
所在地 | 山口県岩国市玖珂町1708 |
---|---|
宗 派 | 日蓮宗 |
由 緒 | 540〜571年、欽明天皇が筑紫から都へ帰られるとき、この地に立ち寄り休息をとったことにより欽明寺と名付けられたという。もともとは禅宗寺院だったそうですが、1491年の焼失後、1603年に法華宗の僧・忠性院が再建。そして大僧正・日相上人から曼荼羅を授けられ、日蓮宗のお寺となったそうです。 |
HP | 岩国市欽明寺永代供養塔・納骨堂 |
山門と手水鉢と鐘楼
●境内入口

日蓮宗の古刹・欽明寺に到着。
正式名称は宝光山 欽明寺。
宝光山 欽明寺と書いてほいこうざん きんめいじと読みます。
寺号でもわかるように、欽明天皇ゆかりのお寺さんです。
●山門

由緒によると、540〜571年に欽明天皇が筑紫から都へ帰られる際、この地に立ち寄り休息をとったんだと。
そのことにより欽明寺と名付けられたんだそうな。
●欽明路峠

ちなみに欽明寺のすぐ近くには欽明路峠という峠があります。
かつて欽明路峠は旧山陽道(西国街道)の中で屈指の難所といわれ、その難所っぷりは万葉集にも詠まれているという。

山門は竜宮門となっておりました。
山口県では赤間神宮(下関市)をはじめ、光台寺(柳井市)・西福寺(美祢市)・智光院(周防大島)などで竜宮門を見ることができます。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●手水鉢

なんと、水が出るところが石臼!
ナイスリサイクルです!
●鐘楼

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
思えば、山口県で日蓮宗寺院を参拝するのは久々だなぁ。
調べてみると、山口県内には約1400ヶ寺のお寺さんがあるみたい。
ほんでもって、日蓮宗ポータルサイトによると山口県内の日蓮宗寺院は36ヶ寺。
どうりで久々なわけだ!

日蓮宗の古刹・欽明寺に到着。
正式名称は宝光山 欽明寺。
宝光山 欽明寺と書いてほいこうざん きんめいじと読みます。
寺号でもわかるように、欽明天皇ゆかりのお寺さんです。
●山門

由緒によると、540〜571年に欽明天皇が筑紫から都へ帰られる際、この地に立ち寄り休息をとったんだと。
そのことにより欽明寺と名付けられたんだそうな。
●欽明路峠

ちなみに欽明寺のすぐ近くには欽明路峠という峠があります。
かつて欽明路峠は旧山陽道(西国街道)の中で屈指の難所といわれ、その難所っぷりは万葉集にも詠まれているという。
周防なる磐國山を超えむ日も
手向けよくせよ 荒しその道
山口忌寸若麻呂 作
●訳
周防の磐国山を越える日には
神によく手向けをされますように
荒々しいその道ですので
手向けよくせよ 荒しその道
山口忌寸若麻呂 作
●訳
周防の磐国山を越える日には
神によく手向けをされますように
荒々しいその道ですので

山門は竜宮門となっておりました。
山口県では赤間神宮(下関市)をはじめ、光台寺(柳井市)・西福寺(美祢市)・智光院(周防大島)などで竜宮門を見ることができます。
そんなこんなで、山門をくぐって境内へ。
●手水鉢

なんと、水が出るところが石臼!
ナイスリサイクルです!
●鐘楼

続いて、鐘楼で鐘をひと撞き。
思えば、山口県で日蓮宗寺院を参拝するのは久々だなぁ。
調べてみると、山口県内には約1400ヶ寺のお寺さんがあるみたい。
ほんでもって、日蓮宗ポータルサイトによると山口県内の日蓮宗寺院は36ヶ寺。
どうりで久々なわけだ!
本堂と清正公堂
●本堂

●本堂
・1958年再建
・瓦葺 妻入り入母屋造
・本尊 釈迦如来
続いて、本堂で参拝。
もともとの本堂は1940年に起こった欽明路集落の大火により焼失。
その後、1958年に再建されたのがこの本堂です。
※2015年、日蓮聖人御生誕八百年事業として新たな本堂が再建されました。
●清正公堂

●清正公堂
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、清正公堂を参拝。
清正公堂という名前からもわかるように、このお堂には加藤清正さんがお祀りされています。
って、なんで清正さんが!?
と、お思いの方もおられるでしょうが、清正さんは陣旗や兜にお題目(南無妙法蓮華経)を入れるほど熱烈な法華宗の信者。
全国の日蓮宗寺院には、加藤清正さんを祀る清正公堂が結構あります。
ではなぜ日蓮宗では加藤清正さんを信仰するのか・・・
その理由は・・・
・・・・・
・・・・・・・
・・・知らん(笑)

●本堂
・1958年再建
・瓦葺 妻入り入母屋造
・本尊 釈迦如来
続いて、本堂で参拝。
もともとの本堂は1940年に起こった欽明路集落の大火により焼失。
その後、1958年に再建されたのがこの本堂です。
※2015年、日蓮聖人御生誕八百年事業として新たな本堂が再建されました。
●清正公堂

●清正公堂
・建立年不明
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、清正公堂を参拝。
清正公堂という名前からもわかるように、このお堂には加藤清正さんがお祀りされています。
って、なんで清正さんが!?
と、お思いの方もおられるでしょうが、清正さんは陣旗や兜にお題目(南無妙法蓮華経)を入れるほど熱烈な法華宗の信者。
全国の日蓮宗寺院には、加藤清正さんを祀る清正公堂が結構あります。
ではなぜ日蓮宗では加藤清正さんを信仰するのか・・・
その理由は・・・
・・・・・
・・・・・・・
・・・知らん(笑)
観音堂と周防武田氏
●観音堂

●観音堂
・1942年建立
・瓦葺 宝形造
続いて、観音堂を参拝。
その名の通り、御本尊は観音さま。
ネットの情報によると、その観音さまは行基作なんだとか!

蟇股には武田菱の紋がありました。

よく見ると、屋根の頂部にも武田菱がありました。
って、なんで山口に武田菱がっ!?

観音堂の前には、このお堂は武田甲斐人さんが建立したよ〜的な石碑まで建ってる!
調べてみると、欽明寺から約100m離れた地に周防武田氏の屋敷跡があるんだとか!
甲斐武田氏や安芸武田氏は聞いたことあるけど、周防武田氏は初めて聞いたよ!
しかもなんと、この欽明寺は周防武田氏の菩提寺なんだとか!
●芸州銀山城主・武田光和の供養塔

そんなこんなで、観音堂の周りを散策していると、古そうな宝篋印塔を発見。
なんとこちらは、武田小三郎の父・武田光和の供養塔なんだとか。
どうやらこの供養塔は、小三郎が父・光和の菩提を弔うために建立したもののようです。

●観音堂
・1942年建立
・瓦葺 宝形造
続いて、観音堂を参拝。
その名の通り、御本尊は観音さま。
ネットの情報によると、その観音さまは行基作なんだとか!

蟇股には武田菱の紋がありました。

よく見ると、屋根の頂部にも武田菱がありました。
って、なんで山口に武田菱がっ!?

観音堂の前には、このお堂は武田甲斐人さんが建立したよ〜的な石碑まで建ってる!
調べてみると、欽明寺から約100m離れた地に周防武田氏の屋敷跡があるんだとか!
甲斐武田氏や安芸武田氏は聞いたことあるけど、周防武田氏は初めて聞いたよ!
しかもなんと、この欽明寺は周防武田氏の菩提寺なんだとか!
●武田氏とは?

武田氏は清和源氏の一流・河内源氏の一門である源義光を始祖とする氏族。
鎌倉時代には鎌倉幕府の有力御家人。
室町幕府には守護大名に。
そして、戦国時代には戦国大名・武田信玄が大きく領土を広げました。
●安芸武田氏とは?

安芸武田氏は、1221年に起こった承久の乱の戦功により、鎌倉幕府から安芸守護に任じられたことが始まり。
武田信時の時代、元寇に備えて安芸国に佐東銀山城を築き本格的な領土支配に乗り出すようになったという。
南北朝時代、武田信武が足利尊氏に属して戦功を上げ、甲斐国と安芸国の守護に任命され、信武の子の武田信成が甲斐守護、武田氏信が安芸守護となりました。
戦国時代、安芸武田氏は大内氏と対立関係にあり、尼子氏らと組んで大内氏に対抗しましたが、1541年に大内氏の命を受けた毛利元就によって銀山城は落城。
そして安芸武田氏は滅亡しました。

ちなみに、安芸武田氏の菩提寺は広島市にある不動院です。

毛利氏の外交僧として有名な安国寺恵瓊は武田信重の子といわれ、菩提寺の不動院には安国寺恵瓊のお墓や、武田刑部少輔のお墓などがあります。
●周防武田氏とは?

毛利元就により銀山城は落城。
そして安芸武田氏は滅亡しますが、安芸武田氏の当主・武田光和の庶子である武田小三郎(武田宗慶)は生き残っていました。
小三郎は成人すると毛利元就に仕えることになりました。
1600年、西軍の総大将だった毛利氏は関ヶ原の戦いで敗北。
毛利氏は112万石の大大名から防長二州の36万9千石へと大減封となりました。
そんなこんなで、毛利氏の移封にともない、小三郎も周防国に移り住むことに。
それが周防武田氏の始まりといわれています。
以来、周防武田氏は武田屋敷に376年間居住し、江戸・明治・大正時代と町の教育の振興に尽力したそうです。
ちなみに、欽明寺の観音堂を建立した武田甲斐人(武田皆山)は周防武田氏の第16代当主。
武田甲斐人は広島県呉市に移住し、大正中等学校(呉港高校)の初代校長や、呉武田学園の園長を務めたそうです。
1976年に82歳でお亡くなりになりました。

武田氏は清和源氏の一流・河内源氏の一門である源義光を始祖とする氏族。
鎌倉時代には鎌倉幕府の有力御家人。
室町幕府には守護大名に。
そして、戦国時代には戦国大名・武田信玄が大きく領土を広げました。
●安芸武田氏とは?

安芸武田氏は、1221年に起こった承久の乱の戦功により、鎌倉幕府から安芸守護に任じられたことが始まり。
武田信時の時代、元寇に備えて安芸国に佐東銀山城を築き本格的な領土支配に乗り出すようになったという。
南北朝時代、武田信武が足利尊氏に属して戦功を上げ、甲斐国と安芸国の守護に任命され、信武の子の武田信成が甲斐守護、武田氏信が安芸守護となりました。
戦国時代、安芸武田氏は大内氏と対立関係にあり、尼子氏らと組んで大内氏に対抗しましたが、1541年に大内氏の命を受けた毛利元就によって銀山城は落城。
そして安芸武田氏は滅亡しました。

ちなみに、安芸武田氏の菩提寺は広島市にある不動院です。

毛利氏の外交僧として有名な安国寺恵瓊は武田信重の子といわれ、菩提寺の不動院には安国寺恵瓊のお墓や、武田刑部少輔のお墓などがあります。
●周防武田氏とは?

毛利元就により銀山城は落城。
そして安芸武田氏は滅亡しますが、安芸武田氏の当主・武田光和の庶子である武田小三郎(武田宗慶)は生き残っていました。
小三郎は成人すると毛利元就に仕えることになりました。
1600年、西軍の総大将だった毛利氏は関ヶ原の戦いで敗北。
毛利氏は112万石の大大名から防長二州の36万9千石へと大減封となりました。
そんなこんなで、毛利氏の移封にともない、小三郎も周防国に移り住むことに。
それが周防武田氏の始まりといわれています。
以来、周防武田氏は武田屋敷に376年間居住し、江戸・明治・大正時代と町の教育の振興に尽力したそうです。
ちなみに、欽明寺の観音堂を建立した武田甲斐人(武田皆山)は周防武田氏の第16代当主。
武田甲斐人は広島県呉市に移住し、大正中等学校(呉港高校)の初代校長や、呉武田学園の園長を務めたそうです。
1976年に82歳でお亡くなりになりました。
●芸州銀山城主・武田光和の供養塔

そんなこんなで、観音堂の周りを散策していると、古そうな宝篋印塔を発見。
なんとこちらは、武田小三郎の父・武田光和の供養塔なんだとか。
どうやらこの供養塔は、小三郎が父・光和の菩提を弔うために建立したもののようです。
北辰妙見堂と欽明天皇の腰掛石と庭園
●北辰妙見堂

●北辰妙見堂
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
観音堂の隣には北辰妙見堂がありました。
先ほどの清正公堂と同じく、日蓮宗では北辰妙見堂があるお寺も多いです。
なぜ、日蓮宗に北辰妙見堂が多いのかというと、日蓮聖人が伊勢の常明寺で北辰妙見尊を感得したからといわれています。
そんなこんなで、日蓮宗寺院では北辰妙見尊を守護神の1つとしてお祀りしています。
●欽明天皇の腰掛石

境内には欽明天皇の腰掛石もありました。
ここで、欽明天皇が休息をとったということなのか!
●庭園

境内には素敵なお庭もありました。
お寺にお庭があるんじゃなく、お庭の中にお寺があるんじゃないかと思うくらい、主張の強い庭園でした。

その他、境内には日蓮聖人像やLEGOのような五重塔がありました。

そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。

●北辰妙見堂
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
観音堂の隣には北辰妙見堂がありました。
先ほどの清正公堂と同じく、日蓮宗では北辰妙見堂があるお寺も多いです。
なぜ、日蓮宗に北辰妙見堂が多いのかというと、日蓮聖人が伊勢の常明寺で北辰妙見尊を感得したからといわれています。
そんなこんなで、日蓮宗寺院では北辰妙見尊を守護神の1つとしてお祀りしています。
●欽明天皇の腰掛石

境内には欽明天皇の腰掛石もありました。
ここで、欽明天皇が休息をとったということなのか!
●庭園

境内には素敵なお庭もありました。
お寺にお庭があるんじゃなく、お庭の中にお寺があるんじゃないかと思うくらい、主張の強い庭園でした。

その他、境内には日蓮聖人像やLEGOのような五重塔がありました。

そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵なお寺さんでした。
御朱印情報(御首題)
参拝後、住職さん宅のインターホンを鳴らすも不在でした!
また機会があったら参拝させて頂きます!
●御朱印の種類
・御首題(南無妙法蓮華経)
●御朱印の受付場所
・庫裏(住職さん宅)
●御朱印の受付時間
・不明(不在の場合あり)
●御朱印の料金
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2012年11月23日 参拝
・2023年6月 更新
また機会があったら参拝させて頂きます!
●御朱印の種類
・御首題(南無妙法蓮華経)
●御朱印の受付場所
・庫裏(住職さん宅)
●御朱印の受付時間
・不明(不在の場合あり)
●御朱印の料金
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2012年11月23日 参拝
・2023年6月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR岩徳線
欽明路駅から徒歩15分
・JR岩徳線
欽明路駅から車で3分
●最寄りのバス停
・欽明路 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
玖珂ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・不明
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR岩徳線
欽明路駅から徒歩15分
・JR岩徳線
欽明路駅から車で3分
●最寄りのバス停
・欽明路 バス停から徒歩3分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
玖珂ICから車で10分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり