照国神社の御朱印~島津斉彬を祀る~(鹿児島県鹿児島市)

所在地鹿児島県鹿児島市照国町19−35
祭 神照国大明神(島津斉彬)
由 緒1862年、島津斉彬の遺志を継いだ弟・久光と甥・忠義が鹿児島城内の南泉院郭内に島津斉彬を祀る社地を選定。1863年、孝明天皇の勅命により照国大明神の神号を受けて、その社地に祠を建立したのがこの神社の始まりといいます。1864年、東照宮が建っていた地に社殿を造営し、照國神社と称したそうです。
HP照國神社
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鳥居と参道

●境内入口

鹿児島市街地の中心部に鎮座する照国神社に到着。
照国神社と書いててるくに神社と読みます。

この照国神社は鹿児島の総氏神で、市内で一番大きな神社なんだって。

本日はゴールデンウィークということもあり、多くの参拝者で賑わっていましたよ。

そんなこんなで、参拝開始。


●鳥居

●鳥居
・1929年建立
・高さ 約20m
・柱間 約16m
・鉄筋コンクリート製

まず最初に登場するのは巨大な鳥居

鹿児島随一の繁華街・天文館から西南戦争最後の激戦地となった城山方面に歩くと、前方に巨大な鳥居が猛アピールしてくるので、迷うことなく到着できると思われます(多分)


建立当時は、鉄筋コンクリート製の鳥居として日本一の規模だったんだって!

どうりでデカいわけだ!

この神社は第二次世界大戦の終戦間際、空襲の被害に遭ったんだって。。

その時、この鳥居は機銃掃射を浴びたという。。

戦後、弾痕を埋めるための修繕を行ったそうですが、戦争の傷跡を残したいという思いで、あえて1つだけ弾痕を残したんだって。

・・・

・・・・・


という情報は、全て帰宅後に知りました!

そんなこんなで、鳥居の写真を拡大してみると・・・


写ってました!

弾痕がっ!

ちなみに、弾痕は鳥居裏側の貫の部分にあります。

弾痕の直径は20cmもあるそうですよ!


●参道

そんなこんなで、鳥居を過ぎると参道というか駐車場に突入。

神社自体の歴史はさほど古くなく、さらに現在の社殿は戦後に再建されたものなので、趣はあまり感じれないかも知れません。
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斉鶴と神門

●斉鶴

●斉鶴
・イヌマキの木
・樹齢 約180年
・1962年献木

そんなこんなで、参道を抜けると巨大な鳥型の木が登場!

どうやらこちらは、1962年に氏子が寄進した木のようです。

イヌマキの木で羽を広げた鶴の姿を表現してるんだって。

祭神・島津彬さんのの文字を取って斉鶴と名付けられたそうですよ。


それにしても枝っぷりが凄かったです!
支えなしでこの翼は凄い!


●神門

●神門
・1967年再建
・銅板葺 三間三戸 切妻造
・鉄筋コンクリート造

続いて、神門が登場。


扁額には照國神社の文字。

額縁に島津家の家紋・丸に十文字が確認できました。

通称・丸十です。


神紋の扉にも立派な丸十。

この家紋を見ると鹿児島に来たーっていう実感が湧きます。
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拝殿と本殿と島津斉彬

●拝殿

●拝殿
・1958年再建
・銅板葺 切妻造
・鉄筋コンクリート造

そんなこんなで、拝殿に到着。

神門同様、戦後に再建されたRC造。
良くも悪くも昭和建築の濃い味が出ていました。


現在は拝殿と本殿は独立した社となっていますが、創建当時は権現造だったそうです。

しかし1877年に西南戦争で焼失。

その後、流造の本殿が再建されますが、1945年に第二次世界大戦の戦災により焼失。

戦後、1953年に本殿、1958年に拝殿、1967年に神門を再建。

そして1994年に幣殿を増築して、現在のかたちになったといいます。


ちなみに拝殿も丸十だらけになっていました。

なんだろうねぇ、ドライバーでクルクル回したくなっちゃいます。


●本殿

●本殿
・1953年再建
・銅板葺 流造
・鉄筋コンクリート造

●祭神
・照国大明神(島津斉彬)

祭神は照国大明神
照国大明神とは、薩摩藩11代藩主・島津斉彬さんの神号です。


●島津斉彬とは?

ザックリと簡単に島津斉彬さんとは、江戸時代末期に活躍した薩摩藩・第11代藩主です。

幕末の名君といわれ、日本の近代化の礎を築いた偉大なお方です。

斉彬さんは、西洋式工場群・集成館を設立し、 反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などを製造しました。

さらに富国強兵の理念のもと、日本初の洋式帆船や西洋式軍艦、さらには蒸気船を建造しちゃいました。


さらにさらに、斉彬さんは日本の国旗に日の丸を提言したお方でもあります。

日本にたくさんの外国船が訪れるようになった当時。
日本船と外国船を区別する必要がありました。

当初、江戸幕府が考えた船舶旗は、白地に黒い横線が1本だけ引かれた地味なデザインでした。

しかし斉彬さんは、白地に赤丸のデザイン、いわゆる日の丸を提言

当初は幕府から反対されましたが、開明的な藩主たちの後押しを得て日本国の正式な船舶旗として承認されました。

その後、船舶旗が国旗になりました。



また、斉彬さんは身分に関係なく能力がある者を育成し、西郷隆盛さんや大久保利通さんなどの人材を育てたことでも知られています。

そんなこんなで、斉彬さんは薩摩藩のみならず日本国の発展に大きな功績を残した大偉人です。


●集成館

●旧集成館機械工場
・1865年建立
・国指定重要文化財

ちなみにこちらが集成館です。

なんと、この建物は日本最古の石造洋式機械工場だという。

仙巌園の反射炉とともに明治日本の産業革命遺産の構成資産として世界文化遺産に登録されています。


●仙巌園

●仙巌園
・1658年造園
・別名 磯庭園
・国指定名勝

こちらは薩摩藩主・島津氏の別邸跡にある仙巌園です。

1658年に第19代当主・島津光久が造園したのが始まり。
その後、歴代当主による改築が重ねられ、現在の姿になっています。


斉彬さんは、この仙巌園の敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所ガラス工場を建設。
ここで、近代化事業(集成館事業)を起こしたという!
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探勝園と島津3代の銅像

●探勝園

照国神社の隣には探勝園という庭園がありました。
ここは鹿児島城(鶴丸城)二の丸にあった庭園の跡地なんだって。

探勝園は、島津家25代当主・島津重豪さんのときに作庭。
当初は千秋園という名前だったそうです。

その後、27代当主・島津斉興さんのときに手が加えられ、探勝園という名前になったんだって。

1857年、島津斉彬さんはこの探勝園と鹿児島城(鶴丸城)の間600mで、日本で初めてモールス信号による交信を成功させたんだと!

斉彬さんの探究心は止まんない!


探勝園には、島津斉彬・久光・忠義さんの銅像をはじめ、いくつかの慰霊碑がありました。


●島津斉彬像

●島津斉彬像
・1917年建立
・朝倉文夫 作

まずは斉彬さんから。

島津斉彬さんは 江戸時代末期に活躍した薩摩藩・第11代藩主です。

西洋文化に精通し、溶鉱炉や反射炉の建設、日本初の蒸気船・雲行丸を竣工させるなど日本の近代化を図ったお方です。

また、西郷隆盛さんや大久保利通さんなどの人材を育てたお方でもあります。

ちなみに、日本の国旗・日の丸は斉彬さんの提言で誕生したそうです。

現在は照国神社の祭神として鹿児島の町をお守りしています。


高さは13mくらいあるでしょうか?

とにかく高い像でした!


●島津久光像

●島津久光像
・1917年建立
・朝倉文夫 作

続いて、久光さん。

島津久光さんは、江戸時代末期から明治時代初期に活躍した政治家で、斉彬さんの異母弟です。

異母兄・斉彬さんと次期藩主を争いますが、藩主にはなれず。

斉彬さんの死後、久光さんの嫡男・忠義が藩主の座に就いたため、久光さんは藩主の父として実権を握ります。

そのため、国父と呼ばれていたお方です。


開明的だった斉彬さんとは対照的に、久光さんは伝統を重んじるタイプでした。

そのため斉彬さんを慕っていた西郷隆盛さんとの相性は悪く、隆盛さんを沖永良部島へ島流しにしちゃったりもしました。

気性が激しく頑固者。

明治維新後、新政府への反感が強く、廃藩置県が断行された際は、鹿児島の自邸でひと晩中花火を打ち上げ続けるというよくわからない抗議活動を行っています。

そんな久光さんの銅像は、斉彬さんと違い、頑固っぽい表情をしていました。


●島津忠義像

●島津忠義像
・1917年建立
・朝倉文夫 作

続いて、忠義さん。

島津忠義さんは、江戸時代末期から明治時代に活躍した薩摩藩・第12代藩主です。

薩摩藩最後の藩主
薩摩のラストエンペラー的なお方です。

1889年の大日本帝国憲法発布の式典に、ちょんまげ + 洋服姿で登場したことで有名で、江戸と明治をケンタウロス的に表現してくれたお方です。


ちなみに銅像は、ちょんまげ姿ではなく帽子姿でした。

う~んこの。。


●戊辰之役戦士顕彰碑と原爆犠牲者慰霊碑

その他、探勝園には戊辰之役戦士顕彰碑や原爆犠牲者慰霊平和記念碑などがありました。
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その他の見どころ

●保食神社(照国稲荷)

●保食神社(照国稲荷)
・建立年不明
・銅板葺 一間社流造
・倉稲魂神を祀る

社殿の隣には保食神社がありました。
保食神社と書いてうけもち神社と読みます。

いわゆるお稲荷さんです。

この神社は、もともと照国神社後方にある城山の中腹に鎮座していたそうですが、台風で被災したのを機に、1954年に現在地に遷座したんだって。


●回廊

回廊には薩摩物語と題した鹿児島のヒストリーが展示されていました。


●境内の風景

帰る間際まで気づきませんでしたが、実は社殿の周りには壕がめぐらされていたという。


オリジナル絵馬には、島津斉彬さんの花押がデザインされていました。

シンプルにカッコ良かったです。


いやはや、素敵な神社でした。

周辺の見どころ

●鹿児島県護国神社頓宮

●鹿児島県護国神社頓宮
・1879年移築
・拝殿 瓦葺 入母屋造
・本殿 瓦葺 切妻造

照国神社近くには鹿児島県護国神社の頓宮がありました。

1868年、島津忠義さんが鹿児島市山ノ口馬場に靖献社として建立したものらしいです。
それを1879年に現在地へ移築したんだって。


●旧鹿児島県立博物館考古資料館

●旧鹿児島県立博物館考古資料館
・1883年建立
・国の登録有形文化財

もともとは県立興業館という建物だったそうです。
その後、市役所の仮事務所、県産物陳列場を経て、県立博物館考古資料館になったんだって。

しかし、2002年に閉館・・・。

ということで立入り禁止になっていました。


●桜島爆発紀年碑

こちらは、1914年の桜島大噴火の記録として建てられた石碑です。

鹿児島にはこういった爆発紀年碑が各地に点在しているそうです。

鹿児島ならではの風景ですね!


●南洲寺

西郷隆盛さんの菩提寺です。

境内には月照上人のお墓があります。
南洲寺の御朱印~西郷隆盛の菩提寺~(鹿児島県鹿児島市)
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●南洲神社

西郷隆盛さんを祀る神社です。
南洲神社の御朱印~西郷隆盛と薩軍戦没者を祀る~(鹿児島県鹿児島市)
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●天文館本通商店街

天文館とは鹿児島随一の繁華街のことです。

恥ずかしながら、最初はプラネタリウムでもあるのかと思っていました!

そんなことより、約100mのアーケードには、鹿児島名物のカキ氷白熊をはじめ、郷土料理がいただける飲食店、鹿児島銘菓や老舗デパートなどが建ち並んでいました。


●黒豚丼と豚しゃぶ

鹿児島といえば黒豚。
ということで、黒豚丼を食べてきました。

さつま芋の天ぷらも乗っちゃってます。
どうにもこうにも薩摩づくし。


あと豚しゃぶも頂きました。

ウーーーマ!

御朱印情報

●御朱印の種類
・照国神社の御朱印

●御朱印の受付場所
・御朱印受付

●御朱印の受付時間
・9:00~16:30

●御朱印の料金
・500円

●期間限定・特別御朱印
・思無邪の御朱印
・前進の御朱印
・立春大吉の御朱印
・幸先詣の御朱印
・六月燈限定の御朱印(疫病退散)


●オリジナル御朱印帳

●オリジナル御朱印帳
サイズ
 18cm × 12cm

初穂料
 1300円

・2018年5月3日 参拝
・2021年4月 更新
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参拝情報とアクセス

●授与所の受付時間
・9:00~16:30

●拝観料
・無料

●定休日
・無休

●最寄りの駅
・JR鹿児島中央駅から徒歩20分
・JR鹿児島中央駅から車で10分
・市電・天文館通 電停から徒歩10分
・市電・朝日通 電停から徒歩10分

●最寄りのバス停
・天文館 バス停から徒歩5分

●最寄りのIC
・九州自動車道
 鹿児島北ICから車で20分

●駐車場
・専用の無料駐車場あり
 収容台数 24台
 土日混雑日 40台

照国神社の地図

 

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