所在地 | 高知県室戸市室戸岬町4058−1 |
---|---|
宗 派 | 真言宗豊山派 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第24番 |
前後札所 | ・前 → 第23番札所・薬王寺 ・後 → 第25番札所・津照寺 |
本 尊 | 虚空蔵菩薩 |
真 言 | のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか |
由 緒 | 807年、唐から帰朝した空海(弘法大師)が、嵯峨天皇の勅願を受けて室戸岬を訪れたという。そして虚空蔵菩薩像を刻んで本尊とし、伽藍を建立して、四国八十八ヶ所・第24番札所に定めたそうです。その後、歴代天皇や足利氏が篤く信仰して大いに繁栄したそうですが徐々に衰退。その後、1615~1623年に土佐藩主・山内家の庇護のもと、最勝上人が復興。明治時代、神仏分離令により再び衰退しますが、大正時代に復興され現在に至ります。 最御崎寺から約400メートル離れた所にある御厨人窟は、青年だった空海が居住・修行をしていた洞窟で、御厨人窟から見える景色が空と海のみだったことから空海と名乗ったといわれています。 |
HP | 室戸山 明星院 最御崎寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
最御崎寺とは?
四国八十八ヶ所の第24番札所であります最御崎寺に到着。
土佐国・高知(修行の道場)最初の札所となります!
最御崎寺は室戸岬にあるお寺さんで、近くには青年時代の空海が居住・修行をしていた洞窟・御厨人窟があることで知られています。
ちなみに、最御崎寺と書いてほつみさきじと読みます。
最をほつと読むとはね!
どうやら、最御崎とは火つ岬(ほつみさき)という意味があるそうですよ。
火つとは、聖なる火を焚く古代信仰を意味するそうで、火つ + 室戸岬 + お寺ということで最御崎寺と呼ばれてるんだって。
あたしゃてっきり、室戸岬の最先端にあるお寺という意味で最御崎寺と呼ばれてるんだと思ってましたよ!
第23番札所・薬王寺から77km。
徒歩15時間30分。
車で1時間30分のところに位置する最御崎寺。
徳島県最後の札所・薬王寺から海沿いを延々と南下すること約77km!
薬王寺から最御崎寺までの札所間は四国霊場で2番目に長い距離となります。
高知県は修行の道場と呼ばれていますが、高知県に入る前から過酷な修行が始まっているという。
こりゃ歩き遍路さんにとっては大変な道のりになりそうだぁ〜。
ちなみに最御崎寺から車で5分のところに青年時代の空海が修行をした御厨人窟があります。
洞窟内から見える景色が空と海のみだったことから空海と名乗ったという、まさに空海の原点といえる場所です。
洞窟内で虚空蔵求聞持法の厳しい修行をしていた空海。
そんなある日、空海の口の中に明星が飛び込んで来たという!
そして空海は悟りを開くことになりました。
そんなこんなで
①室戸岬は火つ岬。
②御厨人窟で虚空蔵求聞持法の修行をした。
③口の中に明星が飛び込んで来た。
ということで、正式な寺号は室戸山 明星院 最御崎寺といいます。
そして、本尊は虚空蔵菩薩となっております。
●最御崎寺とは?
平安時代初期、青年時代の弘法大師が室戸岬にある御厨人窟で修行をし、虚空蔵求聞持法を完遂。
その後、807年に弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて再び室戸岬を訪れたといいます。
そして虚空蔵菩薩像を刻んで本尊とし、四国八十八ヶ所・第24番札所に定めたそうです。
もともとは現・奥の院 四十寺がある四十寺山にあったそうですが、1044〜1055年に現在地へ移転。
その後、歴代天皇や足利氏などから篤く信仰され、1341年には足利尊氏によって土佐国の安国寺となり大いに繁栄したそうです。
最盛期には、七堂伽藍を有する大寺院に発展したそうですよ。
しかし、落雷による火災で焼失。
そして、徐々に衰退・・・。
その後、1615~1623年に土佐藩2代藩主・山内忠義の庇護のもと、最勝上人が復興。
土佐藩主や武将からの寄進により、再び繁栄したそうです。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制のお寺だったという。
そんなこんなで、女性のお遍路さんは登山口脇にあった女人堂で拝んでいたそうですが、1872年に女人禁制は解除。
明治時代、神仏分離令により再び荒廃してしまいますが、大正時代に再興し、現在に至ります。
平安時代初期、青年時代の弘法大師が室戸岬にある御厨人窟で修行をし、虚空蔵求聞持法を完遂。
その後、807年に弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて再び室戸岬を訪れたといいます。
そして虚空蔵菩薩像を刻んで本尊とし、四国八十八ヶ所・第24番札所に定めたそうです。
もともとは現・奥の院 四十寺がある四十寺山にあったそうですが、1044〜1055年に現在地へ移転。
その後、歴代天皇や足利氏などから篤く信仰され、1341年には足利尊氏によって土佐国の安国寺となり大いに繁栄したそうです。
最盛期には、七堂伽藍を有する大寺院に発展したそうですよ。
しかし、落雷による火災で焼失。
そして、徐々に衰退・・・。
その後、1615~1623年に土佐藩2代藩主・山内忠義の庇護のもと、最勝上人が復興。
土佐藩主や武将からの寄進により、再び繁栄したそうです。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制のお寺だったという。
そんなこんなで、女性のお遍路さんは登山口脇にあった女人堂で拝んでいたそうですが、1872年に女人禁制は解除。
明治時代、神仏分離令により再び荒廃してしまいますが、大正時代に再興し、現在に至ります。
そんなこんなで、参拝開始。
御厨人窟の御朱印~空と海との間には~(高知県室戸市室戸岬町)
所在地高知県室戸市室戸岬町札 所四国八十八ヶ所 番外札所由 緒御厨人窟は、平安時代初期に青年時代の弘法大師が居住していた洞窟。洞窟から見える景色が空と海のみだったので空海という名前になりました。また、御厨...
仁王門と手水舎と鐘楼
●室戸岬から最御崎寺へ
標高164mの山上にある最御崎寺。
駐車場から仁王門までは約340mの階段、もしくは坂道があります。
足腰に自信がない方は、本堂の近くに有料駐車場がありますので、そちらに車を止めてから参拝した方がいいかも知れません。
●仁王門
●仁王門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 楼門
そんなこんなで、最御崎寺に到着。
まず最初に登場するのは立派な仁王門。
約77kmの道のりを歩いてきたお遍路さんをお出迎えしてくれる門です。
ネットの情報によりますと、この仁王門には表と裏に1対づつ、計4体の仁王さんがおられるという!
しかし、私が参拝したときはカラッポでした・・・(-“-;) ??
ということで、Wikipediaよりお写真を頂戴致しました。
仁王門の表には結構大きめの仁王さんがおられるみたいですよ。
●裏の仁王像
・1647年作
・石造仁王像
そんなこんなで、仁王門をくぐって裏側へ。
裏側の仁王さんはバッチリと確認できました!
なんと、OKポーズをしているという!
そして自信満々のOK顔(笑)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、仁王門を後にして手水舎でお清め。
●鐘楼①
●鐘楼①
・1648年建立
・瓦葺 寄棟造 袴腰
そして、鐘楼でゴーン♪
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
この鐘楼は、NHKゆく年くる年の除夜の鐘に過去5回も登場したことのある名鐘のようですが、現在は使用されてないみたいです。
ということで、エアーゴーン♪
それにしても、素敵な古建築オーラを発する鐘楼でした。
どうやら、この鐘楼は土佐藩2代藩主・山内忠義さんが寄進したもののようです。
ということで、しばし古建築鑑賞。
この鐘楼で1番グッときたのは屋根!
寄棟造の袴腰鐘楼は初めて拝見しましたよ!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
●鐘楼②
●鐘楼②
・1984年建立
・瓦葺 入母屋造
ちなみに、本堂裏にある鐘楼は鐘を撞くことができました。
ということで、高知巡礼初のゴーン♪
標高164mの山上にある最御崎寺。
駐車場から仁王門までは約340mの階段、もしくは坂道があります。
足腰に自信がない方は、本堂の近くに有料駐車場がありますので、そちらに車を止めてから参拝した方がいいかも知れません。
●仁王門
●仁王門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 楼門
そんなこんなで、最御崎寺に到着。
まず最初に登場するのは立派な仁王門。
約77kmの道のりを歩いてきたお遍路さんをお出迎えしてくれる門です。
ネットの情報によりますと、この仁王門には表と裏に1対づつ、計4体の仁王さんがおられるという!
しかし、私が参拝したときはカラッポでした・・・(-“-;) ??
ということで、Wikipediaよりお写真を頂戴致しました。
仁王門の表には結構大きめの仁王さんがおられるみたいですよ。
●裏の仁王像
・1647年作
・石造仁王像
そんなこんなで、仁王門をくぐって裏側へ。
裏側の仁王さんはバッチリと確認できました!
なんと、OKポーズをしているという!
そして自信満々のOK顔(笑)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、仁王門を後にして手水舎でお清め。
●鐘楼①
●鐘楼①
・1648年建立
・瓦葺 寄棟造 袴腰
そして、鐘楼でゴーン♪
と言いたいところですが、鐘を撞くことはできませんでした。
この鐘楼は、NHKゆく年くる年の除夜の鐘に過去5回も登場したことのある名鐘のようですが、現在は使用されてないみたいです。
ということで、エアーゴーン♪
それにしても、素敵な古建築オーラを発する鐘楼でした。
どうやら、この鐘楼は土佐藩2代藩主・山内忠義さんが寄進したもののようです。
ということで、しばし古建築鑑賞。
この鐘楼で1番グッときたのは屋根!
寄棟造の袴腰鐘楼は初めて拝見しましたよ!
いやはや、本日も珍しいものを拝見できて有難き幸せ。
●鐘楼②
●鐘楼②
・1984年建立
・瓦葺 入母屋造
ちなみに、本堂裏にある鐘楼は鐘を撞くことができました。
ということで、高知巡礼初のゴーン♪
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
●本尊
・虚空蔵菩薩像
●真言
・のうぼう あきゃしゃ きゃらばや
おんあり きゃまり ぼり そわか
続いて、本堂で参拝。
御本尊は虚空蔵菩薩像。
四国八十八ヶ所で虚空蔵菩薩を本尊とするのは第12番札所・焼山寺と第21番札所・太龍寺とこの最御崎寺のみです。
ということで、第24番にして早くも四国霊場最後の虚空蔵菩薩さんとなりました。
もぅ、あの長~い真言を唱えなくていいと思うと、ちょっとホッとします!
もともとこのお寺は、現・奥の院 四十寺がある山にあったそうです。
当時、その山には最御崎寺を中心に40ものお寺があったんだって!
そのことから、その山は四十寺山と名付けられ、現在も最御崎寺の北約6kmのところにあります。
鐘楼①に続き、本堂も寄棟造。
棟が小さいということもあって、長~く横に広がる屋根が特徴的なお堂でしたよ。
あと、龍の木鼻と獅子の彫刻も素敵でした。
御朱印を頂いた際、寺号が漢字2文字だということに気付き、ぅん?と思ったひと時。
ということで、調べてみることに。
すると、最御崎寺は別名・東寺と呼ばれていることがわかりホッとしました。
あたしゃ、てっきり別のお寺の御朱印を頂いてしまったのかと思いましたよ!
そんなこんなで、御朱印には最御崎寺ではなく、東寺と書かれております。
ちなみに、第26番札所・金剛頂寺は西寺と呼ばれているそうです。
ということで、金剛頂寺の御朱印も西寺と書かれておりました。
東寺といえば京都の東寺を思い浮かべてしまいますが、最御崎寺は東寺と書いてひがしでらと読むそうですよ。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
●本尊
・虚空蔵菩薩像
●真言
・のうぼう あきゃしゃ きゃらばや
おんあり きゃまり ぼり そわか
続いて、本堂で参拝。
御本尊は虚空蔵菩薩像。
四国八十八ヶ所で虚空蔵菩薩を本尊とするのは第12番札所・焼山寺と第21番札所・太龍寺とこの最御崎寺のみです。
ということで、第24番にして早くも四国霊場最後の虚空蔵菩薩さんとなりました。
もぅ、あの長~い真言を唱えなくていいと思うと、ちょっとホッとします!
もともとこのお寺は、現・奥の院 四十寺がある山にあったそうです。
当時、その山には最御崎寺を中心に40ものお寺があったんだって!
そのことから、その山は四十寺山と名付けられ、現在も最御崎寺の北約6kmのところにあります。
鐘楼①に続き、本堂も寄棟造。
棟が小さいということもあって、長~く横に広がる屋根が特徴的なお堂でしたよ。
あと、龍の木鼻と獅子の彫刻も素敵でした。
御朱印を頂いた際、寺号が漢字2文字だということに気付き、ぅん?と思ったひと時。
ということで、調べてみることに。
すると、最御崎寺は別名・東寺と呼ばれていることがわかりホッとしました。
あたしゃ、てっきり別のお寺の御朱印を頂いてしまったのかと思いましたよ!
そんなこんなで、御朱印には最御崎寺ではなく、東寺と書かれております。
ちなみに、第26番札所・金剛頂寺は西寺と呼ばれているそうです。
ということで、金剛頂寺の御朱印も西寺と書かれておりました。
東寺といえば京都の東寺を思い浮かべてしまいますが、最御崎寺は東寺と書いてひがしでらと読むそうですよ。
大師堂と多宝塔
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師像
続いて、大師堂を参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●多宝塔
●多宝塔
・建立年不明
・瓦葺 多宝塔
本堂前にはピンク色の多宝塔がありました。
説明板がなかったので詳しいことはわかりませんが、おそらく塔内には五智如来が安置されていると思われます(多分)
その他、境内には聖天堂・護摩堂・観音堂・霊宝殿・西国三十三所 ミニ霊場などがありました。
霊宝殿には国重文4点が収蔵されているそうです。
●如意輪観音半跏像
・平安時代後期作
・大理石製
・像高 82.4cm
・国指定重要文化財
全国には多数の石仏がありますが、こちらの石仏はなんと大理石製という珍しさ!
●薬師如来坐像
・平安時代後期作
・像高 86.3cm
・木造
・国指定重要文化財
●月光菩薩立像
・平安時代後期作
・像高 101.6cm
・木造
・国指定重要文化財
●漆塗台盤 2基
・1379年作
・国指定重要文化財
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師像
続いて、大師堂を参拝。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
●多宝塔
●多宝塔
・建立年不明
・瓦葺 多宝塔
本堂前にはピンク色の多宝塔がありました。
説明板がなかったので詳しいことはわかりませんが、おそらく塔内には五智如来が安置されていると思われます(多分)
その他、境内には聖天堂・護摩堂・観音堂・霊宝殿・西国三十三所 ミニ霊場などがありました。
霊宝殿には国重文4点が収蔵されているそうです。
●如意輪観音半跏像
・平安時代後期作
・大理石製
・像高 82.4cm
・国指定重要文化財
全国には多数の石仏がありますが、こちらの石仏はなんと大理石製という珍しさ!
●薬師如来坐像
・平安時代後期作
・像高 86.3cm
・木造
・国指定重要文化財
●月光菩薩立像
・平安時代後期作
・像高 101.6cm
・木造
・国指定重要文化財
●漆塗台盤 2基
・1379年作
・国指定重要文化財
空海の七不思議
●空海の七不思議
全国に数々の伝説を残したお大師さま。
この室戸岬でもお大師さまのパワーは絶好調で、人間を超越した数々の伝説を残しております。
●空海の七不思議
●灌頂ヶ浜
その他、室戸岬には灌頂ヶ浜がありました。
ここは弘法大師が仏と縁を結ぶ灌頂の会式を行った場所なんだって。
●御厨人窟
そして、青年時代の空海が居住・修行をしていた御厨人窟という洞窟もあります。
洞窟内から見える景色が空と海のみだったことから空海と名乗ったという、まさに空海の原点といえる場所です。
室戸岬だけで、こんなにも弘法大師伝説があるとはね!
もしかしたら、弘法大師伝説の密度でいえば全国屈指のスポットかもしれません!
と勝手に思っています。
正直、室戸岬だけで1日楽しめます。
全国に数々の伝説を残したお大師さま。
この室戸岬でもお大師さまのパワーは絶好調で、人間を超越した数々の伝説を残しております。
●空海の七不思議
●①鐘石
最御崎寺の境内には奇妙な石がありました。
なんとこの石は、叩くと鐘のような音がするという!
そのため鐘石と呼ばれてるんだって。
なんと、その音は冥土まで届くといわれ、あの世にいる家族や知人に想いを届けることができるんだって!
ということで、叩いてみました。
確かに確かにキンキンとした金属音のような音色でした!
不思議だなぁ。
●②クワズイモ
本堂の横にはクワズイモという大きな葉っぱがありました。
●クワズイモ伝説とは?
その昔、川でイモを洗う老婆がいたそうな。
そこに腹ペコの弘法大師が通りがかり『お腹が減ったのでイモを1つくれないかぃ?』とお願いしたという。
すると老婆は『これは食べれないイモだよ』と嘘をつき、弘法大師をあしらいました。
それ以来、そのイモは本当に食べられなくなってしまったという!
そのことから、クワズイモと呼ばれるようになったんだって。
ちなみに現在、クワズイモは胃腸薬として利用されているそうですよ。
鯖大師の伝説しかり、井戸水を塩水に変えたお杖の水伝説しかり、お大師さまは断られるとよく仕返しをします!
●③一夜建立の岩屋
●一夜建立の岩屋
・高さ 約2.3m
・幅 約1.2m
・奥行 約9m
さらに、最御崎寺への登山道の途中に、弘法大師が一夜で掘った一夜建立の岩屋があるという。
かつてこの洞窟には、弘法大師が唐から持ち帰った如意輪観音像が安置されていたんだって。
そのため観音窟とも呼ばれてるそうですよ。
ちなみに、一夜でこの大きさの洞窟を掘るのは現代の技術でも不可能なんだとか!
お大師さまは、全国各地で井戸掘りや削岩や土木工事を行っています。
しかも大体一夜で完成させています。
もしかしたら錫杖の先がドリルになっているのではないか・・・と、私はにらんでいます。
そんなことより、最御崎寺は明治時代初期まで女人禁制のお寺でした。
ということで、女性の参拝者はここから遥拝していたそうです。
そして、ここに女性のための納経所もあったそうですよ。
ちなみに現在は最御崎寺の奥の院となっています。
●④捻岩(ねじりいわ)
さらにさらに、一夜建立の岩屋の近くには捻岩という巨石があるという。
かつて、女人禁制だった最御崎寺。
ある日、弘法大師が修行をしていると母・玉依御前が訪ねてきたそうな。
しかし、女人禁制を知ってか知らぬか、母は境内に足を踏み入れてしまいました。
すると突然、嵐が起こってしまったという!
そこで弘法大師は母を守るため、法力で岩をねじ曲げて洞窟をつくり、そこに避難させたんだと!
さらに弘法大師は念仏を唱えて嵐を鎮めたという!
このことからもわかるように、先ほどの一夜建立の岩屋も法力でつくった洞窟と思われます。
錫杖の先がドリルとか言っている自分が、何だか恥ずかしく思えてきました。
●⑤目洗いの池
室戸岬には目洗いの池がありました。
弘法大師がこの池の水を加持祈祷して、衆生の眼病を治したことから、目洗いの池と呼ばれてるんだって。
しかも、この池は今まで1度も枯れたことがないという!
もしかしたら、今もなお、お大師さまの加持祈祷の効力がガンガンに効いているのかも知れませんね!
●⑥行水の池
御厨人窟の近くには弘法大師が身体を清めたといわれる行水の池がありました。
なんとこの池!
すぐそこに海があるのに、池の水は真水だという!
不思議ですねぇ。
ちなみに室戸岬には毘沙姑巌(ビシャコイワ)という斑レイ岩があります。
なんとこの岩は、弘法大師が背中をこすったため岩肌が滑らかになっているという!
お大師さまの背中は岩よりも硬い_φ(・_・メモメモ
●⑦明星石
最後に明星石という石も空海の七不思議の1つという。
七不思議のうち6つは場所がわかるのですが、残り1つの明星石がわからない・・・。
・・・どこにあるのだ~ぃ?
と思い、調べてみると、明星石とは室戸岬に分布する斑レイ岩のことらしいです!
室戸岬には斑レイ岩の奇岩があちこちに点在しているので、あれもこれもどれも明星石です。
●明星石伝説
弘法大師が室戸岬で修行をしていたときのこと。
夜な夜な海から妖怪を引き連れた毒龍が現れ、修行の邪魔をしてきたという。
そこで弘法大師は真言を唱えながら海に向かって唾を吐くと海岸の石が光り輝いたという!
そして、光りを恐れた毒龍と妖怪は逃げていったんだって。
・・・
・・・・・
お大師さまは唾を吐く_φ(・_・メモメモ
最御崎寺の境内には奇妙な石がありました。
なんとこの石は、叩くと鐘のような音がするという!
そのため鐘石と呼ばれてるんだって。
なんと、その音は冥土まで届くといわれ、あの世にいる家族や知人に想いを届けることができるんだって!
ということで、叩いてみました。
確かに確かにキンキンとした金属音のような音色でした!
不思議だなぁ。
●②クワズイモ
本堂の横にはクワズイモという大きな葉っぱがありました。
●クワズイモ伝説とは?
その昔、川でイモを洗う老婆がいたそうな。
そこに腹ペコの弘法大師が通りがかり『お腹が減ったのでイモを1つくれないかぃ?』とお願いしたという。
すると老婆は『これは食べれないイモだよ』と嘘をつき、弘法大師をあしらいました。
それ以来、そのイモは本当に食べられなくなってしまったという!
そのことから、クワズイモと呼ばれるようになったんだって。
ちなみに現在、クワズイモは胃腸薬として利用されているそうですよ。
鯖大師の伝説しかり、井戸水を塩水に変えたお杖の水伝説しかり、お大師さまは断られるとよく仕返しをします!
●③一夜建立の岩屋
●一夜建立の岩屋
・高さ 約2.3m
・幅 約1.2m
・奥行 約9m
さらに、最御崎寺への登山道の途中に、弘法大師が一夜で掘った一夜建立の岩屋があるという。
かつてこの洞窟には、弘法大師が唐から持ち帰った如意輪観音像が安置されていたんだって。
そのため観音窟とも呼ばれてるそうですよ。
ちなみに、一夜でこの大きさの洞窟を掘るのは現代の技術でも不可能なんだとか!
お大師さまは、全国各地で井戸掘りや削岩や土木工事を行っています。
しかも大体一夜で完成させています。
もしかしたら錫杖の先がドリルになっているのではないか・・・と、私はにらんでいます。
そんなことより、最御崎寺は明治時代初期まで女人禁制のお寺でした。
ということで、女性の参拝者はここから遥拝していたそうです。
そして、ここに女性のための納経所もあったそうですよ。
ちなみに現在は最御崎寺の奥の院となっています。
●④捻岩(ねじりいわ)
さらにさらに、一夜建立の岩屋の近くには捻岩という巨石があるという。
かつて、女人禁制だった最御崎寺。
ある日、弘法大師が修行をしていると母・玉依御前が訪ねてきたそうな。
しかし、女人禁制を知ってか知らぬか、母は境内に足を踏み入れてしまいました。
すると突然、嵐が起こってしまったという!
そこで弘法大師は母を守るため、法力で岩をねじ曲げて洞窟をつくり、そこに避難させたんだと!
さらに弘法大師は念仏を唱えて嵐を鎮めたという!
このことからもわかるように、先ほどの一夜建立の岩屋も法力でつくった洞窟と思われます。
錫杖の先がドリルとか言っている自分が、何だか恥ずかしく思えてきました。
●⑤目洗いの池
室戸岬には目洗いの池がありました。
弘法大師がこの池の水を加持祈祷して、衆生の眼病を治したことから、目洗いの池と呼ばれてるんだって。
しかも、この池は今まで1度も枯れたことがないという!
もしかしたら、今もなお、お大師さまの加持祈祷の効力がガンガンに効いているのかも知れませんね!
●⑥行水の池
御厨人窟の近くには弘法大師が身体を清めたといわれる行水の池がありました。
なんとこの池!
すぐそこに海があるのに、池の水は真水だという!
不思議ですねぇ。
ちなみに室戸岬には毘沙姑巌(ビシャコイワ)という斑レイ岩があります。
なんとこの岩は、弘法大師が背中をこすったため岩肌が滑らかになっているという!
お大師さまの背中は岩よりも硬い_φ(・_・メモメモ
●⑦明星石
最後に明星石という石も空海の七不思議の1つという。
七不思議のうち6つは場所がわかるのですが、残り1つの明星石がわからない・・・。
・・・どこにあるのだ~ぃ?
と思い、調べてみると、明星石とは室戸岬に分布する斑レイ岩のことらしいです!
室戸岬には斑レイ岩の奇岩があちこちに点在しているので、あれもこれもどれも明星石です。
●明星石伝説
弘法大師が室戸岬で修行をしていたときのこと。
夜な夜な海から妖怪を引き連れた毒龍が現れ、修行の邪魔をしてきたという。
そこで弘法大師は真言を唱えながら海に向かって唾を吐くと海岸の石が光り輝いたという!
そして、光りを恐れた毒龍と妖怪は逃げていったんだって。
・・・
・・・・・
お大師さまは唾を吐く_φ(・_・メモメモ
●灌頂ヶ浜
その他、室戸岬には灌頂ヶ浜がありました。
ここは弘法大師が仏と縁を結ぶ灌頂の会式を行った場所なんだって。
●御厨人窟
そして、青年時代の空海が居住・修行をしていた御厨人窟という洞窟もあります。
洞窟内から見える景色が空と海のみだったことから空海と名乗ったという、まさに空海の原点といえる場所です。
室戸岬だけで、こんなにも弘法大師伝説があるとはね!
もしかしたら、弘法大師伝説の密度でいえば全国屈指のスポットかもしれません!
と勝手に思っています。
正直、室戸岬だけで1日楽しめます。
御厨人窟の御朱印~空と海との間には~(高知県室戸市室戸岬町)
所在地高知県室戸市室戸岬町札 所四国八十八ヶ所 番外札所由 緒御厨人窟は、平安時代初期に青年時代の弘法大師が居住していた洞窟。洞窟から見える景色が空と海のみだったので空海という名前になりました。また、御厨...
室戸岬
●室戸岬
室戸岬とは四国南東端に位置する岬です。
室戸岬一帯は、室戸阿南海岸国定公園に指定されており、さらに世界ジオパークにも認定されております。
泥岩・砂岩・斑レイ岩などの奇岩とパワフルな波が創り出す大自然のパワーに飲み込まれそうになったひと時。
そして、自分のちっぽけさを痛感する。
それにしても波の暴力がハンパなかったです。
ちょっと足が震えてしまいましたよ。
室戸岬周辺は約2.6kmにわたる遊歩道が整備されていますので、暴力的な潮騒をBGMに、ワイルドな奇岩を眺めながらお散歩ができます。
●子授けの岩
遊歩道の途中には、子授けの岩というものもありました。
子授けの岩の上部に蜂の巣状の穴があって、その穴に婦女子が小石を投げると子宝を授かることができるといわれています。
ちなみに、産後にサンゴを投げ入れる人もいるのだとか・・・ダジャレですね!
好きです、こういうの!
●中岡慎太郎像
あと、中岡慎太郎さんの銅像もありました。
ひどいピンボケ写真になってしまいましたが。
ちなみに桂浜には坂本龍馬像。
足摺岬にはジョン万次郎像がおられます。
●室戸岬灯台
●室戸岬灯台
・1899年設置
・塔高 15.4m
・光達距離 約49km
・日本の灯台50選の1つ
最御崎寺の無料駐車場から徒歩5分のところには室戸岬灯台がありました。
なんとこの灯台は、日本に5ヶ所しかない直径2.6mの第一等フレネル式レンズを備えているという!
しかも光達距離約49kmは日本一だという!
その歴史的価値から、海上保安庁によってAランクの保存灯台に指定されてるんだって。
●朝日と夕日
・左 → 朝日
・右 → 夕日
夕日はだるま夕日になっています。
地球ってスゴいなぁ。
そんなこんなで、参拝終了。
第25番札所・津照寺へ続く。
室戸岬とは四国南東端に位置する岬です。
室戸岬一帯は、室戸阿南海岸国定公園に指定されており、さらに世界ジオパークにも認定されております。
泥岩・砂岩・斑レイ岩などの奇岩とパワフルな波が創り出す大自然のパワーに飲み込まれそうになったひと時。
そして、自分のちっぽけさを痛感する。
それにしても波の暴力がハンパなかったです。
ちょっと足が震えてしまいましたよ。
室戸岬周辺は約2.6kmにわたる遊歩道が整備されていますので、暴力的な潮騒をBGMに、ワイルドな奇岩を眺めながらお散歩ができます。
●子授けの岩
遊歩道の途中には、子授けの岩というものもありました。
子授けの岩の上部に蜂の巣状の穴があって、その穴に婦女子が小石を投げると子宝を授かることができるといわれています。
ちなみに、産後にサンゴを投げ入れる人もいるのだとか・・・ダジャレですね!
好きです、こういうの!
●中岡慎太郎像
あと、中岡慎太郎さんの銅像もありました。
ひどいピンボケ写真になってしまいましたが。
ちなみに桂浜には坂本龍馬像。
足摺岬にはジョン万次郎像がおられます。
●室戸岬灯台
●室戸岬灯台
・1899年設置
・塔高 15.4m
・光達距離 約49km
・日本の灯台50選の1つ
最御崎寺の無料駐車場から徒歩5分のところには室戸岬灯台がありました。
なんとこの灯台は、日本に5ヶ所しかない直径2.6mの第一等フレネル式レンズを備えているという!
しかも光達距離約49kmは日本一だという!
その歴史的価値から、海上保安庁によってAランクの保存灯台に指定されてるんだって。
●朝日と夕日
・左 → 朝日
・右 → 夕日
夕日はだるま夕日になっています。
地球ってスゴいなぁ。
そんなこんなで、参拝終了。
第25番札所・津照寺へ続く。
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院の御朱印(一夜建立の岩屋)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年2月13日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥の院の御朱印(一夜建立の岩屋)
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥の院 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2010年2月13日 参拝
・2024年3月 最終更新
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所在地高知県室戸市室津2652−イ宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第25番前後札所・前 → 第24番札所・最御崎寺・後 → 第26番札所・金剛頂寺本 尊延命地蔵菩薩真 ...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●宿坊
・あり(120名)
●前後札所
・第23番札所・薬王寺へ77km
徒歩15時間30分
車で1時間30分
・第25番札所・津照寺へ6.5km
徒歩1時間25分
車で15分
●最寄りの駅
・土佐くろしお鉄道(高知方面から)
奈半利駅から徒歩6時間10分
奈半利駅から車で40分
(約30km)
・安佐海岸鉄道(徳島方面から)
甲浦駅から徒歩8時間10分
甲浦駅から車で45分
(約40km)
●最寄りのバス停
①土佐くろしお鉄道・奈半利駅から
高知東部交通バス・室戸岬甲浦行きに乗車
スカイライン上り口 バス停で下車
(乗車時間50分)
バス停からは約25分の登山となります。
(標高差 約160m)
②土佐くろしお鉄道・奈半利駅から
高知東部交通バス・室戸岬甲浦行きに乗車
室戸岬 バス停で下車
(乗車時間50分)
バス停からは約35分の登山となります。
(標高差 約160m)
●最寄りのIC
・高知自動車道
南国ICから車で1時間55分
●駐車場
①無料の専用駐車場あり(37台)
駐車場から仁王門までは約340mの階段、もしくは坂道があります。
②有料のへんろセンター駐車場(20台)
・料金 200円
本堂近くにあります。
足腰に自信がない方はこちらに駐車することもできます。
・7:00~17:00
●拝観料
・無料
●宿坊
・あり(120名)
●前後札所
・第23番札所・薬王寺へ77km
徒歩15時間30分
車で1時間30分
・第25番札所・津照寺へ6.5km
徒歩1時間25分
車で15分
●最寄りの駅
・土佐くろしお鉄道(高知方面から)
奈半利駅から徒歩6時間10分
奈半利駅から車で40分
(約30km)
・安佐海岸鉄道(徳島方面から)
甲浦駅から徒歩8時間10分
甲浦駅から車で45分
(約40km)
●最寄りのバス停
①土佐くろしお鉄道・奈半利駅から
高知東部交通バス・室戸岬甲浦行きに乗車
スカイライン上り口 バス停で下車
(乗車時間50分)
バス停からは約25分の登山となります。
(標高差 約160m)
②土佐くろしお鉄道・奈半利駅から
高知東部交通バス・室戸岬甲浦行きに乗車
室戸岬 バス停で下車
(乗車時間50分)
バス停からは約35分の登山となります。
(標高差 約160m)
●最寄りのIC
・高知自動車道
南国ICから車で1時間55分
●駐車場
①無料の専用駐車場あり(37台)
駐車場から仁王門までは約340mの階段、もしくは坂道があります。
②有料のへんろセンター駐車場(20台)
・料金 200円
本堂近くにあります。
足腰に自信がない方はこちらに駐車することもできます。