弥谷寺の御朱印|四国霊場 第71番|幼少時代の弘法大師が学問に励んだお寺|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(香川県三豊市)

所在地香川県三豊市三野町大見乙70
宗 派真言宗善通寺派
札 所四国八十八ヶ所 第71番
前後札所 ・前 → 第70番札所・本山寺
・後 → 第72番札所・曼荼羅寺
本 尊千手観世音菩薩
真 言おん ばさら たらま きりく
由 緒729~749年、聖武天皇の勅願により行基が創建したのが始まり。創建当初は蓮華山八国寺という寺号だったそうです。平安時代、空海(弘法大師)が7〜12歳までの間、このお寺にある岩窟で学問に励んだといわれています。807年、唐から帰国した空海が再びこの地を訪れ、蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し伽藍を再興。そして、寺号を弥谷寺と改称したそうです。室町時代、天霧城主・香川氏の庇護を受けて繁栄しますが、1573〜1593年に長宗我部元親による兵火で焼失。その後、荒廃しますが、1600年に丸亀藩主・京極氏の帰依により復興したそうです。
HP四国71番大本山弥谷寺

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弥谷寺とは?


四国八十八ヶ所の第71番札所であります弥谷寺に到着。

第70番札所・本山寺から13km。
徒歩2時間30分。
車で25分のところに位置しています。

弥谷寺と書いていやだにじと読みます。

●弥谷寺とは?

729~749年、聖武天皇の勅願により行基が創建したのが始まりといいます。

その際、行基は光明皇后の菩提を弔うために大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)を祀ったといわれています。

また、大方広仏華厳経以外にも、寺宝に724年頃の経典が残っていることから、少なくとも724年以前には寺院が建立されていたことが推測されています。


創建当初は、蓮華山 八国寺と称していたそうです。

ちなみに山号の蓮華山は、嶺や谷が蓮の花に似ていることが由来。

寺号の八国寺は、弥谷山から四国・備前・備中・備後・安芸の合わせて8国が望めることが由来といわれています。


781〜786年、佐伯真魚(後の弘法大師)が7〜12歳までの間、このお寺にある岩窟(獅子之岩屋)で学問に励んだといわれています。

その後807年、唐から帰国した弘法大師が再びこの地を訪れた際、獅子之岩屋で護摩を修したそうです。

その際、蔵王権現のお告げを受けて千手観音を安置して伽藍を再興。
そして、唐で恵果和尚から授かった金銅・五鈷鈴五柄の剣を納めたそうです。

そのことにより山号を剣五山
仏の住む山という意味の弥山と、仏の谷を合わせて、寺号を弥谷寺に改称したそうです。


室町時代、天霧城主・香川氏の庇護を受け、東院・西院・中尊院と6坊を有する大寺院に発展。

しかし、1573〜1593年に長宗我部元親による兵火で焼失。

その後、しばらく荒廃しますが、1600年に丸亀藩主・京極氏が帰依して復興。

現在は真言宗別格本山で、地元ではいやだにさんという愛称で親しまれているそうです。

そんなこんなで、参拝開始。
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手水舎と金剛拳菩薩像と百八階段

●弥谷山

標高382mの弥谷山
その中腹225m付近に弥谷寺はあります。

弥谷山は、古来より霊山として信仰され、かつては恐山と臼杵磨崖仏と並び日本三大霊場の1つに数えられていたそうです。


そんなこんなで山深い地に位置する弥谷寺は、境内入口から本堂まで570段の階段がある難所寺のようです。


久々にアクティブな参拝ができるぞ!
ということで気合を入れて到着したのですが、何も考えずに道なりに車を走らせたら中腹の駐車場に到着してしまいました!

なんと、570段のうち270段をワープしてしまったという。

なもんで、仁王門賽の河原をスルーしてしまいました。

ちなみに、このお寺では1段目から570段の階段を上って本堂に行く道を表参道と呼んでいるみたいです。

そして、中腹の駐車場から残りの300段を上って本堂に行く道を裏参道と呼んでいるみたいです。

参道の駐車場は無料
参道の駐車場は500円となっております。


●手水舎

●手水舎
・建立年不明
・銅板葺 切妻造

そんなこんなで、裏参道の駐車場に駐車した場合は手水舎からのスタートとなります。

ということで、まずは手水舎でお清め。


●金剛拳菩薩像

●金剛拳菩薩像
・1688〜1704年建立
・像高 約6m
・青銅製

手水舎の後ろには、巨大な金剛拳菩薩さんがおられました。

金剛拳菩薩さんは十六大菩薩の最後の一尊で成就を司る仏さまといわれています。

昔から弥谷寺では病に御利益があるといわれかなぶつさんと呼ばれて信仰されているそうです。

ちなみに、この金剛拳菩薩像は元禄年間に約20年かけて鋳造されたもなんだって。


●百八階段

続いて、百八階段が登場。
どうやら、この階段は煩悩の数を表しているみたいです。

108という数は単に数字の108という意味だけではなく、数えきれないくらい多いという意味もあるそうです。

まさに!

膨張する宇宙と同じスピードで増え続ける私の煩悩
決して減ることのない煩悩を楽しみながら生きています。

煩悩が多いほど人間味があっていいじゃない・・・とか何とか言いつつ、ミスター煩悩は階段を上る。


余計なお世話かも知れませんが、見た目以上に急な階段ですので手すりを持って上り下りをした方がいいかも知れません。


そんなこんなで、百八階段を上りきると大師堂と本坊が登場。

さらに先に進むと十王堂・観音堂・護摩堂などが登場しますが、四国霊場の正式な参拝順は手水舎 → 鐘楼 → 本堂 → 大師堂なので、ひとまず諸堂はスルーすることにしました。

こういうところは妙に真面目な私です。


ということで、このようなルートになってしまいました・・・グチャグチャです!

なんと正式なルートで参拝を進めると境内を2周してしまうことになるという(笑)

平地なら何ってことはないのですが、同じ階段を2度上るのは結構メンタルがやられましたよ!

ということで、このお寺に限っては四国霊場の正式な参拝順を守る必要はないのかも知れません・・・。
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鐘楼と水場の洞窟と阿弥陀三尊磨崖仏

●鐘楼

●鐘楼
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造 袴腰

ということで、鐘楼に到着。

しかし、鐘を撞くことはできませんでした。

そんなこんなで、心の中でエアー鐘撞き

ゴ〜ン♪(心の中で)


●参道

鐘楼を過ぎると、再び階段が登場しました。

裏参道で570段中240段をショートカットしても、まだまだ階段は続きます。

そんなこんなで、足腰が不安な方にとっては厳しい参拝になりそうです。

ちなみに、以前は大師堂がある400段目まで送迎バスがあったそうですが、現在は休止中とのことです。

~2022年4月現在の情報~


階段を上りきると岩窟の護摩堂が登場しますが、後ほど参拝することに。

そんなこんなで、本堂に向かって歩く。


境内の奥に進むにつれ、どんどん山岳霊場っぽい雰囲気が出てきました。

かつて日本三大霊場と呼ばれていたのも納得!

神聖な空気が漂っていましたよ。


●水場の洞窟

そうこうしていると、水場の洞窟が登場しました。

なんとこの洞窟は、かつて神仏の世界(須弥山)への入口として信仰されていたんだって!

この洞窟で願掛けをするとお地蔵さまが須弥山(神仏の世界)に願いを届けてくれるといわれ、その風習は現在もお水まつりとして残っているそうです。

●お水まつりとは?

お水まつりとは、水場の洞窟に水経木と呼ばれる真言が書かれた経木をお供えし、山頂から流れ落ちてくる霊水で経木を洗い清めることなんだって。

そして水経木に願掛けをすると、お地蔵さまが須弥山におられる神仏に願いを届けてくれるそうです。

ちなみに、この水はいくら日照りが続いても枯れることのない湧水なんだって。


昔からお地蔵さんお不動さん表裏一体とされ、一緒にお祀りされることがあるんだとか。

優しいお顔はお地蔵さん。
怒ったお顔はお不動さんといわれ、必要に応じて姿を変え、願いを叶えるといわれています。

このお寺では、水場の洞窟に願掛け地蔵。
大師堂と護摩堂に不動明王が祀られています。


●阿弥陀三尊磨崖仏

水場の洞窟を過ぎると阿弥陀三尊磨崖仏が登場。

いつの時代に造られたものかは定かではありませんが、弘法大師作という説や鎌倉時代作という説がある浪漫あふれる磨崖仏のようです。

先ほどの水場の洞窟のように、弥谷山の霊山信仰は神仏の世界への入口として信仰された歴史があります。

そんなこんなで、弥谷山には霊山信仰を持った修験者が刻んだ摩崖仏が無数に点在しているそうです。
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本堂

●本堂

●本堂
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造

●本尊
・千手観世音菩薩

●真言
・おん ばさら たらま きりく

そんなこんなで、やっとこさ本堂に到着。

境内入口から本堂まで570段(表参道)
中腹の駐車場から本堂までは300段(裏参道)

ということで、表も裏も本堂まではなかなか遠い道のりとなっております。


現在は岩壁の前に本堂が建っていますが、もともとは本堂裏の岩山にある岩窟に御本尊・千手観音像が安置されていたみたいです。

その岩窟には不動明王と毘沙門天のが取り付けられていたそうですよ。

ということで、かつては岩山全体を本堂と見たてて拝んでいたのかも知れませんね。

まさに仏の山。
この山が神仏の世界(須弥山)の入口として信仰されていたのも納得です。


ちなみに現在、その扉は獅子之岩屋の中に安置されています。

~画像はWikipedia 弥谷寺より~


御本尊は千手観音さん。

由緒によると、807年に弘法大師が護摩を修した際、蔵王権現が現れて『この山は観音の霊場なり。伽藍を再興して千手観音を祀るように』みたいなことを告げたそうです。

そんなこんなで、弘法大師は一刀三礼で千手観音を刻んで本尊とし、五柄の剣と恵果和尚から授かった金銅・五鈷鈴(国重文)を納めたといわれています。

ちなみに御本尊さまについての説明板がなかったため詳しいことはわかりません。。

情報がないということは、もしかしたら現在の御本尊さまはお大師さまが刻んだ仏さまではないのかも知れませんね。

このお寺は、1573〜1593年に長宗我部元親による兵火で焼失してますので、それ以降に刻まれた仏さまなのかも知れません(推測)


木鼻は獅子。
手挟みには鳳凰と牡丹が彫刻されていました。

そして、やたらとポップな額が印象的なお堂でした。

ちなみに額には大悲殿と書かれておりました。
大悲殿とは観音さまがおられる場所という意味です。


本堂は岩壁に密着していて、大工さんのテクニックが存分に発揮されていました。


そして岩壁にはたくさんのお賽銭が置かれていました。

キラキラして、まるで銀河のようでしたよ。

そんなこんなで、私もお賽銭を・・・

慎重にお賽銭を置いたつもりでしたが、滑り落ちてしまいました。
しかも、他のお賽銭を道連れにして・・・。

(このことは内緒にしておいてください)


ちなみに、本堂前からは素敵な風景を望むことができました。

おそらく、三豊市方面の景色だと思われます。
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大師堂と獅子之岩屋

●大師堂と獅子之岩屋

●大師堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造
・本尊 弘法大師

続いて、大師堂を参拝。

ちなみに大師堂は、本堂から山を下ったところにあります。


大師堂は、四国霊場では珍しく靴を脱いで堂内で参拝する形式になっていました。

な〜んとなく拝観料がいりそうな雰囲気ですが、無料ですのでご安心を。

大師堂内には、御本尊のお大師さま。
そして、納経所がありました。

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・

そんなこんなで参拝後、堂内の奥に進むと・・・


はいドン!

奥の院の獅子之岩屋に到着!

なんと、この岩屋は幼少時代の弘法大師が勉学に励んだ場所だという!

そのため、この弥谷寺は別名・弘法大師御学問所と呼ばれてるんだって。

由緒によると、佐伯真魚(後の弘法大師)が7〜12歳までの間、この岩窟で学問に励んだといわれています。

この岩屋は創建当初から経蔵として使用されていたらしく、幼少時代のお大師さまはこの経蔵から経典をとりだし、から指すの下で昼夜問わず勉学に励んでいたんだって!


その窓がこちら。

大師堂と獅子之岩屋の境目付近にあります。

この窓は明星之窓と呼ばれてるんだって。


それにしても、大師堂と獅子之岩屋の境目がスゴい!

大工さんの超絶テクに感動してしまいました。


獅子之岩屋には、御本尊の厄除弘法大師石像をはじめ、弘法大師の父・佐伯善通卿石像、母・玉依御前石像を安置。

そして、それを囲むかたちで10体の摩崖仏が彫られていました。

ちなみに、この岩窟は獅子が吠えているような形であることから獅子之岩屋と名付けられたそうです。

また『獅子の咆哮は仏の説法と同じ』という仏教の教えから、この岩屋前で参拝すると『自身につくあらゆる厄災を獅子が食べ尽くし、身を護ってくれる』と信仰されているそうですよ。

岩屋内はとてつもない緊張と神聖な空気に支配されていて、生唾を飲む音と心臓の音、さらには血流の音までもが響き渡ってしまいそうなくらいの静寂な空間でした。(言い過ぎ感)

これまで四国霊場ではたくさんの弘法大師伝説に出会いましたが、その中でもダントツにお大師さまのオーラを感じれた空間でした(これはマジ)

南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・
南無大師遍照金剛・・・

●洞地蔵尊

見事に見逃して帰りましたが、大師堂内に座って10m上の岩壁を見上ると洞地蔵尊という石仏がおられるそうです。

洞地蔵尊は首から上の病に御利益があるんだって。

見逃した私が言うのも何ですが、洞地蔵尊は大師堂内からしか拝顔できないそうなのでお見逃しなく!

十王堂と観音堂と護摩堂と多宝塔

●十王堂

●十王堂
・建立年不明
・瓦葺 入母屋造
・本尊 十王像

続いて、十王堂を参拝。

2周目に突入です・・・やはりこの参拝順は間違っています(笑)

また同じ階段を上るとか・・・スポーツ要素強すぎです!

ということで、今更ですが十王堂・観音堂・鎮守堂は本堂に行く前に参拝することをオススメします。


そんなことより、十王堂には梵鐘が置かれていました。

もともとは鐘楼に吊るされていたものなのかな?


あと、ちょっと気になったのが順子

お~順子♪
君の名を呼べば僕はせつないよ〜♪

以後、♪順子♪が頭の中でリピート再生。

せつない参拝となる・・・。


●観音堂

●観音堂
・建立年不明
・瓦葺 宝形造

続いて、観音堂を参拝。

説明板がなかったため、何の観音さんが安置されているのかはわかりませんでした。


●岩窟の護摩堂

●岩窟の護摩堂
・建立年不明
・瓦葺
・唐破風向拝付き妻入り切妻造

続いて、岩窟の護摩堂を参拝。

大師堂同様、護摩堂も岩窟と合体した造りになっていました。


堂内というか、岩窟内には不動明王・弥勒菩薩・阿弥陀如来・道範像が安置されていました。


●多宝塔


●多宝塔
・1877年建立

続いて、多宝塔を参拝。

異常に多い斗にビックリでしたよ。
こんなにいる!?

間違いなく、過去最高の斗密度でした!


●弘法大師像

続いて、お大師さまにご挨拶。

お大師さまは、古代遺跡のような石積みの上に立っておられました。


・・・ここで気づく。

鎮守堂を参拝し忘れたことを!

3周目は無理っ!(笑)

ということで、鎮守社の参拝は次回にでも!


そんなこんなで、参拝終了。

帰宅後に知ったのですが、弥谷寺ではお寺を去るときに決して振り返ってはいけないといういい伝えがあるそうです。

振り返ってしまうと、死者を背負って帰ってしまうのだとか・・・。

・・・

・・・・・

何度も振り返って写真を撮りましたねぇ。

どうしましょ(笑)

第72番・曼荼羅寺へ続く。

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御朱印情報

●御朱印の種類
・四国八十八ヶ所の御朱印
・奥之院 御学問所の御朱印
・七ヶ所参り大黒天の御朱印

●御朱印の受付場所
・納経所(大師堂内)

●御朱印の受付時間
・7:00~17:00

●御朱印の料金
・四国八十八ヶ所 500円
・奥之院 御学問所 300円
・七ヶ所参り大黒天 300円

●期間限定・特別御朱印
・なし

●オリジナル御朱印帳
・なし

・2011年6月4日 参拝
・2024年3月 最終更新
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参拝情報とアクセス

●拝観料
・無料


●宿坊
・なし

宿坊はありませんが、境内には通夜堂があるみたいです。

●前後札所
・第70番札所・本山寺へ13km
 徒歩2時間30分
 車で25分

・第72番札所・曼荼羅寺へ5km
 徒歩1時間
 車で15分

●最寄りの駅
・JRみの駅から徒歩55分

・JRみの駅から車で10分

●最寄りのバス停
・三豊市コミュニティバス
 ふれあいパークみの バス停で下車
 弥谷寺境内入口まで徒歩5分

●最寄りのIC
・高松自動車道
 三豊鳥坂ICから車で10分


●表参道の駐車場
・駐車台数 50台
・駐車料金 無料

●裏参道の駐車場
・駐車台数 20台
・駐車料金 500円

※大型バスは進入不可

●ふれあいパークみの(道の駅)の駐車場
・駐車台数 150台
・駐車料金 無料

弥谷寺の地図

 

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