所在地 | 山口県山口市古熊1丁目10−3 |
---|---|
祭 神 | 主祭神 菅原道真 配祀神 菅原福部童子 |
由 緒 | 1373年、大内氏9代当主・大内弘世が、京都・北野天満宮より御分霊を勧請し、山口北野小路に祀ったのが始まりといいます。その後、1618年に長州藩初代藩主・毛利秀就が現在地に遷座。その際、社号を北野天神から今天神へ改めますが、1873年に古熊神社と改称し、現在に至ります。 |
HP | 山口の天神さま | 古熊神社 |
古熊神社とは?
本日はレンタサイクルで西の京・山口を旅しています。
そんなこんなで、通称・山口の天神さまとして親しまれている古熊神社に到着。
古熊神社と書いてふるくまじんじゃと読みます。
●古熊神社とは?
901年、菅原道真さんは無実の罪により京都から大宰府へ左遷されました。
その際、道真さんのお子様たちも次々と処分されたという。。
しかし23番目のお子様である菅原福部童子さまだけは10歳という幼さから京に残ることを許されました。
父と離ればなれになり、寂しい日々を過ごすこととなった福部さまは、1年後に父・道真さんに会いに行くことに。
そして数名の従者と共に大宰府へ旅立たれました。
しかし大宰府へ向かう途中、周防国の山口にて疫病にかかってしまったという。。
そんなこんなで、従者は急いで大宰府へ行き道真さんへお伝えしました。
福部さまの事情を知った道真さんは心を痛め、1つの掛け軸を従者に渡しました。
急いで山口に帰った従者は、福部さまの部屋の壁に、その掛け軸を掛けました。
なんと、その掛け軸はスダレの節で父・道真さんのお姿が浮かび上がる細工が施されていたという!
久しぶりに父の姿を見た福部さまは大層お喜びになり『山口の子供たちが私と同じような病気にかからないようにお祈りをして亡くなります』という言葉を残して短い生涯を終えられました。
その後、福部さまを不憫に思った山口の方々によって手厚く葬られ、お墓が建てられました。
福部さまが亡くなられてから約470年後の室町時代。
1373年に大内氏9代当主・大内弘世さんが京都・北野天満宮より菅原道真さんの御分霊を勧請し、現在地から1kmほど離れた地に北野天神を造営。
その際、大内氏の計らいにより福部さまの御霊が合祀され、約470年の時を経て父と再会することができました。
1618年、長州藩初代藩主・毛利秀就さんが『山口の北野天神を別の場所にお祀りするように』という神託を受けました。
そんなこんなで、その神託に従い現在地に遷座。
そして社号を北野天神から今天神へ改称しました。
その後、1873年に今天神から古熊神社へ改称し、現在に至ります。
ちなみに現在、北野天神が鎮座していた旧地には天神通りや北野小路という名前が残っています。
901年、菅原道真さんは無実の罪により京都から大宰府へ左遷されました。
その際、道真さんのお子様たちも次々と処分されたという。。
しかし23番目のお子様である菅原福部童子さまだけは10歳という幼さから京に残ることを許されました。
父と離ればなれになり、寂しい日々を過ごすこととなった福部さまは、1年後に父・道真さんに会いに行くことに。
そして数名の従者と共に大宰府へ旅立たれました。
しかし大宰府へ向かう途中、周防国の山口にて疫病にかかってしまったという。。
そんなこんなで、従者は急いで大宰府へ行き道真さんへお伝えしました。
福部さまの事情を知った道真さんは心を痛め、1つの掛け軸を従者に渡しました。
急いで山口に帰った従者は、福部さまの部屋の壁に、その掛け軸を掛けました。
なんと、その掛け軸はスダレの節で父・道真さんのお姿が浮かび上がる細工が施されていたという!
久しぶりに父の姿を見た福部さまは大層お喜びになり『山口の子供たちが私と同じような病気にかからないようにお祈りをして亡くなります』という言葉を残して短い生涯を終えられました。
その後、福部さまを不憫に思った山口の方々によって手厚く葬られ、お墓が建てられました。
福部さまが亡くなられてから約470年後の室町時代。
1373年に大内氏9代当主・大内弘世さんが京都・北野天満宮より菅原道真さんの御分霊を勧請し、現在地から1kmほど離れた地に北野天神を造営。
その際、大内氏の計らいにより福部さまの御霊が合祀され、約470年の時を経て父と再会することができました。
1618年、長州藩初代藩主・毛利秀就さんが『山口の北野天神を別の場所にお祀りするように』という神託を受けました。
そんなこんなで、その神託に従い現在地に遷座。
そして社号を北野天神から今天神へ改称しました。
その後、1873年に今天神から古熊神社へ改称し、現在に至ります。
ちなみに現在、北野天神が鎮座していた旧地には天神通りや北野小路という名前が残っています。
そんなこんなで、参拝開始。
鳥居と参道と狛犬
●鳥居
●鳥居
・1701年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居。
この鳥居は2017年に御遷座400年の記念事業として解体改修工事が行われたみたいです。
扁額には、古熊神社の旧社号である今天神と書かれておりました。
古熊神社から約1.6km離れたところに今八幡宮という神社が鎮座しています。
今八幡宮の今には新しいという意味があるそうです。
ということで、今八幡宮はナウ八幡宮ではなくニュー八幡宮ということなんですね。
もしかしたら、この今天神にも同じような意味があるのかも知れませんね!
ナウ天神ではなくニュー天神かもです。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって階段を上る。
階段脇には天神系神社のシンボルであります梅が咲いていました。
いい季節に来れたなぁ~
とか思いつつ。
●狛犬
●狛犬
・1823年奉納
階段を上りきると可愛らしい狛犬ちゃんがおられました。
その他、狛犬ちゃんの近くには1990年奉納の青銅製 狛犬と手水舎がありました。
●鳥居
・1701年建立
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居。
この鳥居は2017年に御遷座400年の記念事業として解体改修工事が行われたみたいです。
扁額には、古熊神社の旧社号である今天神と書かれておりました。
古熊神社から約1.6km離れたところに今八幡宮という神社が鎮座しています。
今八幡宮の今には新しいという意味があるそうです。
ということで、今八幡宮はナウ八幡宮ではなくニュー八幡宮ということなんですね。
もしかしたら、この今天神にも同じような意味があるのかも知れませんね!
ナウ天神ではなくニュー天神かもです。
●参道
そんなこんなで、鳥居をくぐって階段を上る。
階段脇には天神系神社のシンボルであります梅が咲いていました。
いい季節に来れたなぁ~
とか思いつつ。
●狛犬
●狛犬
・1823年奉納
階段を上りきると可愛らしい狛犬ちゃんがおられました。
その他、狛犬ちゃんの近くには1990年奉納の青銅製 狛犬と手水舎がありました。
今八幡宮の御朱印|山口総鎮守|国重文の楼拝殿造|八幡隊屯所跡|(山口県山口市)
所在地山口県山口市上宇野令828−1祭 神・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・玉依姫命・宇治皇子由 緒創建年は不詳。しかし1278~1287年、大内氏4代当主・大内弘成の娘に『今八幡殿』という名が見える...
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1373年建立
・1618年移築
・銅板葺 入母屋造 楼拝殿造
・国指定重要文化財
続いて、拝殿で参拝。
主祭神は、学問の神様・菅原道真さん。
そして配祀神には、道真さんの23番目のお子様であります菅原福部童子さんが祀られていました。
そんなこんなで、古くからこの神社は山口の天神さまと呼ばれ親しまれてるんだって。
拝殿は山口地方独特の形式で造られた楼拝殿造!
見た目は、宇佐神宮や石清水八幡宮などで、見られる楼門造に似ていますが、その名の通り楼拝殿造は楼門ではなく拝殿だという!
簡単にいえば楼門ではなく楼閣。
もっと簡単にいえば、楼門に床を張ったような造りになっています。
そのため、楼門のようにくぐることはできず、拝殿のように昇殿してお詣りができる造りになっているという。
すなわち拝殿なのです!
このような拝殿は、なぜか山口地方にのみ普及した造りで、全国的にも珍しい様式になっています。
本日は、今八幡宮と八坂神社で楼拝殿造を拝見することができました。
もともと、この社殿は旧鎮座地に建っていましたが、江戸時代に毛利氏が現在地に移築。
その際、毛利氏が移築した証しとして拝殿の棟に毛利氏の家紋・一文字三ツ星を取り付けたそうです。
●本殿
●本殿
・1373年建立
・1618年移築
・檜皮葺 入母屋造
・国指定重要文化財
拝殿同様、本殿も旧鎮座地に建立されていたそうです。
それを、江戸時代に現在地に移築したんだって。
本殿の部材に赤い染料が残っていることから、建立当初は朱色の社殿だったそうですよ。
見事に見逃して帰りましたが、本殿中央の蟇股には梅に大内菱が彫刻されているそうです。
さらに向かって左には竹に鳳凰。
そして向かって右には松に鳳凰の蟇股があるという!
実はなんと!
この松竹梅の蟇股は現存最古のものなんだって!
その他、本殿には木造の神像と狛犬ちゃんがおられました。
屋外に木像を安置するとは、なかなか大胆ですねぇ~。
●拝殿
・1373年建立
・1618年移築
・銅板葺 入母屋造 楼拝殿造
・国指定重要文化財
続いて、拝殿で参拝。
主祭神は、学問の神様・菅原道真さん。
そして配祀神には、道真さんの23番目のお子様であります菅原福部童子さんが祀られていました。
そんなこんなで、古くからこの神社は山口の天神さまと呼ばれ親しまれてるんだって。
拝殿は山口地方独特の形式で造られた楼拝殿造!
見た目は、宇佐神宮や石清水八幡宮などで、見られる楼門造に似ていますが、その名の通り楼拝殿造は楼門ではなく拝殿だという!
簡単にいえば楼門ではなく楼閣。
もっと簡単にいえば、楼門に床を張ったような造りになっています。
そのため、楼門のようにくぐることはできず、拝殿のように昇殿してお詣りができる造りになっているという。
すなわち拝殿なのです!
このような拝殿は、なぜか山口地方にのみ普及した造りで、全国的にも珍しい様式になっています。
本日は、今八幡宮と八坂神社で楼拝殿造を拝見することができました。
もともと、この社殿は旧鎮座地に建っていましたが、江戸時代に毛利氏が現在地に移築。
その際、毛利氏が移築した証しとして拝殿の棟に毛利氏の家紋・一文字三ツ星を取り付けたそうです。
●本殿
●本殿
・1373年建立
・1618年移築
・檜皮葺 入母屋造
・国指定重要文化財
拝殿同様、本殿も旧鎮座地に建立されていたそうです。
それを、江戸時代に現在地に移築したんだって。
本殿の部材に赤い染料が残っていることから、建立当初は朱色の社殿だったそうですよ。
見事に見逃して帰りましたが、本殿中央の蟇股には梅に大内菱が彫刻されているそうです。
さらに向かって左には竹に鳳凰。
そして向かって右には松に鳳凰の蟇股があるという!
実はなんと!
この松竹梅の蟇股は現存最古のものなんだって!
松竹梅が庶民の間に浸透したのは江戸時代に入ってからといわれています。
今でこそ松竹梅の蟇股は全国各地にありますが、この社殿が建立された室町時代は、まだ京の貴族の間のみで流行していたものだったという。
そんなこんなで、室町時代に建立された古熊神社の蟇股は庶民に浸透する前に造られたものなんだって!
京に憧れた大内弘世さんは、山口の町を京を模した町造りにし、やがて山口は京をしのぐほど繁栄。
そんな大内弘世さんは、社殿を造営するにあたり都の最先端の文化である松竹梅を彫刻として取り入れたというわけなんですね!
おそらく、京にもたくさんの松竹梅の彫刻があったでしょうが、京の町は応仁の乱の戦火でたくさんの寺社が焼失してしまいました。
結果、戦が少なかった山口に鎮座していた古熊神社の松竹梅が現存最古のものになったそうです。
今でこそ松竹梅の蟇股は全国各地にありますが、この社殿が建立された室町時代は、まだ京の貴族の間のみで流行していたものだったという。
そんなこんなで、室町時代に建立された古熊神社の蟇股は庶民に浸透する前に造られたものなんだって!
京に憧れた大内弘世さんは、山口の町を京を模した町造りにし、やがて山口は京をしのぐほど繁栄。
そんな大内弘世さんは、社殿を造営するにあたり都の最先端の文化である松竹梅を彫刻として取り入れたというわけなんですね!
おそらく、京にもたくさんの松竹梅の彫刻があったでしょうが、京の町は応仁の乱の戦火でたくさんの寺社が焼失してしまいました。
結果、戦が少なかった山口に鎮座していた古熊神社の松竹梅が現存最古のものになったそうです。
その他、本殿には木造の神像と狛犬ちゃんがおられました。
屋外に木像を安置するとは、なかなか大胆ですねぇ~。
今八幡宮の御朱印|山口総鎮守|国重文の楼拝殿造|八幡隊屯所跡|(山口県山口市)
所在地山口県山口市上宇野令828−1祭 神・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・玉依姫命・宇治皇子由 緒創建年は不詳。しかし1278~1287年、大内氏4代当主・大内弘成の娘に『今八幡殿』という名が見える...
八坂神社の御朱印|大内氏の別邸・築山館跡に鎮座|山口の三大祭りの1つ・山口祇園祭|(山口県山口市)
所在地山口県山口市上竪小路100祭 神素盞嗚尊・稲田姫命・手名槌命・足名槌命由 緒1369年、大内氏9代当主・大内弘世が京都・祇園社から神霊を勧請して創建したのが始まりといいます。創建当初は竪小路に鎮座...
放生池と神牛と神馬
●放生池
境内には放生池がありました。
古そうな石橋は実際に渡ることができましたよ。
●神牛と神馬
あと、天神系のシンボルキャラである神牛ちゃんと、コンクリ製の神馬ちゃんもおられました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
境内には放生池がありました。
古そうな石橋は実際に渡ることができましたよ。
●神牛と神馬
あと、天神系のシンボルキャラである神牛ちゃんと、コンクリ製の神馬ちゃんもおられました。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・古熊神社の御朱印
・豊栄神社の御朱印
・野田神社の御朱印
※古熊神社の他に古熊天神と書かれることもあるようです。
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●オリジナル御朱印帳
・なし
●期間限定・特別御朱印
・初詣の御朱印
・夏越大祓の御朱印
・みたらし祭(御手洗祭 七夕祭り)の御朱印
・2009年3月21日 参拝
・2022年7月 更新
・古熊神社の御朱印
・豊栄神社の御朱印
・野田神社の御朱印
※古熊神社の他に古熊天神と書かれることもあるようです。
●御朱印の受付場所
・授与所
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●オリジナル御朱印帳
・なし
●期間限定・特別御朱印
・初詣の御朱印
・夏越大祓の御朱印
・みたらし祭(御手洗祭 七夕祭り)の御朱印
8月7日御手洗祭(七夕祭り)斎行にむけ、特別ご朱印を頒布いたします。
— 古熊神社 | 山口の天神さま (@furukumajinja) July 29, 2021
期間は8月1日~7日まで、初穂料は300円です。
書置きのみの対応となり、数に限りがございますので、ご了承ください。
なお、通常のご朱印はいつものように対応いたします! pic.twitter.com/YKqLOZEMZs
19日(日)より30日夏越大祓まで、水無月のご朱印を頒布いたします。
— 古熊神社 | 山口の天神さま (@furukumajinja) June 16, 2022
書き置きのみの対応、お初穂料は300円でございます。
週末には茅の輪も設置する予定です😊
1年の折り返し、ぜひ古熊の夏詣にお越しください😌 pic.twitter.com/L47rH7BUFo
・2009年3月21日 参拝
・2022年7月 更新
豊栄神社・野田神社の御朱印|毛利元就と毛利敬親を祀る|(山口県山口市)
所在地・豊栄神社 山口県山口市天花1丁目1−1・野田神社 山口県山口市天花1丁目1−2祭 神・豊栄神社 毛利元就・野田神社 毛利敬親 毛利元徳社 格旧別格官幣社・別表神社由...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR上山口駅から徒歩15分
・JR上山口駅から車で3分
・JR山口駅から徒歩20分
・JR山口駅から車で4分
●最寄りのバス停
・防長交通
竪小路 バス停から徒歩12分
・防長交通
豊栄 バス停から徒歩13分
・防長交通
山口西京橋 バス停から徒歩14分
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で15分
・中国自動車道
小郡ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR上山口駅から徒歩15分
・JR上山口駅から車で3分
・JR山口駅から徒歩20分
・JR山口駅から車で4分
●最寄りのバス停
・防長交通
竪小路 バス停から徒歩12分
・防長交通
豊栄 バス停から徒歩13分
・防長交通
山口西京橋 バス停から徒歩14分
●最寄りのIC
・中国自動車道
山口ICから車で15分
・中国自動車道
小郡ICから車で20分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり(20台)
湯田温泉・足湯6ヶ所巡礼(山口県山口市)
湯田温泉とは?●JR湯田温泉駅第38回 青春18切符の旅。そんなこんなで、JR湯田温泉駅に到着!湯田温泉は山口市街地に位置する山陽地方屈指の一大温泉地です。室町時代から続く温泉で、開湯約600...