所在地 | 山口県山口市秋穂西337 |
---|---|
祭 神 | 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后 |
由 緒 | 814年、外敵侵攻に対する鎮護として豊前国・宇佐八幡宮の御分霊を二島(現・山口市秋穂二島)に勧進したのが始まりといいます。その後、1501年に大内氏15代当主・大内義興が現在地に遷座。現在の社殿は1740年に長州藩6代藩主・毛利宗広が建立したものといわれています。1873年に郷社となり、1901年に県社に昇格。しかし、太平洋戦争後に社格は廃されたそうです。1961年、社名を八幡宮から正八幡宮と改称し、現在に至ります。 |
鳥居と参道と手水舎と狛犬
山口市秋穂に鎮座する正八幡宮に到着。
正八幡宮と書いてしょうはちまんぐうと読みます。
恥ずかしながら、今日の今日まで秋穂のことをあきほと読んでいました。
秋穂と書いてあいおと読むのですね!
どうりでナビで検索しても出てこないはずだ〜。
そんなことより、秋穂は室町時代を通じて大内氏の本拠・山口の外港を担った港町だったみたいです。
大内文化が花開いた西の京・山口と秋穂は街道で結ばれていたらしく、幕府や各勢力の使者たちは秋穂に船を留め、陸路で山口に入ってたんだって。
秋穂は江戸時代から昭和時代まで何度か開作(開拓)が行われたらしく、海を埋め立てた土地には広大な田畑が広がっていました。
現在は内陸部に鎮座する正八幡宮ですが、かつては神社の近くまで海が迫っていたんじゃないかと(推測)
もしかしたら海に近かった正八幡宮には、港から上陸したたくさんの歴史人が参拝に訪れていたのかも知れませんね・・・って、そんなことは由緒に一切書いてませんけどね!
これは全て私の想像です(笑)
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居①
●鳥居①
・平成時代建立(?)
・明神鳥居
まず最初に登場するのは鳥居①。
見た感じ、新しめの鳥居でした。
参道に2004年の台風で倒壊した古い鳥居がありましたので、もしかしたらこの鳥居は倒壊した鳥居の跡地に建てられたものかもしれませんね(推測)
●石橋
そんなこんなで、鳥居①をくぐって境内へ。
鳥居①と鳥居②の間にはいくつかの用水路があり、それぞれに石橋が架けられていました。
それにしても、石畳や舗装された道ではなく、土の参道というところがリアリティがあっていいですね!
古い時代にタイムスリップできるロケーションでした。
●鳥居②
●鳥居②
・1662年建立
・明神鳥居
続いて、鳥居②が登場。
なんと、この鳥居は1662年に建立されたものだという。
肉眼でははっきりと確認できませんでしたが、説明板によると鳥居の柱には大江綱廣朝臣という名が刻まれているそうですよ。
ちなみに大江綱廣朝臣とは、長州藩2代藩主・毛利綱広さんのことです。
そんなこんなで、毛利綱広さんが寄進した鳥居なんだろうなぁ〜と思ったら、願主は氏子で寄進者は庄屋の茂兵衛と利兵衛という方のようです。
説明板には毛利綱広さんが建立したとは書いていませんでした・・・(-“-;) ??
そういえば周防国三宮の仁壁神社の鳥居にも大江綱廣朝臣と刻まれていました。
山口では大江綱廣朝臣と刻むのがブームだったのでしょうか・・・ないか。
そんなことより面白いなぁ〜と思ったのが、鳥居の柱が円柱ではなく丸みをおびた角柱だったこと。
ちなみに、角丸タイプの鳥居は山口総鎮守の今八幡宮にもありました。
今八幡宮のブログでは円柱を造る技術がなかったから角丸になった(ネット情報)と書きましたが、この鳥居も同じような理由で角丸になったのでしょうか?
●参道
そんなこんなで、鳥居②をくぐると一直線に伸びる長〜い参道に突入。
約200mある参道の脇にはたくさんの石灯籠が建ち並んでいました。
噂によると境内には120基以上の石灯籠があるんだって。
ちなみにこの神社は西向きに鎮座していました。
その昔、秋穂は西から来る異国の軍勢に度々襲われてたんだって。
そんなこんなで、西から来る異国の軍勢から護るため、宇佐八幡宮から八幡神を勧請したのがこの神社の始まりなんだそうです。
この神社が西を向いているのは外敵鎮護という意味があったのですね。
それにしても、西から襲って来る異国の軍勢って何のことを指してるんだろう?
刀伊の入寇のことかなぁ?
でも神社の創建年と時代が合わないしなぁ・・・(-“-;) ??
何より刀伊の入寇で秋穂が襲われたなんてどこにも書いてない・・・だめだ、私の考察力(笑)
●手水舎
●手水舎
・建立年不明
・瓦葺 切妻造
そんなこんなで、手水舎でお清め。
丸みを帯びた屋根が可愛い手水舎でした。
●狛犬
●狛犬
・1785年奉納
続いて、狛犬ちゃんにご挨拶。
阿形ちゃんが笑ってるように見える個性派の狛犬ちゃんでした。
そんなことより、目がバグってしまったのかと思うくらい台座と狛犬ちゃんのサイズが合ってません!
もしたしたら、もともとこの台座には違う狛犬ちゃんが置かれていたのかなぁ?
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1740年建立
・檜皮葺 入母屋造
・楼拝殿造
・国指定重要文化財
続いて、拝殿で参拝。
拝殿は山口地方独特の様式で造られた楼拝殿造!
これこれこれ!
これを拝見したかったんだよ!
見た目は、宇佐神宮や石清水八幡宮などで見られる楼門造に似ていますが、その名の通り楼拝殿造は楼門ではなく拝殿なんですよ!
簡単にいえば楼門ではなく楼閣。
もっと簡単にいえば、楼門に床を張ったような造りになっています。
そのため、楼門のようにくぐることはできず、拝殿のように昇殿してお詣りができる造りになっているという。
このような拝殿は、なぜか山口地方のみで普及した造りで、全国的にも珍しい様式になっております。
拝殿の両サイドにあるのは庁屋(翼廊)。
庁屋(翼廊)には床が張られているので回廊ではありません。
この社殿の面白いところは、上から見ると宮の文字になっていること!
楼拝殿の部分は宀!
幣殿と本殿は呂!
宀 + 呂 = 宮!
おもしろっ!
そんなこんなで、設計者の遊び心とポップなセンスが爆発したアーティスティックな社殿になっていました。
あと、見事に見逃して帰りましたが、この社殿にはもう1つ面白い部分があるという!
なんと楼拝殿の礎石に溝が掘られてるんだって(ネット情報)
何のための溝かというとシロアリ対策!
かつてはその溝に潮水を入れてシロアリの侵入を防いでいたという!
これまたナイスアイデアですねぇ。
こんな面白いものを見逃して帰るとはね!
もともとこの神社は二島(現・山口市秋穂二島)に創建されていたみたいです。
しかし度々火災に遭い焼失。。
そんなこんなで、1501年に大内氏15代当主・大内義興さんが現在地に遷座したそうです。
しかし!
蛾害に遭ったため、長州藩6代藩主・毛利宗広さんが現在の社殿を建立したんだって。
それにしても、神社の由緒に蛾害というワードは初めて拝見しましたよ!
蛾による農作物への被害は知っていましたが、建物に対しても蛾害ってあるんですねぇ。
あたしゃ阿保なので、こんな光景を想像してしまいましたよ。
そんなこんなで、昔からこの神社はシロアリや蛾などの害虫被害に悩まされていたのですね。
拝殿には五七の桐紋と菊の御紋と大内菱の蟇股を確認することができました。
現在の社殿は毛利氏が建立したものですが、毛利氏の家紋ではなく大内氏の家紋が設けられているところも面白いなぁ〜と思いました。
大内氏と毛利氏はこの神社を崇敬していたらしく、両氏とも神領を寄進するなど手厚く保護していたみたいです。
江戸時代には社家が14軒あり、秋穂・二島の総氏神として崇められてたんだって。
●能面
・室町時代作
・江戸時代補修
・山口市指定有形文化財
拝殿内には能面の写真がありました。
説明板によると、伝承を失ったためこの能面が何の神事・芸能で使用されていたのかは不明とのことです。
江戸時代に記された古文書などから細男舞で使用されてたんじゃないの?
的な説があるみたいです。
その他、拝殿内には古そうな干支恵方盤と絵馬もありました。
●本殿
●本殿
・1740年建立
・檜皮葺 三間社流造
・国指定重要文化財
●御祭神
・品田和気命(応神天皇)
・足仲津比古命(仲哀天皇)
・気長足比女命(神功皇后)
本殿は巨大な覆屋に保護されていました。
覆屋にも文化財の指定をっ!
と思ってしまうくらい立派な覆屋でした。
そんなこんなで、覆屋の窓から本殿を望む。
説明板によると正面の一部に室町時代の蟇股が残ってるんだって。
●拝殿
・1740年建立
・檜皮葺 入母屋造
・楼拝殿造
・国指定重要文化財
続いて、拝殿で参拝。
拝殿は山口地方独特の様式で造られた楼拝殿造!
これこれこれ!
これを拝見したかったんだよ!
見た目は、宇佐神宮や石清水八幡宮などで見られる楼門造に似ていますが、その名の通り楼拝殿造は楼門ではなく拝殿なんですよ!
簡単にいえば楼門ではなく楼閣。
もっと簡単にいえば、楼門に床を張ったような造りになっています。
そのため、楼門のようにくぐることはできず、拝殿のように昇殿してお詣りができる造りになっているという。
このような拝殿は、なぜか山口地方のみで普及した造りで、全国的にも珍しい様式になっております。
拝殿の両サイドにあるのは庁屋(翼廊)。
庁屋(翼廊)には床が張られているので回廊ではありません。
この社殿の面白いところは、上から見ると宮の文字になっていること!
楼拝殿の部分は宀!
幣殿と本殿は呂!
宀 + 呂 = 宮!
おもしろっ!
そんなこんなで、設計者の遊び心とポップなセンスが爆発したアーティスティックな社殿になっていました。
あと、見事に見逃して帰りましたが、この社殿にはもう1つ面白い部分があるという!
なんと楼拝殿の礎石に溝が掘られてるんだって(ネット情報)
何のための溝かというとシロアリ対策!
かつてはその溝に潮水を入れてシロアリの侵入を防いでいたという!
これまたナイスアイデアですねぇ。
こんな面白いものを見逃して帰るとはね!
もともとこの神社は二島(現・山口市秋穂二島)に創建されていたみたいです。
しかし度々火災に遭い焼失。。
そんなこんなで、1501年に大内氏15代当主・大内義興さんが現在地に遷座したそうです。
しかし!
蛾害に遭ったため、長州藩6代藩主・毛利宗広さんが現在の社殿を建立したんだって。
それにしても、神社の由緒に蛾害というワードは初めて拝見しましたよ!
蛾による農作物への被害は知っていましたが、建物に対しても蛾害ってあるんですねぇ。
あたしゃ阿保なので、こんな光景を想像してしまいましたよ。
そんなこんなで、昔からこの神社はシロアリや蛾などの害虫被害に悩まされていたのですね。
拝殿には五七の桐紋と菊の御紋と大内菱の蟇股を確認することができました。
現在の社殿は毛利氏が建立したものですが、毛利氏の家紋ではなく大内氏の家紋が設けられているところも面白いなぁ〜と思いました。
大内氏と毛利氏はこの神社を崇敬していたらしく、両氏とも神領を寄進するなど手厚く保護していたみたいです。
江戸時代には社家が14軒あり、秋穂・二島の総氏神として崇められてたんだって。
●能面
・室町時代作
・江戸時代補修
・山口市指定有形文化財
拝殿内には能面の写真がありました。
説明板によると、伝承を失ったためこの能面が何の神事・芸能で使用されていたのかは不明とのことです。
江戸時代に記された古文書などから細男舞で使用されてたんじゃないの?
的な説があるみたいです。
その他、拝殿内には古そうな干支恵方盤と絵馬もありました。
●本殿
●本殿
・1740年建立
・檜皮葺 三間社流造
・国指定重要文化財
●御祭神
・品田和気命(応神天皇)
・足仲津比古命(仲哀天皇)
・気長足比女命(神功皇后)
本殿は巨大な覆屋に保護されていました。
覆屋にも文化財の指定をっ!
と思ってしまうくらい立派な覆屋でした。
そんなこんなで、覆屋の窓から本殿を望む。
説明板によると正面の一部に室町時代の蟇股が残ってるんだって。
鐘楼と松尾社と庚申塔
●鐘楼
●鐘楼
・1740年建立
・檜皮葺 入母屋造 袴腰
・山口県指定文化財
なんと境内には鐘楼がありました。
神仏習合時代の名残でしょうか?
ちなみに正八幡宮のすぐ隣には大師寺というお寺がありました。
ということで、大師寺の鐘楼かぃ?
とも思いましたが、正八幡宮・鐘楼という名で文化財登録されているので、やはり神仏習合時代の名残だと思われます。
この鐘楼の建立年は、正八幡宮の社殿と同じ1740年。
どうやら正八幡宮の社殿とセットで建てられたもののようです。
ちなみに、組物や彫刻がほとんどないシンプルな鐘楼でしたよ。
●松尾社
●松尾社 鳥居
・1786年建立
・明神鳥居
続いて、境内社の松尾社を参拝。
松尾社ということで御祭神は大山咋神。
お酒の神様がお祀りされています。
●松尾社 本殿
・建立年不明
・RⅭ造 一間社流造
この松尾社は秋穂・二島の地主神らしく、かつては松童社と呼ばれていたそうです。
●庚申塔
●庚申塔
・1692年建立
・山口市指定有形文化財
続いて、庚申塔へ。
・・・って、私は馬鹿なのか阿保なのか、看板の写真だけ撮って肝心な庚申塔を撮り忘れて帰ったというね!
ちなみに、庚申塔は1692年の建立で山口県最古のものでした。
あと、境内にはたくさんの石祠がありました。
ちなみに、秋穂周辺にはこのような石祠がたくさんありましたよ。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために宮司さんのお宅へ。
すると番犬がものすごい怖い顔で吠えてきました!
小動物には人気のある私ですが、こんなにも吠えられるとは・・・めちゃくちゃ怖かったです!
しかも留守だったというね(笑)
そんなこんなで、ただただ怖い時間を過ごしたひと時でした。
●鐘楼
・1740年建立
・檜皮葺 入母屋造 袴腰
・山口県指定文化財
なんと境内には鐘楼がありました。
神仏習合時代の名残でしょうか?
ちなみに正八幡宮のすぐ隣には大師寺というお寺がありました。
ということで、大師寺の鐘楼かぃ?
とも思いましたが、正八幡宮・鐘楼という名で文化財登録されているので、やはり神仏習合時代の名残だと思われます。
この鐘楼の建立年は、正八幡宮の社殿と同じ1740年。
どうやら正八幡宮の社殿とセットで建てられたもののようです。
ちなみに、組物や彫刻がほとんどないシンプルな鐘楼でしたよ。
●松尾社
●松尾社 鳥居
・1786年建立
・明神鳥居
続いて、境内社の松尾社を参拝。
松尾社ということで御祭神は大山咋神。
お酒の神様がお祀りされています。
●松尾社 本殿
・建立年不明
・RⅭ造 一間社流造
この松尾社は秋穂・二島の地主神らしく、かつては松童社と呼ばれていたそうです。
●庚申塔
●庚申塔
・1692年建立
・山口市指定有形文化財
続いて、庚申塔へ。
・・・って、私は馬鹿なのか阿保なのか、看板の写真だけ撮って肝心な庚申塔を撮り忘れて帰ったというね!
ちなみに、庚申塔は1692年の建立で山口県最古のものでした。
あと、境内にはたくさんの石祠がありました。
ちなみに、秋穂周辺にはこのような石祠がたくさんありましたよ。
そんなこんなで参拝後、御朱印を頂くために宮司さんのお宅へ。
すると番犬がものすごい怖い顔で吠えてきました!
小動物には人気のある私ですが、こんなにも吠えられるとは・・・めちゃくちゃ怖かったです!
しかも留守だったというね(笑)
そんなこんなで、ただただ怖い時間を過ごしたひと時でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・正八幡宮の御朱印
●御朱印の受付場所
・宮司さんのお宅(社務所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年11月5日 参拝
・2022年8月 更新
・正八幡宮の御朱印
●御朱印の受付場所
・宮司さんのお宅(社務所)
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2011年11月5日 参拝
・2022年8月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR四辻駅から徒歩1時間15分
・JR四辻駅から車で15分
・JR大道駅から徒歩1時間35分
・JR四辻駅から車で15分
●最寄りのバス停
・防長交通
宮の前 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
山口南ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR四辻駅から徒歩1時間15分
・JR四辻駅から車で15分
・JR大道駅から徒歩1時間35分
・JR四辻駅から車で15分
●最寄りのバス停
・防長交通
宮の前 バス停から徒歩5分
●最寄りのIC
・山陽自動車道
山口南ICから車で15分
●駐車場
・無料の専用駐車場あり