所在地 | 香川県高松市屋島中町140 |
---|---|
祭 神 | ・東照大神(徳川家康) ・頼重大神(松平頼重) |
由 緒 | 1651年、高松藩主・松平頼重が香川郡宮脇村の本門寿院の境内に東照大権現を祀る神廟を建立して崇敬したのが始まりといいます。以来、山王社として歴代藩主が崇拝したそうです。1815年、高松藩8代藩主・松平頼儀が、屋島山麓に社殿を造営。しかし、1973年に火災で本殿や拝殿などを全焼。その後、1974年に再建し、現在に至ります。 |
鳥居と参道
●鳥居①
屋島の山麓に鎮座しています屋島神社に到着。
屋島ドライブウェイ入口の近くに鎮座しています。
屋島を訪れたのは今回で4回目。
過去3回は超大雨・・・しかし本日は超曇天ですが雨が降ってない!
もうそれだけで幸せ。
●源平ゆかりの地 屋島
屋島といえば源平合戦で有名な地です。
那須与一が扇の的で大活躍したあの戦いです!
一ノ谷の戦いに敗れて屋島に逃れた平家は、屋島の戦いで再び敗れ、壇ノ浦に逃れます。
その後、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡しました。
そんなこんなで、屋島の戦いは平家滅亡に繋がる合戦でした。
●屋島神社 境内図
屋島 = 源平ということで、この神社は源平ゆかりの神社!
というのはウソで、この神社の主役は家康さん!
源平とは全く関係のない神社です(笑)
屋島神社の別名は讃岐東照宮といいます。
全国にある東照宮の1つで、東照大神(東照大権現)を祀る神社です。
●鳥居②
1651年、高松藩初代藩主・松平頼重さんが、香川郡宮脇村の本門寿院の境内に東照大権現の神廟を建立したのが始まりといいます。
その後、1804年に高松藩8代藩主・松平頼儀さんが、現在地に社殿の造営を開始。
左甚五郎の6世にあたる5代目・左利平忠態さんが松平家の客分棟梁となり工事が進められました。
造営費は約14万両。
現在の価値で約70億円!(ひぇっ)
そんなこんなで、家康さんの200年忌にあたる1815年に社殿が完成しました。
●参道
そして時代は明治へ。
明治になって徳川さんを祀る東照宮では都合が悪くなったのか、1871年に冠嶽神社に改称。
そして、1874年に屋島神社に改称。
その後、やっぱ徳川関係いけるかも? となったのか、1882年に高松藩初代藩主・松平頼重さんを合祀しています。
ちなみに、松平頼重さんは水戸黄門で知られる徳川光圀のお兄さんです。
ということで松平頼重さんは、徳川御三家・水戸徳川家の支系というめっちゃ徳川の人です。
70億円もかけて造営したのだから、さぞかし荘厳な境内なのだろう・・・
と思ったら、大間違い!
境内はかなり殺風景・・・です。
実は1973年に失火が原因で社殿が全焼しちゃってるんです・・・70億円が〜。。
でも奇跡的に神門だけは焼失を免れたんだって!
屋島の山麓に鎮座しています屋島神社に到着。
屋島ドライブウェイ入口の近くに鎮座しています。
屋島を訪れたのは今回で4回目。
過去3回は超大雨・・・しかし本日は超曇天ですが雨が降ってない!
もうそれだけで幸せ。
●源平ゆかりの地 屋島
屋島といえば源平合戦で有名な地です。
那須与一が扇の的で大活躍したあの戦いです!
一ノ谷の戦いに敗れて屋島に逃れた平家は、屋島の戦いで再び敗れ、壇ノ浦に逃れます。
その後、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡しました。
そんなこんなで、屋島の戦いは平家滅亡に繋がる合戦でした。
●屋島神社 境内図
屋島 = 源平ということで、この神社は源平ゆかりの神社!
というのはウソで、この神社の主役は家康さん!
源平とは全く関係のない神社です(笑)
屋島神社の別名は讃岐東照宮といいます。
全国にある東照宮の1つで、東照大神(東照大権現)を祀る神社です。
●東照大権現とは?
東照大権現とは徳川家康さんの神号です。
この神号は、家康さんが絶大な信頼を寄せていた天海が決定した神号で、東の国の天照大御神という意味となります。
東照大権現とは徳川家康さんの神号です。
この神号は、家康さんが絶大な信頼を寄せていた天海が決定した神号で、東の国の天照大御神という意味となります。
●鳥居②
1651年、高松藩初代藩主・松平頼重さんが、香川郡宮脇村の本門寿院の境内に東照大権現の神廟を建立したのが始まりといいます。
その後、1804年に高松藩8代藩主・松平頼儀さんが、現在地に社殿の造営を開始。
左甚五郎の6世にあたる5代目・左利平忠態さんが松平家の客分棟梁となり工事が進められました。
造営費は約14万両。
現在の価値で約70億円!(ひぇっ)
そんなこんなで、家康さんの200年忌にあたる1815年に社殿が完成しました。
●参道
そして時代は明治へ。
明治になって徳川さんを祀る東照宮では都合が悪くなったのか、1871年に冠嶽神社に改称。
そして、1874年に屋島神社に改称。
その後、やっぱ徳川関係いけるかも? となったのか、1882年に高松藩初代藩主・松平頼重さんを合祀しています。
ちなみに、松平頼重さんは水戸黄門で知られる徳川光圀のお兄さんです。
ということで松平頼重さんは、徳川御三家・水戸徳川家の支系というめっちゃ徳川の人です。
70億円もかけて造営したのだから、さぞかし荘厳な境内なのだろう・・・
と思ったら、大間違い!
境内はかなり殺風景・・・です。
実は1973年に失火が原因で社殿が全焼しちゃってるんです・・・70億円が〜。。
でも奇跡的に神門だけは焼失を免れたんだって!
神門と拝殿と本殿
●神門
その神門がこちら。
はいドン!
1815年に造営された社殿の中で唯一現存する貴重な遺構です!
東照宮といえば鮮やかな色彩や金の装飾などをあしらったゴージャスな社殿を想像していまいますが、この神門は酸化した装飾金具のおかげでシックな風合いになっていました。
しかし彫刻はなかなか刺激的でした!
この鳳凰は、造営時に松平家の客分棟梁として活躍した左利平忠態さんの作品だといわれています。
ちなみに、左利平忠態さんは左甚五郎の6世といわれています。
ご存知、左甚五郎さんは江戸時代初期に活躍した彫刻家。
日光東照宮の眠り猫など、全国各地に多数の名作を残したお方です。
しかし実在していたかは定かでなく、作品の製作時期も安土桃山~江戸後期の約300年にわたるため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたという説が定説になりつつあります。
簡単にいえば、左甚五郎さんは1人だけではないというわけなんですね。
自称・左甚五郎と名乗る人もいたでしょう。
噂では左甚五郎の子孫を名乗る人もいたともいわれています。
自称・左甚五郎の子孫となると、もうワケわかんなくなっちゃいます!(笑)
ちなみに、屋島神社の隣にある四国村には左甚五郎さんのお墓があるという!
本物か!?
自称か!?
私はあらゆるものを全肯定して生きていきたい人なので、左甚五郎さんの存在も信じていますし、このお墓も左甚五郎さんのお墓だと信じています(笑)←笑うな。笑うとウソっぽくなる!
●拝殿と本殿
そんなこんなで建物鑑賞・・・と言いたいところですが、悲しいかな、どの角度から見ても屋根しか見えないという!
ちなみに拝殿と本殿は1974年に再建されたもののようです。
その神門がこちら。
はいドン!
1815年に造営された社殿の中で唯一現存する貴重な遺構です!
東照宮といえば鮮やかな色彩や金の装飾などをあしらったゴージャスな社殿を想像していまいますが、この神門は酸化した装飾金具のおかげでシックな風合いになっていました。
しかし彫刻はなかなか刺激的でした!
この鳳凰は、造営時に松平家の客分棟梁として活躍した左利平忠態さんの作品だといわれています。
ちなみに、左利平忠態さんは左甚五郎の6世といわれています。
ご存知、左甚五郎さんは江戸時代初期に活躍した彫刻家。
日光東照宮の眠り猫など、全国各地に多数の名作を残したお方です。
しかし実在していたかは定かでなく、作品の製作時期も安土桃山~江戸後期の約300年にわたるため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたという説が定説になりつつあります。
簡単にいえば、左甚五郎さんは1人だけではないというわけなんですね。
自称・左甚五郎と名乗る人もいたでしょう。
噂では左甚五郎の子孫を名乗る人もいたともいわれています。
自称・左甚五郎の子孫となると、もうワケわかんなくなっちゃいます!(笑)
ちなみに、屋島神社の隣にある四国村には左甚五郎さんのお墓があるという!
本物か!?
自称か!?
私はあらゆるものを全肯定して生きていきたい人なので、左甚五郎さんの存在も信じていますし、このお墓も左甚五郎さんのお墓だと信じています(笑)←笑うな。笑うとウソっぽくなる!
●拝殿と本殿
そんなこんなで建物鑑賞・・・と言いたいところですが、悲しいかな、どの角度から見ても屋根しか見えないという!
ちなみに拝殿と本殿は1974年に再建されたもののようです。
その他の見どころ
●石灯籠
そういえば、神門前に変わった石灯籠がありました。
なんと火袋に宝珠型の穴があいてるんです!
グッドデザインですね。
●神庫
あと境内には、やたらと背の高い1階建て神庫がありました。
大きな御神輿でも格納しているのでしょうか?
●境内からの景色
境内から屋島駅方面を望む。
晴れていればきっと解放的な景色を望むことができるのでしょうが・・・どれもこれも眠たくなるような写真ばかりでスミマセン。
余計なお世話かも知れませんが、階段は見た目以上に急ですので、下りる際はお気をつけてください。
特に雨の日は・・・(ズッコケた経験あり)
そういえば、神門前に変わった石灯籠がありました。
なんと火袋に宝珠型の穴があいてるんです!
グッドデザインですね。
●神庫
あと境内には、やたらと背の高い1階建て神庫がありました。
大きな御神輿でも格納しているのでしょうか?
●境内からの景色
境内から屋島駅方面を望む。
晴れていればきっと解放的な景色を望むことができるのでしょうが・・・どれもこれも眠たくなるような写真ばかりでスミマセン。
余計なお世話かも知れませんが、階段は見た目以上に急ですので、下りる際はお気をつけてください。
特に雨の日は・・・(ズッコケた経験あり)
四国村
●四国村
屋島神社の入口付近には四国村があります。
四国村とは、江戸時代~明治時代建立の民家などが多数移築復元されている古建築のテーマパークです。
どうにもこうにも古建築フェチにはたまんないスポットとなっております。
そんなこんなでチケットを購入していざ入村。
まずは祖谷のかずら橋を模した橋からスタート!
高さは1m未満なので落ちても大丈夫・・・(多分)。
高い所が苦手な私もニコニコでした。
園内はとっても広いです!
受付の方の説明によると普通に歩いて1時間半とのことです。
私は約3時間滞在していました・・・!
●旧河野家住宅と久米通賢先生旧宅
●旧河野家住宅(写真左)
・江戸時代後期建立
・茅葺 入母屋造
・国指定重要文化財
●久米通賢先生旧宅(写真右)
・江戸時代後期建立
・茅葺 寄棟造
・四方大蓋造
建物の四方に瓦葺の庇があるのが特徴的でした。
このような造りのことを四方大蓋造と呼ぶんだって。
四方大蓋造は、香川・徳島県特有の建物らしいですよ。
●砂糖しめ小屋
●砂糖しめ小屋
・1872年建立
・茅葺 円形の土壁
こちらは砂糖しめ小屋という建物らしいです。
なんと香川県内に2棟だけ残っていた貴重な建物だという!
円形の土壁と茅葺屋根・・・こんな建物は初めて拝見しましたよ!
砂糖しめとは、サトウキビの汁を絞るという意味なんだって。
香川県は江戸時代から讃岐三白として知られ、砂糖・塩・綿の生産が盛んだったそうです。
どうやら、牛がグルグル回って臼を回すみたいです。
だから円形の建物なのかっ!
ほんでもって、回転する臼の間にサトウキビを入れて汁を絞っていたんだって。
勉強になります!
●楮蒸し小屋
●楮蒸し小屋
・昭和時代初期建立
・茅葺 寄棟造
こちらは土佐紙の原料である楮や三椏を蒸すための小屋なんだって。
楮も三椏も読めない!
・楮 → こうぞ
・三椏 → みつまた
と読むそうです。
どちらも和紙の原料なんだって。
楮蒸し小屋の中には巨大な装置がありました!
この装置で楮や三椏を蒸すみたいです。
ちなみに屋根も壁もオール茅葺!
●旧大久野島燈台
●旧大久野島燈台
・1893年建立
・高さ 5.1m
もともとこの灯台は大久野島(広島)にあったもののようです。
1992年に役目を終えた後、この地に移築したんだって。
ひねりをきかせた螺旋階段が面白かったです。
●燈台退息所
続いて、燈台退息所へ。
旧江埼燈台退息所と旧鍋島燈台退息所と旧クダコ島燈台退息所が3棟横並びで建っていました。
このように四国村は和風建築ばかりではなく洋風の古建築もあったりします。
ちなみに外人さんの観光客が多かったのですが、外人さんが1番テンションが上がっていたのはチューリップ!
そこーーー!?!?(笑)
●旧クダコ島燈台退息所
●旧クダコ島燈台退息所
・1902年建立
燈台退息所とは灯台を管理していた人の住宅なんだって。
洋と和が見事に合体した和洋折衷の建造物でした。
●四国村ギャラリー
●四国村ギャラリー
・2002年建立
・設計者 安藤忠雄
なんと現代建築の美術館まであったりします!
なんと設計者は安藤忠雄さん!
まさかこんなところで忠雄さんの作品に出会えるとは!
何気に忠雄さんのファンなのでニコニコが止まりませんでした!
館内では、仏像や絵画や青銅器などが拝観できました。
まさか仏像鑑賞ができるとは!
そんなこんなで、想定外だらけのひと時でした。
その他、石造アーチ橋や農村歌舞伎舞台や小豆島の石蔵や消防屯所や茶堂・遊庵や左甚五郎のお墓などがありましたが、全てを紹介するとキリがないので今日はこの辺で!
屋島神社の入口付近には四国村があります。
四国村とは、江戸時代~明治時代建立の民家などが多数移築復元されている古建築のテーマパークです。
どうにもこうにも古建築フェチにはたまんないスポットとなっております。
そんなこんなでチケットを購入していざ入村。
まずは祖谷のかずら橋を模した橋からスタート!
高さは1m未満なので落ちても大丈夫・・・(多分)。
高い所が苦手な私もニコニコでした。
園内はとっても広いです!
受付の方の説明によると普通に歩いて1時間半とのことです。
私は約3時間滞在していました・・・!
●旧河野家住宅と久米通賢先生旧宅
●旧河野家住宅(写真左)
・江戸時代後期建立
・茅葺 入母屋造
・国指定重要文化財
●久米通賢先生旧宅(写真右)
・江戸時代後期建立
・茅葺 寄棟造
・四方大蓋造
建物の四方に瓦葺の庇があるのが特徴的でした。
このような造りのことを四方大蓋造と呼ぶんだって。
四方大蓋造は、香川・徳島県特有の建物らしいですよ。
●砂糖しめ小屋
●砂糖しめ小屋
・1872年建立
・茅葺 円形の土壁
こちらは砂糖しめ小屋という建物らしいです。
なんと香川県内に2棟だけ残っていた貴重な建物だという!
円形の土壁と茅葺屋根・・・こんな建物は初めて拝見しましたよ!
砂糖しめとは、サトウキビの汁を絞るという意味なんだって。
香川県は江戸時代から讃岐三白として知られ、砂糖・塩・綿の生産が盛んだったそうです。
どうやら、牛がグルグル回って臼を回すみたいです。
だから円形の建物なのかっ!
ほんでもって、回転する臼の間にサトウキビを入れて汁を絞っていたんだって。
勉強になります!
●楮蒸し小屋
●楮蒸し小屋
・昭和時代初期建立
・茅葺 寄棟造
こちらは土佐紙の原料である楮や三椏を蒸すための小屋なんだって。
楮も三椏も読めない!
・楮 → こうぞ
・三椏 → みつまた
と読むそうです。
どちらも和紙の原料なんだって。
楮蒸し小屋の中には巨大な装置がありました!
この装置で楮や三椏を蒸すみたいです。
ちなみに屋根も壁もオール茅葺!
●旧大久野島燈台
●旧大久野島燈台
・1893年建立
・高さ 5.1m
もともとこの灯台は大久野島(広島)にあったもののようです。
1992年に役目を終えた後、この地に移築したんだって。
ひねりをきかせた螺旋階段が面白かったです。
●燈台退息所
続いて、燈台退息所へ。
旧江埼燈台退息所と旧鍋島燈台退息所と旧クダコ島燈台退息所が3棟横並びで建っていました。
このように四国村は和風建築ばかりではなく洋風の古建築もあったりします。
ちなみに外人さんの観光客が多かったのですが、外人さんが1番テンションが上がっていたのはチューリップ!
そこーーー!?!?(笑)
●旧クダコ島燈台退息所
●旧クダコ島燈台退息所
・1902年建立
燈台退息所とは灯台を管理していた人の住宅なんだって。
洋と和が見事に合体した和洋折衷の建造物でした。
●四国村ギャラリー
●四国村ギャラリー
・2002年建立
・設計者 安藤忠雄
なんと現代建築の美術館まであったりします!
なんと設計者は安藤忠雄さん!
まさかこんなところで忠雄さんの作品に出会えるとは!
何気に忠雄さんのファンなのでニコニコが止まりませんでした!
館内では、仏像や絵画や青銅器などが拝観できました。
まさか仏像鑑賞ができるとは!
そんなこんなで、想定外だらけのひと時でした。
その他、石造アーチ橋や農村歌舞伎舞台や小豆島の石蔵や消防屯所や茶堂・遊庵や左甚五郎のお墓などがありましたが、全てを紹介するとキリがないので今日はこの辺で!
御朱印情報
この神社は3回目の参拝となりますが、3回とも社務所が閉まっていました!
ということで御朱印はいまだ未拝受です。
ネットの情報によると、不在にしていることが多いそうなので、どうしても御朱印を頂きたい方は事前連絡をして伺った方がいいかも知れません。
●御朱印の種類
・屋島神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年6月19日 参拝
・2014年5月26日 再訪
・2018年4月7日 再訪
・2021年6月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR屋島駅から徒歩15分
JR屋島駅から車で5分
・ことでん屋島駅から徒歩10分
●最寄りのバス停
・屋島山上シャトルバス
JR屋島駅から四国村・屋島山上 行き
バス停 四国村で下車 徒歩すぐ
●最寄りのIC
・高松自動車道
高松中央ICから約15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(50台)