和霊神社の御朱印~坂本龍馬の守護神。無念の死を遂げた山家清兵衛を祀る。~(愛媛県宇和島市)

所在地愛媛県宇和島市和霊町1451
祭 神山家清兵衛公頼命
由 緒1615年、伊達政宗の長男・秀宗が宇和島10万石の藩主となった際、伊達秀宗とともに仙台藩からやってきた山家清兵衛を祀った神社といわれています。 山家清兵衛は、民政と財政面に優れており、民政の安定に手腕を発揮しましたが、一部の藩士から恨みをかい、1620年に暗殺されました。その後、清兵衛惨殺事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、人々は清兵衛の怨霊だと恐れ、その霊を城北の地に祀ったのが和霊神社の始まりといわれています。
HP和霊神社 伊豫の国 宇和島鎮座
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鳥居と太鼓橋と神門

●鳥居と太鼓橋

JR宇和島駅から徒歩15分。
鎌江城跡に鎮座しています和霊神社に到着。

和霊神社と書いてわれい神社と読みます。

先ほど参拝した愛南八幡神社で出会ったお爺ちゃんに教えてもらった神社です。

お爺ちゃんいわく『南予地方で1番大きな神社』とのことです。

和霊神社は、四国・中国地方を中心に各地にあります。

その総本社がこの宇和島・和霊神社とのこと!

お爺ちゃんに出会わなければ、きっと気づかなかったであろう和霊神社。
お爺ちゃんと和霊神社との縁に感謝です。

そんなこんなで、参拝開始。


●鳥居

●鳥居
・1938年建立
・明神鳥居
・高さ 約12m

まず最初にお出迎えしてくれたのは高さ12m以上もある石鳥居

なんとこの鳥居は石造りとしては日本一大きい鳥居なんだって!

正直、これより大きい鳥居を見たことがありますが、そこはツッコまずに楽しむとしましょう!


●御幸橋(太鼓橋)

そんなこんなで、鳥居をくぐると須賀川に架かる太鼓橋に突入。

この太鼓橋は宇和島空襲の際、奇跡的に崩壊を免れた橋なんだって。

階段や欄干の一部に崩落した部分がありましたので、おそらくそれが空襲の爪痕だと思われます。

そんなこんなで、こちらの太鼓橋は戦争の傷跡を今に伝えている貴重な遺構となっております。


●神門

●神門
・1957年再建(?)
・銅板葺 五間五戸 唐破風付き切妻造
・鉄筋コンクリート造

太鼓橋を渡るとRⅭ造の立派な神門が登場。

それにしても五間五戸とはなかなか珍しい門ですね!

由緒によると、この神社は1945年の空襲で焼失してしまったそうです。

その後、1957年に社殿を再建したと書いてありましたので、もしかしたらこの神門はそのときに再建されたものかも知れません(推測)


そんなことより、神門には天狗とオタフクのお面が掲げられていました。

どうやら、こちらは日本一の鼻高面日本一の於多福面というものらしいです。

天狗だと思っていたそれは、天狗ではなく鼻高というお方でした!

ちなみに日本一の鼻高面とは、日本一の良い男という意味らしいですよ。
つまり私のことです(調子乗るなっ)

そして日本一の於多福面とは、日本一幸せを呼ぶ福の神なんだとか。

それにしても鼻高面・・・藤子不二雄アニメに登場する小池さんみたいな髪型だなぁ。
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拝殿と本殿

●拝殿

●拝殿
・1957年再建
・銅板葺
・軒唐破風付き妻入り入母屋造


●本殿

●本殿
・1957年再建
・銅板葺 流造

●主祭神
・山家清兵衛公頼命(通称・清兵衛)

●配祀神
・山家治郎命(清兵衛の次男)
・山家丹治命(清兵衛の三男)
・山家美濃命(清兵衛の四男)
・塩谷内匠命(清兵衛の家従)
・塩谷帯刀命(塩谷内匠の長男)
・塩谷勘太郎命(塩谷内匠の次男)

そんなこんなで、神前にて参拝。

どうやら、この神社には山家清兵衛というお方と、その息子たちなどが祀られている模様。

・・・て、山家清兵衛さんって誰だぃ???
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山家公頼(清兵衛)と和霊騒動

●山家公頼(清兵衛)とは?

山家清兵衛は伊達政宗家臣でした。

1615年、伊達政宗の長男・伊達秀宗が、宇和郡10万石に封じられ、宇和島に入ることになりました。

その際、伊達政宗は家臣の中で力量手腕に優れた山家清兵衛総奉行として宇和島藩の藩政を任せました。

そんなこんなで、伊達秀宗に従って宇和島に入った清兵衛は、宇和島藩の家老として藩政を支えることになりました。

伊達秀宗が入国するまでの宇和島は、領主の悪政により疲弊していたといいます。

そこで清兵衛は、租税の軽減産業の振興を行って藩の財政を立て直すことにしました。

清兵衛は藩政の立て直しに力を発揮し、宇和島藩は少しずつ豊かになっていきました。

しかし1619年、幕府から大坂城の石垣工事をするようにと命が下りました。
工事費用は全て宇和島藩が負担しなければいけないということで、再び宇和島藩の財政はピンチに陥ることになります。。

ようやく藩の財政が落ち着きかけたのに・・・この出費は頭の痛いものでした。

そんなこんなで、大坂城の石垣工事を任されたのは清兵衛と桜田玄藩。

しかし、石垣工事のやり方を巡って2人は対立してしまったという。

そして清兵衛の手腕をうとましく思う者も出てきました。

結果、和霊騒動(宇和島伊達騒動)と呼ばれる事件が起こるのでありました。


●和霊騒動と和霊神社

1620年、藩主・秀宗は清兵衛を嫉妬する藩士による讒言を信じてしまい、清兵衛は息子らとともに殺害されてしまったという!

その後、清兵衛殺害に関与した者が落雷・海難などにより次々と変死するという異変がおこりました。

これは清兵衛の祟りかも知れない・・・きっと秀宗は怯えていたことでしょう。

その後、清兵衛の無実が判明したことにより、1653年に秀宗は清兵衛を祀る山頼和霊神社を創建しました。

それが、和霊神社の始まりといいます。

その後、参拝者が増えて境内が手狭になったため、社地を向山に遷座。

次いで森安へと遷座しました。

さらに1731年に宇和島藩4代藩主・伊達村年が鎌江城跡の一角に遷座。

そして1735年に現在地に遷座したそうです。

ということで、この神社は無念の死を遂げた清兵衛の御霊を鎮めるための神社のようです。

神社創建の経緯は、無念の死を遂げた菅原道真さんや崇徳天皇などと似ています。

ということでこの和霊神社は、天満宮や白峯宮や御霊神社などと同類の神社なんですね。

ちなみに、清兵衛は日頃からこのような事態が起きることを予想しており、事件当日も用心しながら蚊帳の中で親子3人枕を並べて寝ていたそうです。

しかし暗殺者たちは、まず蚊帳の四隅を切り落としたという。
そして、清兵衛はまるで網にかかった獲物のごとく蚊帳の中であがき、刺し殺されました。

もちろん一緒にいた次男と三男も惨殺。

まるで網漁・・・
用心していたわりには・・・って感じですがm(_ _)m

一説によると、清兵衛は殺害された後、蚊帳にくるまれたまま海に投げ捨てられたとか・・・。


さらにこんな話しもあります。

事件当日、奥女中と別室に寝ていた四男は、難を逃れるために隣の家に逃げ込んだといわれています。

しかし、あとあと面倒臭いことになることを嫌った隣人は、奥女中と四男を投げ返したという。
そして井戸に落ちて死んだという・・・。

もうメチャクチャだぁ。

生前、清兵衛は領民から生き神と称されて慕われていたそうです。

そんなお方を殺すなんて・・・ジェラシーって怖い怖い。
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和霊神社と坂本龍馬

●坂本龍馬脱藩140年記念の木柱

そんなこんなで参拝後、境内を散策していたら坂本龍馬脱藩140年記念と書かれた木柱を発見!

この木柱を発見した瞬間、脳内の奥の奥で眠っていた引き出しが開かれました!

坂本龍馬 → 和霊神社 →脱藩!

そうだった!
和霊神社は坂本龍馬ゆかりの神社だった!

そんなことを今更思い出すとは!

思い出したことも奇跡だけど、ここまで思い出さなかったことも奇跡です!


1862年、坂本龍馬は土佐藩を脱藩する日に『神田の桜を見に行く』と言って家を出て行ったという。

神田には龍馬の先祖・坂本直益が建立した和霊神社がありました。

その和霊神社は、1762年に直益が坂本家の守護神として宇和島の和霊神社から勧請した神社といわれています。

一説によると、直益は山家清兵衛の詠歌『山家初冬』にえらく感動し、守護神を和霊神社にしたといわれています。

●山家初冬

やまざとは
きのうのあきのいろもなく
しぐれもよおす
そらぞさびしき

山家清兵衛作

秀宗と私(清兵衛)の関係は、秋の山のモミジのように真っ赤で華やかな関係だったのに、どうして今は寂しい関係になってしまったのだろう・・・

という意味だそうです。

泣けますねぇ。。


~画像は高知市神田の和霊神社~

そんなこんなで、『神田の桜を見に行く』と言って家を出て行った龍馬は、坂本家の守護神である和霊神社を参拝したといいます。

そして水杯を交わして沢村惣之丞とともに伊予長浜を目指したという。

そんなこんなで、日本の夜明けは和霊神社(高知県神田)からスタートしたということなんですね!

その後の活躍はご存知の通り!

しかし気になるのは死に方・・・

龍馬さんも、清兵衛さんと同じように無念の死を遂げているという・・・

ちなみに、高知県神田の和霊神社では、毎年3月下旬に脱藩祭が行われるそうですよ。


その他、境内には絵馬のトンネルがありました。

何だか子供心をくすぶるメルヘンチックな風景。

いやはや、素敵な神社でした~。
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宇和島城

●宇和島城

そんなこんなで参拝後、宇和島城を観光してきました。

宇和島城は現存12天守の1つということで少々ウキウキ度が高めの散策となりました。


●宇和島城 天守
・1671年建立
・独立式層塔型 3重3階
・国指定重要文化財
・国指定史跡
・現存12天守の1つ

宇和島城が築城されたのは1601年。
築城の名手・藤堂高虎によって築城されました。

その後、藤堂高虎は今治に転封。

そして、1615年に奥州仙台藩主・伊達政宗の長男・秀宗が宇和郡10万石に移封となり、宇和島城に入城。

宇和島藩2代藩主・宗利が城郭の大修理を行い、1671年に現在の天守を建立しました。


現在の天守は伊達氏によるものですが、縄張は高虎が築いたものを活用しているみたいです。

現在はお堀が埋め立てられて昔の面影はありませんが、築城当時はお城の東側に海水を引き込んだ水堀があったそうで、西側半分が海に接している海城(水城)だったそうですよ。

いやはや、束の間の殿様気分。
素敵な時間を過ごすことができました~。

御朱印情報

●御朱印の種類
・和霊神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・社務所(授与所)

●御朱印の受付時間
・不明

●御朱印の料金
・300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2010年5月1日 参拝
・2021年7月 更新
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参拝情報とアクセス

●開門時間
・不明

●拝観料
・無料

●最寄りの駅
・JR宇和島駅から徒歩15分
・JR宇和島駅から車で5分

●最寄りのバス停
・宇和島駅前から乗車
 バス停 和霊大橋元で下車 徒歩4分

・宇和島駅前から乗車
 バス停 和霊元町で下車 徒歩7分

・宇和島バスセンターから乗車
 バス停 和霊神社前で下車 徒歩1分

・宇和島バスセンターから乗車
 バス停 和霊神苑前で下車 徒歩3分

●最寄りのIC
・宇和島道路
 宇和島朝日ICから車で2分

●駐車場
・無料の専用駐車場あり(60台)

和霊神社の地図

 

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