所在地 | 長崎県壱岐市芦辺町深江本村触1616 |
---|---|
祭 神 | 素戔嗚尊・大己貴神・事代主神 |
社 格 | 式内社(名神大) |
由 緒 | 811年、近江国の日吉大社より日吉山王権現を勧請したのが始まり。もともとは日吉山王権現と呼ばれていたそうです。1676年、橘三喜が壱岐の式内社を比定した際、現・聖母宮が式内社・兵主神社とされたそうです。しかし箱崎八幡神社の祠官・吉野末益が異を唱え、聖母宮は兵主神社からもとの社号である聖母宮に復称。そして日吉山王権現が式内社・兵主神社となってしまい現在に至るそうです。江戸時代を通じて、肥前国平戸藩主が崇敬した神社といわれています。 |
鳥居と参道と手水鉢
●境内入口
壱岐十七社の1つ・兵主神社に到着。
兵主神社と書いてひょうすじんじゃと読みます。
兵主神社は集落からちょっと離れた山内に鎮座していました。
神々の息吹を感じてしまうような最高のロケーションでしたよ。
●鳥居
●鳥居
・江戸時代建立
・鎮信鳥居
まず最初に登場するのは壱岐名物の鎮信鳥居!
太くて短足な柱。
笠木・島木は短く貫は長い。
ややワイドでドッシリとした構え。
一般的な鳥居と比べるとズングリムックリとしたフォルムですが、鎮信鳥居ではこのズングリムックリ感こそが男前なフォルムとなります(個人的感想)
そんなこんなで、ミスター鎮信鳥居!と呼びたくなるようなイカした鳥居でした。
●参道
そんなことより、壱岐島には24社もの式内社があるという!
その中で肥前国平戸藩主が崇敬した神社を壱岐十七社と呼ぶそうです。
さらに壱岐十七社の中で肥前国平戸藩が特別に崇敬した7社を壱岐七社と呼ぶんだって。
どうやらこの兵主神社は壱岐七社から落選してしまった壱岐十七社のようですね。
ちなみに十七社の大祭の際は、神幸式や流鏑馬の神事が執り行われていたそうです。
そのときは藩主ではなく馬廻りの武士が代参していたそうですよ。
この神社の創建は811年。
近江国の日吉大社より日吉山王権現を勧請したのが始まりといわれています。
そんなこんなで、もともとは日吉山王権現と呼ばれていたそうです。
1676年、橘三喜さんが壱岐の式内社を比定した際、現・聖母宮が式内社・兵主神社とされたそうです。
しかし1679年、箱崎八幡神社の祠官・吉野末益さんが異を唱え、聖母宮は兵主神社からもとの社号である聖母宮に復称。
そして全く関係のない日吉山王権現が式内社・兵主神社に比定されたという!
なぜ日吉山王権現が式内社・兵主神社に比定されたのか・・・謎です。
つまりこの神社が兵主神社になったのは江戸時代からなんですねぇ・・・(-“-;) ??
そんなこんなで現在、兵主神社の鳥居にある扁額は、もともとは聖母宮に掲げられていたものなんだって!
ちなみに現在は本宮八幡神社が式内社・兵主神社の論社として有力視されています。
月讀神社しかり海神社しかり高御祖神社しかり、橘三喜さんは適当に式内社を比定しているような・・・(笑)
壱岐の式内社にはこのような怪しい由緒が多いので逆に面白いです!
●手水鉢
●手水鉢
・1917年奉納
そんなこんなで、手水鉢でお清め。
誰がどう見ても水が腐っていたので、水道水でお清めしてきました。
壱岐十七社の1つ・兵主神社に到着。
兵主神社と書いてひょうすじんじゃと読みます。
兵主神社は集落からちょっと離れた山内に鎮座していました。
神々の息吹を感じてしまうような最高のロケーションでしたよ。
●鳥居
●鳥居
・江戸時代建立
・鎮信鳥居
まず最初に登場するのは壱岐名物の鎮信鳥居!
太くて短足な柱。
笠木・島木は短く貫は長い。
ややワイドでドッシリとした構え。
一般的な鳥居と比べるとズングリムックリとしたフォルムですが、鎮信鳥居ではこのズングリムックリ感こそが男前なフォルムとなります(個人的感想)
そんなこんなで、ミスター鎮信鳥居!と呼びたくなるようなイカした鳥居でした。
鎮信鳥居とは?
鎮信鳥居とは?鎮信鳥居と書いてちんしんとりいと読みます。肥前国平戸藩4代藩主・松浦鎮信さんが寄進したことから鎮信鳥居と呼ばれるようになったんだって。松浦鎮信さんが寄進した後も、平戸藩主や地元民が同型の...
●参道
そんなことより、壱岐島には24社もの式内社があるという!
その中で肥前国平戸藩主が崇敬した神社を壱岐十七社と呼ぶそうです。
さらに壱岐十七社の中で肥前国平戸藩が特別に崇敬した7社を壱岐七社と呼ぶんだって。
どうやらこの兵主神社は壱岐七社から落選してしまった壱岐十七社のようですね。
ちなみに十七社の大祭の際は、神幸式や流鏑馬の神事が執り行われていたそうです。
そのときは藩主ではなく馬廻りの武士が代参していたそうですよ。
●壱岐十七社
①國津神社(式内社 小)
②天手長比賣神社(式内社 名神大)
③津神社(式内社 小)
④河原神社
⑤長峰天満神社
⑥爾自神社(式内社 小)
⑦天道神社
⑧熊野神社
⑨若宮神社
⑩流八幡神社
⑪覩上神社
⑫高御祖神社(式内社 小)
⑬兵主神社(式内社 名神大)
⑭石田天満神社
⑮志自岐神社
⑯彌佐支刀神社(式内社 小)
⑰鏡岳神社
①國津神社(式内社 小)
②天手長比賣神社(式内社 名神大)
③津神社(式内社 小)
④河原神社
⑤長峰天満神社
⑥爾自神社(式内社 小)
⑦天道神社
⑧熊野神社
⑨若宮神社
⑩流八幡神社
⑪覩上神社
⑫高御祖神社(式内社 小)
⑬兵主神社(式内社 名神大)
⑭石田天満神社
⑮志自岐神社
⑯彌佐支刀神社(式内社 小)
⑰鏡岳神社
●壱岐七社
①白沙八幡神社(式内社 小)
②興神社(式内社 小)
③住吉神社(式内社 名神大)
④本宮八幡神社(式内社 名神大)
⑤箱崎八幡神社(式内社 名神大)
⑥国片主神社(式内社 小)
⑦聖母宮(式内社 名神大)
①白沙八幡神社(式内社 小)
②興神社(式内社 小)
③住吉神社(式内社 名神大)
④本宮八幡神社(式内社 名神大)
⑤箱崎八幡神社(式内社 名神大)
⑥国片主神社(式内社 小)
⑦聖母宮(式内社 名神大)
この神社の創建は811年。
近江国の日吉大社より日吉山王権現を勧請したのが始まりといわれています。
そんなこんなで、もともとは日吉山王権現と呼ばれていたそうです。
1676年、橘三喜さんが壱岐の式内社を比定した際、現・聖母宮が式内社・兵主神社とされたそうです。
しかし1679年、箱崎八幡神社の祠官・吉野末益さんが異を唱え、聖母宮は兵主神社からもとの社号である聖母宮に復称。
そして全く関係のない日吉山王権現が式内社・兵主神社に比定されたという!
なぜ日吉山王権現が式内社・兵主神社に比定されたのか・・・謎です。
つまりこの神社が兵主神社になったのは江戸時代からなんですねぇ・・・(-“-;) ??
そんなこんなで現在、兵主神社の鳥居にある扁額は、もともとは聖母宮に掲げられていたものなんだって!
ちなみに現在は本宮八幡神社が式内社・兵主神社の論社として有力視されています。
月讀神社しかり海神社しかり高御祖神社しかり、橘三喜さんは適当に式内社を比定しているような・・・(笑)
壱岐の式内社にはこのような怪しい由緒が多いので逆に面白いです!
●手水鉢
●手水鉢
・1917年奉納
そんなこんなで、手水鉢でお清め。
誰がどう見ても水が腐っていたので、水道水でお清めしてきました。
橘三喜の壱岐・式内社調査とは?
橘三喜の壱岐・式内社調査とは?1676年、平戸藩主・松浦鎮信さんは、壱岐国にある式内社24社を調査し、各社の御祭神の名を記録し、後世に残し伝えようと思い立ちました。その際、国学者・橘三喜さんに壱岐国24社の調査...
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・建立年不明
・1978年改築
・瓦葺 向拝付き妻入り切妻造
続いて、拝殿で参拝。
この兵主神社は、江戸時代を通じて肥前国平戸藩主が崇敬した神社といわれています。
平戸藩主は1691年に御旗2流を。
そして1707年には御矛2本を寄進しているみたいです。
さらに社殿を再建するごとに白銀5枚を寄進したんだって。
社格は1877年に村社。
1914年に神饌幣帛料供進神社に指定されたそうです。
拝殿の戸は半開きになっていて、さらに内側の戸には鎖がかけられていました。
そんなこんなで、戸の隙間からお賽銭をするかたちとなります。
●本殿
●本殿
・江戸時代建立
・銅板葺 流造
●本殿 覆屋
・1987年建立
・瓦葺 切妻造
続いて、本殿へ。
本殿は覆屋で保護されていました。
残念だなぁ・・・と思ったその時!
なんと、ありがたいことに下からのぞけるようになっていたという!
そんなこんなで、興味深く観察してきました。
本殿はカラフルに彩られていました。
このように壱岐にはメルヘンチックで淡い色彩の本殿が多いです。
これは壱岐建築の特徴なのでしょうか?
本殿正面の両サイドには古そうな神像がお座りになっていました。
こちらは随身像でしょうか?
思い返してみると、壱岐には随身門がなかったなぁ。
淡い色彩のせいで何となくチープに見えてしまいますが、じっくり観察してみると高欄・虹梁・木鼻などの各部位はとっても丁寧に造られているのがわかりました。
そんなことより!
本殿の側面に描かれた壁画が素晴らし過ぎました!
壁画には獅子・虎・鳳凰・梅などさまざまな動植物が描かれていました。
その中でもひときわ存在感があったのはこのおっちゃん!
どうやらこのおっちゃんは朱買臣(しゅばいしん)というお方のようです。
朱買臣さんは貧しい生活のなかで薪を売りながら勉学に励んで出世したという伝説をもつお方なんだって。
薪と勉学といえばあのお方!
なんと薪を背負いながら読書をしている二宮金次郎さんの姿は、朱買臣さんをモデルにしたという説があるんだとか!
ちなみに、どういった経緯で朱買臣さんが描かれたのかは不明とのことです。
●御祭神
・素戔嗚尊
・大己貴神(大国主大神)
・事代主神(恵比寿大神)
御祭神はスサノオさんとオオナムチさんとコトシロヌシさん。
もともとの御祭神は日吉山王権現さんなのに、いつからこの3柱が祀られるようになったのだろう・・・やはりこの神社の由緒は怪しい ・・・(-“-;) ??
日吉山王権現さん・・・どこ行った?(笑)
ちなみに兵主神を祀る神社は日本全国に約50社あるそうです。
そのうち延喜式神名帳には19社が記載されてるんだって。
さらにその中で名神大社なのは、穴師坐兵主神社(桜井市)と兵主大社(滋賀県野洲市)と、この兵主神社のみなんだと!
それにしても兵主神ってどんな神様なんだろう・・・(-“-;) ??
兵主神は古事記や日本書紀に登場しないんだよね。
全国にある兵主神社の御祭神はバラバラなのですが、全体的に大国主(八千矛神)さんを祀る神社が多いような気がします。
一説によると兵主神は中国神話に登場する蚩尤という戦の神様といわれていたり・・・謎が多い神様ですね。
●拝殿
・建立年不明
・1978年改築
・瓦葺 向拝付き妻入り切妻造
続いて、拝殿で参拝。
この兵主神社は、江戸時代を通じて肥前国平戸藩主が崇敬した神社といわれています。
平戸藩主は1691年に御旗2流を。
そして1707年には御矛2本を寄進しているみたいです。
さらに社殿を再建するごとに白銀5枚を寄進したんだって。
社格は1877年に村社。
1914年に神饌幣帛料供進神社に指定されたそうです。
拝殿の戸は半開きになっていて、さらに内側の戸には鎖がかけられていました。
そんなこんなで、戸の隙間からお賽銭をするかたちとなります。
●本殿
●本殿
・江戸時代建立
・銅板葺 流造
●本殿 覆屋
・1987年建立
・瓦葺 切妻造
続いて、本殿へ。
本殿は覆屋で保護されていました。
残念だなぁ・・・と思ったその時!
なんと、ありがたいことに下からのぞけるようになっていたという!
そんなこんなで、興味深く観察してきました。
本殿はカラフルに彩られていました。
このように壱岐にはメルヘンチックで淡い色彩の本殿が多いです。
これは壱岐建築の特徴なのでしょうか?
本殿正面の両サイドには古そうな神像がお座りになっていました。
こちらは随身像でしょうか?
思い返してみると、壱岐には随身門がなかったなぁ。
淡い色彩のせいで何となくチープに見えてしまいますが、じっくり観察してみると高欄・虹梁・木鼻などの各部位はとっても丁寧に造られているのがわかりました。
そんなことより!
本殿の側面に描かれた壁画が素晴らし過ぎました!
壁画には獅子・虎・鳳凰・梅などさまざまな動植物が描かれていました。
その中でもひときわ存在感があったのはこのおっちゃん!
どうやらこのおっちゃんは朱買臣(しゅばいしん)というお方のようです。
朱買臣さんは貧しい生活のなかで薪を売りながら勉学に励んで出世したという伝説をもつお方なんだって。
薪と勉学といえばあのお方!
なんと薪を背負いながら読書をしている二宮金次郎さんの姿は、朱買臣さんをモデルにしたという説があるんだとか!
ちなみに、どういった経緯で朱買臣さんが描かれたのかは不明とのことです。
●御祭神
・素戔嗚尊
・大己貴神(大国主大神)
・事代主神(恵比寿大神)
御祭神はスサノオさんとオオナムチさんとコトシロヌシさん。
もともとの御祭神は日吉山王権現さんなのに、いつからこの3柱が祀られるようになったのだろう・・・やはりこの神社の由緒は怪しい ・・・(-“-;) ??
日吉山王権現さん・・・どこ行った?(笑)
ちなみに兵主神を祀る神社は日本全国に約50社あるそうです。
そのうち延喜式神名帳には19社が記載されてるんだって。
さらにその中で名神大社なのは、穴師坐兵主神社(桜井市)と兵主大社(滋賀県野洲市)と、この兵主神社のみなんだと!
それにしても兵主神ってどんな神様なんだろう・・・(-“-;) ??
兵主神は古事記や日本書紀に登場しないんだよね。
全国にある兵主神社の御祭神はバラバラなのですが、全体的に大国主(八千矛神)さんを祀る神社が多いような気がします。
一説によると兵主神は中国神話に登場する蚩尤という戦の神様といわれていたり・・・謎が多い神様ですね。
境内社と社務所
●境内社
社殿の後ろには小さな石祠がありました。
あと、見事に見逃しましたが、境内には稲荷社もあるそうです。
●社務所
●社務所
・1993年建立
・瓦葺 切妻造
社殿の横には社務所がありましたが、全く生命感がなかったので宮司さんは常駐はしてないみたいです。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
社殿の後ろには小さな石祠がありました。
あと、見事に見逃しましたが、境内には稲荷社もあるそうです。
●社務所
●社務所
・1993年建立
・瓦葺 切妻造
社殿の横には社務所がありましたが、全く生命感がなかったので宮司さんは常駐はしてないみたいです。
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
御朱印情報
●御朱印の種類
・兵主神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・寄八幡神社
※兵主神社には宮司さんは常駐していません。
御朱印は寄八幡神社で頂くことになります。
※宮司さんは寄八幡神社と高御祖神社と兵主神社と小島神社を兼務しています。
●寄八幡神社が不在の場合
・寄八幡神社の拝殿内に書置きが用意されています。
※直書きを希望される方は事前に電話予約することをオススメします。
●寄八幡神社の連絡先
・0920-45-1263
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
・寄八幡神社の拝殿内に書置きが用意されています。
※直書きを希望される方は事前に電話予約することをオススメします。
●寄八幡神社の連絡先
・0920-45-1263
※宮司さんのご都合により対応できない場合があります。
●御朱印の料金
・500円
●御朱印の受付時間
・不明
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年8月26日 参拝
・2022年9月 更新
寄八幡神社の御朱印|海女の里・八幡浦の鎮守|壱岐唯一の鎮信鳥居(長崎県壱岐市)
所在地長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触1839祭 神仲哀天皇・応神天皇・神功皇后由 緒不明。鳥居と手水舎と狛犬●境内入口壱岐島の最東端・八幡半島に鎮座する寄八幡神社に到着...
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・芦辺港から車で10分
・印通寺港から車で10分
・郷ノ浦港から車で15分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で15分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
切方 バス停から徒歩10分
・壱岐交通
今坂 バス停から徒歩15分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
駐車場は境内にあります。
境内の横に車両入口がありますので、そちらからどうぞ。
社務所の前に数台分の駐車スペースがあります。
ただ・・・狭いので注意が必要かもです!
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの港
・芦辺港から車で10分
・印通寺港から車で10分
・郷ノ浦港から車で15分
●最寄りの空港
・壱岐空港から車で15分
●最寄りのバス停
・壱岐交通
切方 バス停から徒歩10分
・壱岐交通
今坂 バス停から徒歩15分
※バスの路線図・時刻表はこちら。
●最寄りのIC
・なし
●駐車場
駐車場は境内にあります。
境内の横に車両入口がありますので、そちらからどうぞ。
社務所の前に数台分の駐車スペースがあります。
ただ・・・狭いので注意が必要かもです!
壱岐島の御朱印情報まとめ(28種)|受付場所・受付時間・初穂料・オリジナル御朱印帳など
壱岐島で頂ける御朱印をまとめてみました。白沙八幡神社●御朱印の種類・白沙八幡神社の御朱印・海神社の御朱印●御朱印の受付場所・白沙八幡神社●不在の場合・白沙八幡神社の拝殿内に...