が多いなぁ。
その昔はカッパ王朝でもあったのかなぁ。
●円応寺の河童伝説
江戸時代のお話し。
当時、九州一帯は日照りが続き、水不足に悩まされていたんだそうな。
ある日、水辺で10匹のカッパが相撲を取って遊んでいました。
それを見た寂玄上人は『水不足で百姓が苦しんでいるのに、遊び暮らしている哀れな河童よぅ』とつぶやきました。
これを聞いたカッパは『ワシらは1000年もの年月を生きたカッパだ。そのワシらに哀れなカッパとはなにごとじゃ』とくってかかりました。
それを聞いた寂玄上人は『この世は楽しいことばかりではないのじゃ。食べる物もなく苦しんでいる人や、死んで悲しんでいる人も多いのじゃ』と優しく諭しました。
それから3日後、寂玄上人のもとにあの時のカッパ一族がやってきました。
上人が理由を尋ねると3匹のカッパの頭領が『その日さえ楽しく暮らせばよいと思っていたのは間違っていました。人の苦しみを知ったことで、後の世の人たちからうやまれるようになりたい。だから、これからどうしたらいいのか教えてください』といいました。
これを聞いた上人はカッパたちを本堂に招き入れ、30日余りの修業のあとでカッパたちに戒名を授けました。
カッパたちはたいそう喜んだといいます。
そして、カッパたちはお礼としてお寺を火事から守ることを約束しました。
カッパたちは、お寺を守る代わりに皿の水が乾かないように境内に小さな池を作ってくださいと頼んだといいます。
その池が、この河童の池といわれています。
ちなみに、中津にある山国川を渡るときに『円応寺の門徒だ』というと、水難から免れると伝わってるそうですよ。
●実は野村祐勝のお墓!?
ところで、この河童のお墓は・・・
下毛郡誌によると、城井(宇都宮)鎮房を暗殺する際、鎮房に一の太刀を浴びせた黒田二十四騎の1人・野村祐勝のお墓と記されているそうです・・・むむむ。
そんなことは知りたくなかった・・・!
そんなこという人、大キライ(笑)
河童好きとしましては、これが野村祐勝のお墓だとは信じたくないけれど、もしそうだとしたら、カッパ扱いされている野村祐勝さんはどんな気持ちなんだろうねぇ???
もし野村祐勝さんがカッパみたいにハゲてたお方だったならなおさら気になります・・・
(失礼 m(_ _)m)
●境内の河童たち
そんなことより、境内にはたくさんのカッパちゃんがいました。
かっぱっぱ~♪
るんっぱっぱ~♪
かっぱ黄桜かっぱっぱ♪
黄桜のあの歌が頭の中でずっとリピート再生し始めたよ!
それにしてもこのカッパちゃん・・・
ホークスの内川選手に似てるなぁ。
そういえば内川選手は大分県出身だったような。
(現在、内川選手はヤクルトスワローズ)
そんなこんなで本堂で参拝後、ニコニコ爺ちゃんに教えてもらったあの場所へ。
あの場所とは河童のお墓です!
やばいです。
UMA好きにはたまんないスポットだね!
大丈夫???
心臓のウキウキ音が体外に漏れてない???
そんなこんなで
はいドン!
河童のお墓に到着。
・・・って
なんで河童のお墓があるの???
調べてみると、江戸時代中期に寂玄上人というお方が河童たちを仏門に入らせたというじゃない。
そして修行の末、河童の頭目3匹に戒名を授けたんだって。
その戒名がこちら。
①本誉覚圓信士(俗名・岡本宇兵衛)
②本誉覚心信士(俗名・竹本三太夫)
③本誉覚源信士(俗名・蔵本要助)
お寺には河童に授けた戒名が現存していて、現在でも追善供養が行われているんだって!
参拝後、住職さんとお話しをしていたら
なんと!
偶然にも本日は河童法要の日でした!
なんなの、この偶然!
●河童の池
河童のお墓の近くには河童の池もありました。
現在でも法要の際には、必ず河童の頭目の回向を行っているそうですよ!
すんごいドキウキします。
出てこい、カッパ!
それにしても、九州はカッパ伝説が多いなぁ。
その昔はカッパ王朝でもあったのかなぁ。
●円応寺の河童伝説
江戸時代のお話し。
当時、九州一帯は日照りが続き、水不足に悩まされていたんだそうな。
ある日、水辺で10匹のカッパが相撲を取って遊んでいました。
それを見た寂玄上人は『水不足で百姓が苦しんでいるのに、遊び暮らしている哀れな河童よぅ』とつぶやきました。
これを聞いたカッパは『ワシらは1000年もの年月を生きたカッパだ。そのワシらに哀れなカッパとはなにごとじゃ』とくってかかりました。
それを聞いた寂玄上人は『この世は楽しいことばかりではないのじゃ。食べる物もなく苦しんでいる人や、死んで悲しんでいる人も多いのじゃ』と優しく諭しました。
それから3日後、寂玄上人のもとにあの時のカッパ一族がやってきました。
上人が理由を尋ねると3匹のカッパの頭領が『その日さえ楽しく暮らせばよいと思っていたのは間違っていました。人の苦しみを知ったことで、後の世の人たちからうやまれるようになりたい。だから、これからどうしたらいいのか教えてください』といいました。
これを聞いた上人はカッパたちを本堂に招き入れ、30日余りの修業のあとでカッパたちに戒名を授けました。
カッパたちはたいそう喜んだといいます。
そして、カッパたちはお礼としてお寺を火事から守ることを約束しました。
カッパたちは、お寺を守る代わりに皿の水が乾かないように境内に小さな池を作ってくださいと頼んだといいます。
その池が、この河童の池といわれています。
ちなみに、中津にある山国川を渡るときに『円応寺の門徒だ』というと、水難から免れると伝わってるそうですよ。
●実は野村祐勝のお墓!?
ところで、この河童のお墓は・・・
下毛郡誌によると、城井(宇都宮)鎮房を暗殺する際、鎮房に一の太刀を浴びせた黒田二十四騎の1人・野村祐勝のお墓と記されているそうです・・・むむむ。
そんなことは知りたくなかった・・・!
そんなこという人、大キライ(笑)
河童好きとしましては、これが野村祐勝のお墓だとは信じたくないけれど、もしそうだとしたら、カッパ扱いされている野村祐勝さんはどんな気持ちなんだろうねぇ???
もし野村祐勝さんがカッパみたいにハゲてたお方だったならなおさら気になります・・・
(失礼 m(_ _)m)
●境内の河童たち
そんなことより、境内にはたくさんのカッパちゃんがいました。
かっぱっぱ~♪
るんっぱっぱ~♪
かっぱ黄桜かっぱっぱ♪
黄桜のあの歌が頭の中でずっとリピート再生し始めたよ!
それにしてもこのカッパちゃん・・・
ホークスの内川選手に似てるなぁ。
そういえば内川選手は大分県出身だったような。
(現在、内川選手はヤクルトスワローズ)
八面石幢
●八面石幢
●八面石幢
・室町時代建立
その他、境内には室町時代に建立された八面石幢がありました。
このお寺の創建は1587年といいますから、この石幢は創建以前のものになります。
この石幢は創建前からこの地にあったのか、創建後にこの地に移されたのか・・・詳しい説明がなかったので謎です。
それにしても素敵な石幢でした。
●八面石幢
・室町時代建立
その他、境内には室町時代に建立された八面石幢がありました。
このお寺の創建は1587年といいますから、この石幢は創建以前のものになります。
この石幢は創建前からこの地にあったのか、創建後にこの地に移されたのか・・・詳しい説明がなかったので謎です。
それにしても素敵な石幢でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・円応寺の御朱印
(千手観音菩薩の梵字・キリーク)
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2018年3月18日 参拝
・2021年1月 更新
・円応寺の御朱印
(千手観音菩薩の梵字・キリーク)
●御朱印の受付場所
・庫裏
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2018年3月18日 参拝
・2021年1月 更新
参拝情報と駐車場
●開門時間
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)
●JR 中津駅
●最寄りの駅
・JR中津駅から徒歩10分
・JR中津駅から車で5分
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(約10台)
●JR 中津駅
●最寄りの駅
・JR中津駅から徒歩10分
・JR中津駅から車で5分