所在地 | 愛媛県松山市和気町1-182 |
---|---|
宗 派 | 真言宗智山派 |
札 所 | 四国八十八ヶ所 第53番 |
前後札所 | ・前 → 第52番札所・太山寺 ・後 → 第54番札所・延命寺 |
本 尊 | 阿弥陀如来 |
真 言 | おん あみりた ていぜい からうん |
由 緒 | 749年、聖武天皇の勅願により行基が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像・勢至菩薩像を刻んで安置したのが始まり。その後、この地を訪れた空海(弘法大師)が荒廃した伽藍を整備して再興したそうです。鎌倉時代以降、度重なる兵火により堂宇を焼失。その後、1615~1624年にこの地を支配していた須賀重久が現在地に本尊を移し、伽藍を再興し、現在に至るそうです。 |
HP | 須賀山 正智院 円明寺 – 四国八十八ヶ所霊場会 |
圓明寺とは?
四国八十八ヶ所の第53番札所であります圓明寺に到着。
第52番札所・太山寺から2.6km。
徒歩30分。
車で10分のところに位置しています。
圓明寺と書いてえんみょうじと読みます。
●圓明寺とは?
749年、聖武天皇の勅願により行基が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像・勢至菩薩像を刻んで安置したのが始まりといいます。
当時は、現在地から約2.5km離れた和気浜の西山という海岸に創建されていたそうで、七堂伽藍を備えた大寺だったという。
ちなみに、創建当初の寺号は海岸山 圓明密寺だったそうです。
その後、弘法大師がこの地を訪れた際、荒廃した伽藍を整備して再興。
そして、四国八十八ヶ所の第53番札所に定めたそうです。
しかし鎌倉時代以降、度重なる兵火により荒廃。。
1615〜1624年、この地の豪族・須賀重久が現在地に移転して再興。
1636年、京都・仁和寺の覚深法親王からその功労を認められ、仁和寺の末寺となったそうです。
そして、須賀重久の名前から須賀山 圓明寺と改称し、現在に至るそうです。
749年、聖武天皇の勅願により行基が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像・勢至菩薩像を刻んで安置したのが始まりといいます。
当時は、現在地から約2.5km離れた和気浜の西山という海岸に創建されていたそうで、七堂伽藍を備えた大寺だったという。
ちなみに、創建当初の寺号は海岸山 圓明密寺だったそうです。
その後、弘法大師がこの地を訪れた際、荒廃した伽藍を整備して再興。
そして、四国八十八ヶ所の第53番札所に定めたそうです。
しかし鎌倉時代以降、度重なる兵火により荒廃。。
1615〜1624年、この地の豪族・須賀重久が現在地に移転して再興。
1636年、京都・仁和寺の覚深法親王からその功労を認められ、仁和寺の末寺となったそうです。
そして、須賀重久の名前から須賀山 圓明寺と改称し、現在に至るそうです。
第52番・太山寺から圓明寺に向けて歩いていると、和気公民館の職員さんから『ちょっと休んでいってください』と話しかけられました。
そして、コーヒーと飴ちゃんのお接待を受けました。
職員さんは『遍路さんを見かけると接待してるんです』とおっしゃっていました。
そして『頑張ってくださいっ!!!!!』とアツいエールを受けました!
『このあと電車に乗るんです』
などとは言えず・・・。
職員さんは私をガチの歩き遍路と思っているのがビシビシと伝わってきて胸が痛かったです。
とにかく四国の方はお遍路さんに優しくて温かいです。
お接待を受ける度に、心と心が繋がったような気にさせてくれます。
お接待で声をかけられるとき『お大師さま、お大師さま』と呼び止められることが多々あるのですが、私からしたらお接待をしてくれる人の方がお大師さまに見えちゃいます!
ということで、お互い弘法大師に見えてるというね!
四国って不思議な国だなぁ。
とか思いながら、職員さんから頂いた遍路マップを片手にテクテクと歩くこと数十分。
圓明寺に到着。
とうとう松山市内8ヶ寺巡りも最後のお寺になりました。
このお寺の正式名称は須賀山 正智院 圓明寺。
近年は円明寺と表記されることが多いそうです。
ちなみに、地元では和気の圓明さんという愛称で親しまれてるんだって。
和気という地名は、豪族の和気氏がこの地に定住したことが由来といわれているそうですよ。
そんなこんなで、参拝開始。
山門(仁王門)
●山門(仁王門)
●山門(仁王門)
・室町時代建立(?)
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・愛媛県指定有形文化財
まず最初に登場するのは山門。
こちらの門は、両サイドに仁王さんが安置されているので仁王門となります。
この門は、木鼻の彫刻文様や組物に室町時代の特徴があることから、もともとは室町時代に建立された門と推測されてるんだって。
しかし、再興時の改修の際に手が加えられたことにより、創建時とは違う姿になってしまったという。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
なんか人間感がスゴいなぁ!
勇ましい仁王さんより恐さを感じてしまうのは私だけでしょうか?
吽形さんは、なで肩で乳輪がデカい。
そして阿形さんは腹祭りのようでした。
可愛い鬼瓦も特徴的で、なかなか見応えのある門でしたよ。
●山門(仁王門)
・室町時代建立(?)
・瓦葺 入母屋造
・三間一戸 八脚門
・愛媛県指定有形文化財
まず最初に登場するのは山門。
こちらの門は、両サイドに仁王さんが安置されているので仁王門となります。
この門は、木鼻の彫刻文様や組物に室町時代の特徴があることから、もともとは室町時代に建立された門と推測されてるんだって。
しかし、再興時の改修の際に手が加えられたことにより、創建時とは違う姿になってしまったという。
そんなこんなで、仁王さんにご挨拶。
なんか人間感がスゴいなぁ!
勇ましい仁王さんより恐さを感じてしまうのは私だけでしょうか?
吽形さんは、なで肩で乳輪がデカい。
そして阿形さんは腹祭りのようでした。
可愛い鬼瓦も特徴的で、なかなか見応えのある門でしたよ。
手水舎と鐘楼と中門
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、山門をくぐって手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
というか、鐘楼で寄棟造とはちょっと珍しいですね。
四国霊場で寄棟造の鐘楼に出会ったのは第24番札所の最御崎寺以来かもしれません。
そんなことより、自然木の風合いを残した柱にグッときました!
センスいいなぁ、この大工さん!
●中門
●中門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 楼門造
続いて、スマートな中門が登場。
建立年を知る情報はありませんでしたが、それなりに古そうな門でした。
上層の格子に輪宝(法輪)があったりなんかして、かなり凝った造りの門でしたよ。
輪宝の屋根瓦も素敵でした。
というか、輪宝アピールがスゴいなぁ!
どうやら、このお寺は輪宝を寺紋にしているみたいです。
扁額には遍照金剛と書かれておりました。
ちなみに遍照金剛とは弘法大師さんのことです。
遍照金剛の扁額は、大師堂ではたまにお見かけしますが、門に掲げられているのは珍しいですね!
多分ですけど、門に遍照金剛の扁額があるのは四国霊場では初登場となります。
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、山門をくぐって手水舎でお清め。
●鐘楼
●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 寄棟造
そして、鐘楼で鐘をひと撞き。
というか、鐘楼で寄棟造とはちょっと珍しいですね。
四国霊場で寄棟造の鐘楼に出会ったのは第24番札所の最御崎寺以来かもしれません。
そんなことより、自然木の風合いを残した柱にグッときました!
センスいいなぁ、この大工さん!
●中門
●中門
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 楼門造
続いて、スマートな中門が登場。
建立年を知る情報はありませんでしたが、それなりに古そうな門でした。
上層の格子に輪宝(法輪)があったりなんかして、かなり凝った造りの門でしたよ。
輪宝の屋根瓦も素敵でした。
というか、輪宝アピールがスゴいなぁ!
どうやら、このお寺は輪宝を寺紋にしているみたいです。
扁額には遍照金剛と書かれておりました。
ちなみに遍照金剛とは弘法大師さんのことです。
遍照金剛の扁額は、大師堂ではたまにお見かけしますが、門に掲げられているのは珍しいですね!
多分ですけど、門に遍照金剛の扁額があるのは四国霊場では初登場となります。
本堂
●本堂
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・阿弥陀如来
●真言
・おん あみりた ていぜい からうん
続いて、本堂で参拝。
なんと、堂内の欄間には高さ約1m・幅4mの巨大な龍の彫刻があるという!
さらになんと、その龍は行いが悪い人を見ると目が光るという!
((((;゚Д゚)))))))
ということで、この龍は善悪判定マシーンなのですね!
当然、私は光る目を見ることはできませんでしたよ。
良いから、行いがっ(笑)
そんなことより、龍の彫刻は左甚五郎さんの作品なんだって!
本尊は阿弥陀如来さん。
脇侍として観音菩薩さんと勢至菩薩さんが安置されているそうです。
いわゆる阿弥陀三尊像です。
●観音菩薩立像
・1250年作
・像高 60.2cm
・桧材 寄木造
・愛媛県指定有形文化財
●勢至菩薩立像
・1250年作
・像高 60.6cm
・桧材 寄木造
・愛媛県指定有形文化財
ちなみに本尊の阿弥陀如来さんは文化財に指定されていませんが、観音・勢至菩薩さんは県重文に指定されています。
その他、堂内には多聞天さんと増長天さんも安置されていました。
●厨子
・室町時代作
・板葺 入母屋造
・愛媛県指定有形文化財
厨子も室町時代作で県重文に指定されています。
説明板によると、桁行(奥行)は107cm。
梁間(正面)は83.3cm。
様式は板葺の入母屋造。
柱は円柱で礎盤の上にたっているみたいです。
浅唐戸や屋根には彩色があり、室町期の秀作といわれてるんだって。
●本堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
●本尊
・阿弥陀如来
●真言
・おん あみりた ていぜい からうん
続いて、本堂で参拝。
なんと、堂内の欄間には高さ約1m・幅4mの巨大な龍の彫刻があるという!
さらになんと、その龍は行いが悪い人を見ると目が光るという!
((((;゚Д゚)))))))
ということで、この龍は善悪判定マシーンなのですね!
当然、私は光る目を見ることはできませんでしたよ。
良いから、行いがっ(笑)
そんなことより、龍の彫刻は左甚五郎さんの作品なんだって!
●左甚五郎とは?
左甚五郎さんは江戸時代初期に活躍した彫刻家。
日光東照宮の眠り猫など、全国各地に多数の名作を残したお方です。
しかし実在していたかは定かでなく、作品の製作時期も安土桃山~江戸後期の約300年にわたるため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたという説が定説になりつつあります。
簡単にいえば、左甚五郎さんは1人だけではないというわけなんですね。
自称・左甚五郎と名乗る人もいたでしょう。
噂では左甚五郎の子孫を名乗る人もいたともいわれています。
自称・左甚五郎の子孫となると、もうワケわかんなくなっちゃいます!
ちなみに、屋島神社(香川)の隣にある四国村には左甚五郎さんのお墓があるという!
本物か!?
自称か!?
私はあらゆるものを全肯定して生きていきたい人なので、左甚五郎さんの存在も信じていますし、このお墓も左甚五郎さんのお墓だと信じています(笑)←笑うな。笑うとウソっぽくなる!
左甚五郎さんは江戸時代初期に活躍した彫刻家。
日光東照宮の眠り猫など、全国各地に多数の名作を残したお方です。
しかし実在していたかは定かでなく、作品の製作時期も安土桃山~江戸後期の約300年にわたるため、名工の代名詞として左甚五郎という名が使われていたという説が定説になりつつあります。
簡単にいえば、左甚五郎さんは1人だけではないというわけなんですね。
自称・左甚五郎と名乗る人もいたでしょう。
噂では左甚五郎の子孫を名乗る人もいたともいわれています。
自称・左甚五郎の子孫となると、もうワケわかんなくなっちゃいます!
ちなみに、屋島神社(香川)の隣にある四国村には左甚五郎さんのお墓があるという!
本物か!?
自称か!?
私はあらゆるものを全肯定して生きていきたい人なので、左甚五郎さんの存在も信じていますし、このお墓も左甚五郎さんのお墓だと信じています(笑)←笑うな。笑うとウソっぽくなる!
本尊は阿弥陀如来さん。
脇侍として観音菩薩さんと勢至菩薩さんが安置されているそうです。
いわゆる阿弥陀三尊像です。
●観音菩薩立像
・1250年作
・像高 60.2cm
・桧材 寄木造
・愛媛県指定有形文化財
●勢至菩薩立像
・1250年作
・像高 60.6cm
・桧材 寄木造
・愛媛県指定有形文化財
ちなみに本尊の阿弥陀如来さんは文化財に指定されていませんが、観音・勢至菩薩さんは県重文に指定されています。
その他、堂内には多聞天さんと増長天さんも安置されていました。
●厨子
・室町時代作
・板葺 入母屋造
・愛媛県指定有形文化財
厨子も室町時代作で県重文に指定されています。
説明板によると、桁行(奥行)は107cm。
梁間(正面)は83.3cm。
様式は板葺の入母屋造。
柱は円柱で礎盤の上にたっているみたいです。
浅唐戸や屋根には彩色があり、室町期の秀作といわれてるんだって。
四国霊場最古の銅板納札
●四国霊場最古の銅板納札
●銅板納札
・1650年作
・縦 24cm
・幅 9.7cm
・厚さ 1mm
・愛媛県指定有形文化財
このお寺のハイライトは、何と言っても銅板納札!
1921年、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしていた際、本尊・阿弥陀如来像を安置する厨子に古びた銅板納札が打ち付けてあるのを発見したという。
なんと、それは四国霊場最古の銅板納札だったという!
さらになんと、破損のない納札としては現存最古の銅板納札だという!
スゴっ!
その納札には
四国仲遍路同行二人 平人家次
と書かれているそうです。
なんとこれは歴史上初めて遍路という文字が確認されたものなんだって!
もともと遍路は辺路という文字を使用していたといいます。
いつから遍路と記されるようになったのかは不明ですが、この納札が発見されたことにより、少なくとも江戸時代初期には辺路から遍路になっていたことがわかります。
そんなこんなで、この納札は四国霊場の歴史を知るうえでメチャクチャ価値の高いものといわれています。
ちなみに、銅板納札を発見したスタール博士は、全国各地の寺社に納札や千社札を貼りまくっていたことからお札博士と呼ばれていたんだって(笑)
●銅板納札
・1650年作
・縦 24cm
・幅 9.7cm
・厚さ 1mm
・愛媛県指定有形文化財
このお寺のハイライトは、何と言っても銅板納札!
1921年、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしていた際、本尊・阿弥陀如来像を安置する厨子に古びた銅板納札が打ち付けてあるのを発見したという。
なんと、それは四国霊場最古の銅板納札だったという!
さらになんと、破損のない納札としては現存最古の銅板納札だという!
スゴっ!
その納札には
四国仲遍路同行二人 平人家次
と書かれているそうです。
なんとこれは歴史上初めて遍路という文字が確認されたものなんだって!
もともと遍路は辺路という文字を使用していたといいます。
いつから遍路と記されるようになったのかは不明ですが、この納札が発見されたことにより、少なくとも江戸時代初期には辺路から遍路になっていたことがわかります。
そんなこんなで、この納札は四国霊場の歴史を知るうえでメチャクチャ価値の高いものといわれています。
ちなみに、銅板納札を発見したスタール博士は、全国各地の寺社に納札や千社札を貼りまくっていたことからお札博士と呼ばれていたんだって(笑)
●平人家次とは?
平人家次さんは、伊勢国三宅郡の出身で江戸の日本橋材木町に住んだ後、京都に移って1655年にお亡くなりになったお方のようです。
生前、家次さんは西国三十三ヶ所・坂東三十三観音霊場・六十六部廻国を巡った後、最後に四国八十八ヶ所の遍路をしているみたいです。
この銅板納札はその時に納めたもので、四国遍路を知る資料として歴史的価値の高い貴重なものといわれています。
ちなみに家次さんは、京都・五智山 蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことで知られているそうです。
●納札(納め札)とは?
四国遍路では札所を巡拝する際に、年月日・住所・氏名を記した紙製の納札(納め札)を納めます。
これを札を打つといいます。
順打ち、逆打ち、区切り打ち、打ち始め、打ち留めなどなど、四国遍路では巡拝することを打つと呼びます。
これはかつて遍路さんが、参拝の証しとしてお堂の柱などに木製や金属製の納札を打ちつけていたことが由来といわれています。
平人家次さんは、伊勢国三宅郡の出身で江戸の日本橋材木町に住んだ後、京都に移って1655年にお亡くなりになったお方のようです。
生前、家次さんは西国三十三ヶ所・坂東三十三観音霊場・六十六部廻国を巡った後、最後に四国八十八ヶ所の遍路をしているみたいです。
この銅板納札はその時に納めたもので、四国遍路を知る資料として歴史的価値の高い貴重なものといわれています。
ちなみに家次さんは、京都・五智山 蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことで知られているそうです。
●納札(納め札)とは?
四国遍路では札所を巡拝する際に、年月日・住所・氏名を記した紙製の納札(納め札)を納めます。
これを札を打つといいます。
順打ち、逆打ち、区切り打ち、打ち始め、打ち留めなどなど、四国遍路では巡拝することを打つと呼びます。
これはかつて遍路さんが、参拝の証しとしてお堂の柱などに木製や金属製の納札を打ちつけていたことが由来といわれています。
大師堂と観音堂
●大師堂
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
御本尊はもちろんお大師さま。
しかし残念ながら拝顔することはできませんでした。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
それにしても、屋根の上が賑やかなお堂でした!
飾り瓦がド派手に躍動しています。
龍や虎や獅子や鬼や天狗などなど、屋根の上は伝説上の楽園になっていました。
そして、ここも輪宝アピールが凄まじかったです!
その他、向拝の各天井に描かれた24枚の天井画も素敵でした。
●観音堂
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 十一面観音
続いて、観音堂を参拝。
御本尊の十一面観音さんは、関ヶ原の戦いで亡くなった河野家の戦死者を追善供養するために造られたものなんだって。
●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 弘法大師
続いて、大師堂を参拝。
御本尊はもちろんお大師さま。
しかし残念ながら拝顔することはできませんでした。
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
それにしても、屋根の上が賑やかなお堂でした!
飾り瓦がド派手に躍動しています。
龍や虎や獅子や鬼や天狗などなど、屋根の上は伝説上の楽園になっていました。
そして、ここも輪宝アピールが凄まじかったです!
その他、向拝の各天井に描かれた24枚の天井画も素敵でした。
●観音堂
●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 十一面観音
続いて、観音堂を参拝。
御本尊の十一面観音さんは、関ヶ原の戦いで亡くなった河野家の戦死者を追善供養するために造られたものなんだって。
キリシタン灯籠
●キリシタン灯籠
そんなこんなで、境内を散策しているとキリシタン灯籠の看板を発見!
一瞬、看板の隣にある宝篋印塔がキリシタン灯籠かと思ってしまいましたよ!
キリシタン灯籠の宝篋印塔バージョンかと思ってワクワクしちゃったじゃないですか(笑)
●キリシタン灯籠
・江戸時代建立
・高さ 約40cm
愛媛県にはキリシタンに関する史跡が数多く残っているらしく、たくさんの隠れキリシタンが存在していたといわれています。
キリシタン禁制の時代、このお寺では隠れキリシタンの礼拝を黙認していたらしく、信者は遍路の姿になって密かに灯籠を拝んでいたそうです。
他宗教を受け入れ、禁じられた信仰を見守った圓明寺さん。
ここは弾圧に苦しんだキリシタンの救いの場所だったんだろうなぁ。
そんなこんなで、このお寺の器のデカさに温もりを感じたひと時でした。
その他、境内には文珠菩薩・閻魔大王・弁財天を祀る祠などがありました。
●伊予和気駅
そんなこんなで、参拝終了。
圓明寺さんに別れを告げ伊予和気駅へ。
歩き遍路から電車遍路に変身して次の札所がある今治市に向かうことにしました。
第54番・延命寺へ続く。
そんなこんなで、境内を散策しているとキリシタン灯籠の看板を発見!
一瞬、看板の隣にある宝篋印塔がキリシタン灯籠かと思ってしまいましたよ!
キリシタン灯籠の宝篋印塔バージョンかと思ってワクワクしちゃったじゃないですか(笑)
●キリシタン灯籠
・江戸時代建立
・高さ 約40cm
愛媛県にはキリシタンに関する史跡が数多く残っているらしく、たくさんの隠れキリシタンが存在していたといわれています。
キリシタン禁制の時代、このお寺では隠れキリシタンの礼拝を黙認していたらしく、信者は遍路の姿になって密かに灯籠を拝んでいたそうです。
他宗教を受け入れ、禁じられた信仰を見守った圓明寺さん。
ここは弾圧に苦しんだキリシタンの救いの場所だったんだろうなぁ。
そんなこんなで、このお寺の器のデカさに温もりを感じたひと時でした。
その他、境内には文珠菩薩・閻魔大王・弁財天を祀る祠などがありました。
●伊予和気駅
そんなこんなで、参拝終了。
圓明寺さんに別れを告げ伊予和気駅へ。
歩き遍路から電車遍路に変身して次の札所がある今治市に向かうことにしました。
第54番・延命寺へ続く。
次の札所
延命寺の御朱印|四国霊場 第54番|宝冠をかぶった不動明王と近見二郎|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)
所在地愛媛県今治市阿方甲636宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第54番前後札所・前 → 第53番札所・圓明寺・後 → 第55番札所・南光坊本 尊宝冠不動明王真 言の...
御朱印情報
●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥之院 十一面観音の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥之院 十一面観音 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年2月26日 参拝
・2024年3月 最終更新
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥之院 十一面観音の御朱印
●御朱印の受付場所
・納経所
●御朱印の受付時間
・7:00~17:00
●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥之院 十一面観音 300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年2月26日 参拝
・2024年3月 最終更新
延命寺の御朱印|四国霊場 第54番|宝冠をかぶった不動明王と近見二郎|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(愛媛県今治市)
所在地愛媛県今治市阿方甲636宗 派真言宗豊山派札 所四国八十八ヶ所 第54番前後札所・前 → 第53番札所・圓明寺・後 → 第55番札所・南光坊本 尊宝冠不動明王真 言の...
参拝情報とアクセス
●拝観料
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第52番札所・太山寺へ2.6km
徒歩30分
車で10分
・第54番札所・延命寺へ37km
徒歩7時間30分
車で1時間
●最寄りの駅
・JR伊予和気駅から徒歩5分
●最寄りのバス停
・伊予鉄バス
和気 バス停から徒歩1分
・伊予鉄バス
和気駅前 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・松山自動車道
松山ICから車で35分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)
・無料
●宿坊
・なし
●前後札所
・第52番札所・太山寺へ2.6km
徒歩30分
車で10分
・第54番札所・延命寺へ37km
徒歩7時間30分
車で1時間
●最寄りの駅
・JR伊予和気駅から徒歩5分
●最寄りのバス停
・伊予鉄バス
和気 バス停から徒歩1分
・伊予鉄バス
和気駅前 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・松山自動車道
松山ICから車で35分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(10台)