所在地 | 徳島県板野郡板野町林東5 |
---|---|
宗 派 | 真言宗御室派 |
札 所 | ・四国八十八ヶ所 第5番 ・阿波西国三十三観音霊場(東部)第24番 |
前後札所 | ・前 → 第4番札所・大日寺 ・後 → 第6番札所・安楽寺 |
本 尊 | ・地蔵菩薩(延命地蔵) ・胎内仏 勝軍地蔵菩薩 |
真 言 | おん かかかび さんまえい そわか |
由 緒 | 821年、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が創建。空海が自ら刻んだ勝軍地蔵菩薩は甲冑をまとい軍馬にまたがった勇ましい姿で、源頼朝・源義経・蜂須賀家など武将からの信仰が厚かったといいます。最盛期には、300の末寺と26の塔頭を持つ大寺院に発展。しかし、1573~1592年に長宗我部元親の兵火に遭い焼失。その後、江戸時代に徳島藩主・蜂須賀氏が再建したそうです。しかし、1915年に五百羅漢を安置する羅漢堂が焼失。その後、1922年に羅漢堂を再建し現在に至ります。 |
HP | 無尽山 荘厳院 地蔵寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
地蔵寺とは?
四国八十八ヶ所の第5番札所であります地蔵寺に到着。
第4番札所・大日寺から2km。
徒歩25分。
車で4分のところに位置しています。
この地蔵寺は、地元の方々から通称・羅漢さんと呼ばれて親しまれているそうですよ。
地蔵寺なのに羅漢さん!?!?
その答えは後ほど!
●地蔵寺とは?
821年、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が勝軍地蔵菩薩を刻み、本尊として開創したのがこのお寺の始まりといいます。
その勝軍地蔵菩薩は像高約5.5cmで、甲冑を身にまとい馬にまたがった姿をしているという。
その後、887〜897年に紀州熊野権現の導師・浄函上人が、熊野権現の託宣によって霊木に約80cmの延命地蔵菩薩を刻み、勝軍地蔵菩薩を胎内に納めたという。
それが現在の本尊といわれています。
嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇の3代にわたって天皇からの帰依が厚く、また勝軍地蔵菩薩を御本尊とすることから源頼朝・源義経・三好氏・蜂須賀家など、武将からの信仰も厚かったといいます。
最盛期には300の末寺と26の塔頭を持つ大寺院に発展したんだって。
しかし、1573~1592年に長宗我部元親の兵火に遭い全てを焼失。
その後、江戸時代に徳島藩主・蜂須賀氏の庇護を受け、歴代住職や信者の尽力により再興。
しかし、1915年に五百羅漢を安置する羅漢堂が焼失。
その後、1922年に羅漢堂を再建し現在に至ります。
821年、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が勝軍地蔵菩薩を刻み、本尊として開創したのがこのお寺の始まりといいます。
その勝軍地蔵菩薩は像高約5.5cmで、甲冑を身にまとい馬にまたがった姿をしているという。
その後、887〜897年に紀州熊野権現の導師・浄函上人が、熊野権現の託宣によって霊木に約80cmの延命地蔵菩薩を刻み、勝軍地蔵菩薩を胎内に納めたという。
それが現在の本尊といわれています。
嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇の3代にわたって天皇からの帰依が厚く、また勝軍地蔵菩薩を御本尊とすることから源頼朝・源義経・三好氏・蜂須賀家など、武将からの信仰も厚かったといいます。
最盛期には300の末寺と26の塔頭を持つ大寺院に発展したんだって。
しかし、1573~1592年に長宗我部元親の兵火に遭い全てを焼失。
その後、江戸時代に徳島藩主・蜂須賀氏の庇護を受け、歴代住職や信者の尽力により再興。
しかし、1915年に五百羅漢を安置する羅漢堂が焼失。
その後、1922年に羅漢堂を再建し現在に至ります。
そんなこんなで、参拝開始。
二天門と手水舎と鐘楼
●二天門
●二天門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 切妻造
まず最初に登場するのは山門。
一瞬、仁王門かなぁ〜と思いましたが、正解は二天門でした。
そんなこんなで、二天像にご挨拶。
四天王像の見分け方は特に決まりがないため、ちょっとややこしいです。
●一般的な四天王の持ち物
・持国天 → 戟・剣・刀・金剛杵など
・増長天 → 戟・剣・刀・金剛杵など
・広目天 → 筆・巻物・戟・槍など
・多聞天 → 宝塔・戟など
広目天と多聞天は、筆・巻物・宝塔といったオリジナルアイテムを持っているのでわかりやすいです。
しかし、オリジナルアイテムを持っていない場合があるので、そのときはお手上げです。
このお寺の二天像は剣と金剛杵を持っているので、持国天と増長天で間違いなさそうです。
しかし、ここからが難しい・・・
持国天と増長天には明確な違いの基準がないのです。
このようにお互いの共通アイテムを持たれると、もぅお手上げです。
しかし、これまで見てきた二天像では、剣を持っているのは持国天が多いような気がします(当社比)
ということで
・左 → 増長天
・右 → 持国天
と勝手に決めました!(笑)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、二天門をくぐって手水舎でお清め。
丸みを帯びた屋根が可愛かったです。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊とお大師さまにご挨拶。
可愛い手水舎とは対照的に、鐘楼はとてもシャープな造りになっていました。
●二天門
・建立年不明
・瓦葺 三間一戸 切妻造
まず最初に登場するのは山門。
一瞬、仁王門かなぁ〜と思いましたが、正解は二天門でした。
そんなこんなで、二天像にご挨拶。
四天王像の見分け方は特に決まりがないため、ちょっとややこしいです。
●一般的な四天王の持ち物
・持国天 → 戟・剣・刀・金剛杵など
・増長天 → 戟・剣・刀・金剛杵など
・広目天 → 筆・巻物・戟・槍など
・多聞天 → 宝塔・戟など
広目天と多聞天は、筆・巻物・宝塔といったオリジナルアイテムを持っているのでわかりやすいです。
しかし、オリジナルアイテムを持っていない場合があるので、そのときはお手上げです。
このお寺の二天像は剣と金剛杵を持っているので、持国天と増長天で間違いなさそうです。
しかし、ここからが難しい・・・
持国天と増長天には明確な違いの基準がないのです。
このようにお互いの共通アイテムを持たれると、もぅお手上げです。
しかし、これまで見てきた二天像では、剣を持っているのは持国天が多いような気がします(当社比)
ということで
・左 → 増長天
・右 → 持国天
と勝手に決めました!(笑)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、二天門をくぐって手水舎でお清め。
丸みを帯びた屋根が可愛かったです。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
御本尊とお大師さまにご挨拶。
可愛い手水舎とは対照的に、鐘楼はとてもシャープな造りになっていました。
本堂と不動堂と大師堂
●本堂
●本堂(左)
・1711〜1716年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 地蔵菩薩(延命地蔵)
胎内仏の勝軍地蔵菩薩
・国の登録有形文化財
●不動堂(右)
・1751〜1830年建立
・瓦葺 切妻造
・本尊 不動明王
・脇仏 如意輪観音
八臂弁財天
・国の登録有形文化財
本堂は不動堂と合体した造りになっていました。
●御本尊
・地蔵菩薩(延命地蔵)
・胎内仏の勝軍地蔵菩薩
●真言
・おん かかかび さんまえい そわか
本尊・地蔵菩薩の胎内に納められた勝軍地蔵菩薩は弘法大師作といわれ、甲冑を身に着けて軍馬に乗った勇ましいお姿だという。
是非とも拝見したいところですが、残念ながら秘仏となっておりました。
しかし堂内には胎内仏を模した勝軍地蔵菩薩のお前立ちがおられましたので、そちらを拝見しつつ胎内仏のお姿を想像してきました。
ちなみに四国八十八ヶ所で、勝軍地蔵菩薩を御本尊としているのはこのお寺だけだそうです。
って、当然といえば当然ですが・・・!
そんなこんなで、本堂を観察。
妻飾りには結構デカめの力士(?)邪鬼(?)がおられました。
●大師堂
●大師堂
・1711〜1716年建立
・1830〜1868年改修
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・本尊 弘法大師
・国の登録有形文化財
続いて、大師堂で参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
それにしてもカラフルなお堂でした。
じっくりと観察したいところですが、そうはいかない。
ナメ回すように観察していると、続々と押し寄せてくるお遍路さんの邪魔になってしまう!
ということで遠目で観察・・・目が悪いからよく見えない(笑)
そんなことより、さすがに5番札所までくると、この独特な雰囲気にも慣れてきました。
いいぞ、俺!
●本堂(左)
・1711〜1716年建立
・瓦葺 入母屋造
・本尊 地蔵菩薩(延命地蔵)
胎内仏の勝軍地蔵菩薩
・国の登録有形文化財
●不動堂(右)
・1751〜1830年建立
・瓦葺 切妻造
・本尊 不動明王
・脇仏 如意輪観音
八臂弁財天
・国の登録有形文化財
本堂は不動堂と合体した造りになっていました。
●御本尊
・地蔵菩薩(延命地蔵)
・胎内仏の勝軍地蔵菩薩
●真言
・おん かかかび さんまえい そわか
本尊・地蔵菩薩の胎内に納められた勝軍地蔵菩薩は弘法大師作といわれ、甲冑を身に着けて軍馬に乗った勇ましいお姿だという。
是非とも拝見したいところですが、残念ながら秘仏となっておりました。
しかし堂内には胎内仏を模した勝軍地蔵菩薩のお前立ちがおられましたので、そちらを拝見しつつ胎内仏のお姿を想像してきました。
ちなみに四国八十八ヶ所で、勝軍地蔵菩薩を御本尊としているのはこのお寺だけだそうです。
って、当然といえば当然ですが・・・!
そんなこんなで、本堂を観察。
妻飾りには結構デカめの力士(?)邪鬼(?)がおられました。
●大師堂
●大師堂
・1711〜1716年建立
・1830〜1868年改修
・瓦葺 唐破風向拝付き入母屋造
・本尊 弘法大師
・国の登録有形文化財
続いて、大師堂で参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
それにしてもカラフルなお堂でした。
じっくりと観察したいところですが、そうはいかない。
ナメ回すように観察していると、続々と押し寄せてくるお遍路さんの邪魔になってしまう!
ということで遠目で観察・・・目が悪いからよく見えない(笑)
そんなことより、さすがに5番札所までくると、この独特な雰囲気にも慣れてきました。
いいぞ、俺!
たらちね銀杏と経蔵
●たらちね銀杏
●たらちね銀杏
・樹齢800年以上
境内には大きな銀杏の木がそびえ立っていました。
なんと、この銀杏は弘法大師のお手植えだという!
樹齢は800年以上!
って、あれ?
お大師さまが生きた時代と合わない!
・・・
・・・・・
でも、800年以上ですから(笑)
樹齢1200年の可能性もあります!
(苦しい)
●経蔵
●経蔵
・1810年建立
・瓦葺 寄棟造
・漆喰壁 土蔵
・国の登録有形文化財
その他、境内には江戸時代後期に建立された経蔵がありました。
●たらちね銀杏
・樹齢800年以上
境内には大きな銀杏の木がそびえ立っていました。
なんと、この銀杏は弘法大師のお手植えだという!
樹齢は800年以上!
って、あれ?
お大師さまが生きた時代と合わない!
・・・
・・・・・
でも、800年以上ですから(笑)
樹齢1200年の可能性もあります!
(苦しい)
●経蔵
●経蔵
・1810年建立
・瓦葺 寄棟造
・漆喰壁 土蔵
・国の登録有形文化財
その他、境内には江戸時代後期に建立された経蔵がありました。
奥の院 五百羅漢堂
●奥の院・五百羅漢堂
そんなこんなで参拝後、本堂から徒歩5分のところにある奥の院・五百羅漢堂へ向かいました。
●五百羅漢堂の手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
五百羅漢堂の手水舎には、たくさんのお地蔵さんがおられました。
地蔵寺というだけのことはある。
あとリアルな井戸もありました。
覗いてみたのですが、ちょっと不気味でした・・・。
ちなみに手水鉢は1775年の奉納でした。
そんなこんなで
はいドン!
五百羅漢堂に到着!
ということで、冒頭の答え。
↓
地蔵寺なのに通称・羅漢さんと呼ばれているのは、この五百羅漢堂が由来でした!^^
●五百羅漢堂
・左 → 弥勒堂
・中 → 釈迦堂
・右 → 大師堂
カクカクな写真でスミマセン。
当時は手持ちのカメラにパノラマ機能が付いていなかったため、4枚の写真を繋ぎ合わせてパノラマごっこをしていました(懐かしい)
※ 2009年10月10日撮影
●五百羅漢堂
・1922年再建
・国の登録有形文化財
・弥勒堂(左)
瓦葺 宝形造
・釈迦堂(中)
瓦葺 宝形造
・大師堂(右)
瓦葺 寄棟造
どうやら、釈迦堂・弥勒堂・大師堂の3つのお堂を総称して五百羅漢堂と呼ぶみたいです。
五百羅漢堂は釈迦堂を中心に、回廊で弥勒堂と大師堂をコの字型に繋いでいました。
もともとここには1775年建立の五百羅漢堂があったそうですが、1915年に参拝者の失火により焼失。
その後、1922年に再建したのが現在の五百羅漢堂のようです。
五百羅漢堂という名の通り、堂内には五百羅漢さんがおられました。
しかし実際は200体ほどしかいないみたいです。
おそらく焼失前は500体の羅漢さんがおられたのでしょう(推測)
ちなみに木造で彩色のある羅漢像は全国的に珍しく、規模は日本最大級といわれています。
羅漢像以外に、釈迦如来坐像・弘法大師像、そして天井に龍がいたりもしました。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
そんなこんなで、参拝終了。
第6番札所・安楽寺へ続く。
そんなこんなで参拝後、本堂から徒歩5分のところにある奥の院・五百羅漢堂へ向かいました。
●五百羅漢堂の手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
五百羅漢堂の手水舎には、たくさんのお地蔵さんがおられました。
地蔵寺というだけのことはある。
あとリアルな井戸もありました。
覗いてみたのですが、ちょっと不気味でした・・・。
ちなみに手水鉢は1775年の奉納でした。
そんなこんなで
はいドン!
五百羅漢堂に到着!
ということで、冒頭の答え。
↓
地蔵寺なのに通称・羅漢さんと呼ばれているのは、この五百羅漢堂が由来でした!^^
●五百羅漢堂
・左 → 弥勒堂
・中 → 釈迦堂
・右 → 大師堂
カクカクな写真でスミマセン。
当時は手持ちのカメラにパノラマ機能が付いていなかったため、4枚の写真を繋ぎ合わせてパノラマごっこをしていました(懐かしい)
※ 2009年10月10日撮影
●五百羅漢堂
・1922年再建
・国の登録有形文化財
・弥勒堂(左)
瓦葺 宝形造
・釈迦堂(中)
瓦葺 宝形造
・大師堂(右)
瓦葺 寄棟造
どうやら、釈迦堂・弥勒堂・大師堂の3つのお堂を総称して五百羅漢堂と呼ぶみたいです。
五百羅漢堂は釈迦堂を中心に、回廊で弥勒堂と大師堂をコの字型に繋いでいました。
もともとここには1775年建立の五百羅漢堂があったそうですが、1915年に参拝者の失火により焼失。
その後、1922年に再建したのが現在の五百羅漢堂のようです。
五百羅漢堂という名の通り、堂内には五百羅漢さんがおられました。
しかし実際は200体ほどしかいないみたいです。
おそらく焼失前は500体の羅漢さんがおられたのでしょう(推測)
ちなみに木造で彩色のある羅漢像は全国的に珍しく、規模は日本最大級といわれています。
羅漢像以外に、釈迦如来坐像・弘法大師像、そして天井に龍がいたりもしました。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
そんなこんなで、参拝終了。
第6番札所・安楽寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 五百羅漢堂の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 五百羅漢堂 300円
・阿波西国三十三観音霊場 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院 五百羅漢堂の御朱印
・阿波西国三十三観音霊場の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 五百羅漢堂 300円
・阿波西国三十三観音霊場 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2009年10月10日 参拝
・2024年3月 最終更新
次の札所
安楽寺の御朱印|四国霊場 第6番|四国霊場唯一の駅路寺。あんな所に通夜堂!?|四国八十八ヶ所 車遍路の旅 (徳島県板野郡)
所在地徳島県板野郡上板町引野寺ノ西北8−8宗 派高野山真言宗札 所・四国八十八ヶ所 第6番・阿波北嶺薬師霊場 第2番前後札所・前 → 第5番札所・地蔵寺・後 → 第7番札所・十楽寺...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第4番札所・大日寺へ2km
徒歩25分
車で4分
・第6番札所・安楽寺へ5km
徒歩1時間
車で9分
●最寄りの駅
・JR板野駅から徒歩50分
・JR板野駅から車で10分
●最寄りのバス停
・徳島バス
鍛冶屋原線に乗車
羅漢 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・高松自動車道
板野ICから車で20分
・徳島自動車道
藍住ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(50台)
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第4番札所・大日寺へ2km
徒歩25分
車で4分
・第6番札所・安楽寺へ5km
徒歩1時間
車で9分
●最寄りの駅
・JR板野駅から徒歩50分
・JR板野駅から車で10分
●最寄りのバス停
・徳島バス
鍛冶屋原線に乗車
羅漢 バス停で下車 徒歩5分
●最寄りのIC
・高松自動車道
板野ICから車で20分
・徳島自動車道
藍住ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(50台)