所在地 | 鹿児島県いちき串木野市上名2797 |
---|---|
祭 神 | 建御名方命・八坂刀売命 |
由 緒 | 創建年は不詳。江戸時代後期に薩摩藩が編纂した三国名勝図会に諏訪上下大明神社とあることから、長野県の諏訪大社から勧請した神社といわれています。はじめは諏訪神社と呼ばれていたそうですが、いつ頃から南方神社になったのかはわからないそうです。1592年、島津氏17代当主・島津義弘が朝鮮出兵のため肥前・名護屋城に向かう途中、この神社を参拝して神楽を奉上。そして自ら歌を一首詠んで順風を祈願したといわれています。その後、1911年に無格社の山神社、1912年に無格社の岩水神社を合祀し、現在に至るそうです。 |
鳥居①と参道と狛犬
●境内入口
鹿児島県いちき串木野市に鎮座する南方神社に到着。
南方神社と書いてみなみかたじんじゃと読みます。
いちき串木野市には南方神社が4社あります。
そんなこんなで、こちらはいちき串木野市上名に鎮座する南方神社となります。
①南方神社
いちき串木野市上名
②南方神社
いちき串木野市羽島
③南方神社
いちき串木野市生福
④南方神社
いちき串木野市荒川
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居①
●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居(台輪鳥居)
まず最初に登場するのは鳥居。
島木と柱の間に台輪がありましたので、こちらは台輪鳥居となります。
この鳥居で面白いなぁ〜と思ったのは、根巻き(藁座)部分が八角柱になっているところ。
注意深く見ないと見逃してしまいそうになるくらい、さりげなく施されていました。
●参道
そんなこんなで、鳥居①をくぐって石階段を上る。
参拝者はおらず、静寂な境内。
薄暗さのなかに清々しさを感じる不思議な空間でした。
●狛犬
続いて、狛犬ちゃんが登場。
風化が激しいため奉納年を確認することはできませんでしたが、見た感じ、結構古そうな狛犬ちゃんでした。
江戸期の狛犬ちゃんでしょうか?
それにしても個性的な狛犬ちゃんですねぇ。
鹿児島県いちき串木野市に鎮座する南方神社に到着。
南方神社と書いてみなみかたじんじゃと読みます。
いちき串木野市には南方神社が4社あります。
そんなこんなで、こちらはいちき串木野市上名に鎮座する南方神社となります。
①南方神社
いちき串木野市上名
②南方神社
いちき串木野市羽島
③南方神社
いちき串木野市生福
④南方神社
いちき串木野市荒川
そんなこんなで、参拝開始。
●鳥居①
●鳥居①
・建立年不明
・明神鳥居(台輪鳥居)
まず最初に登場するのは鳥居。
島木と柱の間に台輪がありましたので、こちらは台輪鳥居となります。
この鳥居で面白いなぁ〜と思ったのは、根巻き(藁座)部分が八角柱になっているところ。
注意深く見ないと見逃してしまいそうになるくらい、さりげなく施されていました。
●参道
そんなこんなで、鳥居①をくぐって石階段を上る。
参拝者はおらず、静寂な境内。
薄暗さのなかに清々しさを感じる不思議な空間でした。
●狛犬
続いて、狛犬ちゃんが登場。
風化が激しいため奉納年を確認することはできませんでしたが、見た感じ、結構古そうな狛犬ちゃんでした。
江戸期の狛犬ちゃんでしょうか?
それにしても個性的な狛犬ちゃんですねぇ。
鳥居②と手水鉢
●鳥居②
●鳥居②
・1826年建立
・明神鳥居(台輪鳥居)
続いて、鳥居②が登場。
鳥居①同様、こちらも台輪鳥居。
根巻き(藁座)部分も八角柱になっていましたので、鳥居①と同型の鳥居となっておりました。
島木には、文政九年 丙戌 十月 建と刻まれていました。
通常、建立年は柱に刻まれていますが、こちらは島木にあるというね!
これまた面白い鳥居でした。
それにしても、尋常じゃないくらいネジれています!
触れるだけで倒れてしまいそうな!
そんなこんなで、鳥居をくぐることはできませんでした。
横から見ると歩いてるようにも見えます。
ウォーキングかムーンウォークか。
靴を履いてるようにも見えます!
ここまで動きのある鳥居は初めて拝見しましたよ。
●手水鉢
ちなみに、鳥居②の前には手水鉢がありましたが、蛇口ハンドルが外されていたためお清めすることはできませんでした。
●鳥居②
・1826年建立
・明神鳥居(台輪鳥居)
続いて、鳥居②が登場。
鳥居①同様、こちらも台輪鳥居。
根巻き(藁座)部分も八角柱になっていましたので、鳥居①と同型の鳥居となっておりました。
島木には、文政九年 丙戌 十月 建と刻まれていました。
通常、建立年は柱に刻まれていますが、こちらは島木にあるというね!
これまた面白い鳥居でした。
それにしても、尋常じゃないくらいネジれています!
触れるだけで倒れてしまいそうな!
そんなこんなで、鳥居をくぐることはできませんでした。
横から見ると歩いてるようにも見えます。
ウォーキングかムーンウォークか。
靴を履いてるようにも見えます!
ここまで動きのある鳥居は初めて拝見しましたよ。
●手水鉢
ちなみに、鳥居②の前には手水鉢がありましたが、蛇口ハンドルが外されていたためお清めすることはできませんでした。
拝殿と本殿
●拝殿
●拝殿
・1928年修築?
・1977年再建?
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
もしかして、拝殿も傾てる?
なんだか歪んだ世界にやってきたみたいで、自分の目が信じれなくなってきましたよ。
それにしても、階段がレンガ造になっているのが面白いなぁ~と思いました。
モダンだなぁ。
説明板によると、1928年に老朽化のため氏子の寄付により社殿を大修築。
その後、1971年に台風により神殿が損壊。
1977年にようやく再建された。
と書いてありました。
ここに書いてある神殿は、本殿ということなのは間違いなさそうですが、拝殿も含まれているのかはわかりません。
御祭神は建御名方さんと八坂刀売さん。
この2柱は諏訪神社の総本社・諏訪大社(長野県)でお祀りされる神様で、建御名方さんは上社本宮、八坂刀売は下社秋宮の主祭神となっております。
この南方神社は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した三国名勝図会に諏訪上下大明神社とあることから、長野県の諏訪大社から勧請したものといわれています。
はじめは諏訪神社と呼ばれていたそうですが、いつ頃から南方神社になったのかはわからないそうです。
諏訪神社といえば信州のイメージが強いですが、なぜか鹿児島県にも多くの諏訪神社・南方神社が鎮座しています。
はて・・・これはどういうことだぃ???
と思い、調べてみることに。
どうやら、島津家の初代当主・島津忠久さんは、承久の乱の際に信州・諏訪大社で祈願をして戦功をあげたそうです。
島津忠久さんは、この戦功は諏訪大明神の御利益によるものとして、諏訪大明神を篤く信仰するようになったといいます。
ということで、諏訪神社は稲荷神社とともに島津家からの崇敬が厚く、鹿児島の各地に祀られることになったんだって。
そんなこんなで、説明板にも島津さんの名を見ることができました。
1592年、島津氏17代当主・島津義弘さんが朝鮮出兵のため肥前・名護屋城に向かう途中、この神社を参拝して神楽を奉上し、自ら歌を一首詠んで順風を祈願したといわれています。
そのときに島津義弘さんが詠んだ歌がこちら。
この歌は御朱印にもデザインされていました。
この南方神社は串木野城跡の登城口に鎮座しています。
そんなこんなで、かつて南方神社は串木野城の一部だったといわれてるんだって。
ちなみに、関ヶ原の戦いの敵中突破(島津の退き口)で討死した島津豊久さんは串木野城で産まれています。
●本殿
●本殿
・1977年再建
・瓦葺 流造(覆屋)
本殿は覆屋で保護されていました。
おそらく、この覆屋の中に1977年再建の本殿が鎮座していると思われます。
●拝殿
・1928年修築?
・1977年再建?
・瓦葺 妻入り入母屋造
続いて、拝殿で参拝。
もしかして、拝殿も傾てる?
なんだか歪んだ世界にやってきたみたいで、自分の目が信じれなくなってきましたよ。
それにしても、階段がレンガ造になっているのが面白いなぁ~と思いました。
モダンだなぁ。
説明板によると、1928年に老朽化のため氏子の寄付により社殿を大修築。
その後、1971年に台風により神殿が損壊。
1977年にようやく再建された。
と書いてありました。
ここに書いてある神殿は、本殿ということなのは間違いなさそうですが、拝殿も含まれているのかはわかりません。
御祭神は建御名方さんと八坂刀売さん。
・建御名方命(タケミナカタ)
・八坂刀売命(ヤサカトメ)
・八坂刀売命(ヤサカトメ)
この2柱は諏訪神社の総本社・諏訪大社(長野県)でお祀りされる神様で、建御名方さんは上社本宮、八坂刀売は下社秋宮の主祭神となっております。
この南方神社は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した三国名勝図会に諏訪上下大明神社とあることから、長野県の諏訪大社から勧請したものといわれています。
はじめは諏訪神社と呼ばれていたそうですが、いつ頃から南方神社になったのかはわからないそうです。
諏訪神社といえば信州のイメージが強いですが、なぜか鹿児島県にも多くの諏訪神社・南方神社が鎮座しています。
はて・・・これはどういうことだぃ???
と思い、調べてみることに。
どうやら、島津家の初代当主・島津忠久さんは、承久の乱の際に信州・諏訪大社で祈願をして戦功をあげたそうです。
島津忠久さんは、この戦功は諏訪大明神の御利益によるものとして、諏訪大明神を篤く信仰するようになったといいます。
ということで、諏訪神社は稲荷神社とともに島津家からの崇敬が厚く、鹿児島の各地に祀られることになったんだって。
そんなこんなで、説明板にも島津さんの名を見ることができました。
1592年、島津氏17代当主・島津義弘さんが朝鮮出兵のため肥前・名護屋城に向かう途中、この神社を参拝して神楽を奉上し、自ら歌を一首詠んで順風を祈願したといわれています。
そのときに島津義弘さんが詠んだ歌がこちら。
夕涼み御山おろしにさそわれて
つなぎし船の出づる港みなと江
つなぎし船の出づる港みなと江
この歌は御朱印にもデザインされていました。
この南方神社は串木野城跡の登城口に鎮座しています。
そんなこんなで、かつて南方神社は串木野城の一部だったといわれてるんだって。
ちなみに、関ヶ原の戦いの敵中突破(島津の退き口)で討死した島津豊久さんは串木野城で産まれています。
●本殿
●本殿
・1977年再建
・瓦葺 流造(覆屋)
本殿は覆屋で保護されていました。
おそらく、この覆屋の中に1977年再建の本殿が鎮座していると思われます。
霧島神宮遥拝所
●霧島神宮遥拝所
拝殿には霧島神宮遥拝所の道標が貼られていました。
多分、これかな?
いや、こっちなのか?
三又槍のような部分が天逆鉾のようにも見えますし・・・多分、こちらが霧島神宮の遥拝所だと思われます。
建立年を探ってみましたが、肝心な部分だけ判別不能でした。
くぅ〜、もどかし〜ぃ。
そんなことより、霧島神宮遥拝所の両サイドにも個性的な狛犬ちゃんがおられました。
奉納年を確認することはできませんでしたが、見た感じ江戸期の香りがしました(推測)
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
拝殿には霧島神宮遥拝所の道標が貼られていました。
多分、これかな?
いや、こっちなのか?
三又槍のような部分が天逆鉾のようにも見えますし・・・多分、こちらが霧島神宮の遥拝所だと思われます。
建立年を探ってみましたが、肝心な部分だけ判別不能でした。
くぅ〜、もどかし〜ぃ。
そんなことより、霧島神宮遥拝所の両サイドにも個性的な狛犬ちゃんがおられました。
奉納年を確認することはできませんでしたが、見た感じ江戸期の香りがしました(推測)
そんなこんなで、参拝終了。
いやはや、素敵な神社でした。
海鮮まぐろ家
●海鮮まぐろ家
その後、いちき串木野市総合観光案内所の隣にある海鮮まぐろ家でお昼ご飯。
全くそんなイメージがなかったのですが、いちき串木野市は、昔から遠洋マグロ漁業が盛んな町なんだって。
なんと、遠洋はえ縄漁船の船舶数は日本一だという!
そんなこんなで、紅白まぐろ丼を注文。
当然、ウマウマでした。
その後、いちき串木野市総合観光案内所の隣にある海鮮まぐろ家でお昼ご飯。
全くそんなイメージがなかったのですが、いちき串木野市は、昔から遠洋マグロ漁業が盛んな町なんだって。
なんと、遠洋はえ縄漁船の船舶数は日本一だという!
そんなこんなで、紅白まぐろ丼を注文。
当然、ウマウマでした。
御朱印情報
●御朱印情報
●御朱印の種類
・南方神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・南方神社の拝殿内
・いちき串木野市総合観光案内所
※御朱印は南方神社の拝殿内に書置きが用意されていました。
その他、南方神社から車で5分のところにあるいちき串木野市総合観光案内所でも御朱印を頂くことができます。
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年11月6日 参拝
・2022年12月 更新
●御朱印の種類
・南方神社の御朱印
●御朱印の受付場所
・南方神社の拝殿内
・いちき串木野市総合観光案内所
※御朱印は南方神社の拝殿内に書置きが用意されていました。
その他、南方神社から車で5分のところにあるいちき串木野市総合観光案内所でも御朱印を頂くことができます。
●御朱印の受付時間
・不明
●御朱印の料金
・300円
●期間限定・特別御朱印
・なし
●オリジナル御朱印帳
・なし
・2022年11月6日 参拝
・2022年12月 更新
参拝情報とアクセス
●開門時間
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR串木野駅から徒歩25分
・JR串木野駅から車で5分
●最寄りのIC
・南九州自動車道
串木野ICから車で3分
●駐車場
・なし
※南方神社には駐車場はありません。
境内入口に軽自動車1台部分の駐車スペースがありますので、そちらに駐車するしかなさそうです。
普通車の方は駐車スペースからハミ出してしまうので、地元の方の迷惑にならないように気を付けた方がよさそうです。
・境内自由
●拝観料
・無料
●最寄りの駅
・JR串木野駅から徒歩25分
・JR串木野駅から車で5分
●最寄りのIC
・南九州自動車道
串木野ICから車で3分
●駐車場
・なし
※南方神社には駐車場はありません。
境内入口に軽自動車1台部分の駐車スペースがありますので、そちらに駐車するしかなさそうです。
普通車の方は駐車スペースからハミ出してしまうので、地元の方の迷惑にならないように気を付けた方がよさそうです。