所在地 | 香川県仲多度郡多度津町西白方535 |
---|---|
宗 派 | 真言宗醍醐派 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 番外霊場 ・新四国曼荼羅霊場 第17番 |
由 緒 | 弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡に建つお寺です。平安時代初期、玉依御前がこの地の産土神・熊手八幡宮に祈願し、弘法大師を身籠ったといわれています。その後、唐から帰国した弘法大師が、この地に三角寺というお寺を建立。 そして、熊手八幡宮の別当寺院になったそうです。1558~1570年、戦乱により荒廃。その後、修験者の大善坊が再興し寺号を大善坊に改称。1638年、嵯峨御所より仏母院の院号を下賜され、仏母院に改称したそうです。 |
HP | 仏母院 HomePage |
山門
●山門
海岸寺から徒歩10分。
四国八十八ヶ所の番外霊場ならびに新四国曼荼羅霊場の札所であります仏母院に到着。
仏母院と書いてぶつもいんと読みます。
先ほど参拝した海岸寺の住職さんから聞いた衝撃のお話し。
それは弘法大師の生誕地は善通寺ではなく海岸寺という説。
弘法大師の生誕地は海岸寺説。
真相はいかに。
なんとこの仏母院は、弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡に建つお寺だという!
さらに弘法大師のヘソの緒を納めた胞衣塚や産湯の井戸、そして幼い弘法大師が泥土で造った童仏もあるというじゃない!
先ほどの海岸寺でお腹一杯になるまで弘法大師の生誕にまつわる史跡を拝見してきましたが、この仏母院もなかなかのライナップのようです。
ということで、海岸寺の住職さんに勧められてこのお寺にやって参りました。
このお寺の正式名称は八幡山三角寺仏母院。
●山号は八幡山
八幡山とは、幼少時代の弘法大師が遊んでいた山。
そして弘法大師が虚空蔵持聞法を修得した山。
さらに弘法大師が産土神として崇拝していた熊手八幡宮が由来とのことです。
この仏母院は、古来より熊手八幡宮の別当寺であったことから八幡山という山号になったんだって。
弘法大師と八幡神にはこんなエピソードがあります。
弘法大師は生前、八幡大菩薩とご対面し、お互いの姿を写し合ったといわれています。
そのとき八幡大菩薩は
『私とあなたはもともと同一体であり、上人の居る所へは必ず影と形のごとく追い随うつもりである』と言ったんだって。
まさか弘法大師と八幡神は同一体だったとは!
●寺号は三角寺
唐から帰国した弘法大師が、母・玉依御前の屋敷跡に三角寺を建立したのが、このお寺の始まりといいます。
海岸寺の建立が807年。
海岸寺奥の院の建立が816年とのことなので、おそらくこの頃の建立だと思われます(推測)
●院号は仏母院
仏とも仰ぐべき弘法大師をこの世にお産みになった母・玉依御前。
これが仏母院という名前の由来のようです。
海岸寺から徒歩10分。
四国八十八ヶ所の番外霊場ならびに新四国曼荼羅霊場の札所であります仏母院に到着。
仏母院と書いてぶつもいんと読みます。
先ほど参拝した海岸寺の住職さんから聞いた衝撃のお話し。
それは弘法大師の生誕地は善通寺ではなく海岸寺という説。
弘法大師の生誕地は海岸寺説。
真相はいかに。
なんとこの仏母院は、弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡に建つお寺だという!
さらに弘法大師のヘソの緒を納めた胞衣塚や産湯の井戸、そして幼い弘法大師が泥土で造った童仏もあるというじゃない!
先ほどの海岸寺でお腹一杯になるまで弘法大師の生誕にまつわる史跡を拝見してきましたが、この仏母院もなかなかのライナップのようです。
ということで、海岸寺の住職さんに勧められてこのお寺にやって参りました。
このお寺の正式名称は八幡山三角寺仏母院。
●山号は八幡山
八幡山とは、幼少時代の弘法大師が遊んでいた山。
そして弘法大師が虚空蔵持聞法を修得した山。
さらに弘法大師が産土神として崇拝していた熊手八幡宮が由来とのことです。
この仏母院は、古来より熊手八幡宮の別当寺であったことから八幡山という山号になったんだって。
弘法大師と八幡神にはこんなエピソードがあります。
弘法大師は生前、八幡大菩薩とご対面し、お互いの姿を写し合ったといわれています。
そのとき八幡大菩薩は
『私とあなたはもともと同一体であり、上人の居る所へは必ず影と形のごとく追い随うつもりである』と言ったんだって。
まさか弘法大師と八幡神は同一体だったとは!
●寺号は三角寺
唐から帰国した弘法大師が、母・玉依御前の屋敷跡に三角寺を建立したのが、このお寺の始まりといいます。
海岸寺の建立が807年。
海岸寺奥の院の建立が816年とのことなので、おそらくこの頃の建立だと思われます(推測)
●院号は仏母院
仏とも仰ぐべき弘法大師をこの世にお産みになった母・玉依御前。
これが仏母院という名前の由来のようです。
本堂
●本堂
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
境内はとっても狭く、本堂がドンと立つのみの小さなお寺さんでした。
なんとなく無人感漂う境内でしたが、庫裏を尋ねるとお寺の方がおられました。
ということで、お寺の方に事情をお話しして堂内で参拝。
●本尊
・金剛界大日如来坐像
・鎌倉時代作
●脇侍
・弘法大師像(右)
・阿弥陀如来坐像(左)
堂内の中央には本尊の金剛界大日如来坐像。
向かって右側に弘法大師坐像
左側に阿弥陀如来坐像が安置されていました。
そして中央前方の小さな厨子には童仏が安置されていました!
どうやら、こちらが幼少時代の弘法大師が泥土で造ったといわれる泥仏のようです。
ちなみにここから約2km離れた八幡山の中腹に童塚があるそうですよ。
童塚は幼少時代の弘法大師が遊んでいた場所といわれており、そこで泥仏を造っていたんだって。
その他、境内には・・・特に見どころはありませんでした。
・・・?
あれ?
屋敷跡は?
胞衣塚は?
産湯の井戸は?
ということで、再びお寺の方を尋ねてみると、屋敷跡と胞衣塚と産湯の井戸は境内を出て道路を渡ったところにあるとのこと。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
境内はとっても狭く、本堂がドンと立つのみの小さなお寺さんでした。
なんとなく無人感漂う境内でしたが、庫裏を尋ねるとお寺の方がおられました。
ということで、お寺の方に事情をお話しして堂内で参拝。
●本尊
・金剛界大日如来坐像
・鎌倉時代作
●脇侍
・弘法大師像(右)
・阿弥陀如来坐像(左)
堂内の中央には本尊の金剛界大日如来坐像。
向かって右側に弘法大師坐像
左側に阿弥陀如来坐像が安置されていました。
そして中央前方の小さな厨子には童仏が安置されていました!
どうやら、こちらが幼少時代の弘法大師が泥土で造ったといわれる泥仏のようです。
ちなみにここから約2km離れた八幡山の中腹に童塚があるそうですよ。
童塚は幼少時代の弘法大師が遊んでいた場所といわれており、そこで泥仏を造っていたんだって。
その他、境内には・・・特に見どころはありませんでした。
・・・?
あれ?
屋敷跡は?
胞衣塚は?
産湯の井戸は?
ということで、再びお寺の方を尋ねてみると、屋敷跡と胞衣塚と産湯の井戸は境内を出て道路を渡ったところにあるとのこと。
玉依御前の屋敷跡
●玉依御前の屋敷跡
そんなこんなで、山門をくぐって境外へ。
そして、弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡に到着。
ちなみに玉依御前の屋敷跡は山門の目の前にありました・・・
こんなわかりやすいものを見つけれなかったとは・・・
いよいよ私も老化が始まったのか・・・
そんなことより、石標には御住屋敷と書かれておりました。
ということで、玉依御前の屋敷は御住屋敷と呼ばれているみたいです。
玉依御前の屋敷跡には、御母公堂が建っていました。
御母公堂は、つい数年前まで宝形造のお堂だったそうですが、2016年に老朽化により現在のお堂に建て替えられたみたいです。
堂内には玉依御前像と弘法大師像と不動明王像が安置されていましたよ。
そんなこんなで、山門をくぐって境外へ。
そして、弘法大師の母・玉依御前の屋敷跡に到着。
ちなみに玉依御前の屋敷跡は山門の目の前にありました・・・
こんなわかりやすいものを見つけれなかったとは・・・
いよいよ私も老化が始まったのか・・・
そんなことより、石標には御住屋敷と書かれておりました。
ということで、玉依御前の屋敷は御住屋敷と呼ばれているみたいです。
玉依御前の屋敷跡には、御母公堂が建っていました。
御母公堂は、つい数年前まで宝形造のお堂だったそうですが、2016年に老朽化により現在のお堂に建て替えられたみたいです。
堂内には玉依御前像と弘法大師像と不動明王像が安置されていましたよ。
胞衣塚と産湯井戸
●胞衣塚と産湯井戸
そんなこんなで
はいドン!
こちらが弘法大師のヘソの緒が納められている胞衣塚です!
玉依御前の屋敷跡のすぐ近くにあります。
ちなみに弘法大師生誕地の説はいくつかあるけど、弘法大師のヘソの緒があるのは日本でここだけなんだって!
弘法大師の生誕地・海岸寺説・・・あるかも知れません!
●産湯井戸
その他、玉依御前の屋敷跡の近くには産湯井戸もありました。
こちらは弘法大師を出産する際、産湯に使った井戸なんだって。
弘法大師の生誕地・海岸寺説・・・あるかも知れません!
・・・
・・・・・!!!!!
産湯井戸の前には、まさかのとび太くん!
産湯井戸よりこっちの方が気になってしまいました・・・
まさか四国でとび太くんに出会えるとはっ!
そんなこんなで
はいドン!
こちらが弘法大師のヘソの緒が納められている胞衣塚です!
玉依御前の屋敷跡のすぐ近くにあります。
ちなみに弘法大師生誕地の説はいくつかあるけど、弘法大師のヘソの緒があるのは日本でここだけなんだって!
弘法大師の生誕地・海岸寺説・・・あるかも知れません!
●産湯井戸
その他、玉依御前の屋敷跡の近くには産湯井戸もありました。
こちらは弘法大師を出産する際、産湯に使った井戸なんだって。
弘法大師の生誕地・海岸寺説・・・あるかも知れません!
・・・
・・・・・!!!!!
産湯井戸の前には、まさかのとび太くん!
産湯井戸よりこっちの方が気になってしまいました・・・
まさか四国でとび太くんに出会えるとはっ!
その他の見どころ
●虚空蔵菩薩
山門のすぐ近くには、虚空蔵菩薩像を安置する小さなお堂がありました。
こちらの虚空蔵菩薩さんは、もともと八幡山のお堂に安置されていたもののようです。
それを1927年に現在地に移したんだって。
八幡山は幼少時代の弘法大師が遊んでいた山ですが、それ以外に弘法大師が虚空蔵持聞法を修得した山ともいわれています。
ちなみに仏母院を再興した修験者の大善坊さんは、八幡山のお堂で修行の毎日を送っていたそうですよ。
●こしき灯籠
●こしき灯籠
・左 → 観音大士
・中 → 阿弥陀如来
・右 → 弘法大師
こちらはこしき灯籠と呼ばれるもののようです。
どう見ても石塔ですが、灯籠とのことです。
●お大師様の分かり易い略歴
その他、お大師様の分かり易い略歴がありました。
ということで、お勉強タイム・・・。
分かりやすい略歴・・・
わ、わ、わかりにくい・・・
めちゃくちゃ分かりにくかったです・・・(笑)
中央に弘法大師さんの略歴。
余ったスペースに真言密教系統やら仁和寺のことやら桓武天皇のことが書いてあるの!
しかも横書きだったり縦書きだったりするの!
要するに情報が多すぎるの!
可笑し過ぎて、全然頭に入ってこない・・・(失礼)
山門のすぐ近くには、虚空蔵菩薩像を安置する小さなお堂がありました。
こちらの虚空蔵菩薩さんは、もともと八幡山のお堂に安置されていたもののようです。
それを1927年に現在地に移したんだって。
八幡山は幼少時代の弘法大師が遊んでいた山ですが、それ以外に弘法大師が虚空蔵持聞法を修得した山ともいわれています。
ちなみに仏母院を再興した修験者の大善坊さんは、八幡山のお堂で修行の毎日を送っていたそうですよ。
●こしき灯籠
●こしき灯籠
・左 → 観音大士
・中 → 阿弥陀如来
・右 → 弘法大師
こちらはこしき灯籠と呼ばれるもののようです。
どう見ても石塔ですが、灯籠とのことです。
●お大師様の分かり易い略歴
その他、お大師様の分かり易い略歴がありました。
ということで、お勉強タイム・・・。
分かりやすい略歴・・・
わ、わ、わかりにくい・・・
めちゃくちゃ分かりにくかったです・・・(笑)
中央に弘法大師さんの略歴。
余ったスペースに真言密教系統やら仁和寺のことやら桓武天皇のことが書いてあるの!
しかも横書きだったり縦書きだったりするの!
要するに情報が多すぎるの!
可笑し過ぎて、全然頭に入ってこない・・・(失礼)
弘法大師の生誕地は善通寺?海岸寺?
●弘法大師の生誕地は善通寺?
一般的に弘法大師の生誕地として知られるのは善通寺。
善通寺の由緒では、善通寺御影堂の奥殿で弘法大師は生まれたと書かれています。
ちなみに御影堂は、父・佐伯善通の館跡に建てられたお堂といわれています。
●善通寺 御影堂
・御影堂の中殿 → 父・佐伯善通の館跡に建立
・御影堂の奥殿 → 母・玉依御前の館跡に建立
ということで、弘法大師は玉依御前の館(御影堂の奥殿)で誕生。
●弘法大師の生誕地は海岸寺?
対する海岸寺の由緒では、現在の海岸寺奥の院がある場所で弘法大師は生まれたと書かれています。
さらに海岸寺の由緒には、弘法大師は幼少の頃、母・玉依御前と離れて暮らし、海岸寺本坊にあった別館で勉学に励んでいたと記されています。
そして、毎月14日に十四橋を渡って母・玉依御前に会いに行き、産土神である熊手八幡宮へお詣りに行っていたそうです。
ということで、母と離れて暮らす弘法大師は、仏母院にある玉依御前の屋敷(御住屋敷)と海岸寺を行き来していたみたいです。
どちらの説もツッコミどころがないので困ったものです。
でも、生誕地が2つもあるのは何だか気持ち悪い・・・
ということで、両方の説が成立するように私なりに仮説を立ててみました。
みたいな感じで、善通寺と海岸寺と御住屋敷(現・仏母院)の由緒をミックスした仮説を立ててみました。
善通寺の境内にあった佐伯善通と玉依御前の館で身籠る(弘法大師誕生)。
出産用の屋敷(現・海岸寺奥の院)で弘法大師を出産(弘法大師誕生)。
身籠るも出産も誕生ということで、善通寺も海岸寺も弘法大師の生誕地!
そして御住屋敷(現・仏母院)もストーリーの中に自然に溶け込むし!
やや強引ですが、どうでしょ?
●海岸寺の参拝記と御朱印情報
一般的に弘法大師の生誕地として知られるのは善通寺。
善通寺の由緒では、善通寺御影堂の奥殿で弘法大師は生まれたと書かれています。
ちなみに御影堂は、父・佐伯善通の館跡に建てられたお堂といわれています。
●善通寺 御影堂
・御影堂の中殿 → 父・佐伯善通の館跡に建立
・御影堂の奥殿 → 母・玉依御前の館跡に建立
ということで、弘法大師は玉依御前の館(御影堂の奥殿)で誕生。
●弘法大師の生誕地は海岸寺?
対する海岸寺の由緒では、現在の海岸寺奥の院がある場所で弘法大師は生まれたと書かれています。
さらに海岸寺の由緒には、弘法大師は幼少の頃、母・玉依御前と離れて暮らし、海岸寺本坊にあった別館で勉学に励んでいたと記されています。
そして、毎月14日に十四橋を渡って母・玉依御前に会いに行き、産土神である熊手八幡宮へお詣りに行っていたそうです。
ということで、母と離れて暮らす弘法大師は、仏母院にある玉依御前の屋敷(御住屋敷)と海岸寺を行き来していたみたいです。
どちらの説もツッコミどころがないので困ったものです。
でも、生誕地が2つもあるのは何だか気持ち悪い・・・
ということで、両方の説が成立するように私なりに仮説を立ててみました。
父・佐伯善通と母・玉依御前の館は善通寺の境内にあった。(仮説)
そんなある日、父母の館で弘法大師を身籠る。
当時はお寺で血を流すのはNGということで、 出産をする時は出産用の屋敷を建ててそこで子を産んでいたそうな。
ということで、善通寺の境内では出産できない。
境外で出産しなければならなかった。
そんなこんなで、場所探しをした結果、現在・海岸寺奥の院がある場所に出産用の屋敷を建てることに。
ちなみに海岸寺の奥の院は、唐から帰国した弘法大師が建立。
ということで、出産当時は奥の院がある場所はお寺ではなかったので出産用の屋敷を建てることは可能。(仮説)
そして出産用の屋敷(現・海岸寺奥の院)で弘法大師を出産。
出産後、玉依御前は善通寺には帰らず、御住屋敷(現・仏母院)を建てて弘法大師と暮らした。
その後、玉依御前と弘法大師は離れて暮らすことに。
弘法大師は海岸寺本坊にあった別館に預けられて勉学に励んだ。
そんなある日、父母の館で弘法大師を身籠る。
当時はお寺で血を流すのはNGということで、 出産をする時は出産用の屋敷を建ててそこで子を産んでいたそうな。
ということで、善通寺の境内では出産できない。
境外で出産しなければならなかった。
そんなこんなで、場所探しをした結果、現在・海岸寺奥の院がある場所に出産用の屋敷を建てることに。
ちなみに海岸寺の奥の院は、唐から帰国した弘法大師が建立。
ということで、出産当時は奥の院がある場所はお寺ではなかったので出産用の屋敷を建てることは可能。(仮説)
そして出産用の屋敷(現・海岸寺奥の院)で弘法大師を出産。
出産後、玉依御前は善通寺には帰らず、御住屋敷(現・仏母院)を建てて弘法大師と暮らした。
その後、玉依御前と弘法大師は離れて暮らすことに。
弘法大師は海岸寺本坊にあった別館に預けられて勉学に励んだ。
みたいな感じで、善通寺と海岸寺と御住屋敷(現・仏母院)の由緒をミックスした仮説を立ててみました。
善通寺の境内にあった佐伯善通と玉依御前の館で身籠る(弘法大師誕生)。
出産用の屋敷(現・海岸寺奥の院)で弘法大師を出産(弘法大師誕生)。
身籠るも出産も誕生ということで、善通寺も海岸寺も弘法大師の生誕地!
そして御住屋敷(現・仏母院)もストーリーの中に自然に溶け込むし!
やや強引ですが、どうでしょ?
●海岸寺の参拝記と御朱印情報
海岸寺の御朱印~もう1つの弘法大師生誕地~(香川県仲多度郡多度津町)
所在地香川県仲多度郡多度津町西白方997−1宗 派真言宗醍醐派札 所・四国別格二十霊場 第18番・四国三十六不動霊場 第31番・讃岐十二支霊場 卯歳守護文殊菩薩札所由 緒807年、弘法大師...
御朱印情報
●御朱印の種類
・仏母院の御朱印(大日如来)
●御朱印の受付場所
・納経所(本堂横)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2018年3月26日 参拝
・2021年6月 更新
・仏母院の御朱印(大日如来)
●御朱印の受付場所
・納経所(本堂横)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2018年3月26日 参拝
・2021年6月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR海岸寺駅から徒歩10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR海岸寺駅から徒歩10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり